幼馴染の嫁が好きなんですけど、理由が分かりません ~竜殺しの恋煩い~
軌跡
第1話 好きな理由
「お、桜斗様! ど、どういうことですか!?」
悲壮に満ちた声が、プラスチックのテーブルを連打する。
必然、生徒たちの視線は一組の男女に集中した。椅子に座ってのうのうと食事を取る少年と、それを頭上から見下ろす少女へ。
桜斗、と呼ばれた少年は首を傾げるだけだ。これといっておかしなことはしていない。昼時の食堂に相応しく、食券を購入して該当品を受け取っただけ。午後の戦い――もとい眠気への準備を整えているだけだ。
しかし少女の戦慄きは消えない。驚愕と失望を混ぜて、細面の幼馴染を見つめている。
「どうしたの? エレニア」
「うぬぬ……」
二人の関係を知らなければ、それは糾弾する者とされる者だ。エレニア、と呼ばれた少女の鋭い目付きも、罪を暴くように深い。
とはいえ気心の知れた幼馴染同士。彼女が本気で怒っているわけではないことを、桜斗はよく理解していた。
なので余計に首を傾げる。今日の自分はいつも通りで、反感を抱かれる真似はしていない。――その普段が、エレニアの気に触っていなければの話だが。
溜め息と共に、正面の席へ腰を降ろす少女。食堂の注目は、既に疎らなものへと変わっていた。
「あ、ありえません……」
「だから、何が?」
「その野菜定食です! お肉はどこに行ったんですか! お肉は!」
「いや、そりゃあ――」
バツが悪そうに、両手の間へ視線を落とす。
山のように積み重なったサラダ。ドレッシングの一滴さえかかっておらず、キャベツの芯が誇らしげに山頂を占めている。自己主張の度合いは炊き立ての白米と肩を並べるほどだ。。
個人的には食堂で一番のお気に入りだ。これに味噌汁と米もあるし、質素な雰囲気もいいと思う。
ただ、人気がない。特に男子生徒の中では顕著だ。
理由があるのだとすれば指摘の通り、肉が一切入っていないからだろう。世界から肉という単語を駆逐してやりたい、そんな意気込みすら感じるほどだ。
お陰でこのメニュー、今では注文する生徒がかなり限られている。近年では弁当勢力の拡大もあり、戦いに付いてこられない品は撤去する流れがあるとか。
しかし個人的には、この過剰な野菜定食が消えるのは困る。丁度いい満腹感を味わえるし。
なのでここに来る度、注文するのが恒例なわけだが――
「そんなんだから身体が細いんですよ! 当主様の一人息子なんですから、もう少し健康には気を使ってください! ――ほら、私のを差し上げますから」
「え、でも、それはエレニアが――」
「食べなさい」
「はい」
有無を言わさぬ決定に、迷いのない二つ返事。
口調や振る舞いこそ礼儀正しいエレニアだが、その視線には大の大人も怯ませる強さがある。一見した容貌が人並み外れた美人なだけ、冷徹な迫力を帯びている感じ。
その証拠に今も、彼女は男女問わず一瞥を向けられている。
羨望があれば、好奇心もあった。異国の血筋を示す、宝石のように美しい銀髪。人形のような愛らしさと、彫像のような冷たい美貌。生きた天使がいれば、同じ雰囲気を醸し出していたことだろう。
なので。彼女の目付きについては、チャームポイントと取れなくもない。一見した印象とのギャップも手伝い、魅力が膨らんで見える程だ。
メリハリのあるスタイルも、生徒達の眼差しを受ける原因である。中学時代はそこまで目立たなかったのに、ここ数年で一気に表面化したような。
「さ、どうぞどうぞ」
前傾姿勢になると、目のやり場に困るのが事実だった。
その場での返答を待たず、エレニアは次々と肉を運び入れていく。自分の分がなくなるんじゃ、と心配になるが、そこは元の量で誤魔化していた。
分けるだけの行為だと言うのに、彼女はとても満足気。桜斗は逆に、予想外の量へ肝を冷やしていた。
運良く、適度な範囲で補給は止まる。
「では、頂きます」
「……」
挨拶の後は一転、表情は冷徹そのものに変わった。食事時は私語厳禁、と全身を使って示すように。
