配達へ行こう! (3)

 初めて対峙する、その姿。

 黒いマントに身を包んだ、あからさまな不審者。いかにも、怪盗だと言わんばかりの恰好。

 夢現怪盗プリズマのピンク色の唇が、艶めかしく蠢く。 


「どうして、分かったのかしらねぇ?」

「そんなこと、決まっているだろう」


 問われる声に、正直に答える。


「もしも俺が、宝石を盗むとしらどうするか。それを考えた時に、もう答えに辿り着いていた。俺が盗むならガジェットの力を全力で使うからな」

「褒められたことではないけどねぇ?」

「同時に、いつも俺がガジェットを仕込んでいるバッヂも、すり替えられていることに気が付いた。それが出来るタイミングは限られている。警備員に化けて、あらかじめ近づかれていたんだな」


 警備員を洗脳した時、突然ハグをされたあの時、俺のバッヂはすり替えられた。

 何しろ怪盗だ、俺に気取られずに奪うことは造作もないだろう。

 あの時から、既に怪盗の計画は始まっていたのだ。

 

 俺からガジェットを奪い取れば、後は警備員に紛れてしまうだけでいい。

 おあつらえむきにも、俺の持っていた5つのガジェットの中には、完全変装型ガジェット『ディスガイ頭』も混ざっている。

 それを使用すれば、完全に警備員の中に紛れ込むことが出来る。

 全く、鮮やかな怪盗の手口。

 俺でなかったら、見逃していただろう。


「違和感は、それだけじゃなかったけどな」

「へぇ?」

「マグレ刑事が言っていた……夢現怪盗プリズマは、盗む物ではなく、盗むという行為そのものを楽しんでいるんだと。警備をどう破るのか、それこそを目的にしているんだってことを」

「ええ、この美術館の警備は、最高にエキサイティングだったわよ? 常に自分の正体が見破られるんじゃないかという緊張感は、最高なのよね」

「だが、それだと、説明がつかないことがあった」

「何かしら?」

「お前が俺の宝石を盗んだことだよ」


 そもそも、俺がここに来る理由となった一件。

 あのことが、どうにも頭の隅に引っ掛かっていた。

 それは、マグレ刑事から聞いた怪盗の仕業とするには、妙だったから。


「お前が、俺から盗みを働いたこと。あれは、怪盗プリズマのやることにしては、あまりにもおかしかった。俺から盗みを働くことにどんな意味がある。別に、スリルがあるわけでもなければ、あの宝石だってそこまで大した代物ではない。にも関わらず、お前は盗んだ、俺からな」

「それが……どうかしたの?」

「だから、あの盗みの目的は、別の所にあった。そう、俺を、『OZ』の配達員として超常の力を振るう俺を、おびき寄せるという目的が」


 いつ、怪盗が俺の……俺達のことを知ったのかは、定かではない。

 しかし、怪盗は気付いた。


 世界と次元を軽トラックで駆け、ガジェットの力を使い、凄まじいチートアイテムを届けて回る、俺達のような配達員がいるということに。


 そうして、怪盗は俺を狙った。

 与しやすいと判断されたのは、全く腹が立つけれど。恐らく、俺が怪盗に対して恨みを持ち、追いかけることも怪盗の計算の内だったのだろう。


 こうして早々に再会することになったのは、怪盗にとっても予想外だったのかも知れないが。しかし実際、ガジェットを呑気に身に着けたまま、俺は怪盗の前に出て来てしまった。

 そして俺からガジェットを盗み……それを、犯行に使った。

 

 犯行の瞬間の手口は、あまりにも簡単だ。

 あらかじめ、予告の時間に停電が起こるように細工しておく。

 警備員に化けて部屋の中に忍び込んでいた怪盗は、その暗闇に紛れて、宝石入りのケースに近づき、そこで俺から奪い取ったガジェットを使用した。


 ――空間隔離型ガジェット 『ビハイン洞』。


 自分とその周囲の存在ごと、別の空間へと隠れてしまうガジェット。


 そのガジェットを使用した結果、怪盗とケースと、ついでに台座は、空間ごと切り離されて、その場から消え失せてしまう。

 要した時間は僅か数秒。瞬時に、怪盗は目的を達成した。

 

