間章
先輩配達員の壁
「やあ! 君が
「…………」
多元世界干渉通販会社『Otherwhere Zone』、通称『OZ』。
危機に瀕している世界や人を救う為に、数多の次元を駆け抜け、チートアイテムを配達して回る通販会社である。
ここ『OZ』では、新しく配属された配達員は先輩配達員とコンビを組んで配達を行うのが慣習らしく、今日から配達員として働くことになった俺、苅家ヒビキは、パートナーとなる先輩配達員が来るのを、休憩室で待っていた。
「あー、何で無視するの! ぷんぷん!」
「…………」
備え付けのコーヒーメーカーで、無料のコーヒーをごっそりと頂いていた俺の前に現れたのは、ほんの小さな子供。
量の多い栗色の髪をポニーテールにまとめたそいつは、両手を組んでそっぽを向き、分かりやすく怒りの意を示している。
かと思えば、すぐに笑顔を浮かべ、俺に向けて右手を伸ばして来た。
「僕の名前は
「……何だお前、迷子か? 一体どこから入って来たんだ」
「何だよもー! 別に迷子じゃないよ!」
「じゃあ、コソドロか? よし、協力してやるから、取り分は9対1でどうだ」
「コソドロでもないよ! っていうか協力しちゃ駄目でしょ! 社会人として!!」
「お前に社会人の何たるかを言われたくないよ。そもそも、誰なんだお前は」
「だ か ら! 先輩配達員だって! ヒビキちゃんと一緒に、配達に来たの!」
「…………」
「分かった? 分かってくれた!?」
「……やっぱり迷子だな。混乱して意味不明なことを言っているし、間違いない」
「だーかーらー! もう!!」
軽く涙目になりながら、当の子供は俺を見上げてくる。
しかし次の瞬間、その子供の制服に着いたバッジがキラリと光ったかと思うと。
「もう! 分からないヒビキちゃんにはこうなんだから!」
「なっ!?」
突然、後方から得体の知れない力によって、思い切り引っ張られた。
その強烈な引力に抗うことは出来ず、俺の身体は、リアクション芸人もかくやという勢いのまま、休憩室の壁に叩きつけられる。
「ぬほぉ!?」
あまりの衝撃に、息を全て吐き出してしまう。
言葉を発することも出来ない。
「あー! ごめんごめん! ちょっとやり過ぎちゃったかなぁ!」
そんな俺を尻目に、子供はのこのこと壁に近寄って来ると、壁に叩き付けられたままの俺の足を触りながら、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「ごめんね、ヒビキちゃん! このガジェットはまだ使い慣れていなくて、力加減がうまくいかないんだよね。ちょっと改良しないとだなぁ」
「……良く、分からんけど、とにかく、何とか、しろ」
「はいはい。今解除するから待っててね。はい、引力斥力操作型ガジェット『フレンド
「ぬぉッ!?」
子供がバッジを触り、何かを命じたのと同時、壁に貼り付けられていた俺の身体は、無事に重力の支配下に戻る。
要するに、無残に床に墜落することになったのだった。
「あはは、ごめんごめん。大丈夫?」
「こ、このガキ。覚えていろよ……」
倒れた俺に対し、子供はにこやかな笑顔で右手を差し伸べてくる。
こいつ、子供と思っていたが、とんでもない食わせ物だ。ここは大人としてきっちりと礼節を叩き込んでやろう……そう心に誓っていると。
次の瞬間。
「ゲヒャッハーッ!?」
再び、俺の身体が制御を失い、動き始めた。
今度は、壁に向かってではない。下方、部屋の床に向かって身体が押さえつけられる。重力が何倍にもなったかのような感覚。修行している訳でもないのに。
その力に抗うことが出来ず、無様なことに、大の字で床に押し潰される。
「あれあれ、どうしたのかな、ヒビキちゃん。そんなに床が好きなのかな?」
「て、てめぇ……!」
見れば、子供の制服に着いているバッジが、再び淡い光を発している。
さっきこいつが言っていた、ガジェットとやらの力が再び働いているのか。
つーか、解除したんじゃなかったのかよ。
「てめぇ? うーん、それはちょっと、先輩に対する態度じゃないよね」
「ぐぐぐぐぐぐ」
「うーん、何て言っているのか分からないね。分からないから、どうしようもないかな」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐ!!!」
次第に増していく力に、全身の骨が砕けそうになる。
それでも必死で抵抗しながら、顔を上げ、子供を睨み付けるも。
しかし子供は、そんな俺のことなど全く気にせず、むしろ面白いオモチャを見るような視線を、倒れた俺に向けて来る。
「あ、すごい、面白い顔をしているよヒビキちゃん!!」
「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ」
「しかも変な声だ! おもしろーい」
「ぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょ!!!!」
いかん、このままでは同じことの繰り返しになるだけだ。
こんな性格の悪いガキンちょに頭を下げるなんて絶対に御免だが、しかし、こんなところで無駄に反抗して消耗している場合じゃない。
俺には、やらなければいけないことがあるのだから。
「きゃきゃきゃきゃかかかかかかかかみみみみみみやややややや!!!」
「おや? 何かな、ヒビキちゃん」
「れれれれれれれおおおおおおおおおんんんんさささんんんんん!!!」
俺は、屈辱を感じながらも。
その子供……神谷レオンの名を、必死で叫ぶ。
ちっとも言葉になっていないような叫び。しかし、どうにか伝わったようで。
