千にひとつの青い森
古い歯ブラシ
第1話 有罪率99.9%
ドアを開けると、警官が二人立っていた。
えっ、どうして?と、私は思った。
「桃山青子(せいこ)さんですね。」
五十代半ばの年配の刑事が、警察手帳を見せながら私に尋ねた。彼の声は柔和だが、眼光は鋭かった。連れのもう一人の刑事はまだ二十代だろうか、かっこよく立ち上げた前髪が若々しい。
「はい。」
返事をしながら、私は、ぼんやりと考えていた。
どうして警官が私に会いに来たのだろう?
もしかして、人違い?
そんなことを思っていたら、
「免許証を拝見できますか。」
年配の刑事がさらにこう言った。
どうやら人違いではないようだ。警察は私に何かの疑いを持っている。
なぜ?
いったい、どんな?
「免許証、持っていますよね。下の駐車場にある、ピンクのミニバンはあなたの車ですよね。」
若い刑事が言った。
私はうなずいて、チェストの上からバッグを持ってくると、免許証を取り出して、彼らに見せた。
「確かにご本人ですね。現在三十歳、独身。」
「はい。」
「現住所はここ、名古屋市東区上田町スカイハイツ二十一号室ですが、本籍は愛知県新城市銀狐村一丁目一五番地ですね。」
「はい。」
~さあ、2015年、4月1日、春の選抜高校野球の決勝戦が始まりました。栄冠を手にするのは……~
隣の部屋の窓から、テレビの音が聞こえてきた。階段の踊り場から、満開の桜並木が見える。風が吹くと、花びらがひらひらと歩道に散っていた。
「銀狐村に住んでいる、桃山勝子さんは、あなたのおかあさんですね。そして弟さんは、勝太郎さん。」
「はい。」
「あなたのおかあさんは、新城市内や銀狐村に、森林や住居などの不動産を多数所有されていますね。」
「はい。」
「しかし、あなたのおかあさんは、ここ数年、ずっとそれらの不動産の固定資産税を滞納しています。何度、督促状を送付しても、税金が支払われることはありませんでした。それにより、2015年2月18日に、最終通告である、差押予告書を受け取っています。」
私は黙って聞いていた。実家がお金に困っていたなんて、全く知らなかった。
年配の刑事はそんなじっと私を見つめながら、さらにこう言った。
「完納の最終期限は、3月1日でした。ところが、税金は支払われませんでした。したがって、あなたのおかあさんが所有している不動産や動産は、この日をもって、差し押さえられることになりました。そのことを通知するために、3月2日、銀狐村役場の職員が、あなたの実家を訪ねたところ、誰もいませんでした。」
その時、頭上から、カンカンという音が聞こえてきた。三階の住人が、階段を駆け下りてきたのだ。刑事は話を止めた。
鼻歌を歌いながら降りてきた若い男は、二人の刑事の姿を見ると、ぎょっとした顔をして鼻歌をやめ、足音を殺して私の部屋の前を通り過ぎた。彼の足音が聞こえなくなると、刑事は再び話し始めた。
「その後、何度、役場の職員が訪問しても、留守でした。3月1日、郵便配達員は、あなたのお母さんに、差押告書を手渡ししています。つまり、3月1日、あなたのおかあさんは屋敷にいた。しかし、その日以降、あなたのおかあさんや弟さんに会った人は誰もいないのです。つまり、あなたのお母さんと弟さんの、安否および所在を確認できない状態がひと月近く続いています。あなたはそれを知っていますね。」
「はい。」
「あなたは銀狐村役場から、一度実家に来てほしいと言われているのに、行っていませんね。」
「はい。」
「どうしてですか。」
若い刑事が尋ねた。
「それは……。」
私は答えに窮した。
私は十年前に家出をした。それ以来、1度も実家には帰っていない。連絡も取っていない。私はもう2度と、実家には帰らないと決めていたのだ。だから、役所の求めに応じなかった。
だが、なぜ、実家に帰りたくないのかを説明するためには、私は自分の三十年の人生を語らなければならない。それはとても一言では説明できない。説明したところで、わかってもらえるとも思えない。
困っている私の顔を、二人の刑事はじっと見つめていた。
「あなたはおかあさんと弟が行方不明になっているのに、心配ではないのですか。」
若い刑事が言った。
「それは心配ですけれど。」
と、私は口ごもった。
それは半分本当で、半分は嘘だった。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だという。それは真実だ。かつて、私は母をずっと憎んでいた。家出して、苦労して一人暮らしをしている時、何度も母を憎いと思った。でも、そんな思いも生活に追われているうちに、少しずつ、消えていった。十年経った今、私はもう、母のことを憎んでいなかった。といって、もちろん、愛してもいない。私は母と弟に対して、無関心になっていた。もちろん、桃山家に対しても。
あの家は歪んだ水槽だった。母も祖父も、曽祖父の翁も、狂人だった。
私はその歪んだ水槽の中で生まれ、育った。
歪んだ水槽の中を泳いでいる金魚には、自分の世界が歪んでいることは、わからない。いつも歪みに体をぶつけ、傷だらけになりながらも、それが当たり前だと信じている。自分が見ている歪んだ景色が、世界のすべてだと信じ込んで生きている。
水槽の歪みは外から見て初めてわかるのだ。
自分の力で外の世界を泳いで、初めて、かつて自分の棲んでいた歪んだ世界がどんなに禍々しいものであったのかを知ることになる。
それを知ってしまった今、私にとって、あの家に戻るということは、幼い日の傷口をすべてこじ開けられ、さらされるということなのだ。
嫌だ!
帰りたくない!
私は心の中で、そう叫んでいた。
しばらくして、年配の刑事がこう言った。
「一昨日、匿名の電話がありました。『桃山青子がおかあさんと弟を殺して、青い森に埋めた。』という内容でした。」
えっ。
頭の中が真っ白になった。
私が二人を殺した?
青い森に埋めた?
いったい、誰が、なぜ、そんなことを言ったのだろう。
「青い森……。」
私は思わずそうつぶやいていた。
「『青い森』に心当たりがあるのですか。」
年輩の刑事の目が光った。
「ええ。『青い森』というのは、実家の敷地にある森のことです。」
「そうですか。」
と、年配の刑事は言った。それから彼は私にこう尋ねた。
「ではこの電話の内容に、心当たりはありますか。」
何ですって。
刑事のことばに、私は激しいショックを受けた。
「あなたは、おかあさんと弟さんを殺しましたか。」
はっきりと、もう一度、年配の刑事が私に尋ねた。
「いいえ。」
私の声は震えていた。
冗談ではない。
そんなばかな。どうしてたった一本の電話で、私が疑われてしまうのだろう?
私には今、自分に起こっていることが現実だとは信じられなかった。
殺人容疑?
それが私にかかっている?
