5:罠Ⅲ
「ぐっ……」
ギルは腹部に痛みをを覚えた。ヒュドラに渾身の攻撃を繰り出すも、右手首を掴まれて止められる。真正面から受け止めたのではない。上から叩き落とすように掴み取ったのだ。完全に見切られていたのが分かる。そしてその後には蹴り飛ばされたようだ。軽く宙に浮くギルにヒュドラが続いた。
「何だ何だ、おしまいか」
余裕の表れか。挑発めいた言葉を口にするヒュドラ。ギルは綺麗に着地して、体勢を一瞬にして立て直した。そして、駆けるヒュドラと向かい合う。
「死ぬのはお前のほうだ」
「……!?」
ギルの気に圧され、ヒュドラは一瞬勢いを失った。ギルは容赦なく突っ込む。ヒュドラは、左に転がるように飛び上がり避わした。
「ちっ」
「舌打ちしたくなるのはこっちだぜ。あやうく腕一本持ってかれるところだ」
ヒュドラの右肩から血が溢れかえる。肉がえぐれ、本来の肩の形を失っていた。ボトッ……と、ギルの右手から何かが落とされる。ヒュドラの血肉だった。二回目に攻撃を繰り出した際に、掴み取ったのだろう。
「じゃあこいつならどうだ?」
ヒュドラがそう言うと、ギルは立ちくらみに似たものに襲われた。
「ぐ、ぅ」
頭を押さえ、ギルは少々ふらつきを見せた。その隙を狙い、ヒュドラはギルの懐に潜り込んだ。
「さぁ第二ラウンドといこうか」
「ちっ……」
何かが体を飛び抜いていった。そんな感覚に苛まれた。ヒュドラが腕を払い、ギルが後ろに跳んで避ける。その瞬間、ヒュドラの眼が僅かに光った。得体の知れないものに易々と触れるわけにはいかない。ギルは一メートルほどの距離でも、首を曲げて避わした。間違いなく何かが飛来している。頬を霞めたようで、その跡がくっきりと刻まれて血が流れた。
しかし、これだけの近距離において攻撃はまだ終わりではなかった。もう一発、同じものがギルを襲う。眼に映らない何かは、タイミングが計りにくい。その衝撃より吹き飛んだギルは、すぐに立ち上がろうとする。が、先程感じた違和感は増幅し、視界はぼやけていた。
「……何をした」
ギルは問う。違和感を覚えた故である。今のギルには分からないだろうが、ギルの顔半分を紋章のような紫色の模様が浮かび上がっていた。質問に対し、ヒュドラは浮かれたように、そして得意気に答えた。
「俺の能力さ。俺の右眼から発する念を受けたものは、五感を徐々に失っていく。まずは嗅覚だったがな」
なるほどとギルは思う。嗅ぎ慣れた血の臭いが感じられなかった。だがそれだけでは付に落ちない点があった。
「別にお前の眼は見てないが?」
「対象が俺の右眼を見なくても、俺が対象を見るだけでかかるんだよ」
よくあるのは眼を合わせて初めて発揮させる能力だ。それを見ただけで使役出来るらしい。なんて能力だ。ギルとヒュドラは、冷たい箱といっても申し分ない倉庫内を、上下左右と駆け回っていた。相手の攻撃をかわす毎に、相手の死角へと回りこむ。互いに一歩も引かなかった。
「ははははっ……。中々死なねぇ!」
ヒュドラは高笑いを続けた。実に楽しそうに笑い続ける。
「ちっ」
「どうよ! そろそろ聴覚も狂ってきただろうがよ!?」
「くそがっ」
ほとばしる接戦のなか、聴覚は失うまでにはいかず、狂うことでその感覚を残していた。狂った感覚は、時にあらぬ方向に反応し、時に感覚を遮断する。いち早く正確な情報が必要となる戦闘においては、邪魔でしかなかった。
「迅走・十九閃っ」
「……!?」
長引くほど不利になる。そう判断したギルは勝負を急いだ。一瞬のうちに繰り出す、十九もの攻撃は、全て手応えがあった。ひとたまりもなく、喰らった者は血の海に沈む。
「っ……がふっ……何だっ、今のは……」
ヒュドラも例外ではない。ギルのスピードに反応出来ずに、まともに傷を負った。十九もの傷から血を吹き出す。ぎりっと歯を食いしばった。
「てめぇ、マジで殺す」
ヒュドラが怒りを満ちると、銀髪の人間ではなくなっていた。二メートルはありそうな体長。頭の上には、後ろに並ぶようにして伸びる二本の突起。肘辺りから太くなる腕。頭の先から足の先まで、べっとりと塗られたような紫色の体。滲み出ているような紅い目。それも左目だけで、右目は閉じていた。
「随分と堅いな」
傷はくっきりとヒュドラの体に刻みこまれていた。だが表皮だけのようで、致命傷には遠く及んでいなかった。
「さすがといったとこだなぁ処刑人。だがてめぇの命ももう終わりだ。俺をこの姿にさせたんだからなぁ!」
聴覚が消えていない以上、ギルにヒュドラの声が聞こえてないわけではない。しかし、さっきから音は中途半端にあらぬ方向から聞こえる。声もノイズが掛かったように詳細が認識出来ないでいた。
姿を変えたヒュドラが腕を振るう。その途端、風が舞い、ギルに対して斬撃が起こる。
「……!?」
鋭くえぐり込む斬撃は、避わそうと試みるギルを切り裂き、後ろの壁をも裂いた。反動で浮かされたギルは床に叩きつけられる。
「…ハァ、…ハァ…」
まだ微かなものだったが、息切れもし始めた。嗅覚、味覚は完全になくなり、聴覚はイカれ、視覚も失い始めていた。ぼやけ始める程度だったが、時間が経てば何も見えなくなるかもしれない。また、血を流しすぎなのも痛手であった。
「そろそろ終わりにしようぜ。黒と謌われた処刑人さんよぉ」
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