第9話

紗枝は不意に聞こえて来た鍵を開ける音に我へ返った。


起き上がり、廊下へ行く新見の背を視線で追う。


新聞をローテーブルに放ってテレビを見ていた冬木が振り向くと、二人の男を伴って新見が戻って来た。一人は大柄で厳つく、一人は小柄でチャラチャラした感じの正反対なタイプだ。


ソファーの向こうから顔を覗かせている紗枝に気付くと驚いた。




「わあ、本気マジでジョシコーセー!」


「……若いな……」




特にチャラい感じの方がオーバーアクションで、一歩後ずさったかと思うとすぐに羨ましげに冬木へ視線を向ける。厳つい方はサングラス越しに目を見開いて突っ立っていた。




「頭ぁ、どうやってこんな若い子捕まえたんすか?」


「言っとくが声をかけて来たのはコイツからだ。後はまあ、流れだな」


「くうっ、羨ましい……!」




確かに話しかけたのは紗枝の方だし、何やかんやあって今こうなっているので嘘は吐いていないが、じゃあ事実かと言われれば曖昧で首を傾げてしまいそうな答えだった。


チャラい方は顔に腕を当てて悔しそうに涙を拭うような仕草をした。


金髪のショートヘアがあちこち跳ねていてタレ目に太い赤縁の眼鏡、黒地に赤で血が飛び散ったようなTシャツに左右で白黒ストライプと赤地に白い水玉模様と柄の違うサルエルパンツ姿。二十代半ばくらいで身長は紗枝と大して変わらない。


厳つい方は坊主頭で左側頭部に裂傷が二本走っており、ダークグレーの無地のTシャツに革製のベスト、カーキ色のカーゴパンツ、首元と指にゴツい髑髏のアクセサリー姿。恐らく四十代前半か三十代後半か、ちょっと年齢は分からないが目測でも百九十近くある背とサングラスが威圧的に見える。


どちらも街中で会ったら近付きたくない類の人間だ。


しかしその手にはピザの箱と飲み物が握られていた。




「紗枝さん、この二人は松田まつだ藤堂とうどうで私同様冬木直属です。事情は説明してありますので、私が迎えに上がれない場合などにこちらの二人が出ます」




ダイニングテーブルにピザと飲み物を置く二人は新見の紹介で頭を下げた。


チャラいのが松田で厳ついのが藤堂。


紗枝もソファーから移動して頭を下げる。




「初めまして、柳川紗枝十七歳です。今日からお世話になります」


「オレはまっつんでいいよー、紗枝ちゃん」


「よろしくお願いします松田さん」


「ありゃりゃ、超クールだねー」




そもそも初対面の、それもヤクザを渾名で呼べという方が無理な話である。


残念そうに肩を竦めた松田の頭を藤堂が軽く小突いた。




「シャンとしろ馬鹿。……スンマセン、こいつちょっとお調子モンで。改めまして藤堂です、話は伺ってますんで何かあれば遠慮なく仰ってください」




サングラスを外して頭を下げる藤堂を紗枝は慌てて手で制した。




「あの、わたしが一番年下ですし、あまり気を遣われても居心地が悪いので出来れば気楽にお願いします。それからご存じかと思いますが左目のことはくれぐれも内密に」


「……分かりました。これは自分と松田の連絡先ですんで御用の際はこちらへ」




ふっと薄く微笑んで藤堂が頷き、一枚のメモ用紙を渡されると待っているようソファーへ促される。メモ用紙には二人の名前と携帯番号が載っていた。


慣れた手付きでピザの箱を開けて並べつつ、時々松田と冗談を交えながらジュースを手渡す藤堂の姿は身長も相まって親子のようにも見えなくもない。


背もたれの上に両腕を重ねて顔を乗せたまま紗枝は目を細めてそれを眺めていた。


自分は今十七歳で、兄は確か二十五歳。昔から誕生日には欠かさずにケーキを買ってきてくれる兄の生年月日と年齢は何とか覚えていても、年に一、二度しか顔を合わせない父親と無関心なくせに世間体だけは人一倍気にする母親については知らなかった。


