その31 死人

 食堂に上がると先ず“勇者”と目が合って、驚く。

 思わず腰におさめたリボルバーに手が伸びた。

 だが、周囲に闘争の気配はない。


「おはよう、シキナ。……それに、マン=タイプO」


 “勇者”の背後から、レミュエルがひょいと現れた。


「奴を野放しにするつもりですか?」


 あいさつを保留にして、訊ねる。

 目下、“社”の安全は、シキナに責任があるのだ。

 抜き身の刀みたいな輩を自由にするほど、彼女は甘くない。


「もう問題ないらしいよ」

「らしい、って」


 無論、信用はできなかった。

 この老人は、元冒険家だからか知らないが、“危険”だとか“異常”とされるものを好んで身近に置きたがる傾向にある。


「……しかし。コイツ、人を殺します」

「若きお二人によると、危険は取り除いたそうだ」


 レミュエルが言うと、同じテーブルで食事を摂っている二人が、控えめに視線を上げた。

 合原光久。それに上水流魔衣。

 老人はこの二人の若者に、全幅の信頼を寄せているらしい。


 シキナは疑わしげに目を細めた。


「ただ、もし“勇者”が少しでも怪しい動きを見せたら、その場で頭を撃ち抜く。いいね?」


 身も蓋もない約束をするが、光久は少しも動じず、ミソ・スープを啜った。


「了解です」


――ほう。なるほど。


 彼の態度からは、確信めいたものを感じる。

 何か、シキナの知らないカードを得たらしい。


 “かんなり”が最初に“試練”を賜る時、手助けになるアイテムを都合してもらえる場合があるという。聞くところによると彼は、まだ“試練”も知らされていない新入りニュービーだ。そういうことがあってもおかしくはない。


「ところでシキナ。……君はこれから、いつも通りかね?」


 老人の問いかけに、うなずく。

“いつも通り”とはすなわち、今夜も“社”の周辺を見回っているか、という意味だ。


「食事が終わったら、久々に魔法を使おうと思う。光久君の頼みでね」

「魔法?」


 シキナは首を傾げる。


「あなた、そんなの使えたんですか」

「そういえば、まだ君には見せてなかったな。機会もなかったし」

「具体的に、どういう魔法なんです?」

「単純な降霊術だよ。シキナには、その付添人を頼みたい」


 老人は、ナイフとフォークで丁寧にライスボールおにぎりを口へ運びつつ、言う。


「こうれい……?」


 シキナは首を傾げる。

 彼女も、この“社”の全てを把握している訳ではないのだ。


「昔、ちょっと囓ったことがあってね」


――余興に、軽い手品を見せよう。


 と、そんな感じの口ぶりだった。

 さすがに苦笑を禁じ得ない。

 元のセカイで、どうしても必要な情報を得るため、わざわざチベットに渡って死者の魂との対話を試みたことがある。

 あの時は、たったそれだけのために、ずいぶんと高い代価を支払わされたものだが。


――なるほど。「少し囓った」程度でできる術なのか。

 

 “造物主”が創ったセカイは多様だ。

 そういうことも、稀によくある。


「わかりました。……ちなみに、危険はありますか? 死人がゾンビーみたいになって、襲いかかってくる、とか」

グラブダブドリッブほんばの連中と違ってね。私の術は、少し話ができる……ただそれだけさ。実体を呼び出したりはできない」


 食後、レミュエルに導かれ、光久、魔衣、シキナ、マンの順に、彼の部屋へと向かう。


 レミュエルの部屋は、“社”の中でも、一際広い。

 元々、船長室であった場所を改装して使っているためだ。

 そもそも、この“社”の元となった船、『アドヴェンチャー号』は、彼が船長を務める帆船であったという。レミュエル老人は、船ごと異世界に飛ばされた“かんなり”という訳だ。


