そばにいたい、かもしれない

居場所として

第51話 彼女のこと

 女性というのはわからないものだ。吉澤はあれから、うちの居候のことがひどく気に入ったようで、何度かうちへ遊びに来たり、女子二人で出掛けたりしている。名前がないのは不便だからと、彼女のことをまこちゃんと勝手に呼び、まるで妹のように扱う。そういえば吉澤は一人っ子だったはずだから、同性のきょうだいができたみたいで嬉しいのかもしれない。

 ふたりで遊ぶようになってから、「まこちゃん」の社交性も少し増したような気がする。ぼくはというと、相変わらず家の中で陰鬱とした日々を過ごしていた。ただ、前と同じように一人でいられる時間が増えたのは正直助かる。家の中で、誰かと日常を過ごすことがぼくにはすでにストレスとなっていた。増してや相手は常識を知らない。食事の準備をするのもぼくだし、洗濯をするのもぼく。素直な人なので教えればすぐに直してくてるのだけど、それでもやはり、小さな子供を相手にしているようで疲れる。


 家の前で車が停まる気配がした。彼女たちが帰ってきたのだと思った。カーテンの隙間から外を覗くと、白い乗用車が見えた。そのうち玄関を開ける音がして、ばたばたと物音が聞こえる。ぼくはベッドに寝転び目を閉じて、その音をじっと聞いている。空気が乾いていて、ぼくの部屋は昼間だというのに薄暗い。

 乱暴な足音が階段を駆け上がってくるのが聞こえた。

 バタン!

 ドアが開く。声の出し方を知らない女が部屋に飛び込んできた。


 ああ、きれいだ。


 美容院へでも行ったのだろうか、髪が綺麗に結い上げられている。後れ毛が柔らかなカーブを描いて地面に伸びていく。

 顔には薄っすら化粧が施してあって、整った顔を余計際立たせる。彼女の顔が揺れるたび、耳元のイヤリングがサラサラと鳴った。

「きれいだ」

 ぼくが言うと、彼女は寝ているぼくに向かって飛び込んできた。みぞおちに骨が刺さってとても痛い。ドアの方から、少し遅れて吉澤が顔を出す。

「お邪魔してます」

「あ、うん」

 ぼくは女性を押しのけて上半身を起こした。外はもう随分明るいのに、自分がまだパジャマを着替えていないことが急に恥ずかしく思えた。


 吉澤は自前のクッションを床に敷いて座る。最近はずっとこうだ。家にこもりがちなぼくを気遣ってなのか、彼女は頻繁にぼくの家を訪れては女性を遊びに連れ出したり、ぼくの話し相手をしたりしてくれる。ケースワーカーみたいなものかな、と思うと少し虚しくなる。

「今日は美容院に行って、お昼食べて、買い物してたの」

 吉澤が大きなバッグから丈夫そうな袋を取り出した。書店の名前が書いてある。

「航平くん暇かな、と思って」

 袋からは推理小説や新書、雑誌が出てきた。

「そんな気を遣わなくてもいいのに」

「別に、気なんか遣ってないよ」

 吉澤が笑う。緊張のない自然な笑顔に少しドキッとした。

「これは?」

 ジャックと豆の木の、絵本だった。小さなこどもが読むような、文字の少ない絵本。

「まこちゃんにどうかな、と思って」

 吉澤は絵本をパラパラとめくる。名前を呼ばれた女性は、吉澤の方に近づいて行って、本を覗き込んだ。

「ジャックと豆の木」

 吉澤が絵本を朗読し始めた。職業柄、絵本を朗読する機会も多いのだろう。なかなか堂に入っていた。ぼくならこううまくは読めない。例の「まこちゃん」も、頬杖をついて吉澤の声に聞き入っている。


「おわり、どうだった?」

 絵本を読み終えた吉澤が、はにかみながらぼくの方を見る。

「まあ、たまにはいいよね、朗読も」

 ぼくも恥ずかしくなって視線を床の板目に這わす。

「ちょっとずつでも、文字が読めるようにならないかなって思って」

「ああ、そういうこと」

 いらなくなったら職場に寄付すればいいだけだしね!といいながら彼女は絵本をぼくの方に押しやった。


 子供を預かる仕事をしているせいか、彼女はぼくなんかよりよほど女性のことを考えている。彼女がどうすればもっと社会に適応できるかについて考えてくれている。ぼくは自分のことを少し恥じた。こんなにも誰かのために尽くしたことが未だかつて自分にはなかったように思えたから。

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