直前の穏やかな空気はどこへやら。第一印象そのままな冷たさは、知れず他人を威圧する。
近付きたいが、関わり方が分からない――彼女に接しようとすれば、まずはそれが難題だ。桜斗本人も、彼女と会ったばかりの頃はそうだった。
作業的、あるいは義務的。日常に対するエレニアの姿勢は、概ねそんなところだろう。
しかしあるのは、成長も劣化も思わせない、完成された美しさ。
だから両手の一挙一動から目を反らせない。雪に似た白い肌や美術品のような指先へ、箸を止めて夢中になる。
まるで絵画の一場面。この瞬間だけ時間が止まってしまったかのようだ。淡々とした風景なのに、幸福感すら覚えてしまう。
静寂の化身といった雰囲気は、裏を返せば孤独でもある証拠。誰かに声を掛けられれば、また愛らしい表情を見せてくれる。
しかし権利を保有している桜斗は、敢えて距離を置いたまま彼女を見ていた。
笑顔を浮かべている女性。それは素晴らしいものだし、個人的にも好きだと胸を張って言える。――初恋の少女が相手であれば、尚更のことだ。
一方、静かな美しさにも理解はある。例え拒絶に近いオーラを出していても、美しいものは美しいと。
険しい頂に咲く花と同じだ。ソレは周囲の環境を省みず、凛として自らを誇り続ける。
もちろん、花を摘みたいと思わないわけではない。しかし彼女は、高い場所に咲くからこそ価値がある。わざわざ地平に持ち帰る必要はないだろう。
触れられない美、自分のモノにならない心。
それで構わない、と思う程度には――彼女へどうしようもなく惹かれている。始めて会った時から積み重ねてきた、尊重の念と共に。
真面目でいよう、とはたびたび思っている。エレニアを好きでいる気持ちに対して、誠実に、丁寧に振る舞うために。
お陰で一つ、重要な問題を生んではいたが。
「あ、あのさ、エレニア」
「?」
口に物を含んでいるため、はい? との返答は表情だけで示される。
この話題を出すのには迷いがあるが、しかし虫できる種類でもない。
「今晩控えてる契りの儀だけとさ、エレニアは――」
「す、済みません! ちょっとトイレに!」
「え、ちょ」
脱兎の如く、とはまさにこれで。
注文した味噌汁に手をつけないまま、彼女は食堂を出ていった。
追うのも間に合わず、こちらとしては黙って見送るしかない。……予想していた展開ではあったのだが、こうも大急ぎで逃げられると反応に困る。
一人になったテーブル。人が戻ってくる気配もなく、再び箸でサラダを突く。
「よ、豪快にフられたな」
馴染みのある声が、後ろからやってくるまでは。
穏やかな雰囲気の優男だった。試練に向かう少年を励ますような、慈悲の眼差しを蓄えてもいる。
容姿に恵まれた美少年――というよりは聖職者のイメージが強く出てもいた。短く切りそろえた頭髪が一層、彼に真面目の印象を根付かせる。
とはいえ。
「雄桐」
「おう。ここ、座っからな?」
口調は、容貌と正反対の乱雑さ。
小学校からの悪友は、返答を待たず間の席へ腰を降ろす。
トレイに乗っているのはいつも通りカレーだった。飽きないのかどうかを尋ねたいものの、自分が言ったところで説得力は皆無だろう。当人は満足気だし。
「んで桜斗。何か変な話でもしたのかよ?」
「まあね……」
指先の動きを再び止めて、桜斗は滔々と語り出す。
「前にも話したけど、今夜にうちで儀式をやるんだよ。……婚約のさ」
「ああ、お前んちで伝統になってる? いいねえー。あんな美人な嫁さん貰えんのかよ? 学校中の男子生徒が憤死すっぞ」
「いや、それは別に構わないんだけどさ」
「おいおい」
だって嫉妬の一つや二つ、気持ちを押し留める理由にはならない。
問題は。
「……エレニアのことをさ、どうして好きか分からないんだよ。いやまあ、好きだから一緒になりたいのは確実なんだけどさ」
「その根本が、ってか? また随分と贅沢な悩みだなあ、おい」
けっ、と雄桐は肩を竦める。――抑揚に妬みがないことは、友人として誇らしく思うべきだろうか。
