帰路

 帰り道、うつろはちらちらと潔子の表情を窺っていた。もともと表情の乏しい顔だが、何故か今は、憤慨しているように見える。空は恐る恐る、潔子に尋ねた。

「あの、お潔ちゃん。もしかして君、何かに怒っていやあしないかい?」

「どうかしら。どう見える?」

 ああ、これは間違いなく怒っているなあ――空は狼狽した。潔子はつんと澄まして、空の手を握っていた手に力を込めた。

(さっきの旦那との話、聞かれたのかしら。いや、それにしたって、九つのこの子が話の内容を理解したなんてことは……お潔ちゃんじゃあ、有り得るな。こいつは参ったなあ。……)

 ひんやりとした空気とは裏腹に、空はねっとりとした汗をかいている。潔子は相変わらずの無言で、それがより一層空を焦らせた。黙って歩いていると、いつの間にかS坂に差し掛かっていた。彼らが間借りしている貸本屋もすぐ其処だ。潔子が口を開いた。

「空君、私、さっきの話、全部聞いていたわ。空君が、もっとつっこんだことを聞き出せるように、席を立ったんだけど。小橋さん、口が軽いのね。知りたくない、余計なことまで知ってしまったわよ。ああ、そういえば私、廊下でこんなもの拾ったわ」

「それは、佳代子さんは僕らのことを知っているからだろう? ……こんなものって何? ああ、これか。うん、これは僕が持っておこう。それで?」

「小橋さんはお喋りが過ぎるわ。あんなろくでもないお話を、まだ二十歳にもなってないに聞かせるかしら。よほど、分別のないお方なのよ」

 その刺々しい口調に、空は一層震えあがった。

「ま、まさかとは思うけど、お潔ちゃん。君、さっきの話、全部分かったの」

「私、綾樫の娘よ。分からない訳ないじゃない。空君だって、私ぐらいのときには大抵のことを御存知だったでしょう。純粋無垢な幼少期なんて、私たちには無いの。そうじゃなくって?」

 潔子の手は熱く、そして震えていた。それはこみあげる怒りからであっただろうが、空にはそれだけでは無いような気がした。

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