その10 プリコグ

 その後は特に何ごともなく、順調にことが進んだ。


「ええと。確か、ここらへんのはずなんだけど」


 魔衣が地面を捜索すると、

「……ん。あったわ」

 あっさりと目的の物が見つかる。


「良かったぁ。ハズレだったらどうしようかと」


 そして、を光久に放り投げた。

 慌てて受け取ると、――驚くべきことに、それに見覚えがあることに気がつく。


「あ、……これ、俺の携帯じゃないか」


 それは、折りたたみ式の、少し型の古い携帯電話だった。最初にここへ来たとき、落としていたらしい。いろいろなことが起こりすぎたせいで、気にもとめていなかったが。


「でも、なんで……」

「言い忘れてたけどあたし、プリコグでもあるのよ」

「……何だって?」

「だから、未来予知能力者プリコグ。あんまり得意な力じゃないんだけどねー」

「へー」


 よくわからないまま、胡乱に応える。


「さっきね、たまたまビジョンが浮かんだの。んで、ここまで足を運んできたってわけ」

「そうだったのか……」


 似たような景色が続いたこともあってか、気がつかなかった。

 ここは、最初に光久が倒れていた場所だったらしい。


「それ、何に使うか知らないけど、大切なものなの?」

「いや、別に。普通だけど」


 実際、光久はこの携帯電話という道具をあまり活用していない。ほとんどの場合、母親からお使いを頼まれるためだけにある連絡手段だった。


「あら、そう」


 そういう魔衣の表情は、少し残念そうだ。


「あたしの予知、よく外れるのよねー。君が泣いて喜ぶビジョンが見えたのに」

「そうかい」


 光久は少し笑う。

 どうやら、彼女が期待しているのは、感謝の言葉であるらしく。

 鈍感な光久も、それくらいは察することができた。


「……ありがとな、魔衣」


 言うと、魔衣は視線を背けて、

「うん」

 とだけ言う。


――よくわからんがこの娘、悪いやつじゃあなさそうだ。


 第一印象が最悪だっただけに、少女のことを見直しつつあった。


 ぱかっと携帯電話を開く。

 当然のように圏外だ。


「やっぱここじゃあ使えないか」

「何に使うものなの?」

「ええと。電話って知ってるか?」


 念のために訊ねると、魔衣は唇を尖らせた。


「それくらい知ってるわ。テレパシーのようなものでしょう?」


 苦笑する。

 超能力者のセカイでは、そちらの方がメジャーな通信手段らしい。


「これは携帯型の電話だ。話をする他にも、文書を送ったり、写真を撮ったりできる」

「へえ。ずいぶん便利なのね。……でもまあ、使えないんじゃあ意味がないか」

「そうだな。……ん?」


 そこで、携帯に一件のメールが着信していることに気付いた。


「……これ、母さんからか」


 どうやら、こちら側に飛ばされる、ギリギリの瞬間に届いたものらしい。

 内容は、至極単純なものだった。


『きょうの晩ご飯、すき焼きにするから。

 お腹すかしときなさい。

 買い食いしないように。』


 それだけだ。


「………………………………………………………………………………んん?」


 それだけなのに。


 ふいに視界が濁って、驚く。

 右手を頬にやって始めて、涙をこぼしていることに気がついた。


――ホームシックだろうか。いや、そんな馬鹿な。冗談じゃない。


 頭の中は、驚くほど冷静だった。

 苦しくも、哀しくもない。

 それなのに。


 なぜだか、涙が止まらなかった。


 それがどうにも、不思議でならない。

 確かに故郷を恋しく想う気持ちはある。

 だが、あくまでそれは、制御可能な感情であったはずだ。


 よくわからないけれど。

 もう二度と、母親には会えない気がしていた。


 反射的に頭を振る。

 高校生にもなって親離れできていないなんて。


――情けないにもほどがある。


 そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、不思議と逆効果なのだった。