「お前さんは真面目だなあ。そういうのは大人になってからする話じゃねえの? 結婚を意識するようになったら、考えりゃあいいじゃねえか」
「いやでも、うちの場合は、ね。基本的には明日、全部決めなきゃいけないから。中途半端な気持ちで挑むのはちょっと」
「あー、それもそうか」
瞬時の理解を示した雄桐は、眉間に皺を寄せながら頬杖を突く。思案に唸る喉はお手上げの体を示しているが、まだまだ本人はやる気十分らしい。
それにしても、真面目、と評価されるとは思わなかった。これでも居眠りの常習犯である。教師陣からすれば、間違いなく問題児だろう。
あと、雄桐は自分よりも断然成績が良いわけで。優等生の口から出てくるなんて、とても信じられない次第だった。
「難しいねえ。俺はそういう経験もねえからな。うちのリア充共なんぞ、桜斗のピュアな心にゃ毒だし」
「……そのリア充って、明日には俺も含まれてそうだね」
「当り前だ! ……でもまあ仕方ねえ、うちの親父にでも話してみるか? 相談事は得意分野だと思うが」
「雄桐のお父さん、司祭さんだもんね」
この町、空打町ではそこそこ有名な人物だった気がする。何人もの若いカップルを結婚させたとか何とか。
しかし桜斗は、逡巡する間もなくかぶりを振った。これはあくまで自分の問題。他人の力を借りるのは、なおさらエレニアに失礼な気がしてしまう。
だって契りの話を最初にした時、彼女は快く受け入れてくれた。
先ほどの逃避は、拒絶の類ではないと思う。なら自分は、自分の問題にだけ向き合えばいい。
エレニアの気持ちを考えようと、永遠に葛藤は消えないだろう。本人から答えを聞いたって同じことだ。疑問に対する解答は、自分が納得できるかどうかに過ぎないのだから。
「考えられるだけ考えるよ。……それでも詰まったら、愚痴と一緒に零すかもしれないけど」
「おう、そうしとけそうしとけ。お前は何でも内側に持ち込むからなあ。たまには外に発散しねえと、孤立するだけだぞ? 親父さんとかにも話さないんだろ?」
「いや、父さんは別だけど」
「え」
目を見開いた雄桐を余所に、桜斗は時計を一瞥。残り時間はそう多くない。
彼もそれを確認し、急いで食事に手をつける。五時間目の授業は遅刻に煩い教師の担当だ。以前も注意を受けた雄桐は、特に苦手としているだろう。
一方、友人との雑談も捨て難いものではあるらしい。口の動きを休めず、短い前置きを一つ。
「お前んちって結構古いだろ? 父親と会話する時とか、あんがい堅苦しかったりするんじゃねえの?」
「いやいや、普通の親子だと思うよ? それに――」
家系について古い、ではなく、異質、の表現が正しいような。
口にしようとして 桜斗は止める。詳細を知っている雄桐に語る意味はない。ひしめき合っている第三者の方が、よっぽど意識しなければならない相手だ。
実家は普通の家じゃない。ある特別な血筋に連なる一族だ。
その事情は濫りに他人へ話せるものじゃない。関係者であるエレニア、雄桐が例外なぐらいだろうか。
「ま、とにかく悔いがないようにな。どんな結果になろうと、応援だけはしてやっから」
「じゃあ後悔しないよう、さっさとご飯を済ませないとね」
「だな」
出遅れた雄桐は特に、アクセルを踏み込んで取り掛かる。半分近く終わっているこちらも、そこまで呑気にはしていられない。
食堂の出入り口を覗きながら、サラダを突き始めた頃。
こちらの様子を窺いながら、愛らしい少女が帰ってきた。
「ほらエレニア。のんびりし過ぎると、授業に遅れるよ」
「は、はい。あ、雄桐さん、こんにちは」
「へいへい、こんにちわー」
不貞腐れた親友と、小動物のように小首を傾げる嫁(仮)。
運命の時間を近付けながら、今日も一日が過ぎていく。
下校時間は、あっと言う間に訪れた。
実家の手伝いがあるらしく、雄桐は真っ先に帰路へ付く。……普段から下校は彼と一緒なのだが、今日ばかりは単独での帰宅になるらしい。
昇降口まで行けば、疎らに集まった生徒たちが。殆どは部活に所属していない者で、残り時間に対する有効活用を話し合っている。
