その8 銀の竜
そんなわけで。
異世界における最初の朝食は、青空の下で行われることになった。
まだかろうじて使えたテーブルを原っぱに置くと、次々に料理が並べられていく。
タケノコに似た食感の山菜と、鶏肉に似た食感の肉をミルクで煮込んだスープ。
数種類の野菜が入った卵とじ。
それと、口当たりの良いチーズに、麦芽パン。
限られた食材で作った割には、普段の朝食より豪華なくらいだ。
「……よく、ここまでのものを用意できたな」
感嘆と共に呟く。
実際、“ショートケーキ”の働きは見事なものであった。
丸太のような両腕を器用に動かし、散らかった台所を片付け、かまどを磨き、火打ち石で火種を作る。
良い匂いがしてきたと思ったら、あっという間に朝食ができあがっていた。
『お味はいかがでしょう?』
「うん。……悪くないよ」
率直に褒めると、ロボットは安心したように言う。
『それは良かった。私、味見ができないもので』
言われてみれば。
“ショートケーキ”の頭部は、小型のゴミ箱を頭から被ったような形状をしていて、“口”にあたる部分が見当たらない。
「そのわりには、絶妙な塩加減だな」
『こちらに来てから、ずいぶん勉強したのです』
ロボットは少し誇らしげであった。
「ちなみにこれ、何の卵?」
ニワトリであってくれ、と、小さく願うが、
『ここより南に、“銀竜”と呼ばれている、トカゲに羽根が生えたような生き物がおりまして。その卵です』
あっさりと期待は裏切られる。
竜の卵。
竜。
……つまり、トカゲの卵か。
そう考えただけで、食欲がどっと減退するのは何故だろう。
考えを振り払い、卵とじの残りを口に放り込む。
こんなことで怯んではいられない。
これからは、図太く生きていかなくてはならないのだ。
* * *
朝食の後、俺は一日の大半を、ベッド上で座り込みながら過ごしていた。
考え事をする必要があったのだ。
俺がやるべきこと。
それは、単純にして明快だ。
――帰還の方法を模索する。
この他にない。
『ガリバー旅行記』じゃあるまいし、異世界で遭難など、冗談ではなかった。
だが、大まかな目標こそはっきりしていたが、何もかもが雲を掴むような話である。
――いかにして元の世界に戻るか?
ウンウン唸りながら考えた結果。
ノートに書き込んだ文章は、たった一行のメモだけだ。
『マイっていう女の子に 協力してもらおう ←かわいいので』
ちなみに、最後の“で”という文字は、ミミズがのたくったみたいに歪んでいる。
その走り書きをノートにメモった瞬間、ガチャリと部屋の扉が開かれたからだ。
顔を出したのは、たったいま『協力してもらおう』と考えていた少女、――上水流魔衣。
彼女は、部屋に入るなり、こう言った。
「ヤボ用があるの。ちょっと着いてきてくれない?」と。
(2015年3月4日 記)
* * *
小高い丘を降りると、農村へと行き当たる。
昨日、遠目で確認したように、村人はみな一様に緑髪だった。
近くで見ると、それに加えて、肌が少し浅黒いことに気付く。
言われてみればどことなく、緑の葉をつけた樹に似ていた。
――“木人”。
この世界の人間は、こういうなりをしているのが普通らしい。
のんびりとした手つきで農作業に従事する彼らを尻目に、光久たちは真っ直ぐに村はずれへと歩を進めた。
「どこに向かってるんだ?」
先を行く魔衣に訊ねる。
「森の奥のほう」
「おくのほう?」
ずいぶんと大雑把な返答だ。
「うん。それ以上、応えようがないわ」
「なにしに?」
「ふふ。だから、ヤボ用よ」
少女は、少しいたずらっぽい表情を見せる。
何か、秘密にしておきたい思惑があるらしい。よくわからんが。
▼
しばらく、二人で肩を並べて歩く。
――あ、これひょっとして、俺がリードして話題振ったほうがいいのか?
そう気づいたのは、ずいぶんと長い間、沈黙が続いた後のことであった。
――ええと。あーっと。なんか、話題は……。
いい天気ですね、とか。
いやいや、そんなんじゃなく。
もう少し気が効いた台詞を……。
あれこれ考えてみるが、どうしても、言葉が出てこない。
だんだん、沈黙が重荷になりつつあった。
――空想の中にいるときは、いくらでも話題が出てくるんだがなぁ。
まさかここに来て、経験不足が響いてくるとは。
「ぐぬぬ」
一人で思い悩んでいると、ふいに魔衣が口を開いた。
「ところで君、殺しは得意なほう?」
「なんだって?」
「殺しよ、殺し。知らない? 生き物を、生きてない状態にするアレ」
物騒な質問に、一瞬、言葉を失う。
だが、ここで無闇にビビっても格好悪い気がして、やむなく言葉を継いだ。
「……ゴキブリなら、何度か殺したことがある」
「なるほどね。いいわ」
少女はくすりと笑う。
「わりとデカいやつだぞ」
「ん。わかったわかった」
なんだか馬鹿にされている気がするのだが。
「ずいぶん、牧歌的な世界の生まれなのね。……素敵なことだわ」
少女はどこか、まぶしいものでも見ているかような口調であった。
それでも、まるで褒められている気がしないのはなぜだろう。
▼
それから、一時間ほど歩いたあたりであろうか。
「……………………………………………………………………ぅぅ」
合原光久は、歯の根が鳴りそうになるのを必死でこらえていた。
と、いうのも、先ほどから二人の後ろを、何かが追従しているのである。
察するに、――二、三十匹以上の獣。
「……なあ、魔衣。なんだったら、手をつないでやろうか?」
意を決して、ぽつりと訊ねてみる。
勇敢な男を演じたつもりだった。少しだけ声が震えていたが。
「別にいいわ」
対する魔衣は、にべもなく応える。
「そっか……」
もつれそうになる足を踏みしめながら、嘆息する。
「……野犬かな?」
独り言のつもりで言うと、足早に歩く魔衣が、短く応えた。
「違うと思う。“はじまりの世界”の犬は、人間に従順だから」
なら、なんだというのだろう。
森の奥へと足を踏み入れるに連れて、周囲を覆う陰は徐々に深くなっていく。
陰に潜むように、幾十もの眼光が、草葉の陰から覗き込んでいるのがわかった。
「多いな。数が。ほんと多い」
はっきりいってその台詞は、危機的状況下における発言としては冴えたモノではなかった。だが、自明の言葉であっても、口に出さずにはいられなかったのだ。
「……ん」
少女が小さく声を上げる。
釣られて光久もそちらに向くと、――一匹のトカゲのような生き物が、てん、てん、と、軽快なステップで現れた。
「……こ、……コイツは……」
息を呑む。
その生き物の姿には、不思議と見覚えがあったのだ。
――竜。ドラゴン。
ファンタジーもののRPGではお馴染みのヤツである。
体高は三十センチくらい。銀色の鱗に、小さな羽根のようなものが背についていて、歩くと一緒にピコピコ動くのが可愛らしかった。
* * *
“銀竜”は、この世界においては最もポピュラーな竜種の生き物らしい。
幼体でニワトリぐらいのサイズ。成体になると、アフリカ象ほどの大きさになるというこの生き物は、“獅子の子落とし”を地で行っている産卵方法が有名だ。
“銀竜”は、一度に数百個ほどの卵を産むとされるが、産卵の時期になると、わざわざ人里を探して飛び、その周辺を狙って、さながら爆撃機の様相で卵をばらまくのだという。
卵の殻は鋼鉄のように固いが、その黄身は美味で、大半は人間の手で獲られてしまう。わざわざ天敵の近くに卵を産むのは、我が子を甘やかして育てたくないという親心からか、数千の時を生きるとされる、竜族ならではの遊び心か。
この世界においては、時として正気を疑うような生態系を発見することがある。
これは、ほんの一例に過ぎない。
(2015年3月8日 記)
* * *
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