冒険者たちの日記帳

マギウス

1.リドル

「開けるよ」

 ウィンの言葉に、隣に立つエドワードは、盾と長剣を構えながら頷いた。二人は同じ冒険者パーティの一員だが、小柄なウィンと長身のエドワードの身長差はかなり大きく、親子のようにも見える。

 エドワードの陰に隠れるようにしながら、ウィンは手に持ったロープを慎重に引いた。その先は、二人の正面にある、少し離れた扉の取っ手に結び付けられている。その両開きの扉はかなり大きく、ダンジョンの天井と同じぐらいの高さがあった。扉の右半分が、ゆっくりと開いていく。

(何も起こるなよ)

 向かって右側に立つザックは、剣の柄を握る両手に力を込めた。罠が無いことはウィンが確認したし、万が一発見できなかっただけだとしても、これだけ離れていれば危険は少ないはずだ。だが絶対ではない。

 そろそろ扉の向こう側が見えるかというところで、エドワードが目を見開いた。顔を庇うように、盾を正面に構えなおす。

 直後、開きかけた扉の隙間から、エドワードに向かって炎が噴き出してきた。大部分は盾で防いだものの、余波が体を焦がす。

「魔物が居る!」

 ウィンが叫んだ。扉の向こうから、人間の首ほどの太さを持つ、真っ赤な大蛇が顔を出す。

(遠隔攻撃持ちかよ)

 ザックは舌打ちした。自分の後ろには二人の魔術師が控えている。彼らを守りながら戦うつもりだったが、炎を吐かれては自分には防ぐ手段が無い。

「エドワード! そいつら頼む!」

 大声をあげながら、ザックは走った。仲間たちを敵の攻撃の射線に入れないように、右側にずれながら大蛇に近づく。相手の頭はザックの方を向いていたが、連続では撃てないのか、炎を吐いてはこない。大蛇の体が、扉の向こうから徐々に現れる。

 火傷の痛みに顔を歪ませながらも、エドワードは二人の魔術師のもとへと向かった。ウィンも後に続く。魔術師たちは、既に魔法の詠唱を始めていた。

 攻撃圏内まで近づいたところで、ザックは大蛇の頭に向かって勢いよく剣を振り下ろした。だが相手は俊敏な動きで頭を引き、攻撃をかわす。剣は地面に叩きつけられて、大きな硬い音を立てた。

 大蛇の口が大きく開く。炎が来るか、とザックは身構えた。だがその前に、敵の体の真ん中あたりに、矢が突き刺さった。魔物が苦痛に身を捩じらせる。

「まず体を狙って! 頭は動きが速い」

 ボウガンを構えたウィンが、そう助言した。怒り狂った魔物は、ウィンに向けて炎を吐き出す。前に立つエドワードが盾で防御したが、彼の体にはさらに火傷が増えたようだった。

「癒しを」

 その時、魔術師の片方が、呪文の詠唱を終えた。エドワードの体が淡い光に包まれ、火傷が徐々に治っていく。

「刃よ」

 次いで、もう一人の詠唱も完了した。大蛇の体が、見えない何かによって無数に切り裂かれる。一つ一つの傷は小さなものだが、痛みが強いのか、魔物は無茶苦茶に暴れだした。

「大人しくしてろ!」

 ザックが魔物に向かって剣を振り下ろす。今後は狙い違わず、剣は大蛇の体を完全に断ち切った。

 動きの鈍くなった大蛇の頭に、さらに攻撃を加える。頭の一部が剣によって削り取られ、魔物は完全に動かなくなった

「終わりか?」

 誰に聞くとも無しに、ザックが呟いた。扉から新たな魔物が現れる気配もない。

「そのようだ。少し休憩しよう」

 エドワードの言葉に、ウィンと魔術師たちが頷く。ザックは両手の力を抜くと、剣の先を地面につけた。

 

 腰を下ろして壁にもたれながら、ザックは呪文を詠唱する魔術師を眺めていた。詠唱しているのは、先ほどエドワードの火傷を治したオリビアという女性だ。今は、体力回復の魔法を使おうとしているらしい。

(便利なもんだな、治癒術士ってのは)

 治癒系の魔法が使える魔術師は、治癒術士という特別な呼び方をされていた。彼らは、数が少ない魔術師の中でもさらに希少だ。にも関わらず需要は多く、駆け出しの治癒術士が、ベテランの冒険者パーティに所属していることすらある。