 あとは、そうして切り離された空間の中から外を窺い、警備員が部屋からいなくなったところを見計らって脱出すれば良い。


 万が一見つかっても、またガジェットを使用すればそれで済む。

 ごく簡単に、怪盗は宝石ごとケースを持ち出していたことだろう。

 しかし、そうはいかない。

 何故なら、俺がいる。


 ここで俺が騒ぎを起こせば、すぐに警備員が駆け付けることだろう。

 つまり怪盗は、相当に追い詰められているということになる。

 そんな、絶対の危地において。


「……フフフ」


 しかし怪盗は、不敵に笑い。

 そして対する俺は、内心で冷や汗を掻いていた。

 追い詰めた筈の、今の状況。

 だが追い詰められているのは、奴ではない。


「それで? 私を止められるのなら、止めてみれば良いじゃない?」

「……気付いていやがるな、テメェ」

「ええ、そうよ? ちゃんと言葉にしてあげましょうか? 貴方には、私をどうにかすることは出来ない。捕まえることなんて、絶対に出来ない」

「……くっ」

「だって。お友達、ですものねぇ?」


 そう、先程から。

 目の前にいる憎むべき怪盗を、どうにかしようという気が、全く起きないのだ。

 怪盗のやることを邪魔しようという気は全く起きない。

 いやむしろ、親愛の念を持ち、協力したいという感情すら浮かんでいる。


「……くそっ」


 それもまた、俺から盗み出したガジェットの効能によるものだ。

 

 ――強制友愛型ガジェット 『アイフレン奴』。

 

 周囲の人間を、自分の友達だと認識させるガジェット。

 だから、俺はこの怪盗のことを、大切な友人だとしか思えなくなっている。

 

 怪盗がそのガジェットの効果に気付いていないことを願っていたが、奴はしっかりと理解していた。ガジェットは一度念じるだけで発動出来る。

 その早さに勝てる筈もない。

 

 どうにかしたい、どうにかしなければならないと、そう思う。

 しかしそれも、すぐに胸に湧き出した熱い友情によって塗り潰されてしまう。

 自分の心がオンタイムで塗り替えられていく恐怖……普段便利に使っているガジェットの力を、まさか自分自身で思い知ることになろうとは。

 目の前に迫っている脅威に対して、友情しか抱くことが出来ない。


「……お前、ガジェットを使うのも、タダじゃないんだぞ。俺の給料から引かれてるんだからな?」

「あら、でも、お友達って、そういうものじゃないのかしらね?」

「そんな友達がいてたまるか畜生!」

「折角のお友達、荷物運びでも手伝ってもらおうかしらと思ったけれど……お生憎、そっちも手は足りているのよねぇ」


 何も出来ない俺の前で、怪盗は、俺から奪った別のガジェットを発動させる。


 ――空中浮遊型ガジェット 『フーライ動』。


 それもまた、俺が愛用するガジェットの1つだ。

 その効果により、宝石を孕んだ堅牢なケース『アスガルズ』が宙に浮いた。こうなれば、重さなんて何の関係もない。

 悠々と、両手を空けたままで、怪盗はケースを持ち去る。

 それも当然、俺の口座から使用料が引かれる奴だ。

 どういうことだよ。金返せ。


 傍らにケースを浮かせて、怪盗はゆっくりと歩き出す。出口へ向けて。


「それじゃあ、そろそろお暇致しますわね?」

「……逃げるのか?」

「ええ、逃げますわ。だって怪盗ですもの。言っておきますけど、安い挑発には乗りませんわよ? 私は、自分が奪ったものにしか興味はありませんもの」


 怪盗は全く悪びれずに告げる。

 それが当たり前だと言うように。

 

 しかし、歩き始めた足が不意に止まる。


「ああ、でも貴方には少しだけ興味があるかも知れませんわね」

「……はぁ? 何を言ってるんだお前」

 

 振り返って、微笑む怪盗。


「お誘い、ですわよ」

 

 その笑みは、何と言うか、怪盗が浮かべるのにはあまりにも似合わない。


「貴方の強欲さには、少しだけ興味がありますわ。それに貴方ならこのガジェット達を上手く使えるのでしょう?」


 妙に惹かれる笑みで。


「宜しければ、私と一緒に怪盗稼業でもどうかしら? 貴方にとっては、きっとこちら側の方が合っていると思うんですけど。いかがかしら?」


 怪盗から出た、あまりにも意外な言葉。

 それは、お前も怪盗になれという勧誘だった。


「良し分かった。お前の仲間になる」

「……はい?」

 

