26.薬師
少し緊張しながら、ミルテは町の通りを歩いていた。舗装された道は完璧に掃除され、家の壁も真っ白に保たれている。ここは、町の中でも最も綺麗な区域だろう。
豪華な身なりをした数人の男女が、道の向こうから何やら話しながらやってきた。まだ日が昇ったばかりの時間だが、朝の散歩でもしているんだろうか。使い古した粗末な服を着た自分が、酷く場違いに思える。
この辺りは以前にも一度だけ来たことがあるが、その時は知り合いと一緒だった。もう来ることはないかもなんて思っていたのだが、案外早く、その機会は巡ってきたようだ。
懐から、住所と簡単な地図が書かれた紙を取り出す。目的地は、間違いなくこの辺りだ。しかも、かなり大きい屋敷らしい。
近くの屋敷を見てみると、まず門があってその先に庭があり、そこを超えたところにようやく家の扉がある。あの門は、勝手に入っていいものなのだろうか。
ミルテを呼び出したのはニクスという男で、よく見知った人物だ。彼からは薬草採取の依頼を何度か受けたことがある。だが今までは冒険者ギルドか近くの酒場で会っていたので、まさかこんなところに住んでいるとは思わなかった。
とぼとぼと歩いていると、目的の建物が見えてきた。門に近づいてみたが、呼び鈴のようなものは無い。庭は広く、ここから家の中の人を呼ぶにはかなり大きな声を出さなければならないだろう。
門に手をかけそっと押すと、ほとんど抵抗なく開いた。誰も居ない庭を、恐る恐る進む。建物の扉は大きく、馬車がそのまま入っていけそうなぐらいだ。
扉には、金属でできた丸い輪っかが掛かっていた。大きさは、ちょうど手のひらぐらいだ。ちょっと考えた後、ミルテは輪っかの下側を持ち上げて、扉に打ち付ける。コンコン、とノックの音が響いた。
やがて、両開きの扉の片方が内側に開いた。中から現れたのは、ぴしっとした服を着た執事らしき男性だった。髪がぼさぼさなのが、服装と合っていない。
「何か御用でしょうか?」
「わたし、ミルテと申します。今日はニクスさんに呼ばれて」
「ああ、ミルテさんですね。どうぞこちらへ」
彼の案内で屋敷に入る。外見の印象以上に中は広く、入り組んだ廊下を散々歩かされた。もう一人で帰れと言われても無理だろう。
「ここでお待ちください」
「はい」
促されて入った部屋は、応接室と言う雰囲気ではなかった。壁にびっしりと本棚が並び、いくつかのテーブルの上には薬草や様々な器具がごちゃごちゃと置かれている。ニクスさんの仕事部屋なのかな、と思いつく。
彼がどんな仕事をしているのか、詳しくは知らない。だが今までの依頼で集めた薬草の種類を考えると、医者か何かではないかとは思っている。熱を下げる薬草だとか、傷を治す薬草だとか、そういうものが多かったからだ。
男が扉を閉めて出て行った後、ミルテは本棚に近づいた。背表紙をざっと見ると、やはり薬草の本が多い。その他にも、病気や怪我に関する本もたくさん置いていた。少しだが、魔法についての本もある。
テーブルの前に置かれた簡素な木の椅子に腰を下ろす。背もたれも無いその椅子は、体重をかけると嫌な音で軋んだ。壊れないかな、と少し不安になる。
目の前にあった薬草をぼんやりと見ていたミルテは、その薬草がなんだったかを思い出して、ぎょっとした。魔力回復薬の材料になるやつで、かなりの貴重品だ。確か、一束で金貨一枚ぐらいはしたはずだ。
思わず腕を伸ばして、薬草を手に取ろうとする。と同時に、部屋の扉が音もなく開いて、ニクスが入ってきた。ミルテは慌てて手を引っ込める。
「す、すみません!」
それに対して、彼は訝し気に首を傾げただけだった。ミルテの正面にある椅子に、腰を下ろす。
「こんな遠くまで出向いてもらってすまない。最近少し忙しくてな」
「い、いえ」
ミルテは首を振る。こっちは仕事が無くて暇をしていることが多いので、出向くのは構わない。屋敷に入るのに、少し緊張したが……。
「いつも通り薬草採取をお願いしたい。期限は明日の朝まで。期間が短いが、問題ないだろうか」
「え、と……必要なのは、どんな薬草ですか?」
「ああ、それを言わないと分からないな」
彼は手に持った資料をミルテに渡し、口頭でも補足する。ミルテは真剣な表情でそれを聞いて、いくつか質問した。
