第59話 あまい時間
吉澤の作ったシュークリームは思ったよりも美味かった。甘さ控えめで、香り高いカスタード、ふわふわした生地。子供の頃食べていたのと全然違う。案の定カスタードをこぼす事案が続出したけど、やっぱり美味いものはうまい。
もしかすると先入観でまずいと思い込んでいただけで、今までぼくはかなり損をしていたのかもしれない。
母が戸棚から出してきた来客用の紅茶も功を奏したのだと思う。頂き物だという茶葉は、なんとも言えない花のようないい香りで、お湯を注ぐと鮮やかな赤茶色が広がる。ぼくは紅茶が好きだ。特にストレートで飲むのがいい。
「うまいね」
ぼくが褒めると吉澤ははにかんだように笑った。吉澤は育ちがいいのか食べ方もとても綺麗だ。慎重な性格のせいかもしれない。一方まこさんは相変わらずの野獣状態だった。野獣というか、最近では人間らしさも出てきたので幼児のそれに近いかもしれない。幼い頃のぼくがそうであったように、大きな口でシュークリーム にかじりついては反対側の裂け目から惜しげもなくカスタードクリームをこぼした。鍋肌で丁寧に練られたカスタードは艶やかでなめらかな肌をしている。幼児の時のぼくよりもましなのは、きちんと皿の上にこぼすところだけだろうか。こぼれたクリームも、紅茶用のスプーンできれいにすくって食べる。このあたりはだいぶ行儀がよくなったと言えるだろう。スプーンの扱いもずいぶん上達したものだ。
しみじみと眺めるぼくの目線に気づいたのか、彼女が顔をあげてぼくの方を見た。あどけなく微笑む。口の端のカスタードが目に留まった。
おいしいわねえ、と母は吉澤と談笑している。ぼくは紙ナフキンで女の口元を拭った。彼女は紙についたクリームでさえ指ですくって口に運ぼうとする。
「カスタードならまだあるよ」
吉澤が席を立って金属のボウルを運んできた。確かに、中にはまだカスタードが残っている。女は嬉々としてカスタードをすくい、シュー生地に乗せて口に運んだ。ぼくもボウルの中のクリームに人差し指でそっと触れてみる。ぷるんと、柔らかい。口に運ぶととろけるように甘くて、バニラビーンズの香りが鼻から抜けて行く。
子供の頃が懐かしくなるような甘さだった。どこか落ち着くような。少なくとも、ぼくの思っていたような、ベトベトと固くて、練乳みたいに甘いクリームとは別物だった。ミルクが香り高く香る、コクのあるクリーム。
「やっぱり、お菓子はみんなで食べるのがいいよね」
吉澤がぼくを見て微笑んだ。ぼくもそっと頷いた。
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