没落貴族は自由を謳歌する

機杜賢治

第1章 自立編

第1話 追放

「若様」


 黒いワンピースに白いエプロンを身につけた背の低い侍女が青年の手を握った。

 もう一人の、同じ服装をした背の高い侍女が青年の背中に抱きつき自らの頬を当てる。


「私たちはどうすれば……」


 青年は言葉が出ず、表情を曇らせる。が、すぐに笑顔を浮かべ侍女二人を自分の前に立たせた。二人の頭を撫でる。


「もう、十分だ。ありがとう、お前たち」


 青年の言葉に侍女二人が瞳を潤ませ、わっと泣き出した。青年に抱きつき、バラの匂いを辺りに漂わせる。


「いつまでじゃれあっているんだ?」


 声は開け放されたドアの外から聞こえた。

 今は幽閉部屋となってしまった青年の自室前に鉄の胸当てをした男たちが立っている。

 彼らは帝国軍の兵士で皆、背を向け、部屋の中を見ないようにしている。彼らの一人が続けて言った。


「早くするんだ。閣下がお待ちだ」

「すまない、もう少し待ってくれ」


 そう答えると青年は侍女たちの耳元で囁いた。


「これからは帝国の時代だ。誰かいい人を見つけて結婚するといい。俺が教えたように明るく素直に振る舞えば、きっと誰からも可愛がってもらえる」


 青年は二人から離れ、再びそっと侍女たちの頭を撫でた。


「若様……」

「俺に義理立てする必要はない。幸せになってくれ」


 青年は侍女二人を残し、部屋の外に出た。前後を兵士に挟まれ、腰まである黒髪を揺らしながら城の奥へと向かった。

 謁見の間に入る。

 左側に帝国軍の兵士、右側にこの城の兵士がずらり並んでいた。


 青年は俯き、それから天井を見上げた。そして真っ直ぐに前を見つめる。

 一歩を踏み出した。

 兵士たちの間を通って城主の椅子に近づいた。

 かつて青年の父が座っていた椅子、父はいつもあの椅子に腰掛け、家臣たちとどうすれば領民が幸せになれるか議論を交わしていた。


 でも今は全く見知らぬ男が座っている。

 口をぽかんと開け、だらしない格好で椅子の背もたれに寄りかかり眠っている。

 金髪に浅黒い肌、上半身の革鎧は朱色で傷だらけ、肩から伸びた腕はとても太く逞しい。

 その風貌は帝国軍の兵士とは明らかに違っていて、兵士というよりも、数多の戦場を渡り歩いた戦士のようだった。


 青年は胸が苦しくなり、たまらず椅子の男から目を逸らした。

 男の脇に控える美しい顔立ちの少年を見つめた。

 少年は片膝をつき、手には黒い、槍らしきものを持ち垂直に立てている。

 変わった槍だった。

 穂先と柄に境い目がなく巨大な針のような形をしている。


 あれは投げて使うのだろうか? 

 投げて一人突き刺し、二人突き刺し、三、四人ほどは一気に突き刺せるだろう。でも、どうやって? 

 投げたとしてもそう簡単に当たるものではない。

 それに投げたあとはどうするのか? 回収しなければならない。

 あまりにも不合理、青年は初めて見る兵器に興味を覚え、考えを巡らした。


「早く前へ」


 椅子のそばに、美少年と対をなすように立つローブを着た男が言った。

 文官風の優男で、青年は彼のことを知っていた。帝国側の代表として、降伏条件を話し合った相手、ティムだ。

 青年はティムに言われるがまま椅子に向かい、すやすやと眠る男の前に立った。


「ブラッド閣下」


 ティムが椅子の男に声をかけた。


「ローズ侯の子息、ヴァレンタイン殿です」


 ブラッドが目を覚ました。口元に手を当て、大きなあくびをする。ぼうっとした目で青年を見つめた。何も言わない。

 ティムが言った。


「閣下」


 腕を振り、椅子の前に立つヴァレンタインを紹介する。


「ローズ侯の子息、ヴァレンタイン殿です」

「あん? ああ……? ……あー、そうかそうか。おい、ティム、手紙」


 ブラッドは興味なさげに再び大きなあくびをする。

 ティムが兵士に目配せした。

 帝国軍の兵士が一人、列から外れ、前に出てきた。膝をぴんと伸ばした独特な歩き方でティムの前まで来ると深く頭を下げた。同時に手に持っていた筒を両手で差し出す。

 ティムが両手で受け取り、筒の中から丸く巻かれた紙を取り出した。筒を兵士の手に置き、紙を両手で持ちブラッドに差し出す。

 それをブラッドは片手でぶっきらぼうに掴み取ると、椅子から腰を上げた。


「んじゃ、皇帝の野郎からお達しだ」


 ブラッドは紙をするすると伸ばし、目を動かした。そして内容を読み上げる。持って回った言葉が続き、最後に「――よって、ノースランド城主ヴァレンタイン・ローズを死刑とする」と言った。