 部屋に着くと、もうすでに儀式の準備は終わっていた。

 そこには、退屈そうにしている月華の姿も見える。

 彼女は、丈の高い椅子で足をぶらぶらさせながら、握り拳大のカプセルを弄んでいた。


 こちらに気付くと、

「あ、こんにちはです、みなさん」

 しゅたっと片手を挙げ、無邪気な女の子に見えるよう計算し尽くされた笑みを浮かべた。


 シキナは、そんな月華の顔を見て、素知らぬ表情で言う。


「おはよう、月華」

「シキナも、おはようです」


 彼女にしては、元気いっぱいの挨拶だ。

 先ほど寝床に潜り込もうとしていたことは、完全に誤魔化すつもりらしい。


「準備しておいたから、いつでもどうぞ」


 月華は素早く話題を振って、水晶玉が飾り付けられたテーブルを指さす。


「ありがとう」


 老人がにこやかな笑顔を向けると、少女は、プヒー、と鼻息を荒くして胸を張った。

 子供なりに一仕事やり遂げた気でいるらしい。


 老人は鼻歌交じりで水晶玉の前に座って、


「ええと。呼ぶのはあの、桃色の髪の“魔女”だったかね。名は、美空らいかと言ったかな」

「……はあ」


 光久少年は、「うわー、胡散臭いぞこれ」という顔で応えた。

 恐らく、レミュエルの“降霊術”とやらを本気で信用している訳ではないのだろう。


 だが、異世界の人間の能力は、こちらの常識を易々と覆す。

 もし、「ありえない」と思うようなことが目の前で起こっても、そういうものだと納得するしかないのだ。


「よーし。……では、ルールを説明しよう」


 老人はいったん光久たちに向き直り、


「死者は、基本的に本音を話す。ただし、その言葉が真実であるかどうかはかぎらない。いいね?」

「…………?」


 口をぽかんと開けて、今の言葉をうまく呑み込めないでいる光久。


「要するに、酔っ払いと接するような気持ちで話せ、と。そういうことだ」


 やむなく、助け船を出してやる。


「……ああ。了解」

「よし。では、死者には元気よくご挨拶するように」


 お気楽な口調で老人は言い、水晶玉の表面を軽く撫でた。

 何かの意味ありげな呪文を唱えることもなく、


「ハロー、聞こえるかい?」


 どこか、電話をかけるような調子であった。それがむしろ、妙な説得力を帯びる。

 すると、水晶玉にうっすらと少女の姿が映った。

 そして、


『はろはろ~、みなさん』


 ピンク髪の“魔女”の顔が、ドアップで映し出される。


「やあ、ご無沙汰。元気はどうだい?」


 レミュエルは親しげに声をかける。


『元気もくそも、死んでマスがな』


 言って、へらへらへらへら、と、気のない笑い声を出す。


『ドーモドーモ、そちらはアイハラくんじゃないデスか。ご機嫌いかが?』

「やあ、美空らいか。……こっちは元気だ。生きてるしな」

『ソレはなにより』


 光久少年は、少しだけ考え込んだ後、


「……ところで、死ぬってどんな気分だ?」


 恐らく、純粋な好奇心から生まれた質問をする。


『ドウでショウ?』


 らいかは首を傾げた。


『別に、普通デスよ?』

「普通? それって……」


 反射的に、シキナが口を挟む。


「耳を貸すだけ無駄だ」


 瀕死の兵士だけが、魂の在処を気にするものだ。

 シキナの常識において、そういった考えは教育上、あまり好ましくないものとされている。


「……っていうか君、本当に死んでる? なんか、そうは見えないけど」

『失敬な』


 “魔女”はぷんすか怒って、自身の顔に手を添えた。


 ……みぢっ……という嫌な音がして。


『ホラごらんのとおり』


 十センチほど、少女の頭部が持ち上がる。

 どうやらその首は、糸か何かで軽くつなぎ止められているだけらしい。


 その場にいるほとんどの者が目を剥いた。


『糸をほどいて、断面を見せましょうか? そこにいる“ユーシャ”さんがこう、ずばっとやった通りの切り口デスぜ』

「いや、いい」


 口元を抑えつつ、なんとか応える光久。


「ところでその一発ギャグ、なるべく人前でしないほうがいいぞ」

『ハア。……ギャグ?』


 少女は首を元に戻す。

