銃魔のレザネーション/著:カルロ・ゼン

エンターブレイン ホビー書籍編集部

第0話 始まりに至る日々(1)

いつからだろうか。

いつから、この国は間違えてしまったのだろうか。

エリーゼ・ユニマールは考える。

いつから、この国は後戻りできなくなってしまったのだろうか、と。

ハイマットの壮麗そうれいな白い宮殿。

その内奥、一室に集う貴族『諸賢しょけん』の中に混じって微笑の仮面をかぶり列席するエリーゼの内心は暗澹あんたんたるものだ。

黒い瞳を微かに揺らしつつ、彼女はままならぬ状況に目を伏せる。

染み一つないシルクのテーブルクロスが上に並ぶは贅を極めた正餐フルコース。ちらり、と目線をサーブされた磁器へ向ければまた呆れたこと。

オードブル一つとっても『富』を誇示せずにはいられないのだろう。 

場所が『こんなところ』でなければ素直に堪能したくなるに違いない。

……ここが、今、エリーゼ自身の招かれている場が『飢饉ききんの対策会議』でないとすれば。

おおよそ、まともな倫理観と道徳心をもつ人間ならば、それだけで罪悪感からフォークとナイフを手元から取りこぼしそうになる。

シュヴァーベン地方は、収穫期を迎えつつある。

豊穣ほうじょうの秋、お腹いっぱいに子供たちが食べられるべき秋。

にもかかわらず、早くも……酷いところでは餓死者を出しつつあるというのに。会議と称して、王政府の高官らが浸るのは『飽食ほうしょくの宴』。

顔面に貼り付けたる笑顔にヒビが入らなかったのは、奇跡に近い。

現状は、深刻極まりない。エリーゼは、嘆かわしい現状を前にいつも顔で笑い、心で泣き続けている。

喫緊きっきんの課題である飢饉の問題。

だが、とエリーゼはいっそ『不作』であればと皮肉な思いすら抱いてしまう。

事実は、まったく逆だ。

ユニマール朝の農業収穫は、隣国、コモンウェルスより導入された魔法技術の活用により、年々、堅調に増加している。今年とて、収穫高は最低でも例年並みか微増が確実だろう。

にもかかわらず、とエリーゼは歯噛みする。

国内の貧困層どころか、平民層全般が穀物を購えていない。穀物そのものは収穫されているのに、である。

その理由は、極めて単純だ。生産された穀物の大半は輸出に振り当てられ、国内市場に十分な量が行き渡らないからである。

自由都市同盟の方が、『高く買い取る』という理由でもって『徴収』された穀物は恐るべき規模で国外へ流出していく。

わずかに国内に流通する穀物は、物不足を反映して大幅な値上がりを示し始めていた。

悪いことは重なるもので、値段が上がるとふんだ商人たちの売り惜しみまで始まりつつある。このままでは、餓えた貧困層を中心としての暴動や打ちこわし騒動もありうるだろう。