 俺の了承に、しかし怪盗は呆けたような顔でしばらく固まった。


「……何だよ、お前が仲間になれって言ったんじゃないかよ」

「え、ええ、確かに言いましたけど…………早過ぎません?」

「早かろうが何だろうが、俺は俺の目的の為に動いているんだ。その為だったら、たとえ怪盗でも悪魔でも、どんな誘いにも乗ってやるさ」

「はぁ……あっさりと会社を裏切るんですのね」


「まあ、うちの会社、滅茶苦茶ブラックだからな。ドラゴンに食われそうになったり、溶岩に落ちかけたりするい。すげー頑張って働いているのに、ガジェットの使用料やら軽トラックの修理費とかで給料引かれるし、何だか会社自体も怪しいし。社長だって、何だかうさんくさいし。絶対にロクな会社じゃない。頭の先からつま先まで真っ黒な、ダークマター会社だから。別に裏切ったって良いだろ」


「……良くはないと思いますけど」

「そんな感じだから、さっさと行くぞ」

「パートナーの方は構わないんですの?」

「あいつだったら一人でも上手くやっていくだろう、多分。たくましい奴だし、大丈夫だろう……多分」

「不安ならそう言えば良いのではないかしら……?」


 うるさい怪盗。

 とにかく、俺はもう決めたのだ。


 脳裏に浮かぶのは、真っ白い病室の光景。

 その中で、時が止まったかのように眠り続ける一人の少女のこと。

 あいつの為ならば、俺は何だってすると、命を賭けてやると。

 そう思える程に大切なあいつのことを。

 

 だから俺は、俺に向けて伸ばした手を取り。

 その手に、手錠を掛けた。


 手錠が、音を立てて閉じる。


「……これは、どういうことかしら」

「はあ? お前を捕まえたに決まっているだろ?」

「数秒前に会社を裏切ったのでは」

「会社を裏切ることに躊躇いはないが、だからと言ってお前を許すかどうかは全く別問題だ! ちなみに許す気はない! お前この野郎、俺のガジェットを濫用しやがって、どれだけの使用料が掛かるのか知らないのかよ! そんなお前の仲間になるなんて、そんなことがある筈ないだろうが! 全く、俺の芝居にまんまと騙されやがって、怪盗といえどもちょろいもんだぜ!!」

「手錠を外して下さいな、お友達」

「ハイ」


 あっさりと鍵を外す俺のバカ!

 でもお友達だから仕方がないの!


 で、結局、逃げられそうな状況は変わらないのだった。

 怪盗は、俺から離れて、部屋の出口へ向けて歩き始める。


「まあ、嘘でも受け入れてくれたあたり、脈はあるみたいですけど。今日のところは、これでお開きといたしましょうか」

「……お前!」

「本気で私の誘いを受けようというのでしたら、また懲りずに私を追って来なさいな、愛しの親友さん。その時は、私もまた別の姿でしょうけど」

「…………」

「ではでは、失礼致しますわね。ごきげんよう」


 艶然と微笑んで、怪盗は部屋を出て行く。

 俺には、その後ろ姿を見守ることしか出来ない。

 ガジェットを奪われた時点で、既にどうしようもない程、事態は詰んでいたのだ。


 予告は、見事に完了されようとしていて。

 しかし、そんな怪盗の行く手を遮るように。


「あれ、先輩? 何をやっているんですか?」


 部屋の出口に、人影が姿を現した。


「ッ!?」

「コハネ!!」


 それは、後輩である絹和コハネの姿だった。

 怪盗を追って部屋の外に駆け出して行ったのが、途中で俺がいないことに気付いて、この部屋に戻って来たのか。


 普段ならば、荒事に関して非常に頼りになるコハネだったが。

 しかし今は、そんな彼女にとっても不利な状況下だ。

 怪盗は、出口を塞がれて、少し立ち止まったものの。

 また、すぐに歩き出す。

 そこに立っている、コハネに向かって。


「あら、丁度良く、もう一人来てくれたんですわね。折角ですし、そちらからも頂いておきましょう。ええ、大事なお友達ですもの、私の為に尽くして下さいますね?」

 

 言って、手を伸ばす怪盗。

 コハネからも、ガジェットを奪い去るつもりなのだろう。

 

