22.二つの依頼
つまらなさそうな表情で、ディーは酒場の店内を眺めた。いつものカウンター席からの景色は、もうすっかり見慣れたものだ。初めは知り合いに連れられて来た店だが、今では一人の時でもだいたいここで飲んでいる。
手に持ったジョッキを口に付け、傾ける。そこで初めて、中身がもう残っていないことに今更気づく。そんなに飲んだつもりはないのだが、いつの間に無くなったのだろう。ディーは眉を寄せた。
酔いが回ってろくに動かない頭で、追加を頼もうかどうか思案する。酒に弱いディーは、普段酒場に行ってもエール一杯しか頼まない上に、半分は残す。二杯目を頼むのはどう考えても危ないが、まだ飲みたい気もする。
もう一度、店内を見回す。しかし、期待した人物の姿はどこにも無い。ついこの前まではしょっちゅう会いに来ていたのに、こっちから会う用事ができた途端に来なくなった。単なる偶然だろうが、妙に腹立たしい。
そもそも、相手がどこに住んでいるかを知らないだけでなく、連絡を取る手段すら無いというのは誤算だった。あっちはディーがいつも使っている宿の部屋番号まで知っているというのに。
相手は顔が広いから、冒険者に聞いて回れば連絡ぐらいは取れるかもしれない。だがそこまでするのも何か癪だ。
「よお」
空のジョッキを眺めてぼんやりしていると、後ろから声をかけられた。探していた人物かと思って、勢いよく振り返る。
「…なんだ、ステフか」
だがそこに居た男の顔を見て、あからさまに落胆した様子で言った。
「酷い反応するなー。誰か他のやつを期待したのか?」
「べつに」
にやにやしながら隣のカウンター席に座るステフに、ディーは素っ気無く返した。相手にするのもめんどくさい。
「べつにって事はないだろー。待ち人が来ないとか?」
さらに追求してくるステフ。無言で金をカウンターに置いて、ディーは帰り支度を始めた。
「ちょっと待てって、からかったのは悪かった。今日はおいしい仕事の話持ってきたんだよ」
立ち上がろうとするディーを、ステフは手で制した。仕方なく、椅子に座り直す。
「期間と金額は」
「仕事自体は一日で済むが、場所がちょっと遠くてなー。片道三日半かかる。んで報酬は金貨五枚」
「普通じゃない」
計八日間で金貨五枚なら、特に美味しいわけでもない。移動中はゆっくり休んでいられるのだろうし、それを考えると悪くは無いが……。
「今言ったのがイリーズから出る報酬だ。んでこの仕事だが、冒険者ギルドからも依頼が出てるんだな。報酬は金貨十枚で、そっちが全部持って行っていい」
「ふうん」
ディーは目を細めた。確かにそれなら、合計すれば結構な額になる。
「依頼の目的は全く同じなの?」
「『全く』では無いな。俺らの見込みでは、イリーズの依頼を達成すれば、自然にギルドの依頼も達成できるはずだ」
「なるほどね。詳しく聞かせて」
「それは、受けてくれるってことでいいんだよな?」
「聞いてからに決まってるでしょ」
エールを飲もうとして、ジョッキを手に取る。予想よりも軽く、もう中身が残っていないことを思い出す。追加を頼もうかと思ったが、止めておいた。今日の相手は、酔いつぶれても無事に部屋まで運んでくれるとは限らない。
小さくため息をつくと、ステフの話に耳を傾けた。
「はあ?」
ディーは、険悪な視線を村人に向けた。ディーの倍も歳を取っていそうなその中年の男は、怯えたように身を縮こめる。
「そんな怖い顔するなよ」
「ここまで来て帰れなんて言われたら、したくもなるわよ」
たしなめるように言うステフを、ディーは睨みつけた。この村がギルドに出した依頼を受けて、二人はここまでやってきた。それで村人に詳しく話を聞こうとしたら、開口一番に帰ってくれないかと言われたのだ。
ここは王都近くの農村だ。エルシェードの町から王都まで丸三日、そこからさらに半日かけてようやくたどり着いた。旅費はイリーズ持ちとは言え、かなりの時間を使っている。あっさり引き下がるわけにはいかない。
「で、どういうことなの?」
腕を組んで、自分より背の低い相手の顔を見下ろす。最悪帰る羽目になったとしても、違約金を可能な限り引き出すつもりだ。
「それがですね、昨日騎士団の方が村にいらっしゃいまして。それで、あの魔物は自分たちが退治するから、冒険者が来ても追い返すようにと……」
「騎士団ですって?」
