5 作風と人格は別物でしょう

—————————————————————————————————————

オーケー。マイスイートベイビー。お前の希望を聴かせてみろ。え、なんだってんだそりゃあよ。くそったれ、ボケ。殺すぞ。いいか、一度決めたら二度と曲げんな。たとえ無理だと知ってもやりきれ。そんで駄目だったら派手に散れ。いっそ清々しくなるレベルで爆散しろ。目も当てられないほど無様に挫けろ。そういうモンだろ夢って。リスクあってこその野望だろクソが。何安全地帯歩こうとしてんだこの平和ボケが。それでこそ女神になろうって女の矜持ってモンだろがボケ。カス。失敗したらちゃんと死ね。じゃねえと成功した時に跳ね上がれないだろうがクソが。

私は穂波の胸ぐらを掴んだ。カッとなったのだ。いっそ殺しっちまおうかと思ったけど。でも間違ったことは言っていないはずだ。その証拠に穂波の目は死んじゃいない。

彼女は私のことを此畜生とばかりに睨む。睨む睨む。おう、いい眼できるじゃねえか、それでこそ私の親友だ。愛してるぜベイビー。食べちゃいたいね。

—————————————————————————————————————



「こ、これは……?」

俺とぼたもちは絶句した。

何か、とてつもない作品に出会った瞬間に特有の寒気がした。

嬉しくて、でもちょっぴりつらくて、しかし背筋に得体の知れない感情が駆け巡る、アレだ。


——『人は見た目によらない』という言葉がある。

これは文字通り、人を見た目で判断して舐めてかかったり、無闇に敬ったりしては馬鹿を見るぞ、という戒めの言葉である。

この教条それ自体は結構なことだ。きっと人の心を豊かにしてくれるだろうから。

しかし、だ。俺は思うんだ。

大抵は——人は見た目通りの行動を取るものだ、と。

傲慢そうな見た目の奴はだいたい傲慢だ。

内気そうな見た目の奴はだいたい内気だ。

無神経そうな奴はだいたい無神経だし、悪そうな奴はだいたい悪い。

経験的にもそうだった。

内面は外面に現れるし、外面は内面に影響を及ぼす。

人は『色眼鏡で見てはいけない』などともっともらしいことを教えたがるが、俺たちは『色眼鏡で見たらだいたい当たってる』という経験を何度もしているんだ。

ギャルであれば世の中を舐めきって、後ろ指を差されながら退廃的な世間を生き抜くだろうし、オタクであればキラキラとした幻想に捕らわれて夢見がちで理想主義的な部分を抱えているんだ。

ヤンキーであれば義理と人情を最大の行動原理としていて、時には人の迷惑になることもするものだ。

こういった類型化がひどく忌み嫌われていることはもちろん知っている。でも、俺は割とこれを信じている。異論はあるだろうけど、実際問題これはけっこう当たってると思うんだ。

そうじゃない人がいるのも当然知っている。でも分類としてはさほど遠からずという印象がある。

いや、俺だって差別的な発言は極力控えたいと思っているし、人間はバランス感覚が大事だと考えている。


しかし、だ。

偉そうに自説を垂れたって、『人は見かけによらない』という意見をさらにメタに俯瞰してわかったような物言いをしたところで、俺だって人間だ。

「ギャルに繊細な小説は書けない」と思い込んでいたとして、何が悪い?

ギャルが小説を書こうものなら、文体という概念はたちまち瓦解して、悲劇的なベールを纏った感情の羅列がただ連ねられ、男は総じて女性の服を脱がすだけの存在として描かれるに決まっている。

——と、そう考えていた。

偏見は偏見だろうが、それ以上に『相場』とも言える。こういう事前評価は決して振り払える種類のものではないし、コミュニケーションを円滑に進めたり、脳の容量を整頓することに大いに寄与している。『例外』を隅々まで考慮する負担に人は耐えきれないのだ。