もはや、まともに生活しようにも食料価格は、とても手の届くところにないのだ。

飢え死にを大勢が迫られているとあらば、倫理的にも、青い血の義務としても、放置することなど本来は許されるはずがない。

だからこそ、山積している所領での職務すら投げ打ってエリーゼはハイマットの会議へ駆けつけていた。

そして、案内された『会議室』が『正餐室』であった瞬間に全てを諦めざるを得ないと悟り、彼女は幾度なく味わってきた絶望をまた一つ重ねる。

華やかな会場にあってエリーゼの苦悩を理解し、分かち合える人物は一人としていないだろう。

理解者であり、師でもあったヨハンナ先生すら『貴族にあるまじき軽率さ』を口実にハイマットより追放される始末なのだ。

壊れた世界で、一人、正気を保つのはたやすいことではない。

「おや、エリーゼ殿下。杯が進んでおられません様だ。お口に合いませんでしたかな?」

「……いえ、ルメーリア公。良いワインだとは思うのですが、なじみが薄く。やはり、統治に追われる身では学ぶ機会が乏しいからでしょうか?」

ホスト役であるルメーリア公爵の言葉に、エリーゼはポツリと苦言をていしてしまう。随分と迂遠なことだ、と自分でも思わざるを得ないが。

統治に忙しい、という嫌味と取られかねない一言。されども、というべきか。嫌味とて、彼らには通じないのだ。エリーゼ自身、とうの昔に諦めている。

「なじみが薄い?」

「殿下、お言葉ではありますが……そのように下々に関わるなどと」

「さよう。ご趣味に苦言を呈するのは無粋ではありますが……」

まるで、学者より自身の専門領域での無知を告白されたかのように大様な驚きを見せる貴族ら。

誰もが、この場に並ぶ誰もが『ワインの知識』を誇り、『統治』という義務は省みもしないのだ。毎度のコトながら、教養こそが全て。実学とは、下々のいやしむべき所業と断言して憚らないおつもりなのだろう。

だからこそ、エリーゼのように数少ない良識人はいたたまれない。

されども、この場に会って、ホスト役であるルメーリア公だけはエリーゼの発言を笑い飛ばさない。

それどころか、なじみが薄いという発言に頷いて見せていたのをエリーゼは視野の端で捉えている。

そして、好々爺こうこうや然とした笑みとともに会場へルメーリア公は問いかける。

「皆々様はいかがでしたかな?」

どのワインと見ましたか、と公爵からワイン通ぶりを問われれば……誰もがこぞってその知識を疲労しようと鋳物なのだろう。

王政府の施策に対する下問は聞き流すというのに。

「良いワインだとは思うのですが……さて」

「ポルトールの10年物! ヴァヴェルですら中々に流通しない代物でしょう?」

「いや、このほのかな土の柔らかさは……トラジメーノの限られた環境の代物に違いありますまい!」

喧々諤々けんけんがくがく、まるで、ワインの試飲会もさもありなんとばかりに語り始める彼ら。

「エリーゼ殿下、殿下はいかが思われますかな?」

「……残念ながら、と申し上げます。お恥かしながら、私は飲んだことがないと」

奇異の視線を一身に浴びてなおエリーゼは、しかし、恥じることはないとばかりに微笑み返してみせる。

『苦しいときこそ、笑いなさい、エリーゼ』

ヨハンナ先生の教えが、こんなときに活かされることを喜ぶべきだろうか? それとも、ヨハンナ先生を初めとする改革派がごっそりと失脚してなお『血統』故にハイマットに地歩を残せた自分の運命を呪うべきであろうか?

「殿下のワイン教育係は、更迭されたほうが宜しいでしょうな」

さらり、と隣のアンジャール公がしたり顔で寄越す助言。そのなんとも的外れな内容に、エリーゼの乏しい気力がどれほど削がれたことだろうか。

ワインの教育係?

そんな人を雇う余裕など、ない。限られた家産でもって、荒れ果てた国土を支え続ける家産は限界まで酷使している。

必要なお金も物も持ち出しばかり。

最低限の対面を保つ以外に、資金は全て内治につぎ込まざるを得ないのだ。そうでなければ、明日にでも破綻はたんは避けがたい。かくほどまでににこの国は荒れ果てているというのに。

