完璧なアリバイ

「お前は俺を誰だと思っているんだ?」

 松山刑事は足早に歩きながら、私に向かって毒づいた。

「僕の友人だ。そして警視庁捜査第一課の係長でもあるな」

「そうだ。それはどんな仕事だ? ついデスクでうとうと居眠りをしてしまうような仕事か?」

「いや、すごく忙しい仕事だ」

「そうだ。昼メシを食う時間がないくらいにな。今日はようやく昼メシが食えると思っていたのに、なぜ俺はこんなところを歩いてるんだ?」

 いそいそと一人で昼食に出かけるところを本庁前で待ち伏せされ、日比谷公園へ呼び出されたのがよほど気に入らなかったのだろう。さらに続けて、「俺がお前の言うことを何でも聞くと思ったら、それは大きな誤りだ。それとも何か、お前に逆らえない理由が、何か俺にあるのか?」

「君が奥さんに知られたくない秘密を、僕は知っている」

「全くふざけたヤツだよ。世の中には時効ってもんがあるんだぜ」

 私たちは日比谷公園に到着すると、遊歩道を中央の噴水の方へ歩いた。正午になったばかりでまだ人影は少なく、遠くからでも噴水の水が落ちる音が聞こえた。閑散とした売店の周りで、何羽かのハトが物欲しそうに地面を物色していた。昼休みにサラリーマン女子がこぼしていくスナック菓子のカケラでも期待しているのだろう。噴水の前を通り過ぎ、芝生の枯れた広場の前のベンチに私たちは並んで座った。

「P大学の事件について知りたいんだろ? 担当の刑事が俺の仲のいい同僚だってことまで調べたのか? 」

「いや、それは知らなかった。ただ、君に聞けばいろいろ教えてくれるんじゃないかと思っただけだ」

「いいか、これから喋ることは俺の独り言だ。一民間人に捜査の秘密をバラしてるわけじゃないぞ」

 片方の腕をベンチの背もたれに回しながら、松山刑事は言った。「まあ、とにかく、どうにも妙な事件なんだよ、これが」


「火野翼准教授は、P大学理学研究センターの実験棟にある、加速器室の作業場に設置された火災報知器の前で、胸をナイフで刺されて死んでいた。犯人は逃亡。当事者以外は誰もいなかったであろう閑散とした実験棟でなぜ死体がすぐに見つかったかというと、火災報知器のベルが鳴ったからだ。彼女が死ぬ間際に最後の力を振り絞って警報ボタンを押して危機を知らせようとした、と解釈していいだろう」

 公園の樹木は、くすんだ緑色の針葉樹と、葉を落とした落葉樹がまだらに入り混じっていて、どこか落ち着きのない雑多な風景を作り出していた。枯れた木々の灰色の枝の間から、向こう側の霞が関のビル群が顔を覗かせていた。松山刑事は続けた。

「ベルを聞いて調べに来た警備員が、倒れている彼女を発見して119番に通報したのが午後2時少し前。当時警備員が詰めていた正門横の守衛所から実験棟の現場までは急いで10分弱かかる。その1時間前の午後1時前後に、彼女がいつも頼んでいるデリバリーサービスの配達員が、休憩所のある管理棟でサンドイッチを彼女に直接手渡している。つまり、犯行が行われたのは午後1時から午後2時までの1時間の間、と推定される。検死の結果を踏まえ、さらに正確に言うなら、サンドイッチの消化具合や体温などから、ほぼほぼ午後1時半に絞り込むことができるそうだ」

「警報ボタンを押したのが午後1時半より前とすると、ベルが鳴ってから警備員が到着するまで、30分近くかかってるね」

「設備が古いせいか誤報が多く、いつもは先生方が管理棟で復旧していたから、今回もそう思ってしばらく放置していたそうだ」

「すぐに証拠が見つかったと聞いたよ」

「ああ、警備員の証言から、その日の午前中に研究センターにやってきていた多田正教授が真っ先に疑われ、指紋を採取したところ、凶器の小型サバイバルナイフに残っていた指紋とドンピシャ。同型のナイフの販売店をリストアップし、購入履歴を調べたところ、なんと多田の大先生ご本人が、犯行の前日に実験で使うロープ切断用と称して購入していたことがわかった。さらに、遺体の爪の間から採取した皮膚片のDNA鑑定の結果もクロ。つまり、まるで隠そうとする意志のない、単なるクレイジーな犯行だ」

「それじゃ疑問の余地なし、ということになるけど。本人は自供したの?」

「事件については黙秘。ただ一点、彼はアリバイを主張している。犯行時刻に、彼は仙台にいた。Q大学の午後1時半から始まる3コマ目の講義のため、教壇に立っていたっていうんだよ」

「そして、調べてみたらその通りだったんだね」

「そういうことだ。犯行時刻に、現場から400キロ近く離れた場所で大勢に目撃されているんだ。講義の後、そのまま続けて学生の個別の質問にも答えている。本人はその時間、仙台にいたんだよ」

 そこまで言うと、やはり腹が減っているのか松山刑事は、近くのベンチで弁当を広げ始めたサラリーマン女子達にチラリチラリと視線を投げ始めた。前日の寒さとは打って変わって、今日は外で弁当を食べられるほどの陽気なのだ。二月の天候は変わりやすい。

「そして、同時刻に彼が東京で殺人を犯したという証拠も充分すぎるほどある」

 私は、彼の興味を弁当から事件へと引き戻した。

「ああ、しかし今のままでは起訴したところで、公判で検察が負けてしまうことは明らかだ。弁護側がアリバイを主張したら、そこでおしまい。我々は捜査のいい加減さを世の中から激しく非難されるだろう。かといって他に犯人の当ては皆無だからな」

「勾留期限が来たら釈放だね」

「今のままならな。ただ、どうにも気に入らないのは、多田の大先生が犯行を否認しないことなんだ。この状況で無実だというのなら、黙秘なんかしないでハッキリ否定すればいい。それが、否定しないどころか、彼の態度には何かしら挑戦的なものが感じられるらしい。まるで、犯人は自分だ。あなたたちにこの命題が証明できるかな? とでもいうような」

「ともあれ、多田教授は事件の何かを知っている」

「無関係ということは、ないだろう。面倒なことに、そろそろマスコミも嗅ぎつけ始めている。ヤツめ、テレポーテーションでもしたってか」

 松山刑事は吐き捨てるようにいうと、ベンチから立ち上がってスーツの尻を払った。

 タイムマシンの次はテレポーテーションの登場だ。山田明日の顔を思い浮かべながら、私は頭を小さく左右に振った。


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