 まずい。

 俺の方は、どちらかというとテクニカルな作業を得意とするガジェットばかり持っているが、コハネは違う。

 より戦闘向きの、物騒なガジェットを持って来ている筈だ。

 それが奪われてしまえば、怪盗の暴虐は手を着けられなくなってしまう。

 

 止めなければ。

 しかし、そんな思いも、怪盗への友情に押し潰されてしまう。


 コハネは不思議そうな顔で、怪盗を見つめている。

 捕まえるべき怪盗だと認識していない。

 ガジェットの効果により、相手が友人であると刷り込まれてしまっているのだ。


「えっと……誰、でしたっけ?」

「忘れるなんて酷いですわ……大切なお友達、ですわよね?」

「お友達、ですか。あの、その宝石、持っていくんですか? それ、ここに置いておかないといけないものなんじゃなかったでしたっけ」

「ええ。だってこれは、私に必要なものですから」

「んー、あー、そうでしたっけ。それじゃあ」

「ええ、ついでに、貴女の持っている、その」

「今すぐ止めないと駄目ですよね!!」

「えっ!?」


 会話の流れが、急に変わった。

 怪盗が、戸惑いの言葉を零した、その隙を縫うように。


「どっせぇぇぇい!!」


 勢い付けて放たれたコハネの拳が、怪盗の下腹部に思い切り突き刺さった。


「……………は?」


 茫然とする俺の前。

 怪盗が、信じられないというような顔で、膝から崩れ落ちた。


「ごふっ……あ、貴女は、何を」

「おや、まだ意識があるなんて、大したものじゃないですか」

「ぅえ?」


 喘ぐ怪盗を前に、しかしコハネはなおも拳を構える。

 その拳の先端に浮かぶ光。

 それこそ、コハネが最も得意とするガジェットの、攻撃予備動作である。


「骨のある友人を持って私も嬉しいです! 私の、打撃粉砕型ガジェット『ブロッ拳』も今回は使いどころがないと思っていましたけど良かったです。それじゃあ張り切って、もう一発ほど叩き込んでおきましょうかねー」

「や、止め……!!」

「むんッ!!」

「ごひゅ」

「更に一発!!」

「かひゅ」

「おまけにもう一丁!!」

「…………!?」


 もう、悲鳴すらも出ない。

 怪盗は、何故か腹部に集中して撃ち込まれるパンチを食らう度、段々と弱って行く。そしておまけの一撃を食らうと、もんどりうってひっくり返って、床を転がり、残されていた台座に思い切り激突した。


 瞬間、俺の意識が晴れる。

 どうやら今の怪盗への一撃で、ガジェットの効果が途切れたらしい。

 俺を苛んでいた友情も、消え去っている。

 あまりにもあっけない幕切れだったが。

 怪盗を、倒してしまった。


「……で、どうするんだよ、これ」


 呆然と、転がっている怪盗を見つめるしかない。

 この怪盗、さっき俺を怪盗稼業に勧誘とかしていたけれど、こうして無様にのびているのはどういうことなんだよ。

 恰好がつかないにも程があるだろ。


「んー、良い感じでしたねー」

「おい、コハネ」

「あ、先輩。無事ですか」

「ああ、無事だし、助かったんだけど……お前、何をやった」

「宝石が持ち出されようとしていたので、阻止しました。全く、先輩ったら、何を黙って見送ったりしているんですか。これ、怪盗ですよね? あ、まさか先輩も、怪盗の一味だったりするんですか」

「そ、そんな訳ないだろ」

「でしょうね。先輩は基本的にクズっぽいですけど、盗みとか働く感じのクズではないですもんね。分かっていますよ」

「分かっているのか……?」


 いまいち違いが分からない。

 つーか、普通に先輩をクズ呼ばわりしたな、今。

 いや、俺の事はどうでも良い。目の前で起こっている異常事態の方が先決だ。


「お前、今、平気だったのか?」

「え、何がですか」

「お前が殴り飛ばしたそいつのことだよ」


 俺が指差した先。

 怪盗は床にうずくまって、うんうん唸っている。

 名に聞こえた夢現怪盗プリズマ、それなりに荒事の経験もあっただろうけど……いきなり腹部にきつい一撃を貰うことは想定外だったようだ。

 今にも嘔吐しそうな様相で、床に伏せている。


「お前にとって、その怪盗は、友達だったんじゃないのか?」

「はい。友達ですよ?」


 そう、コハネに対しても、ガジェットの効果は作用していた筈。

 怪盗が友人であるというように、認識させられていた筈だ。


「でも、宝石を盗んで、逃げようとしていましたよね?」

「あ、ああ……」

「友達がそんなことをしようとしているんだから、そりゃ殴ってでも止めますよ」

「…………ん?」

「友達が悪の道に落ちようとしているのなら、私はそれを、殴ってでも止めると心に決めているんです! 友達が手を汚してしまう前に、止めてあげないと!!」


 コハネは、拳を強く握りしめながら強く言い放つ。


「前回の配達は、パンチをお見舞いすることが出来ませんでしたからね! やっぱり私は剣よりも、この拳一つで勝負する方が向いています!!」

「こいつやべぇ……!!」


 やばい。

 やばすぎるぞ、この後輩。


「ぐ……うぐ……!!」


 と、ようやく、怪盗が立ち上がった。

 その顔は苦痛に歪み、台座に手を置いて、こちらを呆然と見つめている。


「な、何で、こんなことに……」

 

 先程までとは打って変わって弱気な、その言葉。

 怪盗の気持ちが、ガジェット無しにしても良く分かる。

 そりゃ、親しい友人がいきなり殴りかかって来るなんて、普通は思わないし。

 つーか、いきなり殴って来るタイプの人間は、多分友人じゃない。

 もっとおぞましい何かだと思います。

 

 しかし、今回はそれが良い方に働いた。

 コハネの傍若無人さが、怪盗の逃走を防いだ形になったからだ。


「っと、まだ息があるんですか」

「まさか息の根を止めるつもりで殴ったのかよ。友人を」

「私の友人なら、これくらいでへこたれない筈です!!」

「お前の友人はゴリラか何かかよ」

「まあ、止めを刺しておきましょうか。宝石を持ち逃げされても困りますからね」

 

 そう言いながらコハネが立つだけで、怪盗は怯んだ。

 一発パンチを貰っただけで、すっかりトラウマになっているらしい。

 必死でコハネから距離を取ろうとするが、しかしコハネの眼光に晒されて、動くことが出来ないでいる。


「で、先輩。この人が怪盗なんですよね?」

「今言うのかよそれ。ああ、間違いなく怪盗だよ。丁度いい、ちょっとそいつを見張っていてくれ。俺は、マグレ刑事たちを呼んでくるから」

「抵抗したらどうしますか?」

「抵抗出来ないようにしろ」

「分かりましたぁ!!」


 爽やかなコハネの回答に、うつむいて倒れている怪盗の身体が震えた。

 コハネの恐ろしさを、理解したことだろう。


 これで怪盗は確保したも同然だ。

 後は、盗まれた俺のものと、ガジェットを取り戻して、身柄をマグレ刑事達に引き渡してしまえば、それで終わりだ。

 一時はどうなるかと思ったけれど、どうやら無事に怪盗退治は終了した。

 

 しかし。

 怪盗は、まだ諦めていなかった。


「こんなところでは、終われませんわね!!」

 

 その瞳には、未だに闘争心が溢れている。

 コハネのパンチに心を折られながらも、怪盗は戦う意思を捨てていなかったのだ。

 震える手で怪盗が掲げたのは、一つのガジェット。

 俺から奪い取った5つのガジェットの内の、最後の1つ。


「……あっ!!」


 それを見たコハネが、驚きの声を上げる。

 怪盗が手にしているガジェットの正体に、気付いたのだろう。

 慌てた様子で、そのガジェットの発動を止めようと、怪盗に向けて躍り掛かる。


 しかし、怪盗の方が早い。

 ガジェットは、使用者が念じることによって即座に発動する。

 その速度は、たとえコハネといえども止められるものではなくて。


「……ごきげんよう」


 挨拶の言葉は、まるで捨て台詞のように。

 怪盗の姿が、掻き消えた。

 ガジェットによる、一時的な避難ではない。

 怪盗の姿は、完全にこの場から消え去っていた。


 怪盗が使用したガジェットの名は、強制転移型ガジェット『イグジッ戸』。

 その効果は。


「先輩! 逃げられましたよ!!」

「ああ、そうみたいだな」

「って、どうしてそんなに落ち着いているんですか! あ、やっぱり、怪盗とグルだったんですか!?」

「やっぱり、ってどういう意味だよ。まさかお前、俺を疑っていたとでも言うのか」

「疑っていましたね」

「言いやがったな!?」

「だって、これまでの言動からして信じられないですし。今回も若干怪しいんですよ。ちょっと殴って吐かせましょうか。大丈夫です、胃の中身が無くなるまでには終わらせてあげますから」

「だから違うって! というか待て! こっち来るな!」


 こちらににじり寄って来るコハネを、慌てて制する。

 ちゃんと説明しないと、さっきまでの怪盗と同じような目に遭うことになると分かったから、説明しよう。


「ほ、ほら、さっきのガジェット、お前も知っているだろ?」

「はい、強制転移のガジェットですね。あれを使うと、私達の本部、『OZ』の本社ビルに強制的に帰還することになる奴です」

「そう、まさにそれだよ、良いか、怪盗は『イグジッ戸』を使ったことで、俺達の会社の本部に飛ばされることになった。本部は、それこそ多くのチートアイテムが保管されている場所だから、厳重なセキュリティが働いている。そんなところに、得体の知れない怪盗が飛ばされたとしたら、どうなると思う?」

「それはまあ、捕まるんじゃないでしょうか。『OZ』のセキュリティ部門、それはもう有能ですもん、以前も先輩が追っかけ回されたりしましたよね」

「……嫌なことを思い出させるなよ」


 銀河の果てまで逃げたな、あの時は。

 それはともかく。


「つまり、本部に飛ばされた怪盗は、自分で袋小路に飛んで行ったようなものだ。この場で追い詰めてやれば、やつはきっと最後のガジェットを使うと、そう分かっていたからな。だからあえて奴を追い詰めて、本部に飛ばしたって寸法だよ」

「はぁ……」

「さあ、仕事も終わったことだし、早く本部に戻るぞ。そこで、無様に捕まった怪盗の奴の顔を、じっくり拝んでやるんだからな。ほら、早く帰ろうじゃないか」

「さては、まだ怪盗に奪われたもののこと、諦めてないんですね?」

「当たり前だろ」


 何で諦めなければいけないんだよ。


「別に私はどうでも良いですけど。仮に怪盗がセキュリティに捕まったとしたら、怪盗の持ち物って没収されますよね」

「……あ」

「それが先輩のものだって、証明出来ると良いですね」

「すぐに帰るぞ!!」

「無駄だと思いますけどねー」

 

 急いで軽トラックに乗り込み、コハネと共に出発する。

 結局、この世界のマグレ刑事達に別れの挨拶も出来なかった。

 

 しかし、怪盗の奴は余裕もなくガジェットを使用したせいで、『炎の女王』は、ケースの『アスガルズ』ごと、部屋の中に残されているから大丈夫だろう。

 

 怪盗も、代わりに捕まえてやるから安心してくれ。

 今度何かの縁でこの世界に寄った時には、お礼など渡してくれても構わない!!


 さあ急げ軽トラック、怪盗を捕まえる為に。

 そして、何よりも大切な俺の金を取り返す為に。


      ◆      ◆      ◆         


「いえ、別に誰も捕まってはいませんね」

「……は?」

 

 『OZ』の本社ビルに帰った俺を待っていたのは、予想外の言葉だった。

 あまりに予想外で死にそうになったが、改めて聞き直す。


「そ、そんなことはないだろ? 不審人物が本部に侵入して、捕まっていたりするんだろう? な?」

「ですから、そういう話は来ていませんけど……」


 俺にその事実を告げた、メガネの事務員の女性が、申し訳なさそうに言う。

 

「……何で?」


 怪盗は、確かにこの本部に飛ばされていった筈だ。

 それなのに不審人物は、誰もいなかったという。

 この本部、関係者以外は絶対に侵入出来ないという触れ込みなのに。

 まさか、セキュリティに穴があったとでも言うのだろうか。それはそれで、その穴について調べたいところだが。

 

 とにかく、怪盗はいない。

 

 だから、俺の取られた物が、返って来ない。

 なおも食って掛かろうとするが、メガネの事務員は、あまりにも怯えたような態度なので、その気も失せてしまう。しかも、この人、何故かお腹を庇うような所作をしているが、変な物にでも当たったのか。

 まさか、誰かに殴られた訳でもあるまいし。


 と、そのメガネの事務員は、おずおずと一枚の書類を取り出した。


「あと、こちらが」

「何だ、これ?」

「苅家ヒビキさんに、社長から出頭命令が出ています」


「…………は?」



                                   つづく

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