6:黒と呼ばれる所以

 ドクン―





 ヒュドラは疑った。さっきの言葉はハッタリだと思った。だがすぐに、その認識は撤回した。気性の荒いヒュドラは静かに、かつてない何かを感じ取っていた。





 今までとは確かに何かが違う。未知の領域であるが、ただ本能が訴えていた。





 ドクン―





「……」





 ギルは邪気に満ちていた。ビリビリと空気を震わせ、ただならぬ空間を作りあげる。





「……!?」





 ギルの周りに黒いものが走った。ギルを中心に円を描いたそれは一瞬だけで出現した小さなものだった。


 それが、徐々にゆっくりとその姿を現してゆく。





「なん……、何なんだそれはぁ!」





 ヒュドラは驚愕の表情を浮かび上がらせる。無意識のうち、一歩、二歩と後退していた。





「……黒炎」





 そう呟くと、ギルは黒く邪気に満ちた炎を纏っていた。吹き出すように燃え盛る炎。それは、淀みなく闇そのものであった。その存在感にヒュドラは呑まれる。薄笑いを浮かべているギルの姿は、完全にヒュドラを圧倒していた。





「……くそがっ!?」





 ヒュドラが振り絞って吐いた言葉には、焦りを帯びていた。処刑人の肩書きになお恐れない鬼が、今やその魔炎を前にして恐怖を感じていたのだ。





「…!?」





 ヒュドラが違和感を感じた。ギルはまだ一歩も動いてない。何もしていない。ただ凛と立っているだけだ。なのに、ヒュドラの左腕が消滅していた。瞬時に黒炎がうねりをあげて襲いかかり、腕を焼き尽した。





「アアアアアァァァアアアァァアアァア…!!??」





 叫ぶ。ヒュドラはこれ以上ないほど叫んだ。腕の消失に気付き、焼き切れた高熱を一瞬感じて、ようやく腕の痛みが襲う。





「てめぇ、お、俺の腕をォ……!?」


「よく避わしたな」





 ギルが妙な賞賛を口にする。実際のところ、ヒュドラが避わしたわけではない。ギルは視覚が衰え、ほとんど見えない状態にある。狙いがうまくつけられずにいた為にギルが外しただけであった。





「あんまり長くは使いたくないからな。とっとと終わらせるぞ」








§








「く、ぅ……」





 駄目だ。ビクともしない。鍵がかかっているから当たり前なんだけど。さっきから体当たりしてみても、引っ張ってみても、目の前にある扉を開けれなかった。


 扉の向こうでは、何やら激しい音が聞こえてくる。戦っているんだと思う。それはまだ、ギルが生きていることを意味している。





「紗希、私が開ける」





 少し休んだ為か、抱きかかえていたリアちゃんがうっすらと目を開けていた。





「リアちゃん、でも……」





 あんまり動いたら……。そう出かかった言葉は飲み込んだ。私ではこれ以上どうしようもなかったし、事は急を要していた。





「疾っ」





 堅く閉ざしていた扉は、あっけなくバラバラに切り刻まれた。ふらっと倒れ掛かるリアちゃんを抱いて、私はギルのもとへ急いで向かった。





「あれ?」





 ようやく到達した私は眼を見張る。ギルは何か黒いものを纏っているし、相対しているものは、人間でなく、まるで鬼か、悪魔のような姿をしていた。





「……!?」





 両者とも私の存在に気付いた。





「ハハハハハァ!」





 紫色をした体の鬼は、笑い声を上げながら私に向かって迫ってきた。





「え?」


「紗希、下がって!」


「邪魔だぁ!」





 前に飛び出たリアちゃんを払い除ける。いや、正確には殴り飛ばした。そのままこいつは私に向かってくる。





「えっ……」





 私は展開の速さについていけてない。





「……逃げろっ!」





 ギルがそう叫んだように聞こえた。だけど、足が震え、とてもじゃないが動かすことさえままならなかった。私はあっさり捕まってしまう。物を掴むように持ち上げられ、足が地から離れていた。逃れようと腕に力を入れるけど、ビクともしなかった。





「ちっ……」


「まだ運は俺に向いているようだ。さぁ……おとなしくその気味悪い炎を引っ込めろ」


「あっ、ああぁぁぁあぁ……!?」





 ギリギリと締め付けられる。こいつがその気になったら、私を握り潰すことも可能だと思えた。従わなければ私を殺すと、ギルを脅迫していた。


 何か出来ることがないか。助けるつもりが、完全に足を引っ張っている。我ながら情けないと思った。





「お前……、そんな人間で、俺と取引するつもりか?」


「な、に……?」





(え……?)





「俺にとってその人間が、価値あるものと思っているのか?」





 痛みに耐えるなか、私は耳を疑った。

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