21.水晶鉱脈
洞窟の中を、冒険者三人は進んでいた。真ん中を歩いているのは、ランタンを持ったオリビアだ。周囲にある唯一の光源は、このランタンだった。
明かりに照らされて、でこぼことした岩壁が複雑な形状の影を作っている。彼女が歩くのに合わせて、影はゆらゆらと揺れる。
「……ひっ」
小さく悲鳴を上げて、オリビアは立ち止まった。残り二人も足を止める。
「どうした?」
右側を歩いていたザックが、鋭い声で問いかけた。周囲に視線を走らせたが、怪しいものは見当たらない
「すみません、水が落ちてきたみたいで」
オリビアは、首筋に手をやりながら申し訳無さそうに言った。
「なんだよ」
男は小さく息を吐いた。オリビアの背中を軽く叩いて、出発を促す。
「ちょっと待ってくれ」
「ん?」
ザックはローレンツに目を向けた。彼はじっと床を見ている。
「あそこから水が染み出ているな。一定間隔で水滴が落下している」
ローレンツは天井の一点と、床の一点を続けて指差した。ザックが見ている間にも、水滴が一つ床に落ちる。
「この現象がずっと昔から起こっていたのなら、床は水によって浸食され、変形しているはずだ。だがそうはなっていない」
「ふむ」
彼の言うとおり、水が落ちている場所の床も、他と同じく平らのままだ。その意味を、ザックは考える。
「つまり、最近始まったって言いたいのか?」
「そうだ。我々か、もしくは他の冒険者が侵入したことによって、劣化が進んでいるのかもしれない。崩落の危険性を考慮するべきだろう」
「ああ、そういうことか」
ザックは苦々しげに言った。この洞窟はまだほとんど探索が進んでいない。道がどう繋がっているか分からないが、一つ埋まるとあっさり閉じ込められる可能性もある。
「それなら、早く先に進んだ方が」
オリビアが、不安そうにあたりを見回した。
「今すぐに崩れるってことはねーよ。ちょっと前にも別の冒険者が来たはずだからな。そこまで脆いならとっくに崩れてる」
(いや、そうとも限らないか)
オリビアを安心させようとして言った言葉を、すぐに心の中で否定する。この洞窟は、長い間誰も入っていなかったはずだ。冒険者が来だしたのは最近のことだし、自分たちが原因で崩れることも考えておいた方がいいかもしれない。
「ローレンツ、他に崩落の予兆が無いか注意しておいてくれ。俺とオリビアじゃ、見ても分からん」
「了解した」
ローレンツと呼ばれた魔術師風の男は、小さく頷く。オリビアは今すぐにでも天井が崩れてきそうだと思っているのか、まだ周囲を気にしていた。
「鉱石の採取なんてやったこと無いが、儲かんのかね」
話題を変えようとして、ザックが口を開く。水晶の鉱脈があるという情報を聞いて、この洞窟に来たのだ。珍しく、ローレンツが見つけてきた仕事だ。
情報提供者は洞窟内で迷っていた際に偶然見つけたらしく、地図も作っていないそうなので正確な場所は分からない。だが本人に聞いた話から判断すると、この通路の先にある可能性が高い。
「魔石になっているものがどれだけあるかだな。それ以外で金になる水晶を選定するのは、我々には無理だろう」
基本的に、魔石というのは人が宝石に魔力を篭めた物だ。今の技術では手間がかかりすぎてコストに見合わないため、新しく作られることはあまり無い。だが大量に生産されていた時代もあったらしく、その頃の魔石を発掘するのが主な供給源だ。
それとは別に、長い時間をかけて鉱石が自然に魔力を貯めることが稀にある。このようにしてできた魔石は人工の物より魔力の質が良く、価値が高い。
もちろん、ただの水晶でも高く売れるものはある。だが巨大な鉱脈からそれを探し出すのは大変だ。水晶は透明度や内容物によって価値が変わるが、このメンバーでは目利きもできない。とりあえず大きいものを持って帰るぐらいだ。
「ウィンなら宝石の価値も分かるんですけど」
「ほお、宝石の知識まであんのかあいつ」
オリビアの呟きを聞いて、ザックは感心したように言う。彼の知識の幅の広さは相当なものだ。冒険者向けの本でも書けるんじゃないだろうか。
「はい。たくさん勉強していましたから」