薬草の生えている森は町のすぐ近くなので、日帰りで行ける範囲だ。必要な薬草は全部で四種類だが、それぞれの生息区域はさほど離れていないようだ。探す時間を考えても、一日で足りるだろう。
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。頼んだよ」
ニクスが差し出した右手を、ミルテはおずおずと握った。
宿に戻って急いで準備すると、すぐに町を出た。準備とは言っても、地図と食料以外に持っていくものも特にない。一応護身用にナイフなど持っているがほとんど使ったこともなく、まともに扱えるかどうかは自信がなかった。
足が遅いミルテは、道中にどんどん抜かれていった。その中には何度か顔を見たことがある人もいて、会釈して過ぎていく。
森に着くと、道端に座り込んで一息ついた。少しだけ水を飲む。立てた膝をかかえると、周りを眺めた。
鳴き声とともに、小鳥が木の上から飛び立つのが目に入る。風が吹き、草むらがざわざわと音を立てる。自然の音ってどうしてこんなに落ち着くんだろう、なんてぼんやりと考える。
ミルテが普段活動しているエルシェードの町はそれなりの規模で、人も多い。仕事が多いのはいいが、自分にとっては少し騒がしい。
冒険者によっては、小さな村を活動拠点としていることもあるそうだ。その場合、主な収入源はダンジョン探索や魔物狩りになる。依頼に頼っているミルテには無理だろう。
(行ってみたいな、ダンジョン)
ダンジョンで財宝を手に入れるというのは、ミルテの夢の一つだった。だが行ったって、自分が何の役にも立たないのは明らかだ。夢だけで終わってしまいそうな気がする。
それでもいいかな、と思う。今の生活にそこまで不満があるわけでは無い。むしろ前に比べたら、だいぶ良くなった。ちょっと前までは、日々暮らしていくのに精いっぱいだったのだ。
少し疲れも取れたところで、地面に手を突いて立ち上がった。服に着いた草を、軽く叩いて払う。森の道を、ゆっくりと進む。
しばらく行ったところで、きょろきょろと周りを見た。道をそれて、草むらの中に入っていく。
(これ……かな)
道端の雑草の中から、目的の薬草を拾い上げる。見た目はほとんど同じだが、よく見ると葉の形がほんの少しだけ違う。ミルテにとっては、何度も採取してもう見慣れたものだ。
ニクスが指定する薬草は、他の草と見分け辛かったり、探すのが難しかったりして、知識が無いと採取が困難なものばかりだ。だから報酬はかなりいい。ミルテができる仕事の中では最上位クラスだ。たまにしか依頼されないのが残念だ。
本当は、イリーズから受ける依頼の方が報酬額は高い。だがあの人から受ける依頼は怪しげで、本当はあまりやりたくない。とは言っても、仕事を選べるような余裕なんて、自分にはないのだけれど。
指定よりも余分に薬草を集め、次を探すためにその場を離れた。ごく簡単な地図と自身の記憶を頼りに移動する。やがて、浅い川に行き当たった。
水際にしゃがみこんで、生えている小さな花を指先で
ちょっと考えてから、川上に向かって歩き出す。問題の薬草は川沿いの水際にしか生えないから、歩きながら探しても見逃すことは無いだろう。そう考えて、のんびりと進む。
だがいくら行っても、目的の物は見つからなかった。何か間違えているのかと、急に不安になってくる。ニクスから借りた資料を確認してみたが、この川沿いで間違いない、はずだった。
早足になってさらに先へと進んだが、やはり見つからない。途方に暮れて、その場に座り込んだ。
もう日は傾いてきている。そろそろ次の薬草を探しに行かないと、間に合わなくなってしまう。せめて他の薬草だけでも集めて、一つだけどうしても見つからなかったと、ニクスに正直に言った方がいいだろうか。
でも、とミルテは思った。もし全部揃えられなかったら、次から仕事を回してくれないかもしれない。今までちゃんと依頼を達成してきたから、ミルテに直接頼んでくれているのだ。
愛想を尽かされたらどうしよう。そんなことを考えると、胸のあたりがきゅっと苦しくなる。だが時間をかけすぎて、森の中で夜を迎えるのはもっとまずい。命に関わる問題だ。
しばらく考え込んだ後、次の薬草を探そうと決心して顔を上げる。すると、白い花が視界の端をかすめた。はっとして視線を向ける。駆け寄って詳しく調べると、間違いなく今探していた薬草だった。
「はぁ……」
