彼女たち
第40話 ヒーロー
家に帰ると、なぜか玄関に女性用のパンプスと子供用の靴が転がっていた。なんで、こんなものが? 嫌な予感を感じつつも家に上がる。
「ただいま」
と声をかけても反応はない。自分の家なのに、ぼくは警戒しながら廊下を進んだ。リビング兼ダイニングに人の気配はない。更に歩みを進めると、家の奥の方から物音がする。なんだ、足音か?すごく軽い--
奥から子供が走ってきた。お前は、さっきの。京子の子供じゃないか。手にクマのぬいぐるみを持ち、ブンブン振り回している。その後ろから、やけに楽しそうにはしゃぐ、母さん。
「なにやってんの」
「あ、帰ってきたの?きょうちゃーん」
母が呼びかけると、和室の襖がすっと開いた。そこから京子が顔を出す。なんだこれ、デジャビュか。幼児がぼくを見上げてびくっと体をすくめると、京子の方へ跳んで帰って、その足元に抱きついた。
「おかえり」
意地の悪い顔でにんまりと笑う京子。殴ってやろうかと思った。けれども子供の頃にボコボコにされた記憶がぼくにブレーキをかける。
「どうだった?」
「どうって、久々に豚玉食ってうまかった」
「はっ」
京子が鼻で笑う。それからハッとした顔で子供と目を合わせ、その頭を撫でた。そんな京子の背後から、例の女性が顔を覗かせる。彼女がぼくを見て笑った。ぼくは目線を足元に泳がせた。
「なんだよ、お前、帰るって言ってただろ。そもそもお前が、」
「黙ってたのはごめん、悪かった。
沙穂には、前々から、航平くんと連絡取りたいって、相談されてて」
「それでなんで、家まで」
「私が呼んだのよ」
母さん。
「この子のことで、相談があって。航平は知らないかな、京子ちゃん今看護婦さんやってるの」
嘘だろ、と思った。京子が看護助手だったらぼくは病室から逃げ出す。どこを怪我してても、血反吐はいてでも。
「声が出ないって、聞いて」
京子が背後の彼女を振り返った。目元に同情の色が浮かんでいるような気がする。母さんはどこまで話したんだろう。ふとさっきの嘘を思い出して怖くなった。京子はきっと話の内容を吉澤に伝えるだろう。吉澤はぼくの嘘をどう思うだろうか。
「ストレスが原因で、声が出なくなることもあるって、聞いたことがある。
でも本当に見たのは初めて。おばさんごめんね、力になれなくて」
「ううん、いいの。京子ちゃんにはほんとうに、航平が小さい頃から世話になりっぱなしで、いつもごめんねぇ」
「なに言ってんのぉ、おばさん。そんなのいつものことだよぉ」
京子が母さんの肩をさすった。みんなほんとに大きくなったね、母がそう言って目頭を押さえた。きっと母はぼくが幼稚園児だった頃を思い出して泣いているのだろう。そのころぼくのヒーローは、京子だった。気の小さいぼくは大柄な男の子たちにいつもいじめられていた。そんなぼくを見つけると、京子がスコップを振り回して駆けつけてくる。
京子は相手が男だろうが、大人だろうが、関係なかった。ぼくはいつもダメ。反論しようとすると声が詰まってうまく喋れない。泣かされることもしょっちゅうだった。そんなときは京子が、ぼくを母のところへ連れて行ってくれる。泣いていて話ができないときは、京子が代わりに全て喋ってくれた。そんなわけで、母の京子への信頼は厚い。根がお人好しの母はたぶん、京子の本性に気づいていないのだ。
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