37.共謀
扉を開けたディーは、妙な表情で店内を見回した。想像していた所と、あまりにも違いすぎる。もしかすると、場所を間違えたのかもしれない。
そこはどう見ても場末の酒場で、薄汚れた店内では、数人の男が昼間から酒を飲んでいた。しかも、大半が泥酔している。
ディーは比較的正気に見える男を見つけると、わざと足音を立てて近づいた。が、その男を含め誰一人として、目を向けてくる者はいない。
「ちょっと聞きたいんだけど」
抑え気味の声で問いかける。ジョッキを握りしめ、窓の外を眺めていた男は、そこで初めてディーに視線を向けた。
「姉ちゃん、まずは一杯注文してからだろう」
「そう言われてもね」
ディーは肩をすくめる。
「店の人、誰もいないじゃない」
「ふむ」
男はカウンターにちらりと目を向けた。その向こうに立つ者はおらず、奥にも人の気配は無い。
「確かに」
ぐいっとジョッキを
「ここって酒場なの? あたしは冒険者ギルドに来たはずなんだけど」
「ここは冒険者ギルドだ。間違いねえ。アレスが言ってた」
「そう、アレスってやつに会いに来たのよ。どこにいるの?」
ようやく役に立ちそうな情報が出てきて、ディーは急かすように言った。男は何かを思い出したように、口を開く。
「あー、姉ちゃん、もしかしてイリーズって名前か?」
「違うけど、そのイリーズに頼まれて来たの」
「そうか。じゃあ病院だ。病院に行け」
「病院のどこよ」
「行けば分かる」
「……そう。ありがと」
本当に分かるのかどうか不安もあったが、これ以上酔っ払いと話を続ける気にもなれなかったので、礼を言ってその場を離れた。建物の出入り口まで戻っても、やはり誰からも声をかけられもせず、視線を向けられすらしない。
結局ここはギルドなのか酒場なのか、どっちなんだろうか。そう思って店内を見ていると、客(もしかしたら冒険者かもしれないが)の一人がカウンターの奥へ行って、自分で酒を注いでいた。
ディーは首を捻りながら、扉を開けた。
町一番のはずの大通りには、人通りがほとんどなかった。この町は、どこへ行っても活気が無い。
最近、近くに新しいダンジョンが見つかったとかで、一時期は結構な数の冒険者が来ていたらしい。だが特に見るべきものもないと分かったあとは、また元通りになってしまったそうだ。
(わざわざこんなところまで来て、何も収穫なしではやってられないわね)
まあ、ダンジョン探索なんてそんなものなのかもしれない。基本的に依頼の報酬で暮らしているディーには、いまいち理解できないが。
閑散とした大通りを進むと、やがて大きな病院が見えてきた。受付でアレスの名前を出してみると、すぐに病室の番号を教えてくれた。客が来たら通すように彼に言われていたらしい。来客が多い人物なんだろうか。
病室は、建物の端にある小さな個室だった。扉を叩くと、「どうぞ」という可愛らしい声が聞こえてきた。どう聞いても少女の声だし、目的のアレスという人物では無いようだが、ディーは一瞬迷ったあと部屋に入った。
ベッドと椅子しかない小さな部屋の中には、二人の男女がいた。ベッドで横になっている少女と、椅子に座る若い男だ。男の方は、まるで値踏みをするかのように、訪問者の顔をじっと見つめている。
警戒心を抱かせないように、笑顔とはまではいかないが努めて柔らかい表情で、ディーは言った。
「あなたが、アレス? あたしの名前はディー。イリーズの使いで来たのよ」
「そうだ。悪いな、シルク。俺の客だ」
「あ、いえ」
シルクと呼ばれた少女は、ふるふると首を振った。ディーの方にも目を向けて、にこりと笑う。
「外で話を聞こう」
立ち上がって部屋を出るアレスに道を譲り、ディーは彼の後をついて歩いた。どこかその辺りの廊下ででも話をするのかと思ったら、そのまま病院を出るつもりのようだった。
「どこまで行くの?」