「いやいや、アンジャール公。むしろ、その人物を賞賛すべきでしょう」

「ルメーリア公?」

ぽかん、としたアンジャール公爵らに対し、ルメーリア公が典雅に笑ってみせる。面白がるような表情と、ちらり、とエリーゼへ寄越す賞賛の眼差し。

「殿下のお言葉が正しいのですよ」

お見事です、と此方へ語りかけてくるルメーリア公。

「ルメーリア公?」

「はて?」

いぶかしげな面々に対し、ご老人は高らかとボトルを取り出して胸をはる。

「皆々様、ご紹介させていただきましょう。モルヴィッツの地所にて……我が半生を賭して作り上げた国産のワインです」

誰もが、信じたがたいとばかりに、隣席と言葉をささやき交わす。

ルメーリア公その人の自慢げな笑みに、室内が一瞬の内にざわめき始めていた。

これでは、ワインの試飲会ねとエリーゼは小さく溜息を零すほかにない。

「こ、国産?」

「モルヴィッツで、これほどのものを作れた……と!?」

列席者がぽかん、と手元のグラスを覗き込む光景。

「さよう。いや、コモンウェルスと自由都市同盟の連中から技師やら何やらを確保するのは苦労しましたが」

「では……これを飲んだことがあるのは……」

「我が一門の面々を除けば、今日、皆様が初めてでしょう」

ルメーリア公が重々しく頷けば、ああ、なんという皮肉だろうか。貴族らによる、『賛嘆の声』が私へと飛んでくるではないか。

彼らは、私が、『未知のワイン』と見破ったと思い込んでいる。

「ははは、これは一本取られましたな」

「いや、エリーゼ殿下の御前でお恥ずかしい。知ったかぶりをいたしました」

『なじみがない』という自分の言葉を、誰もが『初めて飲むワイン』と『見破った』と讃えてくれるわけである。

……そもそも、ワインに通じる間もないだけなのだけども。

「ワインに通じていないが故のまぐれでしょう。皆様のように深い知識がある方々ならば、似たような味に思い当たられるのも道理かと」

「ははは、そう顔を立てていただけるのであれば実に幸いです」

「エリーゼ殿下に、ご叱責を賜るのではないかと。いやはや、お優しいお言葉に安堵するばかりであります」

皮肉ね、と心中でぼやきつつの言葉は品の良い謙遜と受け取られる始末。

そもそも、エリーゼ自身にワインの教育係が居ないといえばどれ程周囲が驚くことだろうか。いっそ、吐露とろしてしまいたいほどだ。

衝動を飲み込み、あえてエリーゼは本題へと話題を何とか引き戻す。

「さて、ご列席の皆様と優雅に酒宴と参りたくはありますが……国王陛下と王政府より信託された責務を果たさねば」

こんな面々とでも、飢饉対策を共にしなければならない。

そうしなければ、王政府の握っている金穀でもって餓えている人々を救済することすらおぼつかないのだ。

この会議が、権限握っているという超現実。そうである以上、どれほど不毛で徒労感に塗れようとも遣り遂げるほかになし。

「エリーゼ殿下のお言葉とあらば、いたし方在りませんな」

「左様、さて、今回の議題は何でありましたかな?」

「ああ、それならば確か……北部の治安悪化と飢餓問題でしたな」

ようやく、始まる会議の本題。

されど、されど。

「北部の治安悪化? 奇妙ですな。どなたか、ご存じですか?」

「いや、そのようなことは特に。私の所領も北部ですが、聞いたこともありませんな。北部は静謐せいひつそのものですぞ」

「ハンボーホ要塞からも異常の報告がありませんでしたが」

誰もが、真顔で疑問を浮かべるという異常な状態。けれども、彼らにしてみればそれが当たり前なのだ。

現地に足を運んだこともなく、経営の実務を下に任せきりになっている貴族ら。そんな人々に、判断をゆだねざるを得ないことのなんと無謀なことか。

無論、というべきなのだろう。貴族らとて愚かに生まれるのではない。貴族としての環境が、彼らを知的に異形な生き物とならしめるのだろう。

エリーゼの知る限り、知的に誠実な貴族が真っ先にこの違和感に耐え切れなくなる。多くは匙を投げ、自領に隠遁いんとんしてしまう程だ。無理もないだろう。

とは思うものの、しかし、ここで投げ出すこともエリーゼには許されない。なればこそ、違和感に揉まれつつも彼女は最善を尽くし続ける。

「諸卿のお言葉にやや反するようですが……ドッガーランドにて騒乱が起きているようです。現地よりは悪質な盗賊と貴族崩れが暴れている、という報告が」

エリーゼが取り上げるのは、少数の官僚らと協力して自身で手を回して手配させた現状をまとめた報告書。これですら、元となった報告書からすれば、相当に抑制的な表現に切り替えられている。