 それはヴァレンタインの父が帝国軍に与えた損害の大きさから考えてみても十分予想できる内容であり、妥当な扱いだった。

 ヴァレンタインは項垂うなだれた。

 父が死んでから今までずっと父のようにあれと、自分自身をそれらしく操ってきた。

 だが…………もういい。十分だ。

 侯爵の位を受け継ぎ、敗戦処理を始めたころには荷が勝ちすぎているのではないかと思えたが、何とか被害を最小限に抑えることができた。

 とくに領民に犠牲を出さず済んだのは誇りでもある。


 もちろんそれは帝国軍の統率力、紳士的な振る舞いのおかげでもあったが、城を抵抗することなく素直に明け渡した判断も正しかったのだろう。

 ヴァレンタインは貴族の役目を果たせたことに心の底から安堵し、自分自身を褒めた。きっと父も草葉の陰で褒めていると思う。


「……と、言うのは建前で」


 ブラッドが皇帝の書状を空中に放り投げた。ひらひら落ちて床に触れる瞬間にティムが捕まえる。

 ブラッドは椅子にどさっと腰を落とし、上半身を背もたれに預けて脚を組んだ。


「おい小僧、ヴァレンタインと言ったか、お前のことは見逃してやる」


 突然の言葉にヴァレンタインは反応できなかった。

 ブラッドが続けて言った。


「お前は、お前の親父と違って、俺たちと戦うことなく大人しく投降した。だから見逃してやる。今日中にこの城、この土地から出ていけ」

「閣下、それはなりません。これは陛下の命令です」


 ブラッドが椅子の肘掛けに肘を乗せティムを睨みつけた。


「黙れ、殺すぞ?」


 ティムがさっと顔色を変える。恐怖の表情を浮かべ数歩後退した。

 帝国軍の兵士たちも様子がおかしい。視線を下に向け、緊張している。いや怯えている。


「俺は別に、お前らと違って皇帝の野郎に忠誠を誓ってるわけではないんでな、一々命令を聞く義理はない」


 ブラッドは椅子から腰を上げた。恐怖で顔を真っ青にした美少年から槍を奪い取ると頭上に掲げた。穂先が輝き出す、槍全体が赤い光を帯び始めた。

 何だ、この光は? それに、声がする、笑っている? 

 いや、実際に声がしたわけではないが、ヴァレンタインにはあの槍が笑っているように感じた。


「いいか、お前ら! こいつに指一本触れるんじゃないぞ!」


 ブラッドは槍を振りかざし謁見の間に大声を張り上げた。


「俺はこいつの親父に頼まれたんだ。あれ程、勇敢な男が死に際に頼んだんだ。聞き届けないと俺の寝つきと寝覚めが悪い!」

「……死に際の? じゃあ、あなたが父を?」


 ヴァレンタインが聞くとブラッドはにやりと笑った。


「ああ、そうだ。お前の親父はなかなかよい血の色をしていたぞ」


 ブラッドは槍の穂先をヴァレンタインに向ける。赤い光が発射されヴァレンタインの眉間を照らした。


「どうだ? 今から仇討ちでもするか? 受けて立つぞ」

「……いえ、しません……」


 ブラッドはふんと鼻を鳴らした。


「軟弱な奴め。お前みたいなガキを持ったローズ侯には同情する」


 ヴァレンタインは再び父の姿を思い出した。王国の貴族であり、武人であった父、何をしても敵わない。思わず涙がこぼれ、俯いた。

 ブラッドが不快そうに舌打ちした。


「泣くな!」


 ヴァレンタインは手の甲で涙を拭った。


「……もういい」


 ブラッドは槍を美少年に放り投げ、城主の椅子に座った。


「旅支度ぐらいはさせてやる。さっさとこの城から出て行け」


 ――ヴァレンタインは支度を済ませ城を出た。帝国軍の兵士に誘導され城下町の通りを歩いた。

 冬、まだ夜が明けたばかりで空気がとても冷たい。ヴァレンタインの吐く息は白く濁った。

 最後に自分の育った城の姿を一目見ようと振り返ると、通り一杯に城下町の住人が集まっていた。

 彼らは皆、同情するようにヴァレンタインを見つめている。中には見知った若い娘たちもいて涙を流していた。

 ヴァレンタインは彼女たちに微笑み、手を振った。

 そうしてまたとぼとぼと歩く。

 城門に到着した。

 鎖が巻かれ、門が少しずつ上へと開いた。

 ヴァレンタインは一歩、門の外に出た。荒野が広がっている。すすり泣く声、嗚咽、閉まる門の音を背にヴァレンタインは口を開いた。


「これで俺は……」


 ヴァレンタインは空を見上げた。

 灰色の空から真っ白な雪が落ちて頬に触れた。解けて水滴となり顎まで滑り落ちた。

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