その43 勇者対妖怪

 魔衣の宣言と同時に、“勇者”の唇が動いた。


『――《バースト》、《アクセル》、《バリア》、《フォース》、《オウラ》』


 何やらぶつぶつ呟いている言葉は、全て自己を強化する類の呪文らしい。

 “勇者”が術を行使する度に、その周囲に様々な色の光りが生まれていく。


「魔衣、……らいかの家まで飛べるか?」

「任せて」


 打ち合わせは数秒で終わった。

 らいかが何を考えているにしろ、もはや一刻の猶予もないと考えた方がいいだろう。


「あたしの身体に手を回して。……絶対離しちゃダメよ」

「言われなくても、離さないよ」


 魔衣の背中を、ぎゅっと抱きしめる。

 すると、少しだけ石鹸の匂いがした。


(こういう状況じゃなきゃ、性欲を持て余していたところだな、こりゃ)


 魔衣は、そんな光久の葛藤を断ち切るように、


「一気に飛ぶよ!」


 空中浮遊セルフ・テレキネシスで、二人の身体が垂直に浮き上がる。

 それとほぼ同タイミングで、“勇者”が剣を大きく振った。


『――《真空斬り》』


 瞬間、烈しい風圧が“勇者”を中心に発生する。


『――ギエ、エ、エ、エ、エ、エ、エ、エ……ッ!』


 それから一拍遅れて、あちこちから断末魔が聞こえてきた。


 振り返り際、”勇者”が敵影に向かって真っ直ぐに突っ込んでいくのが見える。

 まるで、敵を恐れる感情など最初ハナから持ち合わせていないかのように。


(頼んだぞ……!)


 心の中で応援しつつ。

 光久たちは、風を切るような速度で空を駆ける。


(このまま行けば、数分もせずに到着できる、……か?)


 だが、その目算はあまりにも甘すぎた。

 二人の行く手を、巨大な何かの影がが塞いで、


「――うわっとッ!」


 魔衣が、空中で急停止した。


「こいつは……!」


 一瞬、街全体が暗くなったのかと見紛う。


『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』


 それは、見上げるように巨大な骸骨の化物であった。


「で、でかぁッ!」


 思わず、見たままの感想を叫ぶ。

 見たところ、お台場にある原寸大ガンダムの倍ほど。三十メートルを優に越える体高だ。


「この……ッ」


 魔衣が、人さし指を大ぶりに振る。

 すると、光久の眼前で炎が燃え上がった。


――“発火能力パイロキネシス”。


 目の当たりにするのは初めてだ。

 だが、その火勢は弱く、目の前にある巨体のほんの一部を焼いただけにとどまる。

 朝飯を焦がした時とは大違いだ。


「……くそ! こういうときに限って出力が低い……っ」


 魔衣の口調には、明らかな焦りが見られる。

 能力が安定しないのは、精神的に追い詰められていることが原因かもしれない。


「魔衣ッ、とりあえず距離をとろう!」


 コイツの相手は、どう考えても光久たちがすべきではなかった。


「――なんなの、あれ……」

「たぶん、“がしゃどくろ”ってやつだと思う」

「知ってるの?」

「ああ。水木しげる先生の漫画で読んだことがあるからな」


 たしか、戦死者の怨念が集まってできた妖怪で、人間を食う、とかなんとか。


 ずしーん!


 地響きを立てて、髑髏の化け物が歩く。

 すると、プレハブでできた家が玩具のように倒壊していった。


「ごめんッ。いったん降りる……休ませて」


 どうやらそこで、魔衣のスタミナが尽きたらしい。

 ひとっ飛びでらいかの家を目指すはずが、“がしゃどくろ”に邪魔されたためだ。


 緩い放物線を描いて、二人は着地する。

 それとほぼ同時に、光久は魔衣を抱きかかえた。

 お姫様だっこである。


「ひゃっ。ちょちょちょ、ちょっと……!」


 有無を言わせず、光久は駆ける。


「少しくらい俺にも頑張らせろ」


 実際、らいかの家はあと1キロほど。走ればなんとかなる距離だ。


 そんな二人の背中を、“がしゃどくろ”が追う。

 その動きそのものは、実に緩慢だった。が、奴は、ちょっとした一挙一動に、街を滅茶苦茶にするほどの威力がある。安心はできない。


 どん、と。


 全力で走る光久の背後を、がしゃどくろの拳が叩いた。

 アスファルトがめくれあがり、二人の身体が、五メートルほど吹き飛ばされる。

 地面が遠くに見えて、歯を食いしばり、


「うおおおおおおおおお泣きそー!」


 着地の衝撃は魔衣が緩和してくれた。

 恐怖はあったが、立ちすくむほどではない。

 魔衣を信頼しているからだろうか。


「“勇者”はまだかっ。こーいう時こそ、アイツの出番だろ!」


 ぼやく光久の頭の上を、金色の光が一閃。


 見上げると、マントを羽織った金髪碧眼が、優雅にすら見える剣捌きで”がしゃどくろ”の右腕を斬りつけた瞬間であった。


『――ごお、……お、お、お、お、お、お、お、お、お、お!』


 “がしゃどくろ”が悲鳴を上げる。その右腕が、根本から崩れ落ちていく。


 そのまま“勇者”は、肋骨のあたりを足がかりにして、頭部目掛けて跳ねた。

 後は、……わざわざ目視で確認するまでもない。


 “勇者”により頭蓋を破壊された“がしゃどくろ”は、轟音とともにゆっくりと瓦解していった。

 空中から眺めていれば、息を呑むような光景だったろう。

 だが、光久は今、地を駆けており、周囲に見えるのは広がる土煙だけだ。


「……ゴホッ……」


 咳き込みつつも、かろうじてらいかの家を発見する。


 途中、”勇者”に一瞥くれてやってから、


(殺されかけた分の借り、返してもらったぞ……!)


 ほとんど滑り込むように、二人は家の敷地内に飛び込んだ。

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