第4話 無職

 帝国軍サミュエル隊の詰所つめしょはミリア村の中心にあった。木造の小さな建物で、隣には兵士たちの訓練場があり、今も雪の中、兵士たちが走り込みを行っている。統制のとれた掛け声が建物の中まで聞こえてくる。


 ヴァレンタインは詰所の医務室にいた。上半身は裸、下半身はスカート、長い黒髪を左肩に流し、椅子に座っていた。あの小屋で男に蹴られた部分が赤くなっている。


「触りますね」


 白い帽子に白い長袖ワンピース、白いエプロン、白い靴、全身白づくめの小柄な娘が細い指先で赤くなった部分を触る。優しく押して具合を確かめた。


「骨は折れていないようですね。薬草成分たっぷりの湿布を貼っておきましょうね」


 娘は腰を伸ばした。頬に触れた黒髪を耳に掛け、壁に備え付けられた棚の前に立った。

 棚にある、四角に仕切られたいくつもの枠の中から治療するための道具を次々と取り出し、木のトレイに載せた。

 ヴァレンタインの前に置いてある椅子に座り、そばにある荷台の上にトレイを置くと作業を始める。


 ハサミで白い布を四角に切り出し、何枚か重ねた。瓶に入った緑の液体をスプーンですくい上げ、それを布に塗りたくる。

 清々しい、爽やかな草の香りがする。

 娘は布切れの角を指でつまみ言った。


「さ、貼りますよ。背中を向けてください」


 ヴァレンタインは瓶に入った緑の液体を見つめた。


「……それはヨモツ草ですか?」

「あら、ご存知なの?」

「はい。昔、学校で習いました」

「学校で?」


 娘が首を傾げる。


「何か、おかしなことを言いましたか?」


 ヴァレンタインは背中を向けた。


「うーん……」


 娘が湿布を貼り付けた。外れないよう包帯を胴体に巻いて押さえつけた。


「うん、これで大丈夫、二、三日もすれば痛みは消えるから」


 娘は椅子から立ち上がり、ベッドに置かれたヴァレンタインのシャツを手に取った。広げて背中に被せた。


「私の名前はエリス、あなたのお名前は?」

「俺はヴァ――」ヴァレンタインは言葉を切った。

「どうしたの?」


 ヴァレンタインは首を振った。


「少し喉が詰まっただけです。俺の名前はヴァルと言います」


 背中の痛みを我慢しながらシャツに袖を通そうとするが、なかなか通らない。


「ヴァルか、よろしくね、ヴァル」


 エリスはヴァレンタインを手伝い、シャツを着せてあげた。


「こちらこそ、ありがとう。エリス」

「え?」

「どうかしましたか?」

「女の子に対していきなり名前で呼ぶなんて、あなた少し変わってるね。ここにいる兵士さんとはちょっと違うみたい」

「……」

「そう言えば、さっき学校でヨモツ草のことを習ったと言ったけれど、どこの学校で習ったの?」

「え? えっと……」

「薬は特別な知識が必要だから師弟制度で学ぶものよ。学校で習うなんて聞いたことがないんだけれど」


 ヴァレンタインは言葉をつまらせた。どうやら王国と帝国の教育制度は違うらしい。

 いや、ヴァレンタインの通っていた王都の騎士学校が特別だっただけなのかもしれない。

 その学校は英才教育で有名で、人の上に立ち、あらゆる状況に対応できる完全なる人間、『真人しんじん』を育てるのが教育方針だった。

 だからありとあらゆる知識を叩き込まれる。薬草の知識もその一つだった。


「……ま、いいわ。今は私が薬師くすしで、あなたが患者、それだけは確かだもの」


 エリスはヴァレンタインの前にしゃがむとシャツのボタンに指を伸ばし、下から順番に留めた。最後に襟を整え、立ち上がる。


「うん、これでよし」


 エリスはにっこりと笑った。


「……ありがとう、エリスは優しいな」

「あ……う、うん」


 エリスは頬を赤らめた。

 ドアがノックされる。エリスが答えると、医務室に茶髪の七三頭が入ってきた。

 帝国軍のレイルだ。

 馬に跨がっていた時もそうだったが、とても背が高くて体格がよい。

 今は鎧は身につけておらず、長袖シャツの上に膝丈まである藍色の貫頭衣チュニックを着ていた。


「あ、レイル君」

「エリスさん、隊長からその男をつれてくるように言われたのですが、手当ては済みましたか?」

「うん、済んだけれど……」


 エリスがヴァレンタインを見つめる。


「大丈夫、ヴァル? 歩ける? 肩を貸そうか?」


 ヴァレンタインは首を振った。


「大丈夫だよ、エリス。ありがとう」


 ヴァレンタインはレイルに案内され、隊長室に入った。中には白髪頭のサミュエルと、さらわれて助けられたあの金髪の娘がいた。

 サミュエルはレイルと同様、鎧を脱いでいて、こちらは真っ赤なチュニックを着ていた。書類など整理整頓の行き届いた机に座っている。


 娘のほうは長い金髪を三つ編みにして後頭部で一本に纏め上げ、白いブラウスに黒いロングスカート、清楚な身なりで机の前に座っていた。顔色はよく、紫色だった唇も健康的な色に戻っている。


