5.いつか、魔人と魔女となって
初めての舞台が終わって、数日後。
ミュイルは、町の入り口に立っていた。
傍には、荷物を抱えたセドリック。彼はこれから、自分の家に帰るという。何でもミュイルの姿を見ているうちに、自分が何をしたかったのかを思い出せた、だから帰るとのことだ。
「ずっと逃げていたんだよ。前に進まない恐怖から」
人形師である彼は、ドールと呼ばれるものの、思考や行動等を司る『コア』と呼ばれる部品の製造で躓いてしまったという。それはヒトでいうなら、魂のようなもので、重要な部位。
彼はかつて、ヒトのようなドールを求め、魔人へと至った。
ゆえに、その願いに必要不可欠な部分での転倒に、自信をなくしてしまったという。
そして飛び出した。何もかも投げ捨てて。ここ十数年ほど、ずっとこうして町から町へあても無いままにさ迷い歩き、そしてこの町で彼はミュイルに出会ったのだ。
自分に道を示してくれた、いや思い出させてくれた、舞台女優に。
「だからボクは帰る。必ず願いをかなえて見せよう、キミのように」
「……うん。私も女優になるわ。絶対に」
今でも誰かを蹴落とす、という思考は理解できない。したくもない。頭の隅で、今はどこにいるかも分からない友人の『甘いわね』という嗜める声が聞こえ、思わず苦笑してしまう。
キーラはあれから、この町を出て行ってしまったらしい。
噂では遠くの、海を越えた先まで『逃げた』そうだ。
彼女の恋人だった青年は、現在裁判で刑が確定するのを待っている身だとか。そう重い罪にはならないというが、もう二度と脚本家として表舞台にあがってくることはないだろう。
そんな彼は、現在キーラを探すように知り合いに言っているらしい。失って初めて彼女を誰より愛していたと気づいたんだ、などと言い、できれば復縁したいと言っているとか。
「でも、きっとその人は戻らないね、絶対」
「……うん」
最後に見たキーラは、その美しい顔に大きなガーゼが張られていた。いくら諦めたとはいえかつては女優を目指した彼女だ。顔に傷をつけた男に、いつまでも縛られるとは思わない。
『冷たくなりなさい、ミュイル……自分のためだけに生きるのよ』
最後、キーラはそう言って微笑み、ミュイルをぎゅっと抱きしめた。彼女から見ると優しすぎるミュイルだから、優しいがゆえに傷つきやしないかと心配でたまらないのだと思う。
けれど、それでもミュイルは女優になる。
優しさを抱えたまま、前に進もうと思っている。
自分なりの方法で、女優になろう。
今はもう一つ、譲れない大切な――叶うはずのない、夢ができてしまったから。
「私ね、永遠がほしいのよ」
「永遠?」
「ずっと美しいまま、演じ続けていたいのよ」
くるり、くるり、とミュイルは腕を広げて舞う。
それをセドリックは、少し驚いた様子で眺めていた。
「永遠に舞台で、美しいままで、ずっと演じ続けていたいの」
初めて立った舞台は、想像を超えるほどの甘美さがあった。ずっとここにいられたら、どれだけ幸福な気持ちでいられるだろう。できるなら、ずっとこの舞台に立ち続けたい。
「だから、永遠がほしいのよ」
初めての舞台で、ミュイルの心にそんな願いが生まれた。
ずっと、この場所に立ち続けたい、数多の役を演じ続けたいと。もちろん、そんなことが不可能なのは知っている。だけど、心はそんなのはお構いなしに願い、声高に叫んだ。
永遠が欲しい、と。
セドリックはそんな彼女を、穏やかな目で見ている。
そして、言った。
「ボクはその願いの叶え方を知ってるよ」
「……え?」
ぽつり、とつぶやかれた言葉に、ミュイルは思わず息を呑んだ。
しばし思考が止まって、次に言葉が、疑問が溢れてくる。
「叶えられるの? 教えて、その方法を、教えて!」
「簡単さ。……すべてを捨てて、願いのために生きればいい」
そして『叡智』をその手に掴んで、ヒトを辞め、魔女になればいい。
セドリックの言葉に、ミュイルの心は喜びの声を上げた。叶わないとわかっていて抱いてしまった願いに、活路が用意されているというのだ。叶う可能性があると、いうのだ。
「ただし『叡智』が答えてくれるかは、神のみぞ知ることさ」
それは、そうだろう。
不可能を可能にしてしまうようなものが、そう簡単に手に入るわけにはいかない。
もしかしたら手を伸ばしても、届くことができないかもしれない。
一生を棒に振ってしまう結果に終わるかもしれない。
そして、セドリックは誘うように笑った。
その程度の犠牲を覚悟しなければ、高嶺の花は決して微笑まないと。犠牲を背負い、それでも手を伸ばして『叡智』を求めたものだけが、その恩恵という名の呪いを受ける。
失敗すれば地獄。
いや、そもそも失敗にすら至らないことがほとんどだ。
それでもいいのなら。
「――願いのために、生きてごらん」
たった一つの願いを抱えて、呪いの祝福を求めてごらん。
ミュイルは言葉を、必死に探した。答えはもう決まっている。あとは、その意思を、決意をどうやって目の前の『魔人』に伝えるか。どんな言葉で、言い返してやればいいのか考える。
しばらく見つめあい、ミュイルは笑みを零した。
相手を嘲るような――にやり、とした笑みを。
「私……魔女に、なるわ。永遠を手にするの。永遠に演じる、舞台女優に」
「そうか。楽しみだな」
満足げにセドリックも笑い、二人はしばし互いにクスクスと笑みを零しあう。
ひとしきり笑うと、セドリックはミュイルに手を差し出した。
「いつか、魔女になったキミに会いに行こう」
「私だとわかってくれるの?」
「わかるさ。舞台女優の魔女なんて、きっとキミぐらいだろう。いくら忘れっぽい人間――魔人であってもね、そんな風変わりな魔女の噂を聞けば、すぐにでも思い出せるはずさ」
「……じゃあ待ってる。ううん、いっそ私から会いに行ってあげるわ」
「それもまた、楽しみだね。それまでにボクも、さらに前に進んでいないと。万が一にも追い抜かれたりしていたら、先輩として恥ずかしいじゃないか。ふふ、がんばらないとねぇ」
「そうよ。私より遅れていたら、叱ってあげるんだから」
そして二人は握手を交わし、互いに背を向けて歩き始めた。
一人は永遠を生きる、魅惑の舞台女優となるために。
一人は、捨てようとした更なる高みを得るために。
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