 ザックは、自分の相方、魔術師のローレンツに目をやった。視線に気づいたのか、相手が振り向く。

「私は治癒魔法を使えないし、使えるようにもならないぞ」

「何も言ってないだろーが」

「お前の言いたいことぐらいわかる」

 ローレンツの言葉に、ザックは肩をすくめた。

 二人はずっと一緒に行動しているが、残りの三人はまた別のパーティだ。今回のダンジョン攻略にあたって、二つのパーティで協力しているというわけだった。

「…休息を」

 オリビアの呪文詠唱が終わると同時に、ザックは疲労が軽減されるのを感じた。体力回復の魔法は気休め程度のものだと彼女は言っていたが、少なくともザックは効果を実感している。

「さっきの魔物は事前に分からなかったのか」

 エドワードが、棘のある口調でウィンに話しかけた。

「何の音もしなかったよ。扉を開いたら、どこかから転移されるようになってたんじゃないの?」

 ウィンはむっとしながら返した。まーた始まった、とザックは顔をしかめた。

「それならその罠を感知しているべきだ」

「なんだよ。全部完璧に見つけられるわけないだろ、そんなの」

「二人とも、こんなところで喧嘩しないで……」

 オリビアが困ったように言う。ザックの方に目をやると、申し訳なさそうに頭を下げた。

(これがなけりゃ、それなりの攻略パーティなんだがな)

 近接のエドワードに、遠隔でダンジョン関連の知識が豊富なウィン、さらに治癒術士のオリビアまでいる。彼女は攻撃系の魔法も使えるとのことだし、三人パーティとしては理想的なバランスだろう。だが、仲が悪いのは致命的だ。

「お前が罠を見つけていれば、あの魔物と戦わずに済んだかもしれないんだ。それをちゃんと……」

「いい運動になってよかっただろ。休憩も終わったし、そろそろ行こうぜ」

 まだウィンを責めようとするエドワードの言葉に、ザックは無理やり割り込んだ。地面に置いていた剣を拾うと、立ち上がって背中の止め具に固定する。開きかけの扉の方へと視線を送って、全員の出発を促す。

 エドワードは渋面になったが、知り合って間もないザックが相手だからか、何も言い返しては来なかった。

(まー、文句を言いたくなるのも分かるが)

 エドワードはこの五人パーティのリーダーだし、ザックと共に魔物の攻撃を最前線で受ける立場だ。自分たちの実力を超える魔物に出会えば、最初に死ぬのはエドワードかザックのどちらかだろう。しかし、いつまでもぐちぐち言っていても仕方ない。

「俺が行くよ」

 ウィンはそう言うと、開きかけの扉の向こう側へと足を踏み入れた。しばらくザックたちの見えない位置で何か作業をした後、扉の陰から顔を出した。

「もういいよ。来ても大丈夫」

 エドワードを先頭に、残りのメンバーが扉を抜ける。その先は、先ほどと同じく、広めの部屋になっていた。部屋の真ん中には、石でできた台座が置かれている。台座は膝よりも少し低く、人が何人も乗れる程の広さがあった。その上には、今は何も乗っていない。

「なんだこりゃ?」

「さあ。上に何かを置くっていうのが、よくある仕掛けだけどね。もしくは俺たちが乗るか」

 ザックの疑問に、ウィンが曖昧な答えを返す。

「置くとしたら、かなり大きな物だな」

「いや、そうとは限らないよ。何を置くのか分からないように、わざと台座を大きめに作ってあるのかもしれない」

「ふーむ」

 ザックは顎に手をやった。どちらにせよ、これだけではどうすればいいのか分からない。

「乗ってみるか?」

「それは止めておいた方がいいだろう。どう思う、ウィン」

「そうだね。とりあえず先に進んで、関係のありそうな物を見つけたら戻ってくるのがいいと思う」

 エドワードの提案に、ウィンが同意する。

「了解、そのへんはお前らに任せる。んじゃ次はまたあれを開けなきゃな」

 ザックが部屋の奥を指差す。そこにあったのは、先ほどと全く同じデザインの扉だった。全員の視線が、ウィンに集まる。

「…努力はするよ」

 ウィンは自身なさげに言った。


 ザックは自分の剣に目をやって、深く息を吐いた。ゆっくりと、両手を下ろす。

「大丈夫か?」

「ああ」

 ローレンツが声をかけてくる。ザックの剣には、緑色の大蛇が噛み付いていた。ウィンの矢を頭に受けて、絶命している。

 さっきの赤いやつとは違って、炎を吐いてきたりはしなかったが、とにかく動きが素早かった。剣で防御できていなければ、顔か首かに噛み付かれていただろう。致命的な傷を負えば、オリビアの魔法でも治癒しきれない。

