月夜に死神と晩餐を

神水紋奈

序夜 魔界のざわめき


 赤く燻る虚空を、黒光りする雷が彩っていた。轟くような雷鳴とともに穿たれた雷が、褐色の枯れた大地を震わせる。

 暗雲と、雷鳴とともに光る赤の雨。その雨が枯れていた大地を濡らし、まるで血の涙を流しているようにも見える。


 それは、予兆だった――。


 赤く濡れた大地に落ちた黒き光が大地をえぐり、乾いた土を露わにしたかと思えば、止み間を見ない雨がそれを埋めていく。

 絶えることのない赤は、どこか絶望さえも予感させた。


 その様子を、遠く離れた窓から見つめている者がいた。分厚い硝子の窓に、打ちつける赤い雨が滴る。

 その滴る水滴を、鋭い爪で飾られた指でなぞった。


「……くふ」


 その口から漏れたのは、背筋が凍るような笑い声だった。その目が見つめているのは、己が治める街だった。

 黒の雷を受けて光り、雨で赤く染まっていく灰色の城下街を見下ろしながら、その男は何がおかしいのか堪えきれない笑いを零す。


「くはは、ははっ」


 真っ赤な瞳を細め、青黒い豪奢な服が乱れるのも気にせず、男は腹を抱えて笑った。年を重ねるにつれて灰色になった長髪が、乱れる。


「この時を、どれだけ待っていたか……」


 つ、と上げられた口角から、鋭い牙と真っ赤な舌が覗いた。


「堕ちよ、我が可憐な姫君。お前の生きるべき場所は、そこではない」


 その時、耳をつんざくほどの轟音が鳴り響き、激しい光が男の顔を一瞬黒く染めた。


「ふ、ふふ、天も、この時が待ち遠しかったのだろう。こうして祝福の雷を鳴らしている」


 天を仰いで鳴り響く雷鳴に聴き入っていた男の耳に、高揚していた気分に水を注すような不快音が届き、男は顔をしかめた。


「誰だ、人がせっかく良い気分でいるところに」

「陛下……っ」


 騒々しい音とともに開かれた扉に向かって、男は巨大な鎌を一閃させた。


「ひっ!」


 鼻の先に鎌を突きつけられ、玉間に入ってきた男は息を飲んだ。その顔が、恐怖に歪む。


「うるさいぞ。何用だ」


 陛下と呼ばれた男は、不機嫌も顕わに訊ねた。


「へ、陛下、ディア様が……」


 絶えず鳴り響く雷鳴の中、辛うじて聞こえる家臣のかすれた声に、男は目を細めたのち、突きつけていた鎌をおろした。


「ディアがどうした」

「は、はい、陛下の言いつけを守らず、人間界に向かったようなのです!」


 鎌の恐怖が消え、安堵の表情で続けた家臣の言葉に男は盛大に舌打ちをした。不機嫌であることを隠そうともせず、顔を歪める。


「あいつは……こんな大切な時に、一体何をしている!」

「それが……、わかりかねます。ブオが一緒にいるのは間違いないようですが……」


 男はため息をついた。


「まあ、いい。今に帰ってくるだろう。それよりも今は、この陶酔感に浸らせてくれ」

「かしこまりました」


 深々と頭を下げて玉間を後にした家臣を見届けると、男はにやりと笑う。


「さあ、我が姫君、その顔を我に見せてみろ――……」


 一際強くなる雨と、一向に鳴り止まない雷鳴の奏でる合奏曲を全身で感じながら、男はその時を、今か今かと待ってるのだった。


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