第54話 思い出しても惜しむこともない

馬鹿みたいに思われるかもしれないが、多感な十代を過ごした自分の部屋にいると、精神年齢がその頃に遡るような気がする。もちろんそんなのはただの気のせいで、単にその頃の気持ちを思い出しているに過ぎないんだろう。ぼくの肉体は本人の意思とは関係なく老いていく。精神も肉体も鍛えなければ衰えていくのみというのはもはや自明だ。

同年代の人間がばりばり働いたり、家庭を持ったりしていく中で、ぼくは一体何をしているんだろう。焦る。焦りが不安となってぼくの精神を蝕む。じりじりと焦げるような焦燥感。落ち着かない心持ちをなんとか落ち着ける術はないかと部屋の中を見回す。茶色い天井、薄ぼけた白い壁。それらが迫ってくる。そんな気がする。

青春、というものをぼくはあまりに軽んじていたのかもしれない。恋とか友情とか、そういうものは所詮マンガやドラマで脚色された作り物の感情であって、頭の軽い学生がプロパガンダに踊らされているだけだ。十年前の僕はそんな風にたかをくくっていた。

田舎の小学生の中では出来の良い方だったぼくも、進学校の中ではほとんど落ちこぼれすれすれ。必死になって勉学に励むほど、優秀なやつらとの差が見えて愕然とする。世の中には一度読んだ文章を頭の中になんの抵抗もなく叩き込めるやつや、人の十倍遊んでいるくせに、成果も十倍出せるやつがいる。そんな現実を認めたくなかった。

躍起になって教科書にかじりついた。寝る間を惜しんでペンを握った。友人と触れ合う時間や女子に媚びを売る労力さえ割いて、全てを学習に向けた。

そしていざ、履歴書を書く段階になって気がつく。今まで自分がどんな無駄なことに血眼になり、また何をしてこなかったかに。


ぼくの人生は空っぽだった。良い成績を修めるためだけの努力は言い換えるとただの意地だった。周りの人間に見下されないためのぼくの最後の砦だった。目標も、夢もない。取り柄も趣味もない。支えてくれる友人も、恋人も、ぼくにはなにも残らなかった。


登や京子はそんなぼくの卑屈な黒歴史を知らない。だから彼らといると気が休まるのかもしれない。けれども同時に彼らは小学生だった頃の、まだ無邪気さの残るぼくを知っている。だから一緒にいるとむずがゆくて、恥ずかしくて、いたたまれない。もしもこの世に神がいて、ぼくの祈りが通じたなら、時間を中学受験を受ける前に巻き戻してほしい。もしもぼくが彼らと同じ公立に通って、もっと沢山の時間を共有していたら。ぼくもここまでひねくれることはなかったのかもしれない。あわよくば京子と付き合えて、女子の冷淡さに嫌気がさして、もとの友達に戻りたい、とかたわけたことを言って悩む。そういう青春がぼくにも送れたかもしれない。少なくとも、その頃には京子は今の旦那とは出会っていない訳だし。

そこまで考えて自分の甘さに嫌気がさした。なんて都合のいい。こんなのただの妄想じゃないか。最近こんなことばかり考える。もしも、もしもあの時。


もうやめよう。ぼくはケータイに手を伸ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る