「誰にも聞かれずに話をするのに、いい場所がある。イリーズ絡みということは、どうせろくでもない話なんだろう」
「そうでもないけど、そう思う気持ちも分かるわ」
ディーは顔を歪めた。この男も、自分と同じくイリーズから何度も仕事を受けたことがあるんだろうか。
相手も同じようなことを考えたのか、こう尋ねてきた。
「あんたはイリーズの元で働いてるのか?」
「ま、最近はね」
「……。そうか」
意味ありげな沈黙のあと、ぽつりとそう言った。どうかしたのかと聞こうと思ったディーだったが、止めておいた。彼の言葉では無いが、ろくでもない話になりそうだったからだ。
大通りをしばらく歩く。誰一人としてすれ違わない。地面にまき散らしされた何枚かの紙が、風に吹かれてガサガサと音を立てている。
アレスに先導されて、路地に入る。彼は少し進んだところにある建物に、慣れた様子で入っていく。看板も何も無かったが、どうやら酒場らしい。
中は先ほどの店、もしくは冒険者ギルドよりは、まだ綺麗に掃除されているようだった。いつもなのか、それとも今日が特別なのか、狭い店内は客で一杯だ。
アレスは正面のカウンターに向かうと、中で忙しそうに作業をしている店員に声をかける。
「蒸留酒を一つ。そっちはエールでいいか?」
「ええ」
視線を向けてくるアレスに、ディーは首肯する。すると店員が、ちらりと顔を上げて言った。
「すみません、後で持って行きます。奥のテーブルなら空いてますよ」
「そうか」
短く答えて、細い通路だけで構成されているその奇妙な店の、アレスは一番奥のテーブル席に向かった。彼に続いて、ディーは椅子に座る。
なるほど、確かに話をするにはいい場所だ。通路のどんづまりにあるその席は、誰かが近くを通ることも無い。見える範囲にある別のテーブル席は、わざとそうしてあるのか、微妙に距離が遠い。
「今日は混んでいるな」
アレスがぽつりと呟く。ディーは、自分でも全く信じていないと言いたげな口調で言った。
「お祭りでもやってるわけ?」
「まさか」
「でしょうね」
ディーは肩をすくめた。それなら、もう少し街中に活気があってもいいはずだ。
「この町にそんなものは無い。昔はあったらしいが」
「ふうん」
昔はもっと人が居たのだろうか。まあ、そうなのだろう。じゃないと、そもそもこんなに大きな町ができたりしない。
「どうぞ」
声に振り向くと、いつの間にか、さっきカウンターにいた店員がすぐ近くまで来ていた。彼はテーブルに、二つの小さなグラスを慌ただしく置いた。忙しさに余裕を無くしているのか、若干手元が怪しい。
店員が去って行ったあと、アレスが無言でグラスを持った。ディーも同じことをしようとして、直前で手を止める。気づくのが遅かったが、これはどう見てもエールではない。
そんな彼女の様子を見て、アレスもようやく間違いに気づいたようだった。ふう、と息を吐いて、椅子から腰を上げる。
「交換してこよう」
「いいわよ、べつに」
ディーは思わずそう言ってしまってから、即座に後悔した。全然よくない。蒸留酒なんてほとんど飲んだことが無いし、あっても既に相当酔っている状態での話だ。しかも、飲んだ後はほぼ間違いなく大変なことになっていた。
「そうか」
アレスはあっさりと引き下がって、再び席につく。グラスを口に付けると、くいっと傾けた。一口で、結構な量が減っていそうだ。
「それで、イリーズの用は何なんだ?」
「さっきの、シルクって子に関して」
そう告げると、どこか気だるげだったアレスの表情が、急に真剣なものになる。ディーはほんの少し気後れして、言葉を切った。恋人には見えなかったけれど、妹だったりするのかしらね、などという考えが頭に浮かぶ。半分無意識に、手に取ったグラスを口に付ける。
「……」
強烈なアルコール臭に襲撃されて、思い切り顔を歪めた。
「……やっぱり替えてくるか?」
