第4話

土曜日の正午、自室で勉強をしていると携帯が鳴った。


電話で鳴ること自体珍しい。


覗いた画面には‘ひいらぎ’の表示。


誰だっけと首を傾げそうになって思い出した。




「はい、もしもし」


【午後一時、学園通りのバリスタカフェに来い】




ハスキーボイスはそれだけ言って通話を切ってしまった。


ツー…ツー…という電子音がどこか物悲しく響く。


学園通りは高校がある大通りの名称だ。読んで字の如く学校が多く面している通りで家から駅へ向かい電車に乗って、有名なバリスタカフェまで歩いても三十分もかからない。時間的余裕はある。


携帯を操作して通話を終了させてベッドへ放り投げる。


机の上の教科書やノートを片付け、ファンデーションとチークで軽くメイクを済ませたらリップクリームで唇を保護し、髪を梳かす。淡いブルーのキャミソールの上からフード付きの七部袖で白い薄手のバーカーを羽織って下は白とダークグレーのストライプ模様のショートパンツ。


袈裟がけにも出来るショルダーバッグは黒。中身は化粧ポーチ、財布、手帳、ティッシュ、ハンカチ、ハンドクリームなどで忘れないうちにベッドにあった携帯も突っ込む。


リビングへ行って昼食代わりにカップアイスを食べてそのゴミを片付け、戸締りを確認して鍵とバッグを持って玄関へ。


キャミソールとお揃いに見える淡いブルーのぺたんこバレーシューズを履いたら外に出て、鍵を閉め、鍵はバッグのいつもの内ポケットへ仕舞う。


歩きながら確認すれば時刻は十二時三十分。


何事もなければ一時頃にはカフェに着けるだろう。


冬木と新見に声をかけて三日後に再会し、それから今日まで一週間弱あった。


この間は音沙汰もなければ新見が突然現れることもなく、いつも通りの穏やかで退屈極まりない日々の上に、予知視で重傷人を見つけることもなかった。


とりあえず言われた通り携帯に登録してある二人の名前は冬木が‘ひいらぎ’で新見は下の愁からとって‘あき’になっている。あえて平仮名で登録して友人達のアドレスに紛れ込むようにしてあるお陰か、一見すると女子の名前に見える。


ちなみに貰った名刺は財布のカードケースだ。


まさかヤクザの名刺を可愛いキャラモノに入れているとは誰も思わないだろう。


蒸し暑い中を駅まで歩き、改札を通って電車に乗る。


二駅先なのですぐに降りたら指定のバリスタカフェまでまた歩く。




「紗枝さん」




カフェの前には既に新見がいて、歩いてきた紗枝に声をかけてきた。




「こんにちは、お待たせしてすみません」


「こんにちは、私も今来たところなので大丈夫ですよ」




暑いからかワイシャツ姿の新見は以前よりも少し小柄に見え、スーツの上着がないだけで随分と印象が異なる。眼鏡を外しているのにも驚いた。ピシッと着込んでいれば真面目そうに見えるのに素顔の今はちょっと遊び人風だ。




「この細い目があまり好きではないので普段は伊達眼鏡で誤魔化しているんです」




マジマジ顔を見てしまった紗枝に新見が苦笑して、ワイシャツの襟にかけていた眼鏡をかけて「行きましょう」と促す。裏手へ行くと駐車場に停めてあった漆黒のジャガーに乗り込む。


エンジンがかかっていて冷房がガンガンに効いた車内に冬木がいた。


ネイビーのピンヘッドストライプのスーツは上着の前が開けられていて、中に揃いのベストを着ている。夏だというのに袖すら捲くらない理由は男の職業を思えば何となく予想がつく。


見た感じハーフっぽいのにヤクザというのは何だかイメージに合わない気もする。


ヤクザというのはもっと体格が良くて、厳つい顔ですぐ怒鳴るような荒くれ者が多いのだと思っていただけに、冬木や新見のような外見の人はやはり不思議な感じだ。


いわゆるインテリヤクザとか経済ヤクザってやつかな。


そっと窺っていると目が合った。無言なのも居心地が悪いので「こんにちは」と声をかけたら意外にも「ああ」とだけだが返された。


動き出した車は静かで搭載されているナビも電源が落とされている。




「何か視えるか?」




唐突に問われて紗枝はキョトンとした。


ややあって意味を理解し、左目で隣に座る冬樹と運転席の新見を覗き見た。




「視えません」


「そうか」




何か納得した風に頷く冬木に、顔を戻した紗枝が聞く。




「どこに行くんですか?」


「言っただろ、テメェの目を確かめるってよ。ウチの遊び場の一つなんだが――…血は苦手とか言わねぇだろうな?」


「スプラッター映画大好きです」


「なら問題ねぇか」




高速に乗り段々都心部から離れて行く車の外をぼんやり眺める。


週明けからテストで最近は遅くまで勉強しているせいか、揺れの少ない静かな車内で静かに座っていると眠たくてウトウト舟をこぎ始めてしまい慌てて顔を上げた。


シートの肘掛に右手で頬杖をついていた冬木と視線が合った。


ククッと喉の奥で低く笑う声が車内に響く。




「ヤクザ相手に居眠りたぁ肝が据わってんな」




愉快そうに細められたダークグレーの瞳から目を逸らす。




「そういうんじゃないです。このままどこかへ連れて行かれて殺されても、家族や友人が殺されても、本当はきっとどうでもいいんですよ。ニュースで紛争地の話が流れても興味が湧かないのと似たようなものです」




助言をするのは寝覚めの悪い思いをしたくないから。


だけど本心ではどうでもいいと思っている。


だから大怪我を負うと分かっている人がいても助けるでも守るでもなく、ただ一言声をかけて成り行きに任せるだけ。死んだら死んだで運がなかっただけのこと。




「冷めてんなぁ、オイ。華の女子高生が勿体ねぇ」




呆れ気味に差し出されたものを掴むと写真だった。


証明写真だろう、男女が二人ずつ、計四人分ある。


男も女も髪を染めたりピアスをしていたり、年の頃は二十代半ばか後半、場合によってはもう少し若いかもしれないが四人ともヤンチャそうだ。




「誰ですかこれ」


「質問はナシだ。それ見てどうだ?」


「どうって――……ああ、写真じゃ分かりませんよ。左目で直接見なければダメなんでテレビとかビデオも同じ理由で無意味です。あ、でも鏡やガラスに映る分には視えるので何かしら条件があるのかもしれません」




現に体育祭の日の朝に鏡を見たら膝を擦りむいた自分が視えたことがある。


ガラスに映った電車内の人の怪我を視てしまうこともままあるし、もしかしたら直接見るのではなく同じ空間にいることが大切なのかもしれないが、これは考えたところで分からない。


右目と左目で確認しても写真に写っている人物達は変わらなかった。


写真を返せば冬木はそれをベストのポケットに仕舞う。


気付けば高速を降りた車は深い木々が立ち並ぶ山道に入っていた。

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