ミルテは長い吐息をもらす。まだ運に見放されてはいなかったようだ。手早く花を集めて、荷物に入れる。
地図で現在地を確認して、残りの場所をどう回るかを考える。白い花を探して歩き回ったせいで、予定が狂ってしまった。
どうやら、最初に考えていたルートからそう大きくは外れていないようだ。さっき川上に向かったのが正解だった。逆に行っていたら、えらく遠回りになるところだ。
(よしっ)
距離と歩きやすさを考慮して、新しいルートを決める。なんとか今日中に薬草を揃えることができそうだ。ミルテは気合を入れて歩き出した。
町に戻った頃には、もう日は沈んでしまっていた。とは言え、まだぎりぎり明るさは残っている。白い花に手間取ったが、なんとか夜までに帰ることができた。
暗くなる前にと、小走りで宿に向かう。同じことを考えているのか、道を急ぐ冒険者と何度かすれ違った。
宿に入った途端に、若い女店主が声をかけてきた。ずっとここで部屋を借りているミルテとは、長い付き合いだ。
「おかえりなさい、今日は遅かったですね。夕食は必要ですか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
「分かりました」
彼女にお辞儀して、自分の部屋に向かう。暖かい食事を取りたいのはやまやまだったが、念のため余分に持って行った携帯食料がまだ残っていた。多少保存は効くが、今日食べた方がいいだろう。屋内仕事も多いので、次いつ使うか分からない。
部屋の床に荷物を置いて、残った食料を取り出す。椅子に座って、干し肉とほとんど味がしない硬いパンを、水で流し込むようにして食べた。スープだけでも頼めばよかったかもしれない。
採ってきた薬草を袋から出し、机の上に並べた。最初に出した大きな葉っぱは、咳止めの効果があるやつだ。次の薬草は、煮詰めた汁を飲むと喉の痛みを和らげることができる。同じ人に出すのかな、とちょっと首を傾げる。
白い花は熱を下げ、赤い花は眠りを深くする効果がある。どちらもよく効くが、採れる量が少ない、というか薬にするために必要な量が多いため、あまり一般的に使われるものではない。少し効果が低いだけの安価な代替品があるのでなおさらだ。
花を綺麗に揃えて束にする。これを使う相手は、多少高くついてもいいから早く病気を治したいという、裕福な人なのかもしれない。
机に並んだ花の束に、ミルテはふと既視感を覚えた。この二つの花の並びを、つい最近見た気がする。本か何かで読んだような……。
(…そうだ)
しばらく考えた後、唐突に思い出す。以前ニクスに見せてもらった、薬草に関する比較的新しい本だ。同時に摂取すると白い花が効きすぎて、体温が危険なほどに下がる。だから一緒にすべきではないと書かれていた。
(大丈夫、なのかな)
ニクスに伝えた方がいいんだろうか。だが、本の持ち主である彼もこの事実を知っているはずだ。何か考えがあってのことなのか、それとも単に、二種類の花は別々の人に処方するのかもしれない。
それでも、念のために言っておくべきか。自分なんかが口を出したら、怒られないだろうか。
悩んだが、結論は出ない。明日考えよう、そう思って、ミルテは薬草の整理を再開した。
次の日の朝、ミルテは再び例の屋敷に訪れていた。昨日来たときと比べれば緊張は薄れていたが、やはり少し気後れする。前回と同じく、ごちゃごちゃとした仕事部屋らしき場所に案内される。
ニクスは既に部屋に居て、なにやら作業をしていた。陶器の鉢に入れた薬草を、木の棒ですりつぶしている。ミルテが入ってくると、手を止めて椅子を勧めた。
「薬草はすべて集まったかな」
「はい、こちらです」
荷物の中から取り出した布包みをニクスに差し出す。彼はそれを開いて中の薬草を出すと、手に取って仔細に眺めまわしていた。
「……あっ!」
ミルテが突然声を上げる。驚いたニクスは、目を見開いて訪ねた。
「どうした?」
「あ、い、いえ……」
忙しなく首を振って、ミルテは俯いた。一方相手は、不思議そうに首を捻ったあと薬草の確認を再開する。
(花のこと言うかどうか、決めるの忘れてた……)
膝をじっと見ながら、自身の忘れっぽさを呪う。薬草の確認が終わったら、あとは報酬を渡してさよならだろう。それまでにどうするか決めなければならない。
「物はちゃんと揃っているようだ。ありがとう」
「は、はい」
