第8話

ソファーに座って待っていると新見がお盆を手にやって来た。


二人分のコーヒーカップをローテーブルに置いてから、コーヒーシュガーやミルクがない旨を申し訳なさそうに告げられて首を振る。




「わたしブラック派なので大丈夫です」




そう言うと二人は少し意外そうな顔をした。


紗枝は甘くても、辛くても、苦くても、しょっぱくても、酸っぱくても、大抵のものは何でも食べられるし、多少苦手に思うものがあっても食べられないことはない。


宣言通りソーサーからカップを手に取って一口飲む。


挽いたばかりの豆の程好い酸味と少し強めの苦味はサッパリしている。


煙草を消してコーヒーを飲んだ冬木が口許を緩めたので、もしかしたらこれは冬木に合わせた味なのかもしれないと横目に眺めつつ二口目を飲み下す。


何故か新見はダイニングテーブルで一人コーヒーを飲んでいた。


カップをソーサーに戻すと目の前にピラリと何かが翳され、思わずわっと声を漏らしながら掴めばそれは一万円札だった。しかもどういう訳か六枚。




「何ですかこれ」


「この間の報酬だ」


「報酬……?」




冬木の言い分によれば紗枝が予知視する度に報酬を支払うらしい。


そんなこと紗枝は望んでいないが、左目の能力を使うのだから、その対価として金を渡すのは冬木なりの筋の通し方のようだ。


この六万は前回視た冬木と新見、それからあの四人の男女の分である。


……視ただけで一人一万ってボッタクリだよなぁ。


少し考えて六万をそのまま冬木へ差し出した。




「あ? 要らねぇってか?」


「ううん、でもこれは貰う訳にはいかないんです。この間のはお試しですし、視ても何もなかった場合も要りません。何か視えた時だけいただきます」




前回も今日も冬木と新見は左目で見ても何も映り込んでいない。


毎日大怪我に遭う危険があるならばまだしも、そうでないのに会う度にこうして金を渡され続けるのは気分的にも落ち着かないのである。




「なら一万は取っとけ。最初の代金だ」




右手の指でコメカミを二度ほど軽く叩いて示してから一万だけ渡される。


今度は紗枝も黙って受け取り、一度席を立って財布に仕舞った。




「それから、テメェは一応俺の情婦イロって扱いだ」


「ええ?」




不満げに眉を顰めて振り返ると冬木が可笑しそうにクツクツと笑う。




「ヤクザっつーのは案外そこいらの不良やら金貸した奴等やらに恨まれんだ。俺の情婦にしときゃあそう簡単に手ぇ出されることもねぇし、何かあった時はそれをダシに動けるからな」


「友達って線はダメですか」


「オトモダチ、ねぇ?」




含む物言いをして冬木は新しい煙草に火を点けた。


フゥッと紫煙を吐き出して首を振る。




「それこそセフレとでも思われんのがオチだ」




一刀両断されてソファーに戻りつつ首を傾げる。




「……情婦もセフレも同じでは?」


「そうでもねぇよ、セフレは使い捨てでも情婦は決まった女だ。自分の女だからこそ好き勝手にする奴もいるが、俺は自分の女でいるうちはきっちり面倒見るさ」




だから欲しいモンがあったら言えば買ってやる。


そう続けられてキョトンとした。




「寝ませんからね?」


「安心しろ、そこまで言わねぇよ」


「……分かりました、情婦ということでお願いします」




ぐっとコーヒーを勢い良く仰った紗枝に冬木は満足げに煙草を燻らせた。


そうしてボールチェーンの付いた鍵を一つ渡される。この部屋の鍵で、他に持っているのは住人の冬木と部下の新見を含めた三名。絶対失くさないよう注意を受け、ボールチェーンを被るようにして首にかけた。


一人っ子の小学生なんかが首に鍵を下げているアレである。


それから、いくつかの決まり事を伝えられた。


一つ、冬木の名を許可なく使用しない。

二つ、マンションには制服で出入りしない。

三つ、余計な質問はしない。


大まかにすればそんなところであった。


他にも細々とした部分もあったが、要は冬木に紹介されていない人物には警戒し、ヤクザ社会の知らなくていいことについては聞くなということだろう。


マンションについては好きな時に勝手に来て、好きにして良いそうな。


広々として景色が良く、モデルルームにでもなりそうなほど整えられた内装は居心地も抜群なので、紗枝はさっそく中を見て回ることにした。


LDK部分だけで十五畳近く、対面キッチンの目の前にダイニングテーブル、その更に向こうにソファーとローテーブルが置かれている。隣接して冬木の寝室。ダブルベッドと壁に数着かけられたスーツ、木製の書斎机には電源の落ちたパソコンが一台。キッチンの通路を挟んだ向かいが化粧室と浴室、キッチンの隣がトイレ、それから廊下に出ると両脇に部屋が一つずつ。片方はベッドとシンプルなデスクだけで、もう片方は空っぽだった。どこも整然としていてあまり生活感がない。


3LDKに個別のバストイレ付き、ベランダあり。


家具を合わせたら一体総額いくらになるのやら。


リビングに戻るとテレビを点けたまま冬木が新聞を読んでいた。


脇には雑誌も転がっている。


新見はキッチンの方で誰かと電話をしているようだ。




「どこから出したんですか、それ」


「ソファーの下だ」




先程座っていたソファーの下を覗くと目立たないが指をかける部分があって、二つあるそれの片方を手前へ引き出せば大きな引き出しがゴロリと姿を見せた。中身は雑誌や本。もう片方はタオルケットや膝掛け。


本は全て背表紙を上に向けて縦に納められている。


見た限り日本の純文学が主で、少し海外の文学が混じっていた。雑誌はスポーツモノから政治モノまで雑多だ。


その中で自分が気に入っている本を一冊取って引き出しを戻し、ソファーへ仰向けに寝転がって本を開くと、一瞬冬木が視線を投げかけてきたが特に何も言われなかった。


慣れた活字を目で追っていけば、すぐに意識は本の中へ飛んで行く。


冬木が呆れた様子で新聞を捲くったが紗枝は反応しなかった。

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