プロローグ
闇が続く。あたりは既に暗くなっていて、人っ子一人見当たらない。そのはずだった。
「くそっ! 何で俺が……」
苦々しく文句を垂れている青年が一人いた。まだ若いはずだが、顎に生やした無精髭が、いささか老けているようにも見える。短く切り揃えた髪は、上に跳ねていた。黒いスーツを着込み、手提げ鞄を所持している姿は、おそらくはサラリーマンか何かの者だと思われる。
「今日も真っ暗じゃねぇか! くそ!」
彼は夜遅くまでかかるような仕事を、上司に押し付けられた。彼の仕事ぶりを見てそうしたのだろうが、彼にはいい迷惑である。
「あぁ、早く帰って風呂に入りてぇ」
風呂に入れば心が落ち着く。早く癒されたいと嘆いていた。その時だ。
「……私メリー。一緒に遊びましょうよ」
いきなり聞こえた声に彼はぎょっとした。見回してみても、まわりには自分以外には誰もいない。気のせいかと思い直す。
「……私メリー。あなたのお名前は?」
しかしまたも聞こえる。彼は声のする方を目で探った。
「これか……」
その正体はすぐに分かった。暗くて見辛いが、彼はすぐそばに、金網とコンクリートの塀で囲まれた、小さなゴミの収集場を見つけた。そこにちょこんと、コンクリートを背に座っている小さな人形を目にする。
「私メリー。……あなたと遊びたいの」
とても精巧に出来た人形だった。可愛らしい髪飾りから、ブロンドヘアーが垂れ下がっている。着込んだ紅い西洋風の服は、丁寧に再現されていた。表情は無表情だったが、人形とは思えない。まるで人のようだ。彼は素直にその精巧さに感嘆する。
しかし、随分と薄汚れていた。音声が内蔵されていることにも驚いたが、どうやら壊れているらしい。何かの拍子で再生したのだと思うが、止みそうになかった。
「私メリー。あなたのお名前は……?」
壊れて喋り続ける人形にいつまでも構ってなどいられない。彼は早く帰ろうとそのまま歩を進めた。
「私メリー。一人は寂しいの……」
後方から聞こえる声を無視して進む。いくら精巧とはいえ、人形に興味はない。
「……!?」
ふと気付く。不自然だった。いくら進んでも、声が聞こえる。声が小さくなり、聞こえにくくなることもない。
「私メリー。一緒に遊びましょう……」
「何だよ、これ……」
彼は恐怖を覚えた。声は小さくなるどころか、さらに大きく、はっきり聞こえてくる。離れているはずなのに、むしろ近付いているようだった。
「私メリー。あなたは……どこへ行くの?」
段々、質問がおかしいことに気付く。子供が遊ぶときの音声じゃない。今まさに、自分に問掛けているものだ。
「私メリー。逃げられると思ってるの……? 一緒に遊びましょう……」
「くそっ……」
彼の中の警告がうるさく発令する。人形の声は、すぐそばにいるように声が近い。彼はもう、いてもたってもいられなくなり、走り出していた。
「私メリー。遊ぶのが嫌なの?」
近い。囁くように聞こえた。耳元で話し掛けられているようだ。走っても走っても、振り抜くことができない。ヤバイと彼は確信していた。
「ハァ、ハァ……嫌に、決まっているだろ!」
彼はついに叫んだ。恐怖のあまり、声も体も震え、汗だくだ。
「そう、残念ね。でも……
モウニガサナイ!」
フィルターがかかったように異質な声となる。それが合図かのように、彼は悲鳴をあげた。
「ぅあ、ああぁぁぁああ……!」
彼は消えた。跡形もなく、遺したものはない。何かに吸い込まれたように。抵抗もなく、忽然と消えた。
「ふふ……」
失笑が溢れた。彼が消え失せたはずの場所。何の変哲もない、住宅が並ぶ道路。そこに紅い西洋風の人形が浮いていた。
いやそれは人形の大きさなだけ。生きているかのように、空中を自由に動き回る。
「大丈夫。メリーは意味もなく殺さない。素敵な世界に連れてってあげるわ」
艶つややかな声を響かせ、妖しく微笑むその表情は、見たものを震え上がらせるだろう。彼女は生きている人形だった。
今宵はいつもよりよく釣れる。素晴らしい夜だと、彼女は嬉しくなっていた。
「私メリー……、一緒に遊びましょう」
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