報酬の入った革袋が差し出される。俯いたままそれを受け取ると、中身を確認もせずに荷物に仕舞う。ニクスは、薬草を片付けると席を立った。
「次もよろしく頼む」
そう言うと、彼は部屋の出口へ向かった。言うなら今しかない。
「あの!」
ミルテは勢いよく立ち上がった。椅子が音を立てて引かれ、危うく倒れそうになる。扉に手をかけていたニクスが振り返る。
「あの、その白い花と赤い花って、同じ人が飲むんでしょうか……?」
その言葉に、彼は不審げに眉を寄せた。ミルテはごくりと唾を飲み込む。
「そういった質問には答えられない」
「あ、そ、そうですよね。ええと……」
しどろもどろになりながらも、どう説明すべきかを必死に考えた。一度深呼吸して、言葉を続ける。
「もし同じ人が飲むなら、ちょっと危ないなと思って。一緒に飲むと体温が下がりすぎるって、本に書いてたのを見たので……」
「ふむ」
その言葉に、ニクスは興味を惹かれたように見えた。少なくとも、素人が余計なことを言うななどと怒ってはいないようだ。ミルテは少し安心する。
「どんな本だ?」
「えと、前の前の依頼の時見せてもらった本に、たしか書いてたと思うんですけど……」
「ふむ、これか」
彼は棚の中から、迷いなく一冊の本を抜き出す。
「どのページかな?」
「え、と……」
受け取った本を、ミルテはぱらぱらとめくった。記憶の糸を手繰り寄せつつ、目的の箇所を探す。
「あ、これです」
ようやく見つけたページを開いて、本を返す。それを凝視しながら、ニクスはぶつぶつと呟きだした。
「確かに書いているな。分かったのは最近か……他の本では言及されていなかったから見逃していた。マイナーな薬草を使うのも考え物だな」
言いながら、ページを忙しなくめくる。やがて踵を返すと本棚に向かい、別の本を手に取った。二冊の本の記述を見比べているようだ。
「あの……」
完全に置いていかれたミルテが、おずおずと声をかける。ニクスはくるりと振り返る。
「ああ、すまない。助言をありがとう、参考にさせてもらう」
「は、はい。それでは、わたしは帰りますね」
ほっと息を吐いて、ミルテは荷物を掴む。なんとか目的は達成できたようだ。これで安心して帰れる。
「ミルテさん」
扉を開けたところで、不意に名前を呼ばれた。ミルテは首を傾げる。
「はい?」
「私の助手になるつもりはないかな。給料はそれなりに出せると思う」
二冊の本を手に持ったニクスが、真剣な表情で近づいてくる。ミルテは一瞬意味がよくわからずに、ぽかんとした顔で彼を見た。
「助手って……えええ!?」
ミルテはぶんぶんと首を振る。
「い、いえ、無理です、そんな……わたしなんて、知識も技術もないですし……」
「いや、君の薬草に関する知識はなかなかのものだ。飲み込みも早いし、すぐに仕事も覚えられるだろう」
「そ、そう言っていただけるのは、嬉しいですけど……」
ミルテは顔を赤くして俯いた。医者だか薬師だか分からないが、そんな仕事を自分がするだなんて、想像つかない。
だがもし本当に、彼の言う通り自分に適性があるのなら、受けるべきなのかもしれない。『それなりの給料』がどの程度かは分からないが、今より少ないことはないだろうし、何より安定している。日々の暮らしを心配することは無くなるだろう。
なんて、考えていたのはほんの少しの間だけだった。ミルテは顔を上げると、申し訳なさそうに答える。
「すみません、わたし、冒険者を続けたいので」
「そうか、時間を取らせてすまなかった。また仕事を頼むだろうから、その時に気が変わっていたら教えてくれ」
「はい」
ぺこりと頭を下げると、今度こそニクスと別れて廊下に出た。外で待っていた使用人に連れられて、屋敷の出口に向かう。
屋敷を出ると、ミルテは深く息を吐いた。まさか、助手にならないかと言われるなんて。ニクスに褒められたのは嬉しかったものの、やっぱり冒険者を辞める気にはならなかった。
自分が憧れていた冒険者には全然近づけていないが、それでも今の仕事が好きだ。それにやっぱり、一度ぐらいはダンジョンに行ってみたいし。
ちょっとお金に余裕も出てきたから、また剣でも習ってみようかな。そんなことを考えながら、岐路に着いた。
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