 グラグラしたりしないのだろうか、と、シキナは思った。


「君が……この世ならざるものであることは、よくわかった」

『ご理解いただけて幸い』

「その上で。……一つ、知りたいことがあるんだが」

『なんでショウ?』

「これから君に会いに行くつもりなんだが。居場所を教えてくれないか」


 また、シキナが口を挟みかける。

 が、光久の表情を見て、止めた。


――これは、単純な好奇心から出た台詞ではないな。


 そう思えたためである。


『残念ナガラ、たいていのセカイでもそうだとサレルように、“はじまりの世界”でも、死者と生者の交流は、なるべく避けられておりマス』

「この“はじまりの世界”では、あらゆる決まりが適当に作られている、と、“造物主”本人が言っていた。……不可能じゃないはずだ」


 “造物主”の名を出されて、一瞬、“魔女”の表情が不快そうに歪む。


『あの方に会ったので?』

「……ああ」

『それで、ワタシを始末しろ、と。そう言われたのデスか?』


 すると、光久の眉間に、皺が寄った。


「そのとおりだ」


 なるほど。シキナは納得する。

 それが合原光久少年の“試練”という訳か。


――”死者を殺せ”と。


 なるほど、最初にしてはずいぶん厄介な“試練”を賜ったものだ。

 それだけ、彼の期待度が高い証拠かもしれない。


『もし、アナタがワタシだとして。……殺し屋に住所を教えるような真似、すると思いマス?』

「しない。俺なら」


 光久は即答した。


「だが、君の場合は応えるだろ。君が生粋の“魔女”ならば……」


 同時に。


 肝の据わったシキナでさえ、背筋がぞっとするような嗤い声が部屋中に響いた。


 水晶玉の中で、美空らいかが哄笑している。

 決して、大きな声ではない。

 抑揚のない、どこか人を不安にさせるような笑い声だ。


 “魔女”の嗤いをただ、文字に起こすならば、


『いひひひひあへへへへひひひひひひふふほほほほほほほへへへへへ』


 と。

 こうなる。


『アナタの仰る通りデスね。私が本当に“魔女”であれば、デスか。いひひひひひ。それも“造物主”サマの入れ知恵デショウ? さっすがあの方。ツボを心得てるナア』


 その時、ぴしり、と、水晶玉にひびが入った。


「む」


 レミュエルが唸る。


「古いのを使ったからかな? いかんなぁ。新しいのに買い換えないと」


 恍けた口調で、自身の道具を責めた。


 だが、“魔女”から何かしらの悪い影響を受けていることは間違いない。

 そう思わせるに足る禍々しいオーラが、水晶球越しにひしひしと伝わってくるのだ。


『あら、失礼。ちょっとテンションが上がったモノデ』

「気にしないでいいよ」


 “魔女”は光久に向き直る。


『じゃ、アイハラミツヒサくんにヒントをば』

「さんきゅ」

『――“魔女”の“社”へ来て下さい。そこが、ワタシに通じる道になると思いマス』

「わかった」


 決然として応える光久。


 出会った時は、妙に挙動が不審な青年だと思ったものだが、人間変わるものだ。


 もっとも、それも当然か。


――変わる必要があるからこそ、“造物主”は“かんなり”に“試練”を賜るのだ。


 一人で感心していると、太もものあたりに違和感を覚える。

 見ると、相棒のマン=タイプOであった。

 四本しかなくなった足で、必死に何かを訴えかけようとしている。

 片手を貸してやると、極端に戯画化された顔面がにじり寄り、耳元で囁いた。


「スマン、姐さん」

「は?」

「気付くのが遅れた。……かなりマズいことが起こってる」

「…………む」


 一言だけ応えて、ガンベルトに手を遣る。

 相棒が「かなりマズいこと」と言ったならば。


 それは、……“社”全体の危機を意味していた。


 マンは顔をしかめて、ひっきりなしに部屋のあちこちに視線を送っている。


「場所はわからん。ただ、ここに誰かいる。目に見えない誰かが」

「どういうことだ」



「この部屋全体に、――《SEP効果》が働いているらしい」

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