第3話 七不思議の怪(六月十七日)

(六月十七日)


 宮坂栄祐が死んでから一週間。

 桐ヶ峰大学は表面上は落ち着きを取り戻していた。

 教師陣がセリに対して以前と変わらぬ対応をとっていることも、噂の収束を早めるきっかけになったのかもしれない。相変わらず孤立はしていたがセリに関する噂を口にする生徒は減りつつある。

 それにはもう一つ理由があった。

 どこにでもある怪談‘学校の七不思議’の噂だ。

 真夜中の旧校舎に忍び込むと外に出られなくなるという、ありきたりな話だが実際今週の月曜日に忘れ物を取りに学校へ来た生徒がそれを経験したらしい。

 噂によると夜こっそり忍び込んだ生徒は忘れ物をした実験室まで行き、目的のノートを持って一階に下りたはずなのに、何故か出入り口が見つからず、仕方なく廊下を上がっていたら背後から足音が聞こえてきたので恐ろしくなって適当な部屋に入り机の下で朝まで過ごしたそうだ。

 何故こんな話をされるのか、セリは目の前にいる二人の先輩たちを改めて見た。

 一人は三年の安岡(やすおか)保(やす)治(じ)、短い黒髪に長身で笑顔の絶えなさそうな男子だ。

 もう一人も同じく三年生で寺井(てらい)由紀(ゆき)。利発そうな顔立ちにショートヘアーがよく似合う女子。どちらも自己紹介によればミステリー研究会というサークル所属らしい。

「ぜひ矢島さんには我がミス研に入部してもらいたい!」

「お願い、一緒に難事件を解決しましょう!」

 カフェテリアで会ってからずっとこんな具合である。

 最初は警戒していた愛香も、成り行きを静観していた翔真も呆れた様子だった。

 昼食後にのんびりしていたセリの下へ来たかと思えば、この調子で‘学校の七不思議’の一つについて語り出し、口を挟む間もなく勧誘の流れに持っていかれるというセールスマンも驚きのマシンガントークだ。

ついでに言うなら大学でも七不思議があるのかと内心は感心すらしていた。

 だが昼休みの終わりが近いことを告げる予鈴にセリはこれ幸いと便乗する。

「あの、わたしはサークルに入るつもりは……」

 その断りの言葉を、身を乗り出した寺井が止めた。

「ちょっと待った!言い合いことはわかるけど、もうちょっとアタシたちにアピールさせて!放課後、旧校舎三階一番東の空き教室へ来てくれるだけでいいの!」

 絶対に来てね、と取られた手の中に何かが握り込まされるのを感じた。

 なんだろうとそれを見る前に安岡と寺井は去って行った。

「騒がしい人たちだったね」

「うん……」

 開いた手の平には、折り畳まれたルーズリーフの切れ端が一枚。

 それを広げたセリは書かれていた言葉にゾッとした。




* * * * *




 セリたちが講義を終えて旧第二校舎三階の一番東にある空き部屋へ行くと、人気のないその部屋で安岡と寺井の二人が待ち構えていた。

 ミステリー研究部というだけあって室内にはアガサ・クリスティーから始まりコナン・ドイルや江戸川乱歩といった海外の有名どころ以外にも、現在国内で有名なミステリー作家の作品まで所狭しと置かれている。

「それで、これはどういうことですか?」

 突きつけたのは昼休みに渡されたルーズリーフの切れ端で、そこには‘綾部と宮坂は同一犯’と大きな文字で綴られていた。

「うむ、実は昨日学校のポストに我が部宛てでこのような手紙が届いたんだ」

 差し出されたのはどこにでもありそうな茶色い大判の封筒。その中を見ればコピー用紙が一枚入っている。そこに新聞かチラシの切り抜きを使ったのか大きさがバラバラの文字で文章が作ってある。

 ‘アヤベと宮坂はコロした、ヤジマセリと噂の七フシギを解きアヤベを探セ’