もっとも、桜斗には無縁の出来事だ。特に今日は『契りの儀』があるため、早く家に帰ると決めている。心の準備だってしなければならないし。
ふと、向かい側にある下駄箱を覗き込む。
夜を迎える前に、もう一度エレニアと話がしたくて。
「あ」
「っ!?」
目的の少女は、ちょうど昇降口を出ようとした頃。
偶然ながら一致した視線は、二人の動きを縫いつけている。口を開くのすら重い。傍から見れば、始めてのデートで混乱している様な二人組。
しかし結局。
「――折角だし、一緒に帰ろうか」
桜斗の自然な一言で、止まった時間が動き出した。
少女は堅い表情のまま二つ返事。こちらから半歩後ろの位置をキープし、揃って校門の外に出る。それまでは無言だった。気心が知れた仲なのに、昼間の出来事が尾を引いている感じ。居心地はコレっぽっちも良い筈がない。
家は学校の東、深い森の中だ。人の手が殆ど及んでいない魔境であり、ここからでもその威容は確認できる。
森は町の東から南まで、円周をなぞる形で広がっていた。まるで隣町との境界を守るように。通行の面で邪魔なのは言うまでもなく、町では開拓論も出始めているとか。
しかし逆に、維持論も盛り上がりを見せているらしい。森には町を救ってくれた逸話がある程で、高齢の住人を中心に活動が行われている。
桜斗個人としては後者の側だ。生まれてからずっと森に住んできた身には、開拓なんて言語道断。聞く耳を持てない暴論である。
とはいえ南側に限っては、実家の金霧家でも手を出し難い場所だった。お陰で開拓なんて単語が浮上する。実際、そこに限っては我が家の土地ではないからだ。
まあ実際のところ、人々にその認識は皆無だろうけど。
「金霧の森、かあ……」
誰にでもなく、気付いた時には独り言が漏れていた。
町の人々は畏怖を込め、広大な森をそう呼んでいる。必然、金霧家の知名度も高い。不気味がる者もいれば、名士として讃える者もいる。
「森がどうかしましたか?」
エレニアが暮らすマンションが近付く中、純粋な疑問の声があった。
「いや、この森もいつかは消えるのかなあ、ってさ。今でこそ開拓に反対の人は多いけど、将来も同じかは分からないんだし」
「そうでもないですよ?」
「へ? どうして?」
「反対している住人の大勢は、確かに高齢の方です。が、最近では若いメンバーも増えていらっしゃるとか。年齢的には二十代前半の方ですね」
驚きと言えば驚き。よくよく考えてみれば、府に落ちる傾向でもあった。
自分の経験談になるが、小学生の頃に野外授業の一環で森へ赴いたことがある。父が案内役を買っていたのも懐かしい思い出だ。
教師によると、当主が変わってから森を解放する機会が増えたんだとか。
エレニアが例にした若い参加者とは、とどのつまりそういう経験の持ち主だろう。代替わりに伴う方針の変更が、偶然にも森へ良い影響を及ぼしている。
まあ父のことだ。ひょっとしたら、計算ずくでの判断かもしれないが。
「それじゃあ少しは安心できそうだね。自分にやれることがあるなら、俺も惜しみはしないけどさ」
「私もお手伝いします、桜斗様。今日の契りさえ終われば、その……」
途端に声が小さくなる。感じる意図は、話題を逸らそうとする一心だ。
それきり二人は無言。話しかける努力をしようにも、桜斗の方に妙案はない。思い付く度に、今夜の重要事項が頭を過る。
契りの儀は金霧家の後継者を決定する行為だ。同時に伴侶も決まるため、緊張感があるとすれば仕方ないものだろう。
だが今、別に赤面しているわけではない。エレニアは俯いて、何かに詫びるような態度でもある。
「……」
もしや、とあれこれ考えてしまうが、今は固く口を閉ざそう。
彼女の悩みは彼女のものだ。全容を把握できるのは当人だけで、部外者が何を助言しても他人の壁は超えられない。
「エレニア」
もっとも、相手は誰より大切な少女なわけで。
「――大丈夫?」
体裁だとしても、気遣いの言葉を掛けてやりたい。
彼女は少し空白を開けた後、清々しいぐらいに首を振った。
