55.建築家の男
「雷属性の魔法?」
ローレンツが渋い顔で言った。ザックは眉を寄せて答えた。
「ああ。黒衛兵の弱点じゃねーかって言われてな。使えないか?」
「一応使えるが、得意ではない。あまり期待しないでくれ」
「オリビアは?」
「私もあまり」
「ふーむ」
ザックは口元を歪めた。先に話しておくべきだったか、と今更ながら後悔する。そうすれば、雷系の攻撃型魔道具を用意する手もあったかもしれない。
「その話って、どなたから聞いたんですか」
「……やっぱり覚えてないのかよ」
探るような目線で尋ねるオリビアに、ザックは若干疲れたように返した。何故疲れているかというと、それはこの説明をするのが二回目だからだ。やはりあの日二軒目の酒場に入ったあとは、記憶が無いらしい。
「覚えて、って……あっ」
何時のことだか分かったようで、オリビアは顔を赤らめた。そのやりとりを、ローレンツが不思議そうに見ていた。
「酒でも飲みに行ったのか?」
「あー、まあな」
ザックは少し気まずそうに言った。何故気まずいかと言うと、オリビアと入った酒場で、ローレンツの逢引の現場に遭遇したからだ。まあべつに秘密の逢引というわけでもないだろうし、話してしまってもいいのだが……。
「なるほど、そういうことか」
だがしかし、ザックのその態度を、ローレンツは別の意味に取ったようだった。意味ありげな笑みを浮かべ、二人の顔を交互に見る。オリビアはますます顔を赤くしていた。
(そういうことじゃねーんだが……)
まあいいか、とザックは歩みを進めた。
三人の目の前には、『都市』の街並みが広がっていた。いつ見ても、地上と何ら変わることのない風景だ。上さえ向かなければ、だが。
「おや?」
頭上から声が降ってくる。思わず見上げた三人は、屋根の上に軽薄そうな笑みを発見した。以前に会った建築家の男が、ひらひらと手を振っている。
男は何気ない動作でジャンプすると、一気に地上まで飛び降りた。まるで、階段をほんの数段抜かして降りただけのような軽やかさだ。彼の身体能力は、魔道具に寄るものだろう。
「久しぶりだねえ。元気そうだね」
「そっちもな」
ザックは肩をすくめて言った。相変わらず、この男は自由に生きているようだ。
「下には行ったのかい?」
「ああ」
答えるかどうか迷ったのは、ほんの一瞬だけだった。べつに隠す必要も無い。
男は楽しそうに言った。
「やっぱりねえ。魔道具探しに遺跡探索なんて、冒険者の華だよね。いいなあ」
「興味あるのか?」
「自分で行く気は無いけどさ。話ぐらいは聞いてみたいね。ちょうど今暇なんだよ」
「ふむ」
話してもいいが、メリットもない。彼ほど暇だというわけでもなし。
そんなザックの考えを読んだかのように、建築家はこう提案した。
「実はだね、最近ちょっとこの都市のことを調べてるんだ。たぶん、少しは面白い話ができると思うよお」
「ほう。そりゃいいな」
「だろう?」
男は得意げに胸を反らした。
「ここじゃあなんだから、僕の家に寄っていかないかい? すぐ近くなんだよ」
「そうするか」
仲間たちに目をやると、二人は揃って頷いた。男は満足したような笑みを浮かべる。
「よろしい。家はこの裏にあって……」
「いや待て」
軽い調子で跳び上がろうとした男を、ザックはすぐに制止した。彼が手で示す方向には、家が左右にずっと並んでいる。どう見ても屋根を超えて行こうとしている。
「どうやって付いていけっつーんだよ」
「ああそうか。いやすまないね。屋根を歩くのが習慣になってしまってるんだよ」
「珍しい習慣だな」
ザックは肩をすくめた。途切れたら飛び移るのだろうか。動物じゃあるまいし。
「しかし困ったな。地上から行く方法なんて知らないよ」
「家に入って裏口から抜ければいいのではないか?」
「そうするか。面倒だが」
ローレンツの提案に、ザックは渋々頷いた。
相変わらず、扉には鍵がかかっていない。以前見た家と同じく、中は新築同然だ。家具や食器が並んでいる。
「勿体ねえな」
ザックが思わず呟くと、オリビアが不思議そうに尋ねてきた。
「家、欲しいんですか」
「そりゃ貰えるものならな」
もちろん、ここではなく地上で、だ。ここの家はまあ自由に使ってもいいようだが、白兎の気まぐれで取り壊されるようでは、とても住む気にはなれない。
すると、オリビアは少し驚いていた。
「ザックさんが家が欲しいだなんて、意外です」
「そうか? 宿代が浮くだろ」
「……そういうことですか。理解しました」