オリビアは、少し悲しそうに笑った。ウィンは以前に大金を手に入れて以来、冒険者としての活動をほとんどしていないらしい。このまま引退するつもりなのかもしれないが、勿体無いことだとザックは思った。
しばらく同じような通路が続く。さっきの場所のように水が落ちている場所もちらほらあったが、明確な崩落の予兆までは無いようだった。
やがて、前方に光が見えてきた。どうやらこの通路は、大きな空洞の天井付近に繋がっているようだった。三人は端まで行って、崖下にある空洞を覗き込む。
「わあ」
オリビアが感嘆の声をあげる。冒険者たちの目の前に広がっていたのは、まるで植物が生い茂っているかのように床や壁面をびっしりと覆った、無数の水晶だった。天井の穴から入った日の光を反射して、きらきらと輝いている。
水晶は小さなものがほとんどだが、拳大の物もちらほらあるようだ。持って帰ってもいいかもしれない。
「あ、あれ……」
オリビアが、唖然とした表情で空洞の一点を指差す。彼女が示す先を見たザックは、目を見張った。
「ありゃすげーな」
そこにあったのは、直径が人間の背の高さほどもありそうな、巨大な水晶だった。空洞の床から天井まで伸びていて、半分壁にめり込んでいる。表面は白くくすんでいて、透明度はかなり低い。
「質は分からんが、金にはなりそうだな」
「あれだけの大きさなら、価値はあるだろう。だがあれを持って帰るのはかなりの手間だぞ」
「ふーむ。まずは近くまで行ってみるか。魔石は後回しにしようぜ」
三人は、ロープを使って空洞の壁面を下りた。水晶を踏みながら進むのは気が引けたが、大量にあるので少しぐらい構わないだろう。魔石は魔力探知の魔法で探すつもりだが、どうせ全て調べるのは無理だ。ローレンツの魔力が尽きる。
「あれ?」
道のりの半分ほど行ったところで、オリビアが立ち止まった。ザックが振り向く。
「ん?」
彼女は巨大水晶に目を凝らしていた。ゆっくりと首が傾けられる。
「中に何か、入ってません?」
「ふむ」
ザックは改めて巨大水晶に視線を向けた。言われてみれば、何かの輪郭が見えるような……。
突然、ビシッ、という音が鳴った。水晶の表面を、大きな亀裂が斜めに走る。それに呼応するように、無数の細かいヒビが入る。
「走れ!」
何が起こっているのかは分からない。だが猛烈に嫌な予感がして、ザックは身を翻して走り出した。向かうのは、さっき降りてきた場所だ。残りの二人も、慌ててそれについていく。
硬い物が砕ける澄んだ音が、空洞内に響く。走りながらザックが振り返ると、人間を一飲みできそうな巨大な蛇が、割れた巨大水晶の中から姿を現していた。
蛇とは言ってもその体は透明で、まるで水晶でできているかのようだ。とぐろを巻いて、鎌首をもたげている。黒い瞳が、ザックたちの方にじっと向けられていた。再び嫌な予感がして、ザックは叫んだ。
「伏せろ!」
大きさと重さを無視するかのような素早さで、蛇の頭がザックたちの方に伸びてくる。地面に身を投げ出した三人の頭上を、体ごと一直線に通り過ぎて行った。そのまま、壁に勢い良くぶつかった。大きな音を立てて、壁の一部が崩れ落ちる。
「ちっ」
立ち上がって剣を構えながら、ザックは舌打ちした。図体のでかさの割に、敵は素早い。ロープを登って上まで戻ろうと思ったが、そんなことをしていたらいい的だろう。
蛇は再びとぐろを巻いて、侵入者たちの方を見ていた。壁に激突したはずの透明な体には、傷一つ入っていないようだ。
「ローレンツ、壁際に避難して攻撃魔法を頼む。魔物は俺が引き付ける」
「分かった」
オリビアの手を引いて、ローレンツは走り出した。蛇の顔が一瞬二人の方に向いたが、ザックが剣の先を思い切り地面に叩きつけると、視線を戻した。
蛇が再度突進してきた。地面すれすれの軌道を取ったその頭を、ザックは横に走って避ける。真横を通り過ぎる魔物に向かって剣を振り下ろしたが、まるで金属を殴っているかのような感触とともに、弾き返されただけだった。
(こりゃこの剣じゃ無理だな)
地面を滑った後、蛇の頭がザックの方へと向けられる。口からは、透明な舌がちろちろと伸びている。敵の動きは普通の蛇のようにしなやかだが、どういうわけか表皮は異様に硬いようだ。
(いけるとしたら目を狙うか、もしくは口の中か?)