「これは矢島君にも話すべきだと思い、昼に伺った次第だ」

「ごめんね、矢島さん。でもみんなの前で言う訳にはいかなかったから」

 申し訳なさそうに寺井が頭を下げる。

 確かにこれを他の生徒たちの目にさらせばセリは疑われるだろう。

「……わかりました。それ、もらっても良いですか?知り合いの刑事に渡します」

 文面からして犯人からのものと推測される手紙は重要な手がかりになる。友浦に渡して調べてもらえば犯人を見つけるための何かが判明するかもしれない。

 安岡と寺井は快く了承してセリに手紙とそれが入っていた封筒を渡した。

 セリはその二つを使っていない空っぽのクリアファイルに入れ、鞄に仕舞う。

「それでは改めて自己紹介しよう。ミステリー研究会長の安岡保治だ」

「副会長の寺井由紀です」

「二年の矢島セリです。こっちが友人の湯川愛香と金江翔真君です」

 紹介すると愛香と翔真が会釈をする。

「いやあ、一気に三人も増えてくれて嬉しいよ。我が部は寺井君とオレの二人だけで、今まさに存続の危機だったんだ」

 喜ぶ安岡に愛香が一刀両断した。

「入部はしません」

「そ、そうか……」

 ちょっと残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して頷いた。

 そういう可能性も考えていたので構わないらしい。

 安岡が寺井を呼ぶと、寺井が部屋の壁際に寄せてあったホワイトボードを動かし、全員に見える位置へと持ってくる。

 そこには黒で大まかだが、とても見やすい第二旧校舎の断面図が描かれていた。

「まず月曜日の二十一時、被害者N氏がこの第二旧校舎に忍び込んだことから話は始まる」

 手に持った赤ペンでホワイトボードの絵の一階辺りを叩く。

 判りやすく階段と各階数、夜を表す月と星、夜十一時を示す時計の図がある。

「N氏によると一階の職員用トイレの窓は古いせいかガタガタ揺らすと鍵が開くそうで、進入経路はそこだそうだ」

 一階、W.C.と書かれた場所に丸をつける。

「忘れ物は四階の実験室。その日、ノートを置いてきてしまったらしい。課題をやるためには問題の書かれたノートが必須。夜の学校に入るという好奇心もあって侵入した」

 全五階建てのうちの四階部分に丸をし、一階の丸から四階の丸を繋げるように矢印の線を引いていく。職員用トイレは東側にあるのでこの部屋の前にある階段を上って一つ上の四階まで向かったはずだ。

「ノートを無事回収したN氏はしばらく実験室に滞在した後、帰ることにした」

「どうしてそのN氏はすぐ帰らなかったんですか? それに先生方が帰ったあとは警備システムがありますよね?」

 金江の問いに安岡が溜め息を零す。

「夜学校へ行った証拠に写真を撮り、友人に送っていたそうだ。ちなみにこの学校の警備システムは校長室、職員室、薬品を仕舞っている準備室、それから廊下となっているが、廊下のセンサーは通路の端を歩く分には反応しない」

 実際廊下に出て、すぐ頭上にある半球型のセンサーを確認する。安岡が廊下の端を歩いても何も起こらないが、真ん中付近を歩くと途端に赤っぽい小さなライトが黒いカバーの内側で光った。

「よく知ってますね」

 思わずセリは感心してしまった。

「職員用トイレもセンサーも結構有名な話だよ。ただトイレの鍵に関してはしばらく前に取り替えたって噂があって、それからは夜に入ろうとする人もいなくなったみたい。Nさんはその噂を知らなかったって言っていたけど」

 それ以前にも何人か夜の学校で肝試しをやったみたいだしね、なんて寺井が笑う。

「話が逸れたな。で、N氏が帰ろうとしたのが夜中の十二時二十分頃、階段を下りてみると目の前に壁があったそうだ」

「壁?」

 三階の階段辺りに今度は青で壁だろう点線を描く。

 それは下の一階まで全てに引かれていった。

「下りても下りても壁ばかり。終いには真っ暗になるし、外へ出られないしでN氏は泣きながら階段を上り、壁のない四階まで戻ると近くの部屋へ入り朝まで机の下に隠れていた。――……という話だ」

