3:黒猫Ⅱ

「わわわっ! 待った待った」


「ニャー」





 家に着いた途端、黒猫は私の腕からすり抜け、四本もある足に泥をつけたまま家の中へと走り出す。家に近付いた頃には雨は上がったけど、付着した泥や雨水は体にこびりついている。いきなり走り出してしまって、たまったものではない。はっきりと残された足跡を追う。颯爽と黒猫を抱きかかえ、とりあえずは被害が拡大しないよう、足の泥だけでも落とした。あとはもう大丈夫だと黒猫を解放する。あと、ついてしまった足跡も消さないと。


 増えてしまった仕事を終え、まずは着替えようと思い立った。傘をさしても多少は濡れてしまっている。二階へ上ろうとしたちょうどその時だった。





「フギャー!」





 何事かと思える声と、明らかに物が激しく破壊、落下されていく音があった。まさか。


 嫌な予感というのはもちろん外れてほしい。でも、こういう嫌な予感ってのはけっこう当たるものだ。そんな諦め混じりであるけれど、私の杞憂だという淡い希望も持ちながら、自分の部屋へ向かった。





「………」





 唖然とする。私の予感は無駄に的中するようだ。よくもまぁこれだけやったものだと感心さえする。この猫ホントに弱っているのかな。ベッドの下で丸くなっている犯人を捕まえて、腹部を見てみる。





「……あれ?」





 妙だった。泥と同じように付着した血は拭き取った。でも、治療らしいことは何もしていない。なのに、もう血は完全に止まっていた。この調子なら問題はないのかな。動物病院に行こうと思ってたけど。





「でも一応念のため行っとこうか?」


「ニャー」





 互いの額をくっつけ、黒猫に尋ねる。もちろんニャーとしか返答してくれないけど。





 その時、倒れた本棚と、溢れた本の山積みが動いた。





「え?」





 バサバサッと本の山積みさえも崩れた。いったい何なのかと心底驚き、凝視していた。けどその正体は、すぐに分かった。





「……ギル?」





 がらがらと本棚を起こす腕が見えたかと思うと、黒髪がひょっこり出てくる。起き上がり、座った体勢でギルは振り向きざまに返答する。





「あぁ?」





 ……いや、返答じゃなかった。





「何やってんの?」


「知るかよ。急に頭の上に何か降ってきた」





 あ! 本棚が倒れているのはちょうどベッドの上であり、これまたちょうど寝ると頭の位置になる。本棚の場所は変えた方がいいと、ギルが身をもって教えてくれたわけだ。





「……」





 ギルは部屋の惨状を黙認する。何を考えているのか。


 いや、それよりもまずここは、私が女の子として言っておかなければいけない重要なことがある。





「何で勝手に人の部屋に入ってるの!」


「……あ?」





 座ったままこちらに向き直すギル。





「不法侵入だって言ってるの! おまけに人のベッドで寝てるし」





「ふぁ……。お前がなかなか帰って来ないからだろ。また今日も遅刻ってやつか?」





 欠伸して眠そうに返してくる。遅刻にはなっていないけど、朝からマラソンする羽目になったのは確かだ。そもそも誰のせいだと思っているのか。








  朝のことを思い返す。


 私はギルに叩き起こされた。あくまで表現上である。実際ならたぶん死ぬ。布団をひっぺ返されたのだ。





「う~ん……」





 急に布団の柔らかい感触がなくなってしまう。もそもそと、再び羽毛のふわふわ感を求めて手を伸ばした。





「ふにゃ…!」





 がしっと頭に圧迫感を感じたかと思うと、きりきりとさらに締め付けられてしまった。








「い、いたたたたた!?」





 涙目で目を覚ますと、そこには目を光らせたギルがいた。何故か怒っているのは明白だった。





「よぉ。紗希」


「な、何すんの……」


「起きろ。腹減った」





 重い目を擦りながら頭をはっきりさせようと試みる。時間は六時過ぎを示す。この時間からなら学校に行く準備をして、そこからご飯をつくっても、とりあえずは余裕が持てる。正直余裕がありすぎるくらいだ。要するに、待てなくなったギルが無理矢理急かしていた。





「早すぎでしょ。もう少し寝かせてよ」





 そう言って夢の中へ帰りたい私は、コテンと横になる。ギルに奪われた布団も一緒に引っ張り取り返す。





「ふわっ!?」





 先程以上に強く頭を掴まれた。ガッシリと、それはもう嫌な予感しかなく、とてもじゃないが安心して目を瞑れない。





「どうするんだ?」


「うぅ……」





 もはや起きるしかなかった。

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