悪質な盗賊どころか、正規軍の武装した脱走兵が部隊ごと放浪。貴族崩れと形容される連中に至っては、『本物の貴族』すら混じっていることが確認されている。それも、紋章院に記録されているような家柄の連中まで、だ。

憚りや配慮を延々と繰り返し、極端に薄めた報告書となったそれですら……会議へ上げることには相当な苦労を強いられている。

「誠なのですか? エリーゼ殿下、お言葉ですが……誣告なのでは?」

「もしくは、誤報か大げさな慌て者の痴れ事でしょう。そのような報告、現地の貴族からは飛び込んできていない」

恐るべきは、というべきか。ユニマール朝の疲弊しきった官僚機構制度は、機能させるだけで大仕事。それらを乗り越えて、辛うじて上申させている危機の報告はあっけなく、それこそちり紙のように脇に追いやられてしまう。

「となると、ふむ。残るは食糧不足の問題ですか」

「失礼ながら、どちらかと言えば過剰な輸出が原因です。輸出制限を検討すべきと王政府からは」

まともな提言、良識こそが、この場に置いては『異端』なのだ。

「また、困ったご意見を聞きましたぞ」

「自由都市同盟の業突く張り、ああ、失礼。商人共との貿易も契約がありますからな。平民相手とはいえ、金を持っている連中を軽視するわけにも行きますまい」

「全くですな。そもそも、いかに王政府といえども貴族の所領に介入されるのはいかがなものか。貴族の忠誠心を蔑ろにされるのも困りものですな」

誰もが、真顔で、それを口にする。

エリーゼにとって、冗談でしょうと問いかけたい内容。しかして、彼女は同時に知っている。貴族達は、どこまでも、大真面目にこの言葉を口にしているのだろう、と。

「王家に列なるエリーゼ殿下に申し上げるのも誠に恐れ多くはありますが、王政府と王家にご諫言いただけませぬか」

「『それは、許されない』と。ずばり、申し上げるべきでしょうな」

沈黙しつつ、かすかに拝聴していますよと顔を動かすエリーゼの所作をどう解釈したのだろうか。

「とはいえ、殿下。殿下とて、国王陛下に申し上げにくいことではありましょう」

「急ぎではありませぬ。貴族らの総意としては、反対であるとのみお伝えくださいませ」

「折を見て、苦言を呈していただければ、それで宜しいかと」

さも、鷹揚そうに伝えられるは戯言。エリーゼにとって、しかして内容は暗澹たる結論を意味するものでしかない。

会議の出席者は、権限を持つ人間らは、誰一人として『問題に取り組む』ことを一顧だにせず、王政府へのクレームでもって結論としているのだ。

「ふむ、名案ですな。では、この気まずさをワインで洗い流すといたしましょう」

「ルメーリア公の逸品、そのような用途に使うのはちと気が引けますな」

「なに、諸賢の好評を頂ければそれが何より」

笑顔を保ち、ただ、時が過ぎるのを待つばかり。

エリーゼの心は、早くも、悲鳴を上げ始めていた。

……飢饉、飢餓、餓死者。

豊穣な大地を持つはずのシュヴァーベン地方で『また』、『農民』が餓えて斃れていく。青い血を引くと称する人々、ノブレス・オブリージュを果たすべき自分達のなんと無能なことだろうか。

何も、何もできない無力さ。

そして、会議という形式すら放棄された空間に広がるのは……『飢饉対策』という建前すら忘却された会話だ。


(つづく/次の更新は3月2日 11:00です)

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