 確かに妙な話だった。来る時はきちんと入れたのに、出る時になったら突然壁が現れて出口が見当たらなくなってしまう。しかも朝になると元に戻っている。

 皆目見当もつかない不可思議な話だが、これを解けば綾部麻美の行方が分かるというのなら調べるほかない。

 兎にも角にも時間的にもう遅いので明日か明後日、全員の予定が合う時にまた集まって調べようということになり、ミステリー研究部の部室で解散になったので校外に出る。

 セリはあの脅迫文めいた手紙を友浦に渡すため、携帯を取り出した。




* * * * *




 矢島セリからの連絡を受けた時、友浦は連日の疲れから仮眠を取っていた。

 だから電話に出られず、机の上に放り出された携帯に出たのは部下の堤だった。もし誰かから連絡があったら出るように言いつけられていた節もある。

 すぐに友浦を起こしたが冬眠中のヒグマのように起きない上司に、仕方なく堤は一人で桐ヶ峰大学の傍にあるコーヒーショップへ向かった。時間にして十五分ほど、そこそこ人気のコーヒーショップは人でやや混んでいたが、奥側の目立たない席に座っていたセリが堤に気付いて軽く手を振る。

「お待たせしました」

「いえ、大丈夫です。あれ、友浦さんは……?」

「あ、えっと、先輩はちょっと抜けられなくて。代わりに私が来ました」

「そうなんですか。忙しいのに呼び出してしまってすみません」

 深々と頭を下げたセリに堤は慌てて手を振って否定した。

「いえいえ、これも仕事のうちですから!」

 それよりも何故呼び出されたのか堤は疑問だった。

 今まで何か情報を得た時は電話で済ませていたのに、わざわざ会う理由とは何か。大学で心無い噂を立てられているのに、今刑事と会えば余計酷くなるだろうに。

「実はうちの高校にあるミステリー研究会宛てにこんな手紙が届きました」

 無地の半透明なクリアファイルがテーブルの上に置かれる。手に取り、中を見た堤は思わず上げそうになった声をなんとか飲み込んだ。

「こ、これは……」

「恐らく、そうだと思います」

 犯人からのメッセージ。

 てっきりメールで来るとばかり思っていたので、これは予想外である。

「お預かりしても?」

 震えそうになる声を抑え、努めて平静を装う堤にセリが頷く。

「はい、クリアファイルはわたしの物ですが、そのまま持って行ってください」

「ありがとうございます」

 言って、堤は手紙をクリアファイルごと鞄の中へ仕舞う。

 ……これは大きな手がかりになる!

 興奮しそうになりながらも堤は自前の手帳を広げて一度咳払いをした。

「すみません、いくつかお話を伺っても構いませんか?」

 セリが頷いて長くなると前置きをしたので、堤は先にウェイトレスに声をかけ、自分のコーヒーとセリの分の抹茶ラテを注文する。それが届いてから話は始まった。

 まず、今桐ヶ峰大学で広まっている‘学校の七不思議’の噂、ミステリー研究部の二人の生徒からの勧誘とその理由、そして夜の学校に忍び込んだ生徒の話、手紙に触れただろう人物の人数と名前。全てを話し終えるのに一時間近くかかったが、堤はそれらをきちんと手帳に書き記すと抜けがないか確認し、息をついた。

「矢島さん、大丈夫ですか?」

「え?」

「その、校内は噂で大変でしょう?」

 キョトンとしたセリは意味を理解して納得した顔をする。

「ええ、まあ大変と言えば大変です。でも信じて助けてくれる友人たちがいますし、友浦さんや堤さんたち刑事さんも調べてくれていますから、犯人が捕まればわたしの誤解も解けます。だからそれまで頑張るつもりです」

 ちょっと嫌だし不安とは思ってますけど、と苦笑するセリに堤は言い様のない気持ちを感じていた。刑事になってやっと誰かを救える仕事が出来る。

 セリと別れてコーヒーショップを後にした堤はすぐさま車をUターンさせた。

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