「ウィン」

 押し殺した声で、エドワードがウィンの名前を呼ぶ。彼が次の台詞を言う前に、ザックが言葉を続けた。

「何か分かんなかったのか? さっきより念入りに調べてただろ」

「…ごめん、全く。少なくとも扉には罠は無かったよ。これは断言してもいい」

 この緑の大蛇も、先ほどと同様に扉を開けたら出てきたのだった。ザックは剣に噛み付いたままの頭を外しにかかる。

「魔法の罠って可能性は無いのか?」

「可能性はあるし、純粋な魔法の罠なら俺には見つけられない。でもそんなものはほとんど存在しないんだ。誰かが来たらいつでも発動できる状態を、何百年も維持する必要があるからね。少なくとも侵入者を検知する部分は、物理的な機構に頼っている場合が多い」

 そこまで言って、ウィンは少し考え込んだ。

「扉そのものじゃなくて、扉を開けたことによって変化する何かで検知してるのかもしれない。例えば空気の流れが変わるとか。かなり高度な機構になるだろうから、可能性としては高くないけど」

「なるほどな。もしそれが本当なら、こっちからは手を出せないか。…魔物は地道に倒すしかねーな。もっと性質の悪い罠が出てこなけりゃいいが」

 剣から引き剥がした魔物の頭を投げ捨てながら、ザックはオリビアの方を見た。

「あんた、先にかけておく治癒魔法ってのは使えないか?」

 治癒魔法の中には、そういうことができる魔法もあった。かけた相手が傷を受けた時点で、治癒の効果が発動するというものだ。普通なら致命傷になるような攻撃を受けても、即座に治癒できれば助かることは多い。

「無理です無理です、そんな高度な魔法」

 オリビアが慌てて首を振った。ローレンツが、呆れたような視線をザックに向ける。

「あれが使える治癒術士は数えるほどしか居ない。このお嬢さんにそこまで求めるのは、酷というものだ」

「分かってるよ。聞いてみただけだ」

 ザックは次の扉へと目を向けた。緑の大蛇が勢い良く跳びだしてきたため、ほとんど開いている。その向こうには、またしても何も乗っていない台座と、別の新たな扉が見えていた。

「扉を開く前に、あの台座を調べるべきか。魔物が現れるのは、我々が何かミスを犯しているからではないのか」

「そうかもな」

 エドワードの言葉に、ザックは頷く。しかしまだ、台座のヒントになるようなものは見つかっていない。

「でも、先に出てきたのは台座じゃなくて魔物の方だよ。台座に関する仕掛けを無視したから魔物が現れたんだとしたら、順番がおかしいと思うけど」

「じゃあ、魔物を使って台座に何かするとか? 死体を置いてみる?」

 ウィンの反論を聞いて、オリビアが新たなアイデアを出す。

(死体を置くねえ)

 ザックは頬を歪めた。安直過ぎる気がする。

「まずは部屋をもう一度調べなおしてみるよ。色々試してみるのはその後にしよう」

「私も手伝おう。魔力探知の魔法が役に立つかもしれない」

「分かった。頼むよ」

 ローレンツの提案に、ウィンは頷く。二人は協力して、部屋の調査を始めた。


 隣の部屋で二人が作業するのを、ザックは座りながら見ていた。今はウィンが台座を調べ、ローレンツはその隣でなにやら呪文を詠唱している。

 部屋の逆側に顔を向けると、まだ閉じたままの扉が目に入る。何もせずにあれを開ければ、また新たな魔物が現れるんだろうか。今のところはこのパーティで倒せる範囲の魔物しか出現していないが、次どうなるかは分からない。

 ザックは、隣に座るオリビアに視線を向けた。彼女は地面をじっと見つめて、所在なさげにしている。最初はエドワードを含め三人で休憩をしていたのだが、彼はもっと前の部屋を見てくると言って、立ち去ってしまった。