しかし堅苦しさは抜けない。寧ろ状況を悪化させたような意気消沈。こちらの気持ちが見事に自爆してしまった。
成果を受けた桜斗は眉根を寄せ、渋い表情を浮かべるだけ。頭を掻きながら、依然エレニアの前を歩く。
「……あの」
「うん?」
そんな時。
「指を咥えると元気になるおまじない、知ってますか?」
耳を疑う台詞が飛んできた。
足を止め、頭からも手を離す。一体彼女は、何が縁で指を咥えるなどと口走ったのか。
赤くなった信号を一瞥してから、あのさ、と桜斗は切り込んだ。
「指って、この指?」
「他に何があるんです? 桜斗様は細身ですからね。指も細くて、女の子みたいです」
「……つまり君は、同性の指が食べたいと?」
「いえ、桜斗様のがいいです。あと、食べるわけではなくおまじないです。我が家に伝わる神聖な行いだとか」
「ええ……」
「まあものは試しですね。はい」
彼女は徐に、こちらと目を合わせもせず。
目当ての物を手に取り、咥えた。
「!?」
連続する驚愕。
美少女は噛むと言うより舐めるように。浅く、少年の指を堪能する。
「ん、ふ」
彼女は心ここに在らずな雰囲気。何か気に入ったのか、あるいは集中しているのか。完全に自分の世界へ入っていた。
対し桜斗は、妙な感触に擽られながらも平静を保つ。まず確認すべきは周囲。さすがに人がいたんじゃ、こんな真似をオチオチ許せる筈もない。
――十秒だったか、一分だったか。
意味深に頬を染めて、彼女は指を解放した。
「はい、これで大丈夫です」
「……なんか、衝撃が強過ぎてそれどころじゃないんだけど」
「えっ、何でですか? 親愛の証じゃないですか」
「いやいや……」
反論を示すものの、エレニアのとぼけた顔付きは直らない。桜斗もそれ以上の追求はせず、信号の方へと向き直る。
――妙な行動に出られた所為か、心臓の高鳴りは収まらなかった。
いや、その前に常識を疑おう。指を咥える、というか舐めることでの呪いなんてある筈がない。唾をつけて傷を治すわけじゃあるまいに。
しかし、しかしだ。エレニアが至って真面目なのも、拭いきれない事実ではあって。
なら本当にそう教えられたんだろう。ご両親の教育を疑いたくなるが、余所は余所、うちはうち。無駄な勘繰りを入れず、平常心を意識しよう。
信号はまだ切り替わらない。……早くして欲しいと思うのは、まだ心が狼狽えているからだろう。
「あの、桜斗様」
車道の方が点滅し始めた頃。
彼女の眼差しは、見惚れるほど真っ直ぐにこちらを見ていた。
「今夜、きちんと儀式はお受けしますので。それだけは、信じてください」
「え、エレニア?」
言うなり、信号はちょうど青へ。
住まいのマンションが近いこともあってか、彼女は一人で駆けていく。桜斗はただ見送るだけ。向けられた励ましの言葉を、無言でじっくりと嚥下している。
「……買い被りかもしれないのに」
「何がだ?」
横に止まった車からの声。
父・金霧桜花がそこにいた。
「あれ、父さん。今日はもう帰り?」
「ああ、今日は大切な日だからな。折角だ、乗っていけ」
ドアが開くと、その屈強な体格も表に出る。
自分の親に言うのは何だが、まるで暴力団の親玉だった。格好はスーツ姿、顔に残る無数の切り傷。服の下からでも、鍛え抜かれた筋肉の存在感は揺るがない。
顔立ちに何処となく共通点はあるが、それ以外はまるで似ていない親子。
家の者達から当人まで、全面的に肯定せざるを得ない評価だ。桜花曰く、母親にはかなり似ているそうなんだが。
「? どうした、何をボーっとしている」
「いや、俺と父さん、やっぱり似てないなー、って」
「肉体面での差異が、か? 確かに私とお前とでは、当時の環境は違うだろう。が、それで親子が決定するわけではあるまい? ほら、諺にもあるだろう。親は子の鏡、と」
「――正反対、って? 上手いこと言うね」
そうだろう、と笑みを零す父。
運転手に一礼してから、桜斗は後部座席へと腰を降ろした。
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