ディーは眉を寄せた。確かに冒険者ギルドと国の騎士団は仲が良くないが、とは言えあからさまに妨害するのも珍しい。この件をギルドに報告すれば、色々面倒な事態になるだろう。
村が出した依頼は、畑の地下に居る巨大ミミズの退治だ。国が手を出しているという話は聞いていたが、無理に冒険者を排除する理由も無い。共闘するなりなんなりすればいいだけだろう。
「あの話、他にも知ってるやつはいるの?」
「んー?」
ステフにだけ聞こえる声で尋ねると、彼は曖昧に首を傾げた。ディーが言っているのは、イリーズの依頼の方の話だ。
「まあいいわ。それよりどうするか考えないとね」
「とりあえず見に行ってみるかなあ」
小声でそう言ったあと、ステフは軽く手を上げて、村人に手の平を向けた。
「よーし分かった。んじゃ俺たちは帰るから、もし騎士様に聞かれたらそう言っといてくれよな」
「は、はあ……」
適当な事を言って身を翻すステフを、相手はぽかんとした表情で見ていた。彼に肩を叩かれて、ディーも一緒に歩き出す。
大して広くもない村をぐるりと一周すると、入り口の逆側に畑が広がっていた。二人は奥へと進む。途中何人か村人に会ったが、依頼や騎士団のことを聞いていないのか、何も言ってこなかった。
しばらく歩いて村人にも会わなくなってきたころ、遠くの方に金属鎧に身を固めた兵士の姿が見えた。手に持った剣を下に向け、直立不動の体勢を取っている。距離があるため判然とはしないが、こちらの方を気にしているようだ。
「通してくれそうな雰囲気じゃないな」
「そうね」
無理やり通ることはできなくは無いかもしれないが、後が大変だ。目を付けられないうちにと、二人は来た道を引き返す。
「別の入り口を探すしかないかもね。それとも他に策はある?」
「んー、まあ無くはないが」
ステフは何かを迷っているようだった。やがて立ち止まると、ため息をついた。
「仕方ない、ズルするか」
「なによズルって」
「こいつを使うってことだ」
彼は懐から、小さな指輪を取り出した。何の装飾も無いシンプルな金色の指輪を、自分の右手小指に嵌める。
「それ、魔道具? 穴でも掘るつもり?」
「ちょっと違うなー」
指輪を着けたのと逆の手を差し出してくる。訝しげな表情で、ディーはそれを掴んだ。
「絶対手を離すなよ」
「分かった」
ディーが頷くと、ステフは目を閉じる。しばし無言の時が過ぎたあと、彼は大きく深呼吸した。
「行くぞ……跳べ!」
鋭い声と同時に、ディーの視界は一瞬にして闇に閉ざされた。平衡感覚を失って、体がぐらりと傾く。
「おっと」
ステフにぐいっと引き寄せられ、なんとか転ばずに済んだ。頭が彼の肩かどこかに当たる。
「あ、すまん。明かりが無いのを忘れてた。魔法の明かりは使えるか?」
「使えるけど……何なのよ、いったい」
ディーはぶつぶつ言いつつも、呪文の詠唱を始めた。あまりにも予想外の事態が起こって、驚くタイミングすら逃してしまった。
「光よ」
最後の一句と共に、小さな光がディーの目の前に現れる。ようやく見えた周囲の景色は、先ほどまでと大きく異なっていた。さっきまでは外に居たはずなのに、いつの間にか周りは土壁で囲まれ、通路になっている。
「もしかして、転移したの?」
「そういうわけだ。あんまり人には言うなよ」
ディーは目を丸くした。ということは、ここは地下なのだろうか。
ダンジョンに行けば転移の仕掛けはたまに見るが、あれは大規模な設備を使って、かつ設備間での転移に限っているからできることだ。手の平サイズで好きな場所に転移できる魔道具など、初めて見た。
「すごい物持ってるわね……」
「俺のじゃないけどなー。イリーズからの借り物だ」
「へえ」
高価な魔道具をたくさん持っているとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。この転移の指輪の値段は金貨数千枚か、それとも数万枚になるのだろうか。いや、金で買えるような代物では無いだろう。
ディーが周りを見回すと、通路は片方は上り、もう片方は下りになっていた。ステフも軽く辺りに目をやったあと、下がるほうに進んだ。
「じゃあ行くか」
「どっちに行けばいいか分かるの?」
「んー、多分な」
適当な答えを返すステフに、仕方なく着いて行く。どうせ自分にできることは何もない。