藤堂くらいの年ならば自分くらいの子供が一人や二人いても可笑しくないだろう。




「そういえば冬木さんって何歳ですか?」




湧いた疑問に首だけを向ければ煙草を吸い始めていた冬木が「三十四」と完結に答えた。


名目上のこととは言え初彼がダブルスコアかぁと思いながらソファーに座り直し、読みかけだった本を下の引き出しに片付ける。


ポケットから携帯を取り出して電話帳の新規登録画面を呼び出す。藤堂は藤の字を崩して‘つきくさ’という名前で良いとして、松田の名前をどうするか悩む。ハムや公はラクだがバレ易そうだ。


ああでもない、こうでもないと弄っていると冬木が立ち上がって紗枝の手元を覗き込む。




「何悩んでんだ」


「松田さんの登録名で。出来るだけ分かり難いものにしようと思ったんですが、漢字自体が簡単なので崩すと‘はむ’になっちゃうんですよね」




紗枝の言葉に背後から「ハムは止めてー!」という松田の悲鳴がする。




「俺等の名前は?」


「冬木さんは‘ひいらぎ’、新見さんは‘あき’、藤堂さんは‘つきくさ’です」


「段々難解になっていきますね」




今度は笑いの滲んだ新見の声がした。


冬木で‘ひいらぎ(柊)’、新見愁で‘あき(秋)’、藤堂で月と草冠で‘つきくさ(藤)’。


言葉遊びと言われればそれまでなのだが、ここで安易な名前にするのも癪である。


こう普通に見ただけでは分からないものがいい。




「そうだ、‘はとむぎ’にしよう」




ぽん、と頭に浮かんだ単語を口に出すと頭上から「あん?」と不思議そうな声が上がった。


松田の公がハムなら田の中の十でト、木はキのままで並べ替えて‘はとむぎ’。口の字が余ってしまうけど、それは他の人にも言えることだからこの際気にする点ではない。


説明半分さっそく登録画面に打ち込むと冬木は笑っていた。




「暗号みてぇだな」


「まあ、バレないようにしてますし暗号と言えば暗号ですね」




登録完了の表示が出ると紗枝は携帯をポケットに仕舞い、振り返る。


しばしの間、左目で松田と藤堂を眺め、両目に戻す。


その動きに気付いた冬木に視線だけで問われて視えた結果を答えた。




「藤堂さんも松田さんも今日は気を付けた方がいいですよ。松田さんは右足引き摺ってますし、藤堂さんは左脇腹に血が滲んでます」




どちらも服の上からなので怪我の程度は判断がつかないが、藤堂の方はダークグレーのTシャツの左下広範囲に黒い染みが広がっているのでそこそこ重傷かもしれない。


そう告げると冬木は二人に脱ぐよう指示を出した。


藤堂は上を、松田は下を右足だけ脱いで見せた。


ソファーから立ち上がった紗枝は二人の前に立つと右目を閉じて左目だけで視る。前から見た後は背後に回って後ろの様子も少し眺めて満足げに頷いた。




「ありがとうございます、もう着ていいですよ。これは多分銃創です。この前連れて行ってもらった遊び場で視たのと同じでした。でも藤堂さんも松田さんも視た感じは貫通していますね」


「っつーことは至近距離か」




顎を擦って視線を泳がせる冬木に新見が「今日は真っすぐ帰らせますか」と端的に問う。


冬木は唸るように声を漏らした後、首を振った。


何かあるのだろうが紗枝に言わないということは聞くべきではない事柄なのだろう。ただ至近距離で銃を発砲される可能性に驚かない様子からして、そういうことはあるのかもしれない。


服を着込んだ松田と藤堂に右手の親指と人差し指で丸を作ってウィンクしてみせる。




「今のは初回サービスにしておきますね」




茶化す紗枝に冬木は「ありがてぇこった」と苦笑した。

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