何故かがっかりしたようなオリビアの顔を、ザックは眉を寄せて見た。
少し迷ったあと、裏口を見つけて外に出る。屋根の端に腰掛けた建築家の男が、退屈そうにこちらを見ていた。
「あ、やっと出てきたね」
「待たせたな」
「大変だねえ、跳べない人は」
「羽でも生えてるかのような言い草だな」
軽口を交わしながら、次の家へ向かう。三つほど超えたところで、ようやく目的地に辿り着いた。
「わあ」
オリビアが華やいだ声をあげる。さすが建築家というだけあって、男の家は凝ったデザインが成されていた。他の家は街の外壁と同じく白を基調としていたが、この家には様々な色が押し込められている。
「いいだろう? 妻のためにデザインしたんだよ」
自慢げな言葉に、オリビアが驚いたように言った。
「結婚されてたんですか」
「なんだい。僕が結婚してちゃいけないのかい?」
男はいささか大げさに憤慨してみせた。
話し声が聞こえたのか、入口の扉から女性が一人顔を覗かせた。彼女が建築家の男の奥さんらしい。夫とは違い、とても上品で大人しそうな女性だった。
「いらっしゃいませ」
柔らかい物腰で頭を下げる。オリビアが慌てたようにお辞儀していた。
家は内装も凝っていて、様々なデザインの家具が並んでいた。これは、都市にいる家具職人に頼んで作ってもらったらしい。外に負けないぐらい可愛らしいデザインだった。
リビングのソファーに座ると、奥さんが紅茶を
「さあさあ、地下での冒険について聞かせてくれたまえ」
男に話をせがまれる。その隣では、奥さんも興味を隠し切れない表情だった。こんな場所では、話を聞く以外にろくな娯楽も無いのだろう。
誰が話すのか少しもめたが、結局ザックがすることになった。ローレンツは「私の仕事ではない」と頑なだったし、オリビアは「話すのは、得意ではなくて」と及び腰だった。ザックだって語りに自信があるわけでは全くないのだが、このパーティでは相対的に得意ということになるらしい。
地下の出来事について、ザックは一部を秘密にして説明した。『白衛兵』と『黒衛兵』のことや、大量に並んだ部屋、それから『図書館』。
「ほーう、図書館ねえ。どんな本があったんだい?」
建築家の男の興味を引いたのは、最後の一つのようだった。ザックは肩をすくめて言った。
「さあな。文字が読めねーから、よくわかんねーんだよな」
「あー、あれね。ずいぶん古い文字らしいね。知り合いの学者が言ってたよ」
「読めるのか?」
「いやー、さっぱりらしいよ。彼、言語学が専門ってわけじゃないからねえ」
「ふむ」
もし解読できていたならイルに紹介しようかと思ったのだが、そう上手くはいかないようだ。
「料理の本があったのは分かってんだがな。多分、普通の図書館だと思うぜ」
「でも大昔のだろう? 夢があるねえ」
腕を組みながら訳知り顔で頷く。ローレンツも何故か同じように頷いていた。
「ま、そんなとこだ。そっちの話は?」
「ん?」
「この都市のこと調べてるんだろ?」
「ああ、そう。そうだったねえ」
今ようやく思いついたかのように言う。適当なこと言ったんじゃねえだろうな、とザックは少し訝しんだ。
「そんなに睨まないでくれたまえよ。ちょっと資料を準備してくるよ」
建築家の男は、そう言って席を立った。奥さんが紅茶のおかわりを淹れてくれる。
「あの」
紅茶の感想以来ずっと黙っていたオリビアが、不意に口を開いた。
「結婚されたのは、ここに来てからなんですか?」
「いえ」
奥さんは穏やかに笑った。
「あの人がこの街に誘われた時には、もう一緒でした。私は、ついてきただけなんです」
「不安じゃなかったですか」
前のめりで質問するオリビア。そこから二人は、女性同士の話題で盛り上がり始めた。ザックは思わずローレンツと顔を見合わせた。
戻ってきた建築家の男は、不思議そうな顔で女性陣のお喋りを見た。だがすぐに興味を失ったようだ。手に持った紙束を、ソファーの開いた席にどさりと置く。かなりの量だ。
「これは?」
「最初に来た時に白兎のやつにもらったんだよ。都市に関する資料だって言われてね。まあ文字は読めないんだけど」
「読めない資料を渡してきたのかよ」
「あいつってそういうとこあるだろう? とりあえず形だけ仕事しましたみたいな」
「まあな」
ザックは肩をすくめた。お役所仕事と言うかなんと言うか。
「ただね。文字が読めなくても、土地の資料だからね。絵だけでも十分情報が得られるものもあるんだよ」
例えばこれ、と男は束から一枚引き出した。広げると、テーブルを埋めてしまうほどの大きさがあった。