だが、頭を持ち上げられたら剣は届かない。突進してくるのに合わせれば攻撃できるだろうが、かなりの危険を伴うだろう。ローレンツの魔法に期待した方が良さそうだ。
ザックを倒すのは手間だと思ったのか、持ち上げられた蛇の頭が、ローレンツたちの方を向いた。先ほどと同様に剣を地面に打ち付けたが、今度は反応しない。
「……やべ」
ローレンツはともかく、オリビアがきちんと相手の攻撃に対応できるのか若干不安が残る。それにローレンツの魔法詠唱を妨害されると、勝つ手段がほとんど無くなってしまう。
意を決して、ザックは蛇の方へと走った。さすがに無視できなくなったのか、魔物の頭が向きを変える。
ザックの方へと完全に向く前に、魔物が頭を振り回すようにして攻撃してきた。さっきまでの直線的な挙動とは異なる動きに意表を突かれ、反応が遅れる。
避けきれない。そう思って、体を庇うように剣を前に出した。蛇の頭は、刃の部分を撫でるようにして剣とぶつかる。だがそれだけでも、受けた衝撃は相当のものだった。剣ごと弾き飛ばされて、ザックは背中から地面に叩きつけられた。
一瞬息ができなくなり、顔を歪ませる。痛みに耐えながら、体全体をバネのように跳ねさせて、最小の動きで立ち上がった。
直後、また蛇が頭を振り回してくる。剣で防ぐ間もなく、敵の体はザックの肩を掠めた。
ローレンツの魔法はまだ発動しない。最初から強力な魔法を使っているのだろう。その判断は間違っていないが、発動まで攻撃を防ぎ続けられるかどうか。
不意に、右脚に強い衝撃を受けた。ぐらりと体が傾く。思わず右に目を向けると、蛇の細い尻尾が間近で揺れていた。恐らくこいつに攻撃されたのだろう。魔物の頭は正面にあるが、尻尾は回りこむようにしてザックに近づいていた。
横を向いたまま、ザックは左足を蹴って思い切り右に跳んだ。予想通り、蛇の頭が突っ込んでくる。地面を転がってそれを避けた後、素早く立ち上がった。右脚に鋭い痛みが走って、ザックは顔を歪めた。
オリビアの方にちらりを目を向ける。彼女はその意味を察したようで、治癒魔法の詠唱を始める。
ザックに攻撃をかわされ続けて嫌気が差したのか、蛇は頭を上げてオリビアたちの方を向いた。近づいてくるザックを意に介すことなく、狙いを定める。
「ちっ」
頭は高すぎて届かない。胴体に剣を振り下ろしたが、先ほどの同様に弾き返されただけだった。反動で手がしびれる。魔物の体は若干欠けたが、ダメージはほとんど無いだろう。
「そっちに行くぞ、気をつけろ!」
二人に向かって叫ぶ。オリビアが、魔物の視線から逃れるように慌てて走り出した。ローレンツはまだ動かない。
再び魔物に向かって剣を振るったが、やはり効果は薄い。蛇は勢いよく飛び出すと、ローレンツの居る壁際に向かって突進した。
「おい!」
動く様子の無いローレンツに向かって、ザックは叫んだ。蛇が壁に激突して、もうもうと土煙が上がる。
「歌え」
ザックが駆け寄ろうとする前に、ローレンツの呪文詠唱の声が聞こえた。衝撃波を受け、蛇の顔が弾き飛ばされた。魔物の体が地面に落ち、のた打ち回る。
(危ねーことしやがる!)
冷や汗をかきながら走る。ローレンツはぎりぎりで相手の攻撃をかわしたのだろうが、こっちからはまともに喰らったように見えた。
彼の魔法によって、魔物は片目を潰されていた。黒い瞳は大半が砕け落ち、僅かな部分だけがこびり付くように顔に残っている。さすがに目は体表ほどの強度を持っていないようだ。魔物が体勢を立て直す前に、ザックは相手の間近まで到達する。
「おらっ!」
残ったもう片方の目に剣を振り下ろす。ガラスが割れるような音と共に、黒い球体が砕ける。魔物は悲鳴こそあげなかったが、苦痛は感じるのか、滅茶苦茶に暴れだした。
とばっちりを受けないように距離を取っていると、不意に蛇が突進してきた。狙ったのかそれともたまたまか、ザックのすぐ隣を貫くように進む。ザックは左肩にもろに攻撃を喰らって、吹き飛ばされた。
尻餅をついたザックは、首を捻って魔物が通り過ぎて行った先に目をやった。蛇は壁に突っ込んで、動かなくなっていた。両目以外は全く傷を与えられていないが、目が弱点だったのだろうか。
「……いってーな」
左肩に触れると、強い痛みが走って顔を歪めた。突進してくる可能性をちゃんと考えていれば、避けられたかもしれない。
(余計な攻撃もらっちまったな)
まあ、腕ごと持っていかれなかっただけマシだと思うべきだろうか。弱っていた分、威力は落ちていたようだ。
「大丈夫ですか」