「……結構よ」
そう強がりを言ったあと、説明を続けた。
「シルクって子の体調がどうなっているか、聞いてこいって言われててね」
「なるほど、そういう話か」
若干肩を落としながら、アレスは言った。ディーは少しだけ申し訳なさそうな口調で言った。
「悪かったわね、いい話じゃなくて」
「いや」
アレスは首を振った。
イリーズから、正確にはステフから、あのシルクという少女は難しい病気にかかっていると聞いている。詳しくは知らないし、それが本当なのかも分からない。
用意していた質問を、一つ一つアレスに尋ねる。睡眠時間はどのぐらいかとか、食欲はあるかとか、内容は本当に体調に関するものばかりだ。本人に聞かなくて大丈夫なのかと思ったが、問題なさそうだ。彼は、少女の体調をよく把握しているようだった。イリーズに言われて、普段から聞き取りしているのかもしれない。
話しながら、ディーは蒸留酒をほんの少しずつ消費していった。十分に注意してグラスを『操作』すれば、飲めないこともない、というか、舐めるぐらいはできるという言うべきか。全く美味しいとは思えなかったが、慣れてくれば変わるかもしれない。もともと酒は嫌いではないのだ、弱いだけで。
ステフから頼まれた質問を全て消化すると、小さく息を吐いた。
「これで終わり。イリーズに伝えとくわ」
「用はそれだけなのか?」
「ええ」
訝しげに尋ねるアレスに、ディーは短く答えた。単なる質問のためだけに、遠くの町まで人ひとり派遣する必要があるのかとは思ったが、イリーズの仕事なんて大体そんなものだ。どれも奇妙で、その真の目的が分かった試しはない。
わずかに水面が下がったグラスを、テーブルに置く。ほとんど飲んでいないようなものだが、少し酔ってきたかもしれない。目をぎゅっと瞑って、強く
この町にいてもやることは無さそうだし、さっさと帰ってしまおうか。そんなことを考えていると、アレスが唐突に口を開いた。
「最近は、と言ったな」
「何が?」
「イリーズの元で働いているのが」
「ええ」
「つまり、知り合ったのも最近なのか」
「そうだけど?」
何が言いたいのだろうか。眉を寄せるディーをじっと見ながら、アレスは慎重に言葉を選ぶように言った。
「あいつらのこと、どう思っている?」
「どうって……」
あいつらというのは、イリーズとステフのことか。他にも協力者は居るようだが、まああの二人が中核だろう。名前をはっきり言わなかったのは、わざとだろうか。
アレスはそれ以上詳しく説明することなく、手元に視線を落とした。最後に残った酒をぐいっと飲み干すと、追加を頼むつもりなのか、席を立った。
ディーはグラスを手に取って、口に付けた。そろそろ止めた方がいいか、とぼんやりと考える。
先ほどと同じ、小さなグラスを持って帰ってきたアレスが席に戻った。ディーはなるべくそっけなく聞こえるように、言った。
「変わった人たちだとは思ってるわよ。金払いがいいから、仕事を受けてるだけ」
これは半分は嘘だ。少し前ならその通りだったのだが、今は事情が違う。ステフには大きな借りができてしまったので、仕事を受けざるを得なくなっている。だが、そこまで話すつもりも無い。
「俺は、あいつらのことを信用していない」
アレスはきっぱりとそう告げた。ディーは少し驚いたが、表情に出さずに彼の言葉を聞く。
「シルクを治すために、仕方なく協力しているだけだ」
「ふうん」
ディーは気のない返事をした。案外回りくどい男だなと思って、アレスに対する評価を少し下げる。
「それで? あたしに何か頼みごとでもあるの?」
「ああ。俺は、やつらの真の目的が知りたい。協力してくれないか?」
「そんなの知ってどうするのよ」
「少なくとも、シルクが実験台にされているわけでは無いという確証は欲しい。場合によっては、やつらとの付き合いを止めることも考えている」
(実験台?)
ディーは内心首を傾げた。事情はよく分からないが、とにかく。
「そもそも、何を協力すれば?」
「やつらに関して知っていることを教えてくれればそれでいい。こっちからも情報提供しよう」
「それだけ?」
「今のところは、それぐらいしかできない。積極的にやつらの周りを嗅ぎまわっていたら、すぐに気づかれそうだからな」
「確かにね」
小さく頷くと、彼の提案を検討し始めた。過去にはディーも、イリーズたちと今後も付き合っていくべきかどうかを考えるために、情報を集めたりはしていた。だが今となっては、何を知ろうが知るまいがあまり意味は無いかもしれない。なにせ、当分縁は切れないだろうから。
とは言え、情報を提供するぐらいならべつに構わないだろう。言えることと言えないことはあるが……。
「分かったわ。でも、全部は話せないわよ」
「それでいい」
アレスはそう言うと、声を潜めて言葉を続けた。
「まず、一つ質問だ。『ギフト』という言葉を聞いたことはあるか?」
「ギフト? ……いえ、無いわね」
「そうか。じゃあ、今までに受けた仕事を教えてくれ」
「そうね……」
ディーは記憶の糸を手繰りながら、順番に話した。改めて思い出してみると、結構な数の依頼を受けている。
「魔道具絡みの依頼が多い、か」
「そうみたいね。魔道具の研究をしている、と聞いたけど」
「ふむ」
アレスはグラスを弄びながら、しばし考え込んでいるようだった。ディーはそれを少しの間見つめたあと、言った。
「そっちの話は?」
「ああ」
彼は、シルクの周りで起こった事件とその顛末について、ゆっくりと語り始めた。魔道具を使って人に『変化』を起こすなんていう、どうも細部がはっきりしない話だ。話が終わったあと、ディーは聞いた。
「シルクって子が、その……『変化』だか何だかになっているか、もしくはなりかけてる?」
「恐らく、そうだ」
「で、あなたは、イリーズがそれをちゃんと治そうとしているのか、それとも自分の研究に利用しようとしているのかを知りたいってわけね」
「ああ。ステフは前者だと主張しているがな」
「ステフがね……」
イリーズ以上に信用ならない。何なら、ディーからステフにそれとなく聞いてみても……いや、そこまでする義理も無いか。
「『ギフト』っていうのがそれに関係するの?」
「ああ……恐らくな」
アレスは歯切れの悪い答えを返す。何か、ディーに話していないことがあるのだろうか。
「イリーズと知り合ったのは、もっと昔のことだ」
続いて彼は、町の近くのダンジョンに関する話を始めた。それも終わると、彼は長く息を吐いて、言った。
「これで大体話し終えたか」
「そうね」
正直、ディーからすると有用そうな情報はあまり無かった。向こうにとっても同じかもしれないが、まあ、元から何か分かればラッキーぐらいに思っているだろう。
「もう少し踏み込んだ協力が必要になったら、相談させてくれ」
「いいけど、受けないと思うわよ」
「報酬は払うつもりだ」
「お金には困ってないのよ。イリーズのおかげで」
「……」
アレスは黙り込んでしまった。イリーズたちの弱みを握れるほどの情報が手に入るなら協力してもいいのだが、望み薄だろう。
「じゃ、また」
「ああ」
ディーは席を立つと、奇妙な形の店を出た。
(もっと積極的に協力すべきかしら)
もうすぐ、イリーズに危険なダンジョン探索を強要されることになる。それまでに本当に弱みを握ることができれば、行く必要がなくなるかもしれない。
(それはそれで危険かもね)
どうも、あの二人を出し抜ける気がしない。下手なことをしたら報復されそうだ。大人しくダンジョン対策でもしておくべきだなんて、弱気すぎだろうか。
ディーはため息をつくと、誰もいない通りを歩き続けた。
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