これは嫌いな言葉だが、いわゆる『必要悪』なのだ。

「人は見かけによらない」という言葉は、人が人に指摘したり、断罪したりする際に使う言葉ではない。

誰の目にも触れず、自分の心の中で爆発のように沸き上がる『気づき』のレベルでのみ、この言葉は効果を発揮する。


幼女が書く小説は、俺のものとまるで違っていた。

ギャルという風貌から想像できる通り、文章の基本要素は感情的な文字列であることは間違いない。しかし、いわゆるケータイ小説的な文脈とは趣を異にする。

まるで『激情』という名の色で乱暴に塗られた絵画のようなそれは、俺とぼたもちの脳を釘付けにした。

……夢中にさせられたのだ。

彼女はおそらく天才だ——感性によって世界観を描いているという意味で。それが自覚的なものであれ、無自覚であれ、その素晴らしさに然したる違いはない。


「あの、もしかして……ようじょうひめろうとか好きですか?」

踊城姫太郎は、ドライブ感のある文体で豪快に真理を抉っていく小説を書く人気作家だ。 少し迷ったが、俺は幼女に訊ねていた。特にオリジナリティにこだわりを持っている作家には、こういった質問は御法度だが、どうしても訊いておきたかったのだ。

しかし、幼女は申し訳なさそうにこちらを伺う。

「……すみません。存じ上げません……小説家でしょうか?」

知らない? 作風が近い気がしたのだけど。しかし興味の範囲外なのだろう、それを咎めるつもりはない。きっとお互い様だから。

「じゃあ、好きな作家は?」

ひえくにカオラ様です」

「あの『メロンの匂い』の? ……嘘ですよね?」

「え、いけませんか? すっごく好きなんですけど……まちやまユカコ様とか」

「あの『おいしい紅茶の入れ方』シリーズの?」

「ええ、そうです。お好きじゃありませんか?」

「いえ、好きですよ。大好きですけど……」

「けど?」

幼女の表情には難渋の色が浮かんでいる。

俺は困惑した。理解が難しい。

『様』と付けるレベルで敬愛してるのに、作風面で影響を受けていないじゃないか。

冷國カオラは普遍的な少女性を捉えるのが巧く、細やかなエピソードの端々からむせかえるような少女の自意識を立ちのぼらせることができる希有な存在であり、超人気作家だ。

街山ユカコも立ち位置は比較的近いが、淡い初恋などを描かせたら一級品で、どちらかと言えばエンタメ色が強い。読んだら最後、枕に顔を埋めて足をバタつかせること必至のこれまた超売れっ子作家である。

『女性性を捉える』とか、そういった根っこの部分ではもしかしたら幼女も通じているのかも知れないが……やはり、どうしても踊城姫太郎のようなドライブ感のある文体から影響を受けていると思えてならない。

「なんというか、好きな作家と、作風があまりにも……」

「私の小説、あんまりでしたか?」

「いや、そういうわけじゃないんです」

ほんの少し懇願するような目つきで訊ねる幼女(とその胸元)に引き込まれそうになるのをすんでのところで踏みとどまった。

「ま、まあまあ面白いと思いますよ。まださわりしか読んでないけど、すごく続きが読みたくなるというか……」

素直じゃねえな……と隣でぼたもちが笑いを噛み殺している。オーケーあとでシバく。

「なるほど、まあまあですか……」

しゅんと顔を伏せる幼女。作品の評価は実にデリケートな部分だ。見るからにショックを受けている様子の幼女を前に、さすがに天の邪鬼が過ぎたかなと反省する。

「違うんです。これは幼女さんの技能の問題じゃなく、俺のプライドの問題なんです」

「プライド? プライドで私の作品の評価が変わるんですか?」

彼女は考え込む素振りを見せたので、きっと答えに辿り着けないのだろう。

「変わりますね。大いに変わります」

「どうしてですか? 作品の出来が良いか、悪いか——だけではないのですか?」

この質問を受けて、俺は、ああ彼女は無自覚な天才タイプだったのかと合点が行った。

読者の感情で作品の評価は変わる。

激情をあれほどまでに巧みに描ける人間がそのことに納得がいかないのは、無自覚に作品を書いていることの揺るぎない証左だ。なぜなら、彼女は俺の感情を読めていないから。

素晴らしい作品を書くのに、人の心を読むのは苦手——ときどき、そういうタイプの作家がいる。対人スキルに必要な分まで執筆スキルに振られてしまっている人間だ。

そういう作家は周囲から天才と呼称されやすい。人の気持ちがわからないという性質が奇妙な形で『天才』度を高めているのだ。きっとアインシュタインやエジソン、日本では岡潔など、いわゆる『天才故の奇行』が取り沙汰される先例が脳に染み付いているのだろう。

「あなたの作品は素晴らしい。数行読んだだけでそれがわかったんです。でも」

「でも?」

「俺と幼女さんの立場は同じです。売り上げを競う同人作家同士。だから簡単に持ち上げることに躊躇いが生まれる」

「……? お互い同人作家なら、競わないでしょう。仲間じゃないですか」

幼女はキョトンとしてそう言った。

——仲間?