蒼ざめた顔のオリビアが駆け寄ってくる。彼女はザックの横に腰を下ろすと、治癒魔法の詠唱を始めた。
ローレンツの方に目を向けると、彼も二人の居る場所に向かってきていた。服は土ぼこりで汚れていたが、怪我はないようだ。
「やられたんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたぜ。よく逃げなかったな」
「ああ。私とオリビアのどちらを狙うか、最後まで迷っていたようだったからな。狙いが甘くなると思ってぎりぎりまで詠唱していたら、案の定だった」
ローレンツが自慢げに言う。それほど強い根拠には思えなかったが、彼が攻撃をかわせたのは事実だ。ザックはそれ以上何も言わなかった。
「癒しを」
オリビアのその言葉と共に、ザックの体が淡い光に包まれた。傷の痛みが徐々に引いていく。左肩を回してみても、もう何の違和感もなくなっていた。
「助かる」
「いえ。さっきは詠唱を止めてしまってすみません」
「謝る
ローレンツはその場に留まったが、その選択が本当に正しかったかどうかは分からない。単に運がよかっただけかもしれないのだ。
「あの魔物、持って帰ったら金になんのかね?」
「なるかもしれないが、一つ問題がある。あの魔物は、通常の生物の範疇から大きく外れているようだ。今は動いていないが、本当に死んでいるのか確かめる手段が無い。あれを拘束するのは難しいし、街中で動き出したら大変なことになるぞ」
男二人は魔物の方へと目を向けた。その体は、ぴくりとも動いていない。普通の生き物なら、呼吸をしていないなら死んでいるはずと言いたいところだが……。
「ふーむ。あの硬さじゃ、念入りに止めを刺すこともできねーしな。動き出す前に、さっさと魔石を探して帰るか」
「それがいいだろう」
ローレンツは辺りを見回しながら、空洞の中を歩き回った。魔力探知の魔法で探せるのは、一定範囲内にある魔石だけだ。使う場所をよく考えないと、範囲が被って無駄が出てしまう。彼はやがて立ち止まって、呪文の詠唱を始めた。
何度か探索をしているうちに、魔石もいくつか採取することができた。質に差があるため価値は様々だが、金貨一枚以上にはなる。最低品質の魔石だと銀貨一枚程度だから、少なくともその十倍はする計算だ。
ザックは魔石になっている水晶と普通の水晶を見比べてみたが、外見からは違いが分からなかった。普通の物は透明度が様々だが、魔石は全て白く濁っていて、むしろ質が悪いようにも見える。
ローレンツの作業を眺めつつ大き目の水晶を拾っていると、不意に後ろからつんつんと
「今、動いたような……」
「マジかよ」
目を眇めて魔物の体を凝視したが、何の動きも見えない。口角を歪めて、ザックはしばし考え込む。
「よし、この作業が終わったら撤収しよう。もう一回あいつと戦うのはごめんだ」
ローレンツに視線を向けると、彼も呪文を詠唱しつつ小さく頷く。最後に運よく魔石を一つ見つけて、三人はロープのある場所に戻った。
二人を先に行かせて、最後にザックがロープを登り始めたとき、引きずるような音と共に魔物の体が動き出した。唇を結び、焦らないようにしながら黙々と進む。
ロープを登りきり、空洞に繋がる通路に頭を出す。ローレンツが差し出してきた手を掴むと、一気に引っ張りあげられた。
後ろを振り向くと、蛇が頭を持ち上げたところだった。割れたはずの黒い瞳は、すっかり元通りになっている。蛇は辺りを見回したが、通路に居る冒険者たちには気づかなかったようだ。緩慢な動作で、巨大水晶があった場所へと戻りだす。
「治癒能力が高いようだな。頭を砕きでもすればどうなるかは分からないが、よほど高難度の攻撃魔法か、最高級の魔道具が無いと実行は不可能だろう」
ローレンツが独り言のように言った。ザックは肩をすくめる。
「ほっとくのが一番だな。この洞窟に引きこもっててくれるなら、わざわざ手を出す必要も無い」
ギルドに情報を提供して、注意喚起はしておくべきだろう。さすがにあんなに強い魔物が居るとは思っていなかった。
ザックが来た道を戻りだすと、後ろを付いてきたオリビアが、心配そうな様子で尋ねかけてきた。
「通路が崩れて埋まってたりはしてませんよね?」
「俺らの日ごろの行いが悪くなきゃ、大丈夫だろ」
と適当に答えたが、魔物が暴れた衝撃で崩落している可能性もある。これ以上問題が起きないことを願いながら、先を急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます