事実
貸本屋の裏の階段から、二人は自室へ上がろうとした。すると、階下から二人を呼ぶ、鈴を転がすような声が聞こえた。この貸本屋を一人で営んでいる女主人である。
「あら、お帰りなさい。何処へ行ってらしたの」
「ああ、ちょっとね、調査ですよ。例の、喫茶店のやつです」
「あら、まあ……ご苦労様。御夕飯、どうします? あとで私、お部屋に運んでおきましょうか」
「そいつあ有難い。じゃあ、お願いします、佳代子さん」
女主人、――
***
元畑佳代子。二年ほど前から、此処S坂で貸本屋を始めた、器量のいい女性。
事件が起こった日のことだ。空は、夕食の席で、佳代子にそれとなく事件のことを話した。すると、佳代子は目に真珠のような涙を溜め、顔を伏せた。涙ながらに、辰弥が自分の良人であること、美江が辰弥の不倫相手であることを話したのだ。つまり、この二人を殺す動機が、彼女には充分あるということだ。更に、佳代子の部屋の押し入れから、例の事件で使われたものとしか思えぬ、血まみれのガラス瓶と縄が見つかった。……
「潔子ちゃん、あの凶器は、佳代子さんのお部屋にあったんだね」
「ええ、そうよ」
「そうか、そうなんだよなァ……」
「空君、どうしなすって?」
彼が煮物の芋を箸先で弄ぶのを咎めるように見ながら、潔子が尋ねた。箸を置き、空は膝に乗せていた襟巻を引っ掴んで、くちゃくちゃにする。
「空君、お行儀が悪いわ。……あなた、もう十中八九は掴めてらっしゃるんでしょう。だったら今は、まだ分かっていない一、二を綺麗にまとめるために、しっかり御飯をお食べなさいな」
「は、はい……」
空は肩を竦めて、再び箸を取った。どっちが保護者だか、分かりやしないな――しかしその口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
そう、十中八九は掴めているのだ。
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