「これは……」
ローレンツが身を乗り出して声をあげた。紙には、地図のようなものが描かれている。全部で四つ図があり、所々が線で繋がれている。
「都市の地図か?」
「だろうねえ」
「四つあるのは……?」
オリビアが首を捻る。地図を隅から隅まで眺めていたローレンツが、独り言のように言った。
「全部で四階層あるのだろう。都市の外まで描かれている階層が、恐らく我々が今いる場所だ」
「ふむ。俺たちが地下って呼んでた場所が二番目か」
ザックは面白そうに地図を覗き込んだ。ということは、他にもまだ二つの階層があるということだ。お宝が眠っているとすると、一番下だろうか。
ローレンツが言った。
「そうだ、その通りだ。我々がいる場所……仮に第一階層と呼ぶが、第一階層の真ん中と隣の階層が繋がっているだろう」
「例の階段か」
ザックは頷いた。地下へ行くのに使っている階段だ。他の階層にはど真ん中に線が繋がっている所は無いから、多分間違いない。
「あれ。こっちも繋がってますね」
オリビアが地図を指さした。第一階層と第二階層は、真ん中以外に右端も線で繋がっている。どうやら別の階段があるようだ。
「ふーむ。こっちを調べてみてもいいかもな」
ザックはあごに手をやって考え込んだ。第三階層へ行くことを考えると、この右のルートを通っていった方が近そうに見える。
冒険者たちの相談を眺めていた建築家の男が、自慢げに言った。
「どうだい。役に立ちそうだろ?」
「ああ、助かる。借りていってもいいか?」
「もちろんだとも。ただねえ」
男は上機嫌に笑みを浮かべた。
「他にも興味をひくものがあると思うよお。これとかね」
「おお」
ローレンツが声をあげた。次に差し出されたのは、『衛兵』たちが描かれた絵だった。説明書なのか、それとも設計図なのか。
ザックがふと思いついたように言った。
「イルに見せたら都市の言葉の解読がはかどるんじゃねーか?」
「いや、どうもばらばらの言語で書かれているようだ」
「どういうことだ?」
「そこまでは分からない。地下で見た言語は見当たらないな」
紙束をぱらぱらとめくりながらローレンツが言った。そうは上手くいかないな、とザックは鼻を鳴らした。
「あー、それで」
冒険者たちの会話に、建築家の男が割り込む。
「とてもすぐには見切れないだろ? 全部持っていかれるのもちょっと困るし、うちに泊まって見ていかないかい? ついでに外の話とかもしてくれると嬉しいなあ」
「ふーむ」
確かに、この資料は地下攻略の役に立ちそうだ。地図はもちろんだが、他にも有用な情報が得られるかもしれない。例えば、『衛兵』の弱点だとか。
「どうする? 俺はいいんじゃないかと思うが」
「私もだ」
「はい」
と、仲間二人も頷いた。
その日の夜、食事も終えてそろそろ話し疲れてきたころ。割り当てられた自室に向かおうとしたザックを、後ろから呼び止める者があった。
「あの」
「ん?」
振り返ったザックは、少し緊張した表情のオリビアを見て眉を寄せた。
「なんだ?」
「その……」
しばらくもじもじしていたオリビアだったが、やがて意を決したように言った。
「あの、酒場で、私変なこと言ってませんでしたか」
「あー……」
ザックはぽりぽりと首筋を掻いた。間違いなく言っていた。が、正直に教えていいものか。
「やっぱり言ってたんですね」
だが、オリビアにはその態度だけで伝わってしまったようだった。がっくりと肩を落としている。
「どんなことですか」
「聞きたいのか?」
「……はい」
ほんの少しためらったあと、オリビアは小さく頷いた。どうしたもんかね、とザックは迷った。適当に嘘をつくという手もあるのだが、そういうのは苦手だ。すぐに見破られてしまう気がする。
(俺の
諦めたように話し出すと、
「エドワードとウィンが好みじゃないとか」
「!」
「俺に口説かれると迷うから困るとか」
「!!」
オリビアは大口を開けて驚愕していた。どうやら、予想以上の内容だったらしい。顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「わ、忘れ下さいっ!」
耳まで赤くし、くるりと身を翻して駆けていった。ぱたぱたと忙しなく走る彼女の様子は、いつもよりずいぶんと幼く見えた。
ちょっと可愛かったな。などと思ってしまったのを、首を振って追い払う。
ザックは改めて自室へと向かった。
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