まさか、そんな、ありえない。
「ふむ。」
と、年配の刑事が唸った。それから彼はこう言った。
「この電話を受けて、昨日、警官が、村役場の人間の立ち合いのもとに、安否確認のために、あなたの実家に入りました。玄関は施錠されていませんでした。」
「はい。実家には施錠の習慣はありませんでした。」
私は言った。
「実家のどこにも、あなたのおかあさんと弟さんの姿はありませんでした。そして、一階のリビングのテーブルの上には、こんな手紙が置いてありました。」
そう言って、年配の刑事は、封筒から写真を取り出した。
写真は全部で三枚あった。一枚目は便箋を写した写真で、その便箋にはこう書いてあった。
青子が勝太郎を殺して
青い森に埋めた。
私も青子に殺される。
満月の夜、青い桜の木の下で。
何ですって。写真を持つ私の手が震えた。
母が書いた字に間違いなかった。
ひどい。
あの人は、なんでこんなことを書いたんだろう。
腹の底から怒りがこみあげてきた。
「この便箋の文字は、あなたのお母さんが書いたと思われます。」
私は黙ってうなずくしかなかった。
「他の写真で確認してください。この便箋が置いてあるのは、あなたの実家のリビングのテーブルの上で、間違いありませんね。」
私は写真を見ながらまたうなずいた。二枚目の写真は便箋がテーブルの上にあるところを、三枚目はそのテーブルのある、リビングの全景を撮ったものだった。実家のリビングに間違いなかった。
「桃山青子さん、これから銀狐村に同行してください。」
年配の刑事が言った。
「今からですか。」
二人の刑事はうなずいた。
「あなたたちと一緒に、ですか。」
また、二人はうなずいた。
「あなたのおとうさんは、26年前に失踪して、7年後に死亡宣告を受けています。つまり、あなたしか、家族はいないんです。」
年配の刑事が言った。
「私たちとしては、一度、その青い森に入ってみたいんです。電話やメモの内容が、本当かどうか、確かめる必要があるからです。」
若い刑事が言った。
勝手に行けばいいのに、と、私は思った。
「どうして、その便箋を見た時に、ついでに青い森に行かなかったのですか。」
私は尋ねた。すると、年配の刑事がこう言った。
「警察だけで、あなたの実家の私有地に立ち入ることはできません。立会人が必要です。」
「でも、役場の人と一緒に、家の中には入ったのでしょう。だったら、そのまま、役場の人に立会人になってもらって、青い森に入ればよかったのに。」
「それができなかったのです。」
「どうして。」
「役場の人間に、立会を拒否されたからです。」
もう一度、どうして、と聞こうとして、私は思い出した。
「『風が吹くと、桜の森で人が死ぬ。』…… 銀狐村には、そんな言い伝えがあるそうですね。」
年配の刑事が言った。
私はうなずいた。
「桜の森というのは、あなたの実家の裏にある、広大な森のことだそうですね。そして、桃山家以外の人間が、その私有地に立ち入ると、死んでしまうと言われている。実際にこれまでに何人かの村人が桜の森で亡くなっている。だから、誰も怖がって、あなたの実家の森に入ろうとしない。私たちは、銀狐村役場の職員全員、さらには銀狐村人たち全員に、立会を拒否されてしまったんです。つまり、あなたしか、森の捜索に立ち会える人がいないんです。」
そう言って、年配の刑事は、私の顔をじっと見た。
あの森のことを思い出すと、私はいつも不思議な感覚にとらわれる。
森。
青い森。
桜の森。
木漏れ日、青臭い花の匂い、足に絡まる生い茂った下草。
その中を、私は走っている。
必死になって走っている。
何か、とても怖いものから逃げて、走っている。
「危ないよ、危ないよ、風が吹くと危ないよ。」
誰かの声が木霊する。
「風が吹くと、桜の森で人が死ぬ。」
「立ち去れ、立ち去れ。」
人を追い払うように、木立の枝が揺れる。
私は立ち止まる。
前から、何か、赤いものが飛んで来る。
私は隠れる。
息を潜めて、それが通り過ぎるのを待つ。
辺りが静まり返る。
私は再び、走り出す。
幼い日の記憶が、途切れ途切れに再生される。
私の記憶の底に、何かが横たわっている。
それは何だろう。
幼い日に、私は何を見たのだろう。
思い出したいのに、思い出せない。
森のことを思い出すと、いつもそんな、ざらざらとした気持ちの悪さが残った。
私はどうしても、実家には行きたくなかった。
「実家に行くことはできません。だって仕事があるんです。今日は遅番で、」
震える声で、私は拒否した。すると、
「職場にはこちらから連絡済みです。」
若い刑事が言った。
何ですって。
「大吉スーパー上田店は、これからあなたが実家に行くことを承知しています。」
はっきりと、若い刑事が言った。
「どうして、職場に行ったのですか。ひどい。クビになったら、どうしてくれるんですか。」
私は思わず叫んでいた。
「私は何もしていないのに。」
「そう、何もしていない。」
若い刑事が言った。
「普通、母親や弟が一か月も行方不明だと聞かされたら、大慌てで安否を確認しようとするはずです。あちこちに連絡したり、捜索願を出したり。それをしないということは、疑われても、しかたがありません。何かを知っていて、隠しているのではないか。我々はそう疑っています。」
「そんな。」
「まあまあ。」
気色ばんだ私を、年配の刑事が制して、こう言った。
「青い森に何もなければ、あの電話やメモがいたずらであったことがわかります。あなたにとって、悪い話ではないと思いますよ。」
そう言われても、なおもためらっている私に、
「桃山青子さん、今すぐに、数日間の旅の用意をしてください。」
きっぱりと、年配の刑事が言った。
もう 拒否はできなかった。
私は、あの家に行くしかない。警官に連行されて。
部屋の奥に進む私を、二人の警官が鋭い眼で見張っていた。
私は被疑者なのだ。
誰かが、「私が二人を殺した」と言っている。
母は、私が弟を殺し、今度は自分も殺される、とメモを残して姿を消している。
警察は、私が母と弟の行方不明に、関与していると考えている。
私はこれから警察とともに、あの森へ行く。
あの森の中には、一体、何があるのだろう。
そこで私は自分で自分の潔白を証明することができるのだろうか?
有罪率99.9%。
もし、警察の疑いを晴らすことができなければ、起訴されてしまえば、私が無罪になる確率は、千にひとつなのだ。
私は殺人犯にされてしまう。
「わかりました。今、支度します。」
ワンルームの部屋の中は、玄関から見渡せる。二人の警官に見張られながら、私は旅行鞄にとりあえず下着や衣類、日用品を詰め込んだ。鞄のファスナーを引く手が震えた。
私は鞄を持って、パトカーの後部座席に乗った。運転席に座ったのは若い警官で、私の隣には年配の刑事が乗り込んだ。私はすでに警察の手の内にいた。パトカーはゆっくりと走りだした。
スカイハイツの前にある上田公園は、春休みの子どもたちでにぎわっていた。小高い山の上を走り回る子どもたちの歓声が聞こえてきた。手作りの紙飛行機が空を飛んでいた。
満開の桜が美しかった。
「どうして、銀狐村役場から連絡を受けた時に、すぐに実家に帰らなかったのですか。」
年配の警官が再び同じ質問をしてきた。
「私には何もできないからです。」
「なぜですか。」
「私は二十歳の時に家出をしました。それ以来、実家とは音信不通です。母と弟がこの十年間、どんな生活をしていたのか、私は知りません。だから私が実家に行っても、何のお役にも立てないと、役場には伝えました。それに、仕事の休みも取れないし。」
パトカーは大吉スーパーのある通りに向かっていた。間もなく、店の駐車場が見えてきた。広い駐車場には、今日もたくさんの車が停まっていた。その駐車場の奥に、三階建ての大きな建物が見えた。正面玄関の脇に、バックヤードに続く、細い通路があった。
私はその通路を見つめていた。
もう、あそこに私が戻る場所はない。警察が職場に行ったということは、そういうことだ。一昨日、私は正社員登用の内定をもらったばかりだというのに。
私は十年前、あの店にバイトとして入った時のことを思い出していた。
私は一人で名古屋に出てきた。実家から盗み出した現金五十万円の入ったショルダーバッグと、衣類を詰め込んだ大きなボストンバッグ二個。それが私の全財産だった。私は安くてすぐに入居できるマンスリーマンションを探して歩いた。
マンスリー上田に決めたのは、近くにある大吉スーパーにアルバイト募集の貼紙があったからだ。二階建て8室、一番入り口に近い、一階の部屋だけが空いていた。その時はなぜ、その部屋が空いているのか、私は知らなかった。私はすぐに入居を決め、入居した次の日に、バイトの面接を受けた。
サービスカウンターで、バイトに応募しに来たことを告げると、店の奥にある店長室に案内された。履歴書を持って待っていると、小太りの中年の男が
「やあ、はいはい、どうもどうも。」
と、言いながら入って来た。これが、当時の上田店の店長の、杉丘だった。
「桃山青子です。よろしくお願いします。」
私は立ち上がって頭を下げると、店長に履歴書を手渡した。
私のつま先は震えていた。家出がばれたら、どうしよう。そんなことを思っていた。
「はいはい。ふんふん。」
店長は履歴書にざっと目を通すと、すぐに顔を上げて、
「こういうバイトは初めてなんだね。」
と、聞いてきた。
「はい。」
私は必死になって笑顔を作っていた。
「いつから来られるの。」
えっ。
私はびっくりした。
それって、採用、ということですか。
そんなことを思いながら店長の顔を見ると、彼は私の返事がないので、怪訝な顔をしていた。
「あ、はい。ええ、あ、あの、いつからでも。今からでも、構いません。」
「ふうん。」
店長はちょっとにっこりすると、
「今すぐというわけにはいかないから。じゃあ、明日の朝、五時からで、どう?」
と、聞いてきた。
「はい。」
私は即答した。
「じゃあ、あしたは、ここから入って。」
そう言って店長に案内されたのが、あの、バックヤードに続く細い通路だった。
次の日の朝、五時から仕事が始まった。私の最初の仕事は、店内の清掃だった。床にモップをかけ、磨き上げた。次は荷出しだ。重たい段ボール箱が山積されている大きなカートを、各売り場のストック場に配布していく。それからその段ボールを下ろして封を開け、商品を取り出し、売り場に陳列する。九時半になると、日勤の店員が出勤してくるので、そこで引き継ぎ、終了となる。初日の私は先輩の指示通りに動くロボットだった。「はい、わかりました。」「すみません」を言い続けて、終わった。
くたくたに疲れて、私は借りたばかりの部屋に帰った。
小さなコンロでご飯を炊いて、味噌汁を作った。遅い朝食を済ませると、後片付けをして、掃除をした。次の出勤は夜の七時だ。
することがなくなると、小さな部屋の真ん中に座って、私は思った。
できたじゃん、家出。
思っていたよりも、ずっと、あっけなく、簡単だった。
始まったんだ、私の暮らし。
浮き浮きした気分で私は部屋を出て、散歩に出かけた。あの時も、上田公園は桜の花が満開だった。真青な空に映える、桜の花を眺めながら、私は深呼吸をした。
ああ、やっと、あの家から自由になれたのだ。心の底からそう思った。たとえその日暮らしでも、いつ落ちるかわからない綱渡りのような生活でも、あの家で暮らすより、ずっと幸せだ。私は心からそう思った。
夜の仕事はレジだった。この時も、私は指導係の指示に従って動くロボットだった。言われるままにスキャンして、言われるままにボタンを押して、言われるままに接客した。九時終了時には、首筋から肩にかけて、バキバキに凝っていた。
バイトの仕事に少し慣れてきたころだった。
夜、マンションの部屋の前でポケットから鍵を取り出している時、三つ奥のドアの前に、男が立っていることに気が付いた。彼は自分の部屋のドアに手をかけたまま、私が鍵を開け、部屋の中に入るのを、じっと見ていた。
次の日も、夜、私が部屋に戻ると、男が立っていた。そして、ゆっくりとこちらに近づいてきた。私は急いでドアを開けると、部屋の中に入り、ドアを閉めた。
その次の日、男の姿は見えなかった。私はほっとして、ドアを開けた。すると、階段を下りる音が聞こえてきた。階段を下りてきたのは、あの男だった。私は慌てて部屋に入り、ドアを閉めた。ドアが閉まる寸前、階段の中ほどから、男が私の部屋の中を覗きこんできた。その時の、男の目と薄ら笑いを、私は忘れることができない。不気味で、恐ろしかった。
私は防犯ブザーを買った。それをいつも握りしめていた。そして必死にお金を貯めて、半年で現在のスカイハイツに移った。
一年後、私はアルバイトからパートになった。どんな仕事もした。きついシフトを組まれても、我慢した。意地の悪い先輩に責任をなすりつけられても、口答えしなかった。別に、スーパーの仕事が好きだったわけでも、愛社精神があったわけでもない。生きていくためにお金が必要、ただそれだけだった。
半年前、大吉スーパーのパート控室に一枚の通達が張り出された。その内容は、現在二十人いるパート社員の中から、一人だけ、成績優秀者を正社員に引き上げるというものだった。
その日から戦争が始まった。正社員の座をめぐる競争は激烈を極めた。しかも、一名正社員に登用されると同時に、売上成績の悪い三人のパートがクビを切られるという噂が流れていたから、大変だった。もともと正社員になる気のない、おっとりと構えていたパートたちも、必死にならざるをえなくなった。職場から和気藹々とした空気が消え、足の引っ張り合いやいじめ、告げ口が蔓延した。
「門田さんは真面目そうに見えるけれど、主任と不倫をしているのよね。」
「立川さんは、あちこちの消費者金融に借金をしている。」
「小暮さんの家は、電気とガスを止められている。」
火のないところに煙が立ち、酷いデマが飛び交った。それだけではない。データの改ざん、制服隠し、何でもありだった。やったもの勝ちの卑劣な空気が職場を支配していた。
一昨日のことだった。
「桃山さん。ちょっと、支店長室に来て。」
支店長のその声で、すべてのパートの手が止まった。バックヤードの空気が凍り付いた。
かつては仲のよかったパートたちの、射すような視線を背に、私は支店長室のドアを開けた。
部屋の中には、支店長の久保田が居た。彼は私を見ると、
「ああ、君ね。桃山青子さん。4月1日から、あんた、ここの正社員だからね。一応、今日、内定を出しておくからね。」
と、言った。いつもの調子の軽い言い方だった。
「ありがとうございます。これからもがんばります。」
そう言って、私は頭を下げた。
「まあ、あんたを選んでおけば、間違いないからね。パートの誰からも、文句は出ないだろうからね。だって、君、ここは長いし、仕事は何でもできるし。」
お茶を飲みながら、支店長はそう言った。
「はい、がんばります。」
私はまた、頭を下げた。
「でさ、この書類、書いといて。」
そう言うと、彼は封筒に入った書類を私に手渡した。封筒の中には、契約書や宣誓書が入っていた。
「ああ、そうそう、正社員だから、転勤はあるからね。残業もいっぱいあるからね。今まで通り、販売ノルマもあるからね。売上達成しなかったら、自腹で買い取ってね。それと、契約書に書いてあることは、実際とは違うから。契約書の内容は、あまり真に受けないように。ボーナスはないからね。退職金もないからね。そこのところ、よろしく。」
せんべいを齧りながら、彼はそう言った。
「わかりました。」
と、私は答えた。
「まあ、『正社員登用制度を作れ』とか上から言われてさ、仕方なく、こういうことをやったわけよ。ああ、面倒くさかった。じゃあ。」
せんべいの残りを口に放り込みながら、彼は言った。
私は一礼すると、支店長室を出た。
バックヤードを歩きながら、私は猛烈に腹を立てていた。
ばかにしやがって。
パート同志にさんざん、足の引っ張り合いをさせやがって。
人が傷つくのを、面白がって高みの見物しやがって。
現場経験の少ない無能な正社員だけで、何ができるのよ。パートがいないと、一日だって、職場は回らない。それを知っているくせに、パートを虫けらみたいに扱いやがって。
おまけに、なによ、この待遇は。
契約書を真に受けるな、ですって。
名前が正社員になっただけで、中身はパートと変わらないじゃないの。
ばかやろう!
ああ、今、私が手にしているこの書類の入った封筒を、床にたたきつけて、踏みにじってやりたい!
私の心の中で、怒りの嵐が吹き荒れていた。
ああ、今、あの支店長の顔に、退職願を叩きつけたい!
そんな思いを大人の分別で堪えながら、私は仕事に戻った。
戻るしかなかった。
それなのに、まさか、こんなことになるなんて。
私は激しいストレスに打ちのめされていた。頭が殴られたように痛かった。
パトカーは名古屋インターから東名高速に乗った。パトカーを追い抜いていく車はもちろんいない。並んで走る車もいない。後続車も近づかない。前を走っていた車はさっさと遠ざかって行く。まるで映画のワンシーンのように、パトカーは高速を独走していた。私には自分がその車に乗っているという現実感が、どうしても沸いてこなかった。
「あなたはどうして家出したのですか。」
年配の刑事がまた、同じ質問をしてきた。
「母や弟と仲が悪かったからです。」
「それはなぜですか。」
「価値観が違っていたからです。私はあの家が嫌いでした。でも、母と弟にとって、あの家は誇りでした。」
「ふむ。桃山家は代々続く旧家で、かつては銀狐村の庄屋だった。あの村では一番大きな家だそうですね。」
「はい。」
「あなたのおかあさんは、桃山家の一人娘だった。」
「そうです。」
「だから、あなたのおとうさんを婿養子にとって、桃山家の跡を取った。」
「はい。」
「ところで、」
刑事は私の顔を覗きこんで、こう言った。
「あなたのおとうさんは、あなたが4歳の時に、失踪していますね。」
「はい。」
「7年後、失踪宣告を受けて、あなたのおかあさんは、多額の生命保険金を受け取っていますね。」
「はい。覚えています。」
~そう、あれは私が十歳の時だった。
あの時のことは、決して忘れることはできない。母は札束を胸に抱えて、狂気乱舞していた。
「ああ。これで当分、楽に暮らしていける。」
そして私にこう言った。
「わかるかい、よく覚えておくんだよ。人の命は一番お金になるんだよ。これであの人も、桃山家の役に立ってくれたというものさ。」
私はそんな母を睨み付けた。
父がいなくなって以来、私は父のことを忘れた日はなかった。どこかに出かけると、いつも父の姿を捜していた。学校の遠足で遠くに出かけたり、買い物をするために新城の街を訪れたりした時、私はいつも、父とばったり会えたらいいのに、と、思っていた。
それなのに、母は父の死亡宣告を喜んでいた。私はそんな母が許せなかった。
母は私の頬を叩くと、こう言った。
「親を睨むんじゃないよ!まったく、なんて娘だ!」
「おかあさんは、お父さんよりも、お金の方が大事なの!」
私は叫んだ。
母は再び私を打った。何度も何度も私を殴った。殴りながら、
「金の方が大事に決まっているじゃないか!」
と、言った。
「きれいごとじゃないんだよ。生きていくということは。おまえだって、この金で飯を食うんだ。誰に食べさせてもらっていると思っているんだ。」
そう言って、母は、今度は札束で私をぶった。
母は怒りだすと止まらなかった。今度は私の足を思い切り蹴とばして、こう言った。
「いいかい。金は稼ぐものじゃない。盗るものなんだ。あくせく働いたって、たいした稼ぎにはならないんだから。金持ちになるためには、人が稼いだ金を、掠め取らなくてはいけないんだ。それをした奴だけが、金持ちになれるんだ。人の命は金に変わるんだ。人の命が一番お金になるんだよ。よく覚えておけ。」
これが母の、そして桃山家に代々伝わる価値観だった。私はそんな価値観の水槽の中で、二十年間育った。そして家を飛び出して、母が一番軽蔑していた、安月給であくせく働く人間になった。~
「ここ数か月の間に、あなたは一度も実家に帰ったことはないんですね。」
「はい。私は十年前に家出して以来、一度も実家に帰ったことはありません。」
「それは事実ですか。」
「ええ。もう何度も言いました。それに、ここ数か月のアリバイでしたら、会社で調べてもらえば、わかります。私はこの三か月、毎日出社していました。休暇は一日もありませんでした。」
「それはもう調べました。」
と、年配の刑事が言った。
何ですって。私は腹が立った。
「もう、そこまで調べていたんですか。だったら、私が犯人でないことは、」
「でも、あなたには夜のアリバイがない。」
私を遮って、年配の刑事が言った。
「仕事が終わってから、この村に来て、始業前に名古屋に戻ることは可能です。」
それを聞いているうちに、ますます腹が立ってきた。
「刑事さん。休日もないのに、徹夜なんかしたら、人を殺す前に私が過労死しています。」
私はそう言うと、刑事を睨み付けた。そして、後部座席に深くもたれた。
意外なことに、パトカーの後部座席は座り心地がよかった。このまま座席に沈み込んでいたら眠ってしまいそうだった。疲れが溜まっていた。
この三か月間、ずっと休暇が欲しくてたまらなかった。仕事のスイッチをオフにして、ゆっくり休みたかった。寝る前にはいつも、朝までに疲労が回復することを祈っていた。生き
るために仕事をするのではなく、仕事をするために生きていた。死んだ方がましだと思ったことも何度もあった。休みは人間が生きていくために、絶対に必要なものなのに。
そんな激務の毎日は突然終わった。しばらくは体をいたわって休むことができる。だが、この年で失職したら、今度はもっときつい仕事にしか就くことはできない。
「尋問中に寝ないでくださいね。」
年配の刑事が言った。短い時間だが、私は本当に寝ていた。空き時間があれば、二分でも三分でも眠ることができる。いつも疲れていて、睡眠不足の生活をしているうちに、そんな特技が身についてしまっていた。
「どこかで休憩しましょう。お昼でも食べながら。」
運転していた若い刑事が言った。
「ちょうど、美合パーキングエリアがあります。」
そう言うと、若い刑事は本線から外れてパーキングエリアに車を進めた。
パーキングの美合亭で、年配の刑事はどて丼を、若い刑事は味噌カツ定食を注文した。私は五平餅を買った。
五平餅は熱々で、焦げた胡桃味噌が香ばしかった。五平餅はどこでも売っているが、都会で食べるよりも、山の中で食べる方がすっとおいしい。食べ応えがあるので、お昼ご飯にちょうどいい。漬物とお茶がついているのも嬉しかった。
考えてみると、お昼時にお昼ご飯を食べるのも、久しぶりだ。空き時間に立っておにぎりをかじって、そのまま仕事に戻る。それが当たり前になっていた。
五平餅の最大の欠点は、棒にくっついたお餅の部分が食べにくいことだ。注意深く前歯でこそげて食べていたのだが、うっかり鼻に味噌ダレをくっつけてしまった。こっそりティッシュで拭きとるのを、二人の刑事は見て見ない振りをしてくれていた。
きっと、悪い人たちではないのだろう。そう思った。
食事をおえて、美合亭の外に出ると、湿った風が吹いていた。空を見上げると、厚い雲が空を覆っていた。
「雨になるのかな。」
年配の刑事が言った。
「天気予報では、午後から雨になりますね。」
若い刑事が言った。
パトカーは再び高速に乗った。銀狐村はまだ遠い。
「いかん。俺が眠たくなってきた。」
ぽつりと年配の刑事が言った。運転している若い刑事が苦笑した。お腹はいっぱい、座り心地の良いシート、暖かい午後の陽射し。私も眠たくてたまらなかった。
やがてパトカーは豊川インターで高速を降りると、国道151号線に入った。遠くに見えていた山の稜線が一気に近くなった。国道に沿って走る飯田線が見える。4両編成の小さな列車が通り過ぎていった。豊川の堤防沿いに、桜が咲いていた。新城市はもうすぐだ。
二度と戻らないと思っていた故郷に、まさかこんな形で帰ることになろうとは。
パトカーは新城市内を通り過ぎ、古くて美しい三河大野の町に入った。どこを切り取っても絵になる、端正な街並みが続いていた。かつての秋葉街道の風情が今も息づいている。
その町を抜けて、パトカーは県道55号線に入った。道は次第に細くなっていった。銀狐村は静岡との県境に近い、山の中にある。
「さて、ここから先が厄介だ。」
若い刑事が言った。
「大きな道はわかりやすいんですが、銀狐村までの道は細い田舎道なのです。迷ったら大変なことになります。」
「道を間違えるなよ。頼んだぞ。」
年配の刑事が言った。
「しかし、道路標識が全くありませんからね。パトカーにはカーナビもついていないし。」
時折、若い刑事はパトカーを停めると、地図で道を確認していた。周囲には人通りもなく、民家もない。コンビニのような目印になる建物など、何もないのだ。彼は何度もパトカーを停めて、道を確認していたが、ある二股道で首をかしげたまま、動かなくなった。それから後ろを振り向くと、私にこう言った。
「道案内をしてくれませんか。」
「そう言われても……。」
私は戸惑った。山の中の道は、どれも見たことがありそうな道ばかりだった。二十歳の時に村を出た私には、車で実家までの道を走った経験はない。
「この二股、どっちへ行けばいいと思いますか。」
若い刑事はさらに聞いてきた。
「そうですね……。」
見通しの悪い細い道が右と左に分かれていた。どちらも両側を木立に覆われていた。
「少し、降りて歩いて調べてみていいですか。」
私が言うと、年配の刑事がうなずいた。
私は年配の刑事と一緒にパトカーを降りると、まず、左の道を少し歩いてみた。
ああ、山の匂いだ。土と木の匂い。私は深呼吸をした。
ああ、やっぱり、山の空気はいいな!
空気を思いっきり吸い込みながら、私は歩いた。
しばらく歩いてからき引き返し、今度は右の道を歩いた。
同じような匂い、同じような道。だが、こちら側には道の端に、小さな狐の形をした地蔵があった。
私は近寄ると、しゃがみこんで、その地蔵を見つめた。間違いない。大きなしっぽの狐の石像だった。
「わかりました。こちらの道です。」
私は言った。
「この狐地蔵は、銀狐村の入り口にもあるんです。」
「そうですか。よかった。」
年配の刑事はそう言うと、若い刑事に右の道を指さした。
それからはずっと一本道だった。パトカーはゆっくりと細い道を通り抜けて行った。
小さなせせらぎにかけられた、苔むした石の橋を渡り、雑木林のトンネルをくぐった。ところどころに、狐地蔵が立っていた。
ああ、もうすぐ銀狐村に着く。
私は憂鬱になった。
パトカーはさらに山道を走り、ようやく銀狐村に到着した。
村の入り口に、ひときわ大きな狐地蔵が立っていた。この地蔵は、私が村を出ていった時と、何も変わっていない。
十年前、村を去る私を見送ったのは、この地蔵だけだった。
「さて、あなたの実家はどこですか。」
若い刑事が尋ねてきた。
「この村のはずれの山の上にあります。この一本道のずっと先です。」
私は言った。
パトカーは一本道をゆっくり走り続けた。木立の間から、時折民家が見える。
進行方向から、おじいさんが歩いてきた。パトカーは止まって、おじいさんが歩いて通り過ぎるのを待った。おじいさんはパトカーの中をのぞき込むと、私の顔をじろじろと見ていた。
「こんにちは。」
年配の刑事が笑顔でおじいさんに挨拶すると、おじいさんは、慌てて首を引っ込めた。それからぎこちない笑顔を浮かべて、さっさと通り過ぎて行った。
あのおじいさんの顔には見覚えがあった。だが、どこの誰だったのか、思い出せない。あのおじいさんは、きっと今頃、どこかでパトカーのことを誰かにしゃべっているに違いない。噂はあっという間に村中に知れ渡る。私は溜息をついた。
私の実家はまだ先だった。左手に、廃校になった小学校の建物が見えた。私は子どもの頃、この小学校に通っていた。今は校舎の建物は集会所として使われているらしかった。校庭はゴミ収集所になっていて、ゴミ分別の立札があちこちに立っていた。校門前の花壇にはパンジーが植えられていた。
パンジーの鮮やかな花色が目に染みた。そう言えば、明日は私の誕生日だ。
21年前、九歳だった私は、あの花壇の前に、涙を堪えて立ちすくんでいた。
~私は子どもの頃、家で自分の誕生日を祝ってもらったことがなかった。母は、弟の誕生日には毎年、弟の友達を家によんで、パーティを開いた。その夜には、家族だけで、弟の誕生日を祝った。だが、母は、私の誕生日はいつも忘れたふりをしてスルーしていた。
私は友達の誕生日会に呼ばれても、自分の誕生日に友達を家に呼ぶことができなかった。子ども心に、私は友人たちの間で、肩身の狭い思いをしていた。
ところが私が九歳の時、母が私にこう言った。
「今年はあなたのお誕生日会をやってあげる。お友達を家に呼んでいいわ。」
「ほんとうに、うれしい、おかあさん、ありがとう。」
私は飛び上がって喜んだ。母はさらにこう言った。
「でも、ひとつだけ、約束して。あなたのお誕生日は、ちょうど春休みでしょう。だから、友達にはおかあさんが話をするわ。あなたは絶対に友達に誕生日会のことを話しては駄目よ。いいわね、わかったわね。」
「わかった。約束する。」
私は母との約束を守った。春休みに友達と会ったり、遊んだりしても、自分の誕生日会のことは黙っていた。ものすごく言いたかったけれど、おかあさんとの約束を守って、我慢した。これで、やっと、誕生日会に呼ばれたお返しができる。友達を家に呼んで、自分のお誕生日会をしてもらえる。私は嬉しくてたまらなかった。
そしてついに誕生日がやってきた。
私は家の玄関の前に立って、友達が来るのを待った。
ほら、もうすぐ、友達が誕生日プレゼントを持って、来てくれる。もうすぐ、あと少し。そう思いながら、私はずっと待っていた。
ところが、誰も来ない。何時間待っても、友達はひとりも来なかった。
日も暮れて、泣きながら家に入った私を、母はこう言って笑った。
「誰も来ないなんて、あんたには友達は一人もいないんだね。あんたはみんなに嫌われているんだね。」
母の横で、弟も笑いながらこう言った。
「僕のお誕生日とは、大違いだね。この間の僕のお誕生日会には、友達が大勢来て、ケーキがあって、ご馳走があって、」
その弟の言葉で、私は気が付いた。
二か月前の弟のお誕生日会の時には、花瓶にバラの花が活けられ、大テーブルの真ん中には大きなケーキがあった。から揚げやハンバーグのご馳走も並んでいた。
でも、今日の、食堂の大テーブルの上には、何もなかった。ケーキも、ごちそうも。
笑い転げている母と弟を見ながら、私は、もしかしたら、と思った。
次の日、私は友達の家を回って、友達に尋ねた。
「ねえ、私のお誕生日会について、私のお母さんから、何か聞いていた?」
友達はみんな、こう答えた。
「ううん。何も聞いていないよ。」
最後の友達の家を出て、この小学校の前を通った時、私は、家に帰りたくない、と、思った。
おかあさんは、私を騙したんだ。
初めから、私の誕生日会を開くつもりはなかった。
私を泣かせて、傷つけて、お母さんは、楽しんでいる。
家を出たい。母と弟と、暮らしたくない。心の底からそう思った。
色鮮やかなパンジーを見ながら、九歳の私は必死に涙を堪えていた。~
パトカーは学校の前を通り過ぎた。
私はもちろん、母も弟も殺していない。
だが警察は、私が母と弟を殺したと疑っている。それは母の置手紙のせいだ。
『実の母親がこんな手紙を嘘で書くはずがない。』
『こんなひどい嘘をついて、娘を貶めるはずがない。』
警察はそう思い込んでいるのだ。
けれど、私の母は、どんなひどいいたずらでも、平気でやれる人だった。九歳の娘に、誕生日会を開いてやると嘘をついて、笑って楽しめる人間なのだ。
だから、あの置手紙も、きっと軽いいたずら気分で書いたのだろう。私の母は、そういう人なのだ。
だが、それを他人に理解してもらうことは不可能に近い。特に、母性愛を強烈に信じ込んでいる人には、どう説明しても、無駄なのだ。
『まさかそんなことを、実の母親がするはずがない。』
『それはあなたの誤解だ。』
『あなたのお母さんは、あなたを愛している。ちょっと変わっているけれど、それがあなたのおかあさんの深い愛情表現なのだ。』
そんな一般的な答えが返ってくるだけなのだ。
誰にも理解してもらえない。そして私が責められるだけ。
ああ、嫌だ。
心の底からそう思った。
親子関係なんて、最もプライベートなものなのに、わかりきった顔をして、土足で踏み込んできて、説教をして帰っていく。絶対に親は子どもを愛していて、子どもは親を慕い、尊敬し、感謝するべきだと言い放つ。
うんざりだった。
私は自分が一番関わりたくなかった、歪んだ親子関係の中に、引き戻されていた。
小学校の校庭の先にある、小さな畑で、おばあさんが畑仕事をしていた。おばあさんはこちらに気が付くと、雑草を抜いていた手を止めて、じっとパトカーを見つめていた。
私たちは小さな家の前にさしかかった。竹を組んだ垣根に囲まれた、平屋建ての家だった。
縁側と玄関が見えた。玄関の脇には、手水鉢が置いてあった。
『中村』の表札が見えた。
懐かしい家だった。私の大好きな悟君の家だ。
私と悟は村育ちの幼馴染だった。私は毎日、この家に遊びに来た。この家のすべてが大好きだった。私は悟君と一緒に宿題をしたり、遊んだりした。
中学は隣村にあったので、私たちはいつも手をつないで通った。彼は毎朝、私を迎えに来てくれた。私の家の黒い大きな大理石の門にもたれて、いつも貧乏ゆすりをしながら、私を待っていた。私の姿を見ると、「早く来い」と言って、私の手を引っ張った。一緒に斜面を駆け下り、学校まで小走りで登校していた。帰りはいつも彼の家で宿題をすませ、一緒に遊んでいた。私は彼も、彼のお父さんも、お母さんも、大好きだった。
中学卒業間近のある日、彼の両親は材木をトラックで運搬中に交通事故にあい、帰らぬ人となった。
私は母に連れられて彼の両親の葬式に行った。彼の家は裕福ではなかったので、祭壇は質素なものだった。その祭壇を見て、母は笑い転げた。
「何、あれ、おかしい、あはははは。粗末。みっともない。あはははは。貧乏って、情けない。ははははは。」
その場にいた人々はみな、母の異常さに凍り付いた。
私は母から離れようとした。母のそばに居たくなかった。けれど、こんな時に限って、母は私の手をぎゅっと握って、放そうとしなかった。
オカアサンナンカ、ダイキライ。
私は心の中で叫んでいた。涙を流しながら、母を睨み付けた。そんな私を悟はじっと見つめていた。彼は怒っていなかった。彼の目は私を憐れんでいた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
謝りたいのに、言葉が出なかった。
私はただ、うなだれて泣いていた。
その日以来、私は彼と口をきくことができなくなった。私の家の門の前で彼が待っていてくれても、彼が手を伸ばしてきても、私は泣いて、首を振って彼を拒絶した。
もう二度と、彼と手をつなぐことはできない。彼と寄り添って歩くことはできない。私にはそんな資格はない。そう思っていた。
やがて彼は迎えに来なくなった。彼の姿のない、空っぽの門を見て、私はまた泣いた。声をあげて泣いた。私のことなんか、忘れて。そう思っていたのに、忘れられたことが悲しかった。
彼は中学を卒業した日に、遠縁にあたる老舗和菓子店の養子になって村を出て行った。迎えの人に連れられて、毅然と去っていく彼の背中を、私はあの楠の影から見送った。
ふと、悟君の家の中に、人の気配を感じた。窓にかかった古いカーテンに隠れて、誰かがこちらを窺っているような気がした。
パトカーはとうとう実家のある山の麓に着いた。道は二股に分かれていた。右の上り坂を行くと、小高い山の上にある、実家に着く。左の道は雑木林に続いている。
雑木林に行く道は、黒い鉄格子で塞がれていた。その柵の扉には、『私有地につき、ここより立ち入り禁止』と書かれた看板がかかっていた。青い森は、この雑木林を通り抜けた先にある。
パトカーはゆっくりと右の坂道を上り始めた。
山の上にある屋敷からは、村が一望できる。江戸時代、桃山家は庄屋として、この村を支配していたという。かなりの暴君だったらしく、銀狐村のすべての権力を掌握していたそうだ。
時代とともに、桃山家は、そんな権力を、次々と失っていった。
かつて、親の時代には、桃山家のために無償で働いてくれた村人たちが、時給を要求するようになった。村の為政における決定権は桃山家から村議会に移っていった。
そんな現実は、自意識の膨らんだ桃山家の人々には、耐え難いものだった。
彼らは現実を受け止めることができなかった。彼らはみじめな実際との乖離を妄想で埋めようとした。
『これは本当の桃山一族の姿ではない。いつか必ず、桃山一族は復活する。』
『我々は選ばれた民なのだ。世界に君臨するべき血筋なのだ。』
『必ず一族の中から世界を征服するものが現れる。いつか必ず世界は我々にひれ伏すことになる。』
『私たちを敬愛しようとしない村人たちには、必ず鉄槌が下る。』
おそらく、桃山家の歪みはここから生じたのだと思う。
現実認識の歪みが妄想を生み、その妄想が桃山家という水槽を歪ませた。
私の母は歪んだ妄想の塊だった。母はそんな妄想を、子どもたちに植え付けようとした。そしてそれを拒んだ私を、母は許さなかった。
私と母の確執は、桃山家がある限り、終わらない。
パトカーは坂を上り、私の実家の門の前に着いた。
黒い大理石の門の奥に、荒れ果てた前庭が広がっていた。水の枯れた噴水はひび割れ、剪定されない樹木は不恰好に枝を広げていた。雑草が生い茂っていた。
その奥に、旧古川邸を模して建てられたという実家があった。母はこの家を自慢して、いつもこう言っていた。
「翁が二億の金をつぎ込んで建てた豪邸だよ。つまり私たちは億万長者なんだ。この村の人間とは、出来が違うんだ。」
でも、私にはお化け屋敷にしか見えなかった。
桃山家はこの屋敷を維持する財力をとうの昔に失っていた。だから修繕も手入れもできなかった。どこかが壊れても、放っておくしかなかったのだ。
今見ても、やっぱりお化け屋敷だ。重く垂れこめた灰色の雲の下で、荒れ果てた屋敷はいっそう不気味さを増していた。
黒い外壁にはあちこちに亀裂が走り、蔦が這い登っていた。かつては白かった窓の鎧戸は、灰色に変色して外れかかっていた。樋も真っ二つに折れてぶら下がっている。
広すぎる家なんて、厄介なだけだ。メンテナンスどころか、掃除も行き届かない。屋敷の中には、私が住んでいた頃から、開かずの間がいくつもあった。いつも埃とカビの匂いがしていた。天井から蜘蛛の巣がぶら下がり、廊下の隅には蛾が繭を作っていた。明かりをつけても薄暗く、エアコンはない。住み心地の悪い家だった。
今、私が住んでいる賃貸マンションの部屋の方が、ずっと、便利で住み心地がいい。
私たちは玄関の前でパトカーを降りた。玄関ドアに、鍵はかかっていない。昔からこの村には施錠の習慣がなかった。
巨大な玄関の扉を開けると、カビと埃の匂いがした。靴箱の上の花瓶には、色褪せた造花が挿してあった。広いホールの突当りには、曲線の美しい大きな階段があった。母はこの階段を下りながら訪問客を出迎えるのが好きだった。
私が靴を脱いでホールに上がろうとすると、
「あなたはここで待っていてください。」
年配の刑事が言った。
「私が最初にこの屋敷に入って、誰もいないかどうか、確認してきます。それまで、あなたは彼と一緒にここで待っていてください。」
そう言うと、彼は屋敷の中に入って行った。
「ここは大きな屋敷ですね。部屋数はいくつあるんですか。」
若い刑事が私に尋ねた。
「そうですね。」
私は実家の間取りを思い出しながら、彼に説明した。
「ええと、玄関の正面に階段があります。その階段の右側に、来客用の応接室、宿泊のできる客室あります。階段の左側に、リビング、ダイニング、台所があります。階段を上がって、二階の中央にあるのが、主寝室。今は母の部屋になっています。その右隣に弟の部屋、以前の私の部屋と続きます。母の部屋の左側にも部屋はありますが、確か、三つ、いえ、四つだったかな。」
「そんなにあるんですか。」
確か、まだあったと思う。一生懸命思い出しながら部屋数を指折り数えていたら、
「家の中の確認が終わりました。誰もいませんね。」
年配の刑事が戻って来た。
私たちは玄関から屋敷の中に入り、左手にあるリビングに入った。
そこは大きな部屋だった。南面には高く細長い窓が並んでいた。天井からは豪華なジャンでリアが下がり、床にはワインレッドの絨毯が敷きつめられていた。
リビングの真ん中には、美しいマホガニーの重厚なテーブルと椅子があった。
このテーブルの上だ。
母の手紙が置いてあったというのは。
私を被疑者にした、あの手紙。
私は母の書いた文言を思い出していた。
青子が勝太郎を殺して、
青い森に埋めた。
私も青子に殺される。
満月の夜に、青い桜の木の下で。
母はなぜ、あんな手紙を書いたのだろう?
何を企んでいたのだろう?
私を被疑者にして、母に何の得がある?