「うん、よろしい。じゃあ、解除っと」
「うぉ!? はぁ、はぁ、はぁ……」
レオンがバッジに触れながら念を込めると、俺を襲っていた力は解除された。
起き上がってすぐに、両手両脚がちゃんと動くのかを確認する。良かった、どうやら無事みたいだ。マラソンの後みたいに痛いけれど。
「じゃあ改めて、神谷レオンだよ。今日から先輩配達員として、ヒビキちゃん、君のパートナーを務めさせて頂きます。宜しくね♪」
「……はい。苅家ヒビキ。今日から『OZ』の配達員として働かせて頂きます」
「うん♪ じゃあ、あくしゅー」
「…………」
無邪気な笑顔と共に差し出される、レオンの右手。
しかし、数分前までとは違う。その笑顔の裏には、恐ろしい悪魔が隠れているのを、俺は知っている。
だから、その右手を握って良いものか迷っていると。
「……もう一発くらい、やってみる?」
「よ、宜しくお願いします!!」
「うん♪ 宜しく♪ まあ、仕事のやり方とか、ガジェットの使い方とか、そういうのは追々教えていくから、気楽にしていてくれればいいよ」
「は、はぁ……」
「うん。だから、今ヒビキちゃんに覚えておいて貰いたいのは、一つだけだよ」
レオンは、人差し指をピンと伸ばすと、笑顔のままで告げる。
「僕のことは、レオンって、そう呼んでよね」
「……はい?」
「僕、敬語って嫌いなんだよね。今後、敬語で話しかけてきたらミンチにするから、気を付けてね♪」
おいお前、流石にそれは理不尽だろうと。
レオンによって荒らされ尽くした部屋の中を見ながら、俺は思ったのだった。
◆ ◆ ◆
「おーい、ヒビキちゃーん!」
「…………」
休憩室で、無料のコーヒーをしこたま飲みに行こうとした俺に声をかけて来たのは、俺が入社当時にパートナーを組まされていた配達員、神谷レオンだった。
「って、何で無視するの!?」
「当たり前だろうが。未だかつて、お前の言葉を真面目に聞いて、良かった試しなんて無いんだからな。どうせまた、厄介な配達でもさせるつもりなんだろう」
「えー、それは心外だよ。レオン君からの、ちょっとした先輩心なのにー」
「どうだかな。俺の記憶が確かなら、お前のムチャぶりでどれだけ生命の危機に陥ったか、数え切れないぞ」
「でも、そのおかげでヒビキちゃんの実力は確かなものになったからね。僕も心を鬼にして来た甲斐があったよ」
「絶対に鬼にしてなかったよな。滅茶苦茶楽しんでいたもんな」
間違いない。絶対に楽しんでいた。心の底からの笑顔でしたよ。
「何だよもー、ヒビキちゃんったら失礼なんだから。昔はあんなにかわい……くはなかったかな。あんまり今と変わらなかったよね」
「そりゃ、初日から思いっきりパワハラを食らったからな。新人配達員の心を初日から折りに来ていたよな」
「そうだったっけ? こういうのは、最初が肝心だもん。だからヒビキちゃんも、新人配達員が来た時には、参考にしてよね」
「はぁ? 新人配達員だって?」
「うん。今日から一人、新しい配達員が増員されるんだってさ。ヒビキちゃんは、その指導に当たるって訳さ」
「ちょっ、ちょっと待て、聞いてないぞ!?」
「うん、言ってないからね」
「いやいやいやいや、おかしいだろ、どう考えても」
新人配達員? 指導?
こっちは、妹のサツキを救う為、金集めにも、薬集めにも、この『OZ』に隠されているかも知れない回復用のチートアイテムを探すことにも、必死なのだ。
そんな新人なんかの面倒を見ている余裕はない。
「ほらほら、その子は休憩室で待っている筈だから、早く行ってあげなよ。遅刻する男は嫌われるよ?」
「だから! こっちは受ける気なんて無いって言っているんだよ! というか、何で俺なんだよ。レオン、お前がやればいいだろ?!」
「ヒビキちゃん、君ももう結構なベテランだからね。ガジェットの扱い方も申し分ないし。ここらで、次の経験を積ませようってことだと思うよ」
「だからってなぁ……!」
「お給料に手当も付くんじゃないかな」
「……いくらだ?」
「うん、ヒビキちゃんのそういうところは大好きだね。ちなみに、これは社長直々のお達しだから、断るのは無理だと思うよ。そういう訳で、行っておいで」
言って、レオンは制服に付いたバッジに手を添え、ガジェットの起動を命ずる。
それは、俺が初めて会った時以来、幾度となく痛い目に遭わせられた、物体同士の引力を操るガジェット『フレンド疾風』。
久し振りの感触。背後にある休憩室の扉方向に、身体が引っ張られる。
「あばばばばばばばばば!!!」
対抗の為にガジェットを起動させる余裕も無い。
俺はされるがまま、休憩室の扉に思いっきりぶつけられ、衝撃で扉が開く。
そして室内に向けて、再び吹っ飛んで行った俺の身体は、休憩室の床に、大の字になって倒れることになるのだった。
またかよ畜生。
「くっそ、油断してた……レオンの奴……」
「は、初めまして!」
「……へ?」
倒れた俺の頭上から、必死な声が聞こえる。
「わ、私、新人の
天地がひっくり返った状態で、俺が見たのは、
オレンジ色の短い髪を揺らし、大きな瞳を緊張で見開いた、一人の少女。
「ふ、不束ものでしゅが! ご指導ご鞭たちゅの程、よろしくおねぎゃい致しみゃす!」
天地逆転の顔合わせ。
これ以上味なんてしないくらいの、噛み噛みの挨拶。
それは決して、優良とは言えない初対面だったろうけれど。
それこそが、俺、苅家ヒビキと、絹和コハネの、初めての出会いだったのだ。
つづく
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