「本当にそう考えてるんですか? あの作風で?」

あの、読む者の心を刈り取るかのような激情が書き連ねられたあの小説で、仲間だって? 馬鹿げてる。ああいう作品を書ける人間は、俺の小説本なんか唾を吐いてゴミ箱に捨てる方がむしろ自然だ。

幼女は本当に理解ができないようで、首を傾げた。

「作風と人格は別物でしょう。じゃあ官能小説を書く人は絶倫なんですか?」

作品は例外なく作家の思想の元にある——とまでは言わないが、影響は確実にある。まったく切り分けて考えることは難しい。

官能小説を書く人は絶倫か、か。……巨乳ギャルから聞くにはいくらか下半身に悪そうな際どい喩えを持ち出されたことに当惑したが、俺は首を振った。

「……それはわかりませんが、ナドコフがロリコンなのは確実でしょう」

俺としては分かりやすい例を持ち出したと自負していたが、しかし幼女は眉間に皺を寄せた。

「すみません、ナドコフってどなたですか?」

「…………」

「すみません。私、無知ですね」

彼女はもじもじと恥ずかしそうに下を向いた。

「いえ、幼女さんが知ってるのに俺が知らないこともたくさんあると思うので」

「そうでしょうか、うん、そうかも知れませんね」

フォローの甲斐あってか、少しだけ元気を取り戻したのを見て安心した。

「あのぉ、この本読んでいいですか?」

会話が一段落ついたと見るや、幼女は俺たちが作ったメガラブ小説本を掲げて問うた。

「え、今ですか?」

「はい、そうです」

こくりと頷く幼女。期待感からか、頬が緩んでいる。

すぐに読みたいという気持ちは嬉しいが……

「文庫本二百ページなので、結構時間かかるかと」

「大丈夫です」

そう言って、幼女は本を開き、先頭からページを捲り始めた。

いや、そっちが大丈夫でもこっちが待たされるのは——

「読み終わりました」

幼女はパン! と本をたたみ、テーブルにそっと置いた。

「「は!?」」

今日一番の衝撃だった。幼女が女だったことよりも、チョコが醤油だった時よりも、今の方が大きなエネルギーで俺の後頭部を叩いた。

幼女は胸の前で手を組んで、うっとりと目を閉じた。

この人と恋仲になれば、夜のベッドの上ではこんな表情が見られるのだろうか——と邪なことを考えてしまうほど色気のある顔だった。

「とても素晴らしい物語でした。アニメ『女神ラブ』背後に漂う『虚しさ』をとても丁寧に捉えて描いていて……」

信じ難いが、幼女の目にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。

「とにかく、感動しちゃいました!」

「あ、りがとうございます……」

何をすればいいのか分からなかったので、とりあえず俺は頭を掻いた。


それから、幼女は俺の小説がいかに素晴らしいかを滔々と語り始めた。

読んだ人にしか分からない細やかなディテールの部分もきちんと網羅していて、あの二秒間で本当に頭の中に内容が入ったんだなと驚かされた。

嬉しそうに語り続ける幼女の話を聞きながらホットココアを飲み、時には俺の意見も戦わせてみたりしながらブラックノワールを口に運び、俺たち三人は大いに語り合った。

互いの本の感想から始まり、メガラブの好きなキャラについてや、メガラブのストーリーで好きな箇所など……オタクトークに花を咲かせた。

「……私たちって、すごく馬が合いますね」

話題と話題の谷間のような瞬間に、幼女が何気なく言う。

「ですよね! そうですね!」

その言葉に激しく同意したぼたもちは俺の顔を見た。

……だけど、俺はどんな顔をすればいいか分からなかった。

嬉しかったのは確かだ。

ジャックナイフなどというペンネームにしておきながら矛盾しているかもしれないが……話が通じる相手——同人仲間が増えるっていいなと心底思った。

ただ幼女と話している間、ココアもブラックノワールも……味がしなかったのだった。

理由はいくつか考えられて、そのすべてにもっともらしい理屈をつけることは容易だが、きっとすべての理由が複雑に絡み合った結果なのだろう。

仲間を見つけた嬉しさとか、天才への羨望、嫉妬。そして自分への焦りなど。

——こんなことなら、チョコソースだろうが醤油だろうが関係なかったかも知れないな、と後になって思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る