「あいつらなんであんなに仲悪いんだ?」

「え」

 声をかけると、オリビアはぱっとこちらを向いた。だがすぐに、視線をさ迷わせる。

「それは……」

「二人とも、あんたに気があるからか」

「なっ」

 オリビアは目を見開いて、にやにやと笑う相手の顔を凝視した。

「なんで……」

「なんで分かったのかって? あんたらの態度を見てりゃすぐ分かる」 

 ザックの言葉に、オリビアはうな垂れた。

(…いや、かまをかけてみただけなんだが)

 と言うか、半分以上は冗談だった。それなのに相手があっさり引っかかって、ザックは少し罪悪感を覚えた。

(エドワードとこいつも喧嘩してんのかね)

 さっきこの場を去ったときの、エドワードの態度は何かおかしかった。それに、二人が会話しているのを見た事がない。

(詮索してもしゃーねーな)

 どんな人間関係になっているのか気になるところだが、分かっても何かできるわけではない。せめて自分たちとパーティを組んでいる間だけでも、仲良くして欲しいものだが。

 ザックがオリビアに別の話題を振ろうとしたとき、ズン、という音が辺りに響いた。音の出所は、閉まったままの次の扉の先だ。

「なに?」

 地面に置いた剣を拾いつつ、腰を上げる。隣にいるオリビアも、不安そうな表情で立ち上がった。

「何があった?」

「わかんねー。音がしたのはあの扉の向こう側だ」

 一つ前の部屋から、ローレンツとウィンが走ってきた。ザックは剣で扉を指し示す。

「何か仕掛けが……」

 ザックの言葉の途中で、大きな音を立てて扉が開いた。いや、開いたと言うよりも、向こう側から大きな力を加えられ、ひしゃげていた。

「…こりゃまずいな」

 扉を壊して現れたのは、人間の倍ほども背丈がある、石造りのゴーレムだった。一般的に、ゴーレムの体は非常に硬く、剣ではほとんどダメージを与えられないだろう。それに、扉を壊すほどの攻撃を防ぐ手段もない。一回でも喰らえば即死だ。

「前の部屋に戻れ!」

 ザックが指示する。唯一の救いは、ゴーレムの動きはあまり速くは無いということだ。どちらかと言うと、何かを守るために配置されていることが多く、敵を追いかけるのには向いていない。

 全員が隣の部屋に移動すると、魔物は一歩ずつゆっくりと、こちらに向かってくる。逃げる分には問題無さそうだ。

「どうした」

 扉を壊す音を聞きつけたのか、エドワードが慌てて戻ってきた。向こうの部屋に居るゴーレムを見て、目を丸くする。

「ローレンツ、お前の魔法であれを倒せるか?」

「条件次第だ。ゴーレムを倒す最も簡単な方法は、体のどこかに埋め込まれているコアを破壊することだ。その位置を正確に特定すれば、可能かもしれない」

「特定はできるのか?」

「私には無理だ」

 ローレンツはオリビアの方を見たが、首を振って返される。彼女にも無理なら、特定する手段は無いだろう。

「いや、もっと楽な方法があるよ。ついて来て!」

 そう言って、ウィンが走り出す。ザックは他の仲間に向けて頷くと、彼を追いかけた。


「やっと来た」

 通路の途中に立ったウィンが、ほっとしたように言った。遠くに見える曲がり角の向こうから、ゴーレムの姿が現れた。冒険者たちを見つけて、近づいてくる。

 道のりの半分ほど来たところで、ゴーレムが踏んだ床が、音を立てて崩れ落ちた。魔物の体がぐらりと傾き、その姿が床の下へと吸い込まれていく。

「やりぃ!」

 ウィンは嬉しそうに指を鳴らした。ゴーレムが地面に激突する、大きな音が床下から響く。その後は、何の音もしなくなった。

「えらい面倒だったな」

「まあね」

 直接この落とし穴に連れて来ることができれば簡単だったのだが、なにせ自分たちも上を通れない。二手に分かれて上手く誘導することで、ようやくこの道を通過させることができたのだった。

「あのゴーレムはどうして現れたんだ。またお前が何かやったのか」

「違うよ。確かに部屋は調べてたけど、あいつが出てきたときは何もしてなかった」

 エドワードに問い詰められて、不機嫌そうにウィンが答えた。

「俺らも何もしてないぜ。座って待ってただけだからな。扉に近づいてもいない」

「うん」

 ザックの言うことに、オリビアも頷く。

「もしかしたら、時間制限があるのかもしれない。前の扉を開けてから一定時間経つと、次の扉を開けなくても魔物が現れるのかも……」

「なら次の魔物は、もう現れてるかもな。ゴーレムの誘導にだいぶ時間くったろ」

「そうだね、その可能性もある。あと時間制限を超えた場合だけど、魔物が現れるだけでは済まないかもしれないよ。何度か越えると次の部屋への扉が開かなくなるとかさ」

「先ほどの場所に戻ろう。憶測で話をしても仕方がない」

 ウィンとザックの会話に、エドワードが割り込んだ。戻る方向へと歩き出す。

「まだ先に行くの? これ以上強い魔物が現れたら、俺たちには対処できないよ。撤退を考えるべきかもしれない」

「まずは戻ってからだ」

 エドワードは取り合わなかった。ウィンは何も言い返さずに、彼について行く。

 しばらく歩くと、赤い大蛇が現れた最初の扉が見えてきた。警戒しながら進んだが、魔物の気配は感じられなかった。

 壊れた扉を通ってゴーレムが居た部屋に入ると、そこにもまた空の台座があった。奥の扉は、まだ閉まっている。だが、部屋の真ん中辺りまで来たところで、バタン、と音を立てて扉が開いた。

 扉の向こうから現れたのは、トカゲが直立して二足歩行しているような、奇妙な姿をした魔物だった。太い尻尾が垂れ下がり、地面に着いている。大きさは人間と同じ程度で、皮製の鎧と長い槍を装備していた。

(こいつがさっきのゴーレムより強いってのか?)

 剣を構えて歩き出し、ザックが魔物に近づこうとする。槍で牽制され、剣の攻撃範囲まで行くことはできなかった。だが、足止めできれば十分だ。

 一歩右へと移動すると、後ろからボウガンの射出音が聞こえた。矢は魔物の頭部に命中するかに見えたが、相手はほんの少し顔を傾けただけで、その攻撃を避ける。

「めんどくせーやつだな!」

 目の前で揺れる槍を叩き折ってやろうと、ザックが剣を振り下ろす。だが素早く引かれ、剣は地面を叩いただけだった。直後の相手の突きに、腕を浅く傷つけられる。

 攻撃を受けると同時に地面を強く蹴り、さらに前に出た。魔物は槍を引こうとするが間に合わず、ザックは槍の攻撃範囲の内側に入り込む。

「もらった!」

 地面すれすれに構えた剣を、斜め上に薙ぎ払う。魔物は大きくジャンプして、剣を跳び越した。

「ちっ」

 舌打ちして、腕に力を込めた。円を描くように剣の軌道を変えると、斜め上から振り下ろす。だが地面に着地した魔物は、今度は後ろに跳んで攻撃をかわした。

 距離を取られないようにと、ザックは魔物を追った。再び攻撃するが、上手く回避されてしまう。

 他の仲間を守っていたエドワードが、ザックに加勢しようとする。魔物の側面から接近を試みたが、

「ぐっ」

 魔物はザックの攻撃を軽々と避けながら、槍を振るった。油断していたエドワードの腹部が深く切り裂かれ、血が噴き出す。それを見たオリビアが、慌てて治癒魔法の詠唱を始めた。

(ふざけやがって)

 ザックは心の中で悪態をついた。敵の身体能力は想像以上だ。

「刃よ」

 ローレンツの呪文が完成する。魔物の体のすぐ側で、火花のようなものが散るのが見えた。しかし、敵の体を切り裂くはずの魔法は、何の効果も表さない。

「魔法障壁か」

 ローレンツが顔をしかめる。威力のある魔法でないと、障壁を貫くことはできないだろう。

「ローレンツ! サポート頼む!」

「分かった」

 ザックの言葉を受けて、別の魔法の詠唱を始める。会話したのを隙と見たのか、今までは距離を取るように動いていた魔物が、急にザックの方へと突進してきた。

 虚を突かれて、相手のタックルをまともに受けてしまう。吹き飛ばされ、地面に倒れた。

 慌てて体を起こすが、敵の次の狙いは自分ではなかった。傷を受けて下がっていたエドワードと、それを治療するオリビアの元へ、魔物は走る。ウィンが放ったボウガンの攻撃はあっさり避けられ、何の牽制にもならなかった。

 エドワードは仲間を庇うように移動し、盾を構えた。その盾を回り込むような軌道で、魔物の槍が閃く。

「あっ」

 槍の穂先が、オリビアの左腕に深々と突き刺さる。エドワードが剣を振るったが、素早く槍を引き抜いた魔物は、後ろに跳んでそれをかわす。

「お前の相手は俺だろうが!」

 ザックは魔物に肉薄し、剣を振り下ろす。魔物はそれに合わせて、再びザックから離れる方向へと跳んだ。

 剣が地面と平行になった時点で、ザックは両手を離した。勢いのついた剣はそのまま前方へと飛び出し、魔物の腹部に突き刺さる。魔物は空気の抜けるような、奇妙な声をあげた。

 着地に失敗してふらつく相手との距離を、一気に詰める。右手を握り締め、顔面を思い切り殴りつけた。

「おらぁっ!」

 大きくバランスを崩す魔物の顔を、再び殴る。相手が転倒すれば、馬乗りになって何度も殴りつけた。やがて動かなくなったのを確認すると、念入りに剣で頭を叩き潰した。

「サポートは必要無かったようだな。格闘術でも覚えたのか?」

「素手でも少しは戦えるようにな。なんでもやっとくもんだぜ」

 ローレンツに返事を返すと、ザックは仲間の状況を確認した。エドワードの傷はほぼ治っているようだったが、まだ少し血が出ている。オリビアは、苦痛に顔を歪めながら、左腕を押さえていた。

「オリビア、大丈夫?」

「うん…でも、治癒魔法は当分使えないと思う。魔力もあまり残ってないし」

 包帯を巻くウィンが、心配そうにオリビアを見た。魔法を成功させるためには、詠唱の間精神を集中させる必要がある。少し傷を受けただけでも、失敗の可能性は高くなる。

「一旦戻ろうよ。体勢を整えた方がいい」

 ウィンが、エドワードの方を見る。

「戻って、またここに入れるのか? 時間制限があるなら、一定時間後に全て封鎖されることも考えられる」

「そりゃそうだけどさ。治癒魔法が使えない状態で魔物と戦うのはまずいよ」

 エドワードはしばらく考え込んでいたが、やがて全員に視線を向けた。

「まずはあそこまで行ってみよう。他の魔物を見つけるか、時間が経ちすぎた場合は撤退する。これでどうだ」

 彼が指差す先は、トカゲの魔物が出てきた部屋だった。例によって、その部屋の中央には空の台座がある。だがその奥に扉は無く、出入り口を通じて別の部屋が続いていた。奥の部屋には、石像か何かが置かれているのが見える。

「俺はリーダーに任せるぜ」

「私もだ」

 ザックとローレンツの二人が、先に返答する。

「私は……皆がそれでいいなら」

 オリビアがそう答えると、ウィンもしぶしぶ頷いた。

「決定だ。今までとは別の仕掛けがある可能性が高い。慎重に行こう」

 

 一番奥の部屋は、入り口を除いて他に出入り口が無く、行き止まりになっていた。部屋の中央には、今までと同様の台座が設置されていた。ただしその上には、石像が置かれている。

 石像は、背中に鳥のような羽が付いた人間の姿をしていた。右手に剣を、左手に盾を構えている。部屋の右側を向いていて、視線の先には、壁に刻まれたいくつかの数字があった。

謎かけリドルだね。厄介だな……」

 数字のすぐそばまで行くと、ウィンは顔を歪めた。数字は左から、1、1、2、3、という順で刻まれている。もう一つ右側には、穴が開いていた。

「数字を入れろってことか」

 ザックが床に積まれた棒状の石に目をやる。棒は9本あり、先には1から9までのいずれかの数字が刻まれていた。ちょうど、壁の穴にはまりそうな太さだ。

「この位置、変じゃない?」

「…うーん?」

 数字を指差すオリビアに、ウィンは首を捻る。壁の数字は、ちょうど膝ぐらいの高さに刻まれていた。絶対におかしいというわけではないが、普通に考えれば目線の高さにするような気もする。

「1、2、3の次は、4ではないのか」

「それだと1が二つある意味が分からないよ」

「引っ掛けかもしれないぞ」

「そうかなあ」

 エドワードが意見を述べる。だが、ウィンは納得してないようだった。

「この数字の並び、どこかで見た事があるな……」

 二人の横で、ローレンツは何かを思い出そうと、数字を凝視していた。

「そうだ、足し算だ」

「足し算?」

 ぱっと顔を上げたローレンツに、オリビアが尋ねる。

「ああ。最初の1と二番目の1を足すと、三番目の2だ。二番目の1と三番目の2を足すと、四番目の3だ。右にずらしながら足していくんだ」

 彼は壁の数字を指差しながら、詳しく説明した。

「じゃあこの次は……三番目の2と四番目の3を足して、5ってこと?」

「そうだ、そうなる」

 ウィンの回答を聞いて、ローレンツは満足げに頷いた。オリビアは少し考えていたが、やがて、ぽん、と手を打った。

「なるほど」

「確かに、それで説明が付く」

 エドワードも、その説に納得したようだった。だがザックだけは何も言わず、眉を寄せて壁の数字を凝視していた。

「何か疑問な点があるのか?」

「いやな、この四つの数だけで、それが正しいと言い切れるか? 他にも説明をこじつけられると思うぜ」

「ふむ」

 ザックの反論に、ローレンツは黙ってしまった。彼の回答は確かに筋は通っているのだが、正解だと断定できるかと言われると、疑問が残る。

「俺もザックに賛成かな。こういうのは答えが一つに決まるように作ってあるものなんだよ。多分ヒントを見逃してるんだと思う」

「だがヒントと呼べるようなものがあったか? この部屋にあるのは、このリドル自体を除けばあの石像ぐらいだ。前の部屋には台座しかない。どれも調べても何も出なかっただろう」

「そう言われると、うーん……」

 ローレンツの指摘に、ウィンは小さく唸った。

(台座と石像は確かに怪しいな)

 ザックは考えを巡らせながら、石像に向かって歩いていった。特に、直前までの部屋にあった何も乗っていない台座だ。あれが何の意味も無く置いてあるだけとは思えない。

 しかし、リドルのヒント、つまり数字に関係する何かを、台座から見い出すことはできなかった。強いて言えば、空の台座は四つあり、石像は一つあるというぐらいだ。

(…待てよ)

 四つと一つ? それはちょうど壁に刻まれた数字の個数と、埋めなければいけない穴の個数に一致する。

(数字が空の台座と、穴が石像と対応するのか?)

 その上で、石像に対応する数字を答えろということか。だがそうだとしても、空の台座をどうやって四つの数字に対応させるのかが分からない。台座はどれも全く同じものだったはずだ。

 ザックが考え込んでいる間に、ウィンは何かを決断したようだった。エドワードに近づいて、その目をじっと見る。

「だめだ、エド。やっぱり撤退すべきだ。ローレンツの答えが正解かどうか判断が付かないし、これ以上ヒントを探してる暇も無い。いつ時間切れになるか分からないんだ」

「最初に時間切れになったときは、かなり長い間部屋の調査をしていたんだろう。まだ余裕はある」

「ここは多分最後の部屋だ。さっきまでの部屋と制限時間が同じかどうかなんて分からないよ。もっと短いかもしれない」

「そんな理由で撤退するのか? 最後の部屋ということは、財宝がすぐそこかもしれないんだぞ」

「死んだら元も子もないだろ! 時間切れで何が起こるか分からないんだ。もしあいつが襲ってきて、さっきのトカゲより強かったら全滅だぞ」

 ウィンは、部屋の中央に置かれた石像を指差す。その横に立っていたザックは、ウィンの言葉を聞いて眉を寄せた。

「ウィン、お前なんでこれが襲ってくるなんて思ったんだ?」

「え? だってもう扉は無いし、魔物が出るとしたらそいつぐらいしか居ないだろ。この部屋だけ魔物が出てないんだし」

 確かにこの部屋では、他の部屋とは違ってまだ魔物が出てきていない。これから転移されてくるのかとザックは思っていたが、もしそうではなかったら。この石像が魔物で、何らかの条件で動き出すんだとしたら……。

 その時、地鳴りのような音が辺りに響いた。地面が猛烈な勢いで揺れ始める。ザックは立っていられなくなって、片膝をついた。

「時間切れか!?」

 ウィンが声をあげる。リドルのある方を見ると、他の仲間もザックと同じような状態だった。

(派手な演出だな、おい!)

 ザックは舌打ちした。もう説明している暇は無いか。

「2だ! 2を入れろ!」

「なに!?」

 ザックの叫びに答えたのは、ローレンツだった。二人の視線が合う。

 ローレンツは、地面に散らばった石棒の一つを取った。激しい揺れの中で、棒を穴に差し込もうとする。

 石像の腕を掴み、ザックは立ち上がった。苦労しつつ、背負った剣の止め具を外す。まだやらなければならないことがある。

 なんとかバランスを取って、ザックは石像から手を離した。両手で剣の柄を握る。

「ズルして悪ぃな!」

 そう言いながら剣を振り上げるのと、ローレンツが棒を完全に差し込んだのはほぼ同時だった。揺れが急速に収まり、そして石像の表面が、一瞬にして人間の肌のように変わる。

 だがそれが動き出し、剣と盾を構えようとする前に、ザックの一撃が首と右腕を切り飛ばした。残った胴体は、少しの間ふらふらしたあと、後ろに倒れ込んだ。

「うお」

 地面に横たわる魔物の体が、ばらりと解けた。細かい破片が、金貨や銀貨、宝石、装飾品に姿を変える。剣と盾だけが、元のまま残っていた。

「…これはすごい」

 近づいてきたローレンツが、唖然とした表情で呟いた。全部合わせれば相当な額になるだろう。

「よし、回収して街に戻ろうぜ。これだけありゃ十分だろ?」

 ザックが提案すると、全員がこくこくと頷いた。

 

(よく飽きないな、あいつら)

 歩きながら議論している、エドワードとウィンの二人に目をやる。どうも今は、魔物が落とした剣と盾をどうするかで揉めているようだった。ウィンは売ってから全員で分けようと言っているが、エドワードは自分たちで買い取って使いたいようだった。ローレンツが調べたところによると、あの剣と盾は魔道具らしい。この二つだけでも価値は高いだろう。

(まーさっきよりはマシか)

 さっきは、エドワードが撤退を渋ったことが良かったか悪かったかで口論していて、相当険悪な空気になっていた。エドワードはそのおかげで財宝を手に入れられたと言うし、ウィンはそんなの運が良かっただけだと主張していた。

 ザックの意見はどちらかと言えばエドワード寄りだった。運が良かっただけ、確かにその通りだが、ダンジョン探索なんてそんなものだ。それが受け入れられないなら、こんなところに来ない方がいい。

「ザック、あのリドルの答えはどうやって分かったんだ?」

「ああ」

 ローレンツが声をかけてくる。

「あれは魔物の足の数だ。いや、足とは少し違うな、地面に接している部位の数か? とにかく二匹の蛇が一本ずつ、ゴーレムが二本、トカゲが尻尾も含めて三本、最後のやつが二本だ。順番通りだろ?」

「ふむ」

 ローレンツはザックの言葉を聞いて、しばらく考え込んでいた。

「確かに数は合う。しかし魔物が関係あるとよく分かったな。台座にヒントがあったというならまだ納得できるが」

「その通りだよ。多分、最初はどの魔物も台座に乗った石像だったんだ。扉を上手く開けるか何かすれば、見れたんじゃねーかな……おっと、これはあいつらには言うなよ」

 と、エドワードとウィンにちらりと視線を向ける。この件でまた喧嘩されてはたまらない。

「リドルが刻まれてた高さは、台座に乗った石像の足の高さと同じだ。石像の状態で五匹の魔物が台座に乗ってりゃ、何か関係があるなと分かるだろ?」

「なるほど。我々は最初から失敗していたのか」

「多分な。俺らが生きてんのは、単にダンジョン作ったやつの気まぐれかもな」

 今回はかなり危険な探索だった。だが得られた財宝は、その危険性に十分見合ったものだ。死にそうな目に会ったにも関わらず、実入りがゼロなんて珍しいことではない。

(ま、しょっちゅうこんなことやってりゃ、すぐに『引退』だ)

 手に入れた財宝の価値を考えれば、しばらくダンジョン探索は止めにしてもいいだろう。なんだったら、冒険者稼業自体を休んでもいい程の収入だ。だが、ザックの思いは別だった。

「次はもう少し難易度の低いダンジョンにしよう」

 ローレンツに先に言われ、ザックは相手の顔をまじまじと見つめた。

「奇遇だな、俺もそう言おうと思ってたところだ」

「奇遇なものか。ここで意見が割れるようなら、パーティなど組んでいられないだろう」

「違いない」

 ザックは笑った。

「簡単なダンジョンと言やあ、いつか行こうと思って調べてた場所があってな……」

「何のお話ですか?」

 エドワードとウィンを仲裁するのに嫌気が差したのか、オリビアが会話に加わってきた。ザックは以前から目をつけていた、危険が少なくそこそこおいしいお勧めダンジョンについて、二人に語り始めた。

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