「あらあら。予知が当たったわね」


 少女は、小馬鹿にするわけでもなく、皮肉をいうわけでもなく。

 ただ、優しげに微笑んで、光久を見ていた。

 慌てて目を擦る。


「ああ……悪い。なんか、……よくわからんけど。格好悪いな」

「ご両親を想って泣くのは、これっぽっちも恥ずかしいことじゃないわ」


 少女は断じた。

 彼女にも、身に覚えがあるのかもしれない。


「どうする? 手、つないで帰りましょうか?」


 少女が申し出るが、


「いらん」


 光久は、ぶっきらぼうに応えた。



 それから、およそ一時間。

 帰り道、二人の間にはほとんど会話がなかった。


 それでも、不思議と気まずい雰囲気はない。

 行きに通った森の中を抜けて、緑髪の人々が住まう村を進み、“社”へと辿り着く。

 その前で、少女はぽつりと呟いた。


「ねえ、光久。……あたしたち、組めないかしら?」

「組む?」

「君は、元の世界に帰りたいのよね」


 少し悩んで、

「……ああ」

 と、首肯する。


「あたしは、なるべくそのために必要な情報を提供する。その代わり君は、あたしの手伝いをする。……どう?」

「願ってもない話だ」


 光久は率直に感想を言った。


「あらそう。ならよかった。ま、実を言うと、ここまで、あたしが予知した通りの展開なんだけどね」


 片目を瞑って、皮肉交じりに言う魔衣。


「しかし、……いいのか。俺なんかで」


 不安があるとすれば、そこだけだ。

 情報を得るには、対価に見合う働きが必要である。

 下手に彼女と組んだところで、足を引っ張るだけになるのではないか。

 実際、超能力を操る女の子に、自分が手助けしてやれることなんて、何一つないように思えた。


「わかってないなー。この“はじまりの世界”で、まともな仲間を得るのが、どれだけ難しいか」


 少女の口調には、含みがある。

 どうやら、これまで相方捜しにはずいぶん苦労させられてきたらしい。


「わかった。よろしくな」


 ならば、その期待に応えてやろうじゃないか。


――仮にそれが、少女がた予定調和にすぎないとしても。


 光久は手を差し出す。

 少女は、そっとその手を握り返した。


「こちらこそ、よろしくね」


 見ると、笑みを浮かべた太陽が、地平線の向こうへ消えようとしている。

 頭の上では、寝ぼけ眼の三日月が、ちょうど目を覚ましたところであった。


*        *        *


――“超能力者の世界”。


 上水流魔衣が故郷とする場所は、そういうふうに呼ばれている。

 そこがどういう世界なのか、具体的に想像するのは難しい。

 話によると、彼女の世界では、不思議な力を操る人間が、人口の大半を占めているという。


「ずいぶん、ユニークな故郷だな」


 褒めたつもりでそう言うと、魔衣は苦笑して、首を横に振った。


「ある特定個人の裁量で、世界が正にも負にも傾く世界よ。ろくなものじゃない」


 そういうものなのだろうか。

 実際にその世界に生きた者でなければ、その言葉の真意は掴めないのかもしれない。




 上水流魔衣の能力は、大きく四つに分けられるという。


 一つ、“念動力”。手を触れずにモノを動かせる能力。

 二つ、“発火念力”。どこででも炎を発生させる能力。

 三つ、“瞬間移動”。空間を瞬時に移動する能力。

 四つ、“未来予知”。まだ起こっていない出来事を予測することができる能力。


 このうち、彼女が得意とするのは“念動力”のみで、その他の能力は、よほど集中するか、ある種の偶然に依らねば、効果を発揮しないのだという。


「大したことないでしょ?」


 魔衣は謙遜していたが。


 そこまでできれば、俺の世界じゃ、スーパーマンなんだよなぁ……。


(2015年2月5日 記)


*        *        *

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