母の企みを暴くことができれば、それは私の無実の証明になるはずだった。
そんなことを考えていたら、
「ところで、青い森というのは、どこにありますか。」
と、年配の刑事が言った。
「青い森でしたら、二階のベランダから見渡せます。」
私はそう言うと、居間を出て、玄関奥の階段に向かった。二人の刑事も私の後をついてきた。私たちは、緩やかな曲線を描いている、大きな階段を上った。
階段を上った正面に、この屋敷の主寝室があった。ここは代々この家の当主が使う部屋だ。かつては翁が使い、翁が亡くなると祖父の部屋になった。私が一九の時に祖父が亡くなると、母がこの部屋に入った。
私はドアを開けた。この部屋は、私の住んでいるワンルームマンションの二倍以上の広さがある。この部屋も、天井からは豪華なシャンデリアが下がり、床にはワインレッドの絨毯が敷きつめられていた。部屋の正面には高い掃き出し窓があり、窓の外にはベランダがあった。部屋の東側の壁際には天蓋付きのベッドがあった。西側の壁には、マホガニーの三面鏡やチェストが並んでいた。そのチェストの横に、等身大の肖像画が飾ってあった。
部屋の中には誰もいなかった。天蓋つきのベッドの脇に、サイドテーブルがあった。その上に、双眼鏡が置いてあった。この双眼鏡は、翁が愛用していたという、形見の品だ。
私は部屋の奥にある、掃き出し窓を開けた。窓の外には半円形のベランダがあった。
「これが青い森』です。
私はベランダに出ると、外を指さして言った。二人の刑事も私に続いてベランダに出た。
ベランダの下に、見渡す限り、満開の桜の森が広がっていた。
「ひゃあ、きれいですね。」
若い刑事が思わず感嘆の声を上げた。
「こちらの斜面は、ずいぶん、なだらかなのですね。」
年輩の刑事が言った。
「さっき、上ってきた坂道は、ずいぶん、急だったのに。」
「ええ。この屋敷の玄関側、つまり北側の斜面はとても急なのですが、こちらの南側、つまり、桜の森の方は、とても緩やかなんです。」
私がそう説明すると、年配の刑事はうなずいた。
「ここからだと、森全体がよく見渡せますね。」
「ええ。」
「ところで、どうして、これが『青い森』なのですか。」
年配の刑事が私に尋ねた。
「ここを『青い森』と呼んだのは、この屋敷を建てた曽祖父です。ほら、あの人。」
私は母の部屋の壁にかかっている、ドアほどの大きさの、等身大の肖像画を指さした。
「あれが曽祖父の肖像画です。」
肖像画の曽祖父は、羽織袴の正装をして、金屏風の前に佇んでいた。端正な面立ちだが、眉はつりあがり、口元は不機嫌そうに歪んでいた。
「桃山唯勝。それが彼の名前です。この辺りでは、翁と呼ばれていました。」
「気難しそうな顔をしていますね。」
年配の刑事が言った。
「そういう人物だったみたいです。」
と、私は言った。
「彼の妻は、非業の死を遂げたと言われています。彼は自分の妻に、経済的搾取の限りを尽くしたそうです。」
「それはひどい。」
若い刑事がつぶやいた。
「彼は搾取の天才でした。彼は一族の長という立場を利用して、自分の妻の実家の財産を奪い取りました。妻に生活費を渡さず、毎月実家に無心に行かせたばかりか、妻の実家の実印を勝手に使って借金し、妻の実家を破綻させました。しばらくの間、彼の妻と妻の両親は、この森の奥に粗末な小屋を建てて住んでいたそうです。その後三人はあの森の中で自殺したと言われています。」
「そんなことがあったのですか。翁と言う人は暴君だったのですね。」
年配の刑事が言った。私はうなずいた。
私はこの話を母から聞かされた。恥かしい話としてではなく、桃山家の武勇伝として。母は妻の実家を踏み台にして富を得た翁を誇りに思っていた。
「桃山家の人間は、そうでなくっちゃ。巨万の富を築くためには、人に貢がせなくてはいけないんだ。だって、私たちは特別な人間なのだから。よく覚えておくんだね。」
そう語って笑った母の声を、私は忘れることができない。
「桃山家の人間は、そんな人間ばかりなのです。」
私は小さな声で言った。
「桃山家の人間は、代々、働いてお金を稼いだことがないんです。そんな地道な努力を、彼らは馬鹿にしていました。だから、人からお金を盗み取ることばかりを考えて生きていました。」
二人の刑事は黙って聞いていた。
「翁は妻の実家を破綻させた後、今度は親類縁者に手を伸ばし、彼らの財産を掠め取って肥え太りました。そして散財しました。巨大な邸を建て、雑木林を開墾して、桜を千本植えました。彼はこの森を、日本一の、いえ、世界一の森にしたいと考えました。そこで思いついたのが、青い桜の花を咲かせることでした。御衣黄のような緑色ではなく、真っ青な桜の花を咲かせたい、この森を青い桜で埋め尽くしたいと、彼は考えたのです。」
「青い桜、ですか。」
若い刑事が言った。
「青い空に、青い桜。それって、きれいですかね。」
「俺はピンクの桜の方がいい。」
年配の刑事が言った。
「翁には、花の美しさはどうでもよかったのだと思います。」
と、私は言った。
「青い桜の咲く、青い森。それが実現すれば、桃山家の名は世界に轟く。桃山家は世界一の名家になる。そして大金持ちになれる。翁はそう考えていました。
そこで、翁は当時、村一番の天才と言われた、佐々木朔という青年に、青い桜の花の研究をしろと言いました。佐々木朔は優秀な農学博士で、熱心に桜の花の品種改良に取り組んだと言います。彼はトリカブトの花粉を桜に受粉させて、品種改良をしていました。」
「なるほど。トリカブトの花は青いですからね。」
年配の刑事が言った。
「それで、青い桜の花の研究はどうなったのですか。」
若い刑事が尋ねた。
「佐々木朔は志半ばで亡くなりました。ある風の強い日、森の中で倒れているところを発見されたそうです。」
「風の強い日に、ですか。」
年配の刑事が言った。
「『風が吹くと、桜の森で人が死ぬ。』あの噂は本当だったんですね。」
若い刑事が驚いて言った。
「ええ。」
「死因は何だったのですか。」
若い刑事が尋ねてきた。
「死因はアコニチン中毒。トリカブトの毒が体に回ったと言われています。」
「それは妙ですね。」
と、若い刑事が言った。
「彼はトリカブトを使って研究をしていたんでしょう?だったら、トリカブトの毒性を熟知していたはずだし、扱いにも慣れていたはずなのに。」
年配の刑事もうなずいた。
「そうですよね。彼が亡くなったために、青い桜の研究は途切れてしまいました。でも、佐々木朔が亡くなった翌年の春、彼が品種改良した木のうちの一本が、青い桜の花を咲かせたそうです。その時、翁は八十歳でした。彼は狂喜して、叫び続けたそうです。『遂に、桃山家が復活する日が来た。』と。彼は三日後に亡くなりましたが、最期まで、そう言い続けていたそうです。
そして、彼はこんな遺言を残しました。
どんなことをしても、青い桜の木を護れ。
この森を青い桜で埋め尽くせ。
その時こそ、桃山家は復活するのだ。
世界一の名家になるのだ。
そんな彼の遺言は、桃山家の宗教になりました。
私の母はその狂信的な信者でした。いつの日かこの森が青く染まれば、桃山家は復活する。その時、自分は女王になれるのだと、信じていました。」
風は次第に強くなってきた。冷たい風が桜の谷を吹き渡った。桜の森がざわざわと揺れた。
~「さあ、よく見てごらん。」
桜の花が満開になると、毎年、母はベランダに出て、私と弟の前で、両手を大きく広げた。
「いつか必ずこの森は青く染まる。先祖が咲かせた一本の青い桜がこの森を支配するようになる。その時こそ、私たち一族が世界を征服する時なのだ。ほら、真っ青な桜の森が見えるだろう。」
「うん、見えるよ。」
と、弟は言った。
「青いよ。森が真青だ。僕には青い満開の桜が見える。」
弟は