途中細い横道に入ったりしながら、二人は黙々と進んで行った。ステフは迷わず道を選んでいる。道は上りも下りもどちらもあったが、感覚的には徐々に下がる方向に行っているように思える。
「
唐突に、ステフが話しかけてきた。何のことだったかと一瞬考えてしまったが、すぐに思い出した。だいぶ前にイリーズから依頼された、未踏破の危険なダンジョン探索のことだ。ステフと二人で行って欲しいとかいう話だった。
「断るって言ったでしょ」
「そろそろ気が変わってきたころだろ?」
「無いわよ。まだ金には困ってない」
ステフの方にちらりと目をやる。前回断った時はあっさり引き下がったのに、今日は少し様子が違う。
「まだ探してるってことに驚くわね。あの条件なら、乗ってくる冒険者は少なくないでしょう……まさか、また誰か死んだとか」
ディーは眉を寄せた。そもそもディーが誘われたのは、前にステフと組んでいた冒険者が死んだからだとか言う話だ。それくらい危険なダンジョンらしい。
「いやいや、さすがにそれはない。ダンジョン探索は中断してる」
「じゃあなんでまだ見つかってないわけ?」
「一人で近接戦闘ができて、かつ魔法も使える奴じゃないとだめなんだよなー。なかなか居ないんだよ」
「ふうん」
疑わしげな表情で、ステフを見る。
確かに、近接戦闘も魔法もできる冒険者は珍しい。訓練する時間がどうしても足りなくなるからだ。ディーにしたって、使える魔法はほんの少ししかない。基本的には、魔法の才能があるなら純粋な魔術師を目指したほうが有利だろう。
とは言え、皆無というわけでもない。報酬額を上げて広く募集すれば見つかるだろう。戦闘と魔法以外に、こっちに話していない条件があるな、とディーは直感した。それが何かは分からないが、自分はその条件に合致しているのだろう。
(あれ?)
ふと疑問が浮かんで、首を傾げた。
「あたしが魔法を使えるなんて、話した?」
魔法のことは、ほとんど人には言っていない。切り札は隠しておきたいというのもあるが、どちらかと言うと単に得意ではないからだ。あまり期待されても困る。
「んー? 闘技大会で使ってただろ」
「ああ、そうね」
確かに、ステフと出合った闘技大会で一度使った。ステフがそれを見ていたかどうかは、はっきりとは覚えていないが……。
「待った。お喋りは後だ」
ステフが立ち止まる。視線を足元に落とし、聞き耳を立てているようだった。ディーも聴覚に意識を集中させると、地面を引きずるような音が遠くから聞こえてくる。
彼は荷物を探って、棒状の物体を取り出した。長さは手首から指先ほどで、片方の先端は尖り、もう片方には球体がくっついている。一見すると、小さな杖のようでもある。
棒の尖った方を、地面に突き立てる。上から踏みつけるようにして、深く差し込んだ。そのころには、音はかなり近づいてきていた。
背後のカーブの先から、巨大なミミズが姿を現した。こいつが今回の討伐対象だろう。通路をちょうど埋める程度の大きさで、避けるスペースは無い。
「危ないから、こっち来とけよー」
ミミズとは逆側に歩きながら、緊張感に欠けた口調でステフが言う。ディーが早足で近づくと、彼はパチンと指を鳴らした。
途端に、球体から激しい炎が放たれた。放射状に吹き上がり、通路の天井を焼いている。巨大ミミズは急停止して、炎から距離を取るようにじりじりと下がりだした。
ステフはそれを見届けたあと、再び歩き出す。後に続いたディーは、地面に突き立った球体にちらりと目をやった。
「回収しなくていいの?」
「使い捨てなんだよなー」
「そ」
贅沢な使い方だな、とディーは思った。並の魔物なら、一撃で倒せるほどの威力だろう。もっとも、イリーズならこういうものをいくらでも持っているのかもしれないが。
再び道を進んでいると、不意に前方に光が見えた。二人は立ち止まる。
光は曲がり角の先から漏れているようだ。ゆらゆらと揺れていて、固定されたものではないことが分かる。ガチャガチャと、鎧を付けた誰かが歩く音も聞こえてくる。
ステフが、ディーの正面に浮いている光を手で隠すような仕草をする。ディーは眉を寄せながらも、明りの魔法を解除する。それを確認してから、ステフはすたすたと早足で歩きだした。
二人が曲がり角に着くと、一人の兵士とちょうど鉢合わせた。その男はまだ若く、ディーよりも年下に見える。突然現れた冒険者二人の姿に、虚を突かれたようにその場で固まっている。