「ご苦労」

「はっ!」


 サミュエルが言うとレイルは背筋をピンと伸ばし、切れのある動きでサミュエルのそばまで歩いていき、隣に立った。顎を引き、胸を張る。


「そこに椅子がある、持ってきてかけるといい」


 サミュエルに言われるまま、ヴァレンタインは部屋の隅に置いてあった椅子を手に取り、娘の隣に置いた。


「私はこの村一帯を皇帝陛下より預かっているサミュエル・アンサムだ。こちらはチェルシー商会の令嬢、クレア殿だ」

「チェルシー商会?」

「知らないのか?」レイルが言った。「帝国には商会が数多あるが、それらの中でもチェルシー商会は屈指の大商会だ」

「大商会……」

「……やはり君は王国の民だね」サミュエルが言った。


 ヴァレンタインは何か言おうと口を開くが何も言えず俯いた。


「安心しなさい。帝国軍人は民間人に危害を加えない。それが王国の民であってもだ」

「…………はい、俺は王国から来ました」

「目的は?」

「それは……観光です」

「本当か?」レイルが怪訝けげんな顔をした。

「よせ、レイル。戦争はもう終わったのだ。王国の民だからといって必要以上に疑う必要はない」サミュエルはヴァレンタインに軽く頭を下げた。「失礼した」


 ヴァレンタインは首を振り、気にしていないと言った。


「しかし」


 サミュエルが続ける。


「役目上、聞かなくてはならないこともある。これは余所から来た者、全てに聞いていることなのだが、まず君の名前を聞かせてもらえないだろうか?」

「名前はヴァルです」

「姓は?」


 ヴァレンタインは少し悩み、答えた。


「ローゼ、ヴァル・ローゼと言います」

「ローゼ、異国の言葉でバラですね」金髪の娘、クレアが口を開いた。

 ヴァレンタインは知らなかった振りをした。「……そうなのですか? 知りませんでした」

「ご職業は?」

「……恥ずかしながら無職です」

「そう……」


 クレアの表情が曇った。レイルが眉をひそめ、サミュエルを見た。口を開きかけるがサミュエルが片手を上げ、制止した。


「ヴァル、残念だが君には帝国を旅する資格がないようだ。王国に強制送還する」

「なぜです?」

「無職の人間を帝国に居着かせないためだ。我々は帝国の民の職を守る必要がある」

「そんな……」


 クレアが手を上げた。


「よろしいですか、サミュエル様?」

「……どうぞ」


 クレアはヴァレンタインのほうに体を向けた。


「ヴァル様、よろしければ私たちの商会で働きませんか?」

「クレア殿、それは本気ですか?」

「本気です。彼は私が身請けします」

「ですが……」

「彼には危ないところを助けてもらいました。この御恩を返さなくては父に叱られてしまいます」

「……わかりました。レイル、彼の荷物をここに持ってきてくれ」


 レイルは部屋の片隅からヴァレンタインのバッグ、コートを持ってきてサミュエルの前に置いた。

 コートの汚れは洗い落とされ、きれいになっていた。色の具合から、少し湿っていて、まだ乾いていないようだった。


「勝手ではあるが、バッグの中身はこちらで一通り確認させてもらった。かなり高額な物も入ってはいたが麻薬など法に触れる物はなかった。返しておこう。あと、これも」


 サミュエルは机の引き出しからダマスカス金属製の小剣を取り出し、鞘から抜いた。コートの上に置いた。付着していたであろう血は拭き取られている。


「これは、もしかしてダマスカスかな?」

「……はい」

「やはりそうか。以前、ボーンズ将軍のコレクションハウスを見学したことがあったが、その中にダマスカスの槍斧ハルバードがあってね。この小剣はあれとよく似た輝きをしている」


 ヴァレンタインは小剣を手に取り、眺めた。黒い金属、弾力があり、衝撃に強い。触れると恐ろしく冷たい。


「ではクレア殿、彼のことはお任せします。それから兄君の件ですが、私たちのほうでも善処いたしましょう」

「よろしくお願いします」クレアは会釈した。

「レイル、二人を宿まで送るんだ」

「はっ! どうぞこちらに」


 レイルに促され、ヴァレンタインとクレアは部屋を出た。

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