「あんたもミミズ退治か? ご苦労さま」
軽く手を上げると、ステフはそのまま横を通り過ぎようとする。ディーも後に続いた。兵士ははっとした表情で、二人を呼び止める。
「ま、待て! どうやってここに入ってきた?」
ステフはちらりと後ろを振り向いたあと、体ごと向き直る。
「どうって、普通に地面の穴からだが」
さらりと嘘をついた。だが兵士は納得しなかったようだ。
「あそこは我々が見張りを立てているはずだ。入ってこれるわけがない!」
「見張りなんて居たっけ?」
「さあ」
彼の言葉に、ステフは訝しげに眉を寄せる。視線を向けられて、ディーは適当に相槌を打った。
「だいたい、穴なんて一か所じゃないだろ? お前らの知らないとこがあるだけだと思うぞ」
「む、それもそうか……」
「じゃ、そういうことで」
「待て! 現在ここは、我々騎士団が管理している。早急に出て行ってもらいたい」
その場を去ろうとするステフに駆け寄って、肩を掴む。こんな場所で安易に他人の至近距離まで近づくとは、不用心だなとディーは思った。
仲間を呼ばれる前に殺すことはできるか、と算段をつける。相手は経験が浅いようだ。自分一人でも恐らく可能だし、ステフも居れば楽勝だろう。
問題は、リスクが高すぎるということだ。依頼を受けたことはギルドの記録を調べれば分かるし、村人に顔も見られている。確実に後で疑われるだろう。
(どうするつもりなのかしらね)
ステフの顔をちらりと見る。彼は困ったように首を傾げたあと、懐に手を入れた。刃物でも取り出すつもりかと一瞬思ったが、その手に握られていたのは数枚の金貨だった。
「まあまあ、そう言うなよ。俺たちだって仕事で来てるんだ。あんたらの邪魔はしないから、これで見逃してくれよ。な?」
兵士の胸元に、金貨を押し付ける。男は驚いた表情で、それを凝視した。下っ端の兵士なんて、給料は雀の涙だろう。金貨数枚でも、それなりの金額のはずだ。
「……わ、わかった」
しばし迷った後、兵士は金貨を受け取った。誰に見られるわけでもないのに、慌ててそれを荷物の中に仕舞う。
ひらひらと手を振って歩き出すステフに、ディーは付いていった。兵士が曲がり角の向こうに去っていったのを確かめてから、再度魔法の明りを灯す。
「今のが上手くいかなかったら、どうするつもりだったの?」
「その時は、殺してミミズの餌にでもするしかないなー」
「ふうん」
探るようにステフの目を見る。彼の表情からは、本気で言っているのかどうかは分からなかった。もしかすると、他にも切り抜ける手段を持っていたのかもしれない。
さらに下へ下へと進んでいく。細い道をしばらく進んだ後、小さな部屋のような空間に出た。入ってきた道以外、どこにも繋がっていない。中央にある細い柱状の岩が、床と天井を繋いでいる。それ以外特に何も無い。
「今更迷ったなんて言わないでよね」
「いいや」
彼は首を振って、腰に差した剣を抜いた。刃が大きく曲がった奇妙なその剣を、石柱に向かって閃かせる。
まるで藁を斬ったかのように、柱に大きな傷が入る。斜めに走ったその傷は、ちょうど柱の中心程度まで達しているようだ。
奥の方で何か光ったな、とディーが思ったその時、柱全体が一瞬にして砂のように変わり、ばさりと地面に崩れ落ちた。
砂の山の中から、ステフは真っ赤な玉を拾い上げた。完全な球体に限りなく近いそれは、金属質の光沢を放っている。
「よーし、目的の物は手に入れた。帰ってイリーズに報告しよう」
「ミミズの方も解決したのよね?」
「ああ。『巨大ミミズ倒したら、その姿は煙のように消えてしまった。入念に探索したが見つからなかったので、再び現れることは無いと思われる』ってことで」
「わかったわ」
ステフが赤い球体を荷物に仕舞うのを、ディーはじっと見ていた。詳細は知らないが、これを持ち出してしまえば巨大ミミズは消滅するそうだ。恐らく魔道具なのだろう。それもかなり強力な。
「こいつのこと、詳しく聞きたいか?」
「いいえ。報酬さえ貰えれば文句は無いわ」
「ふーん、そうか」
若干残念そうにも聞こえる声音でステフは言う。転移の魔道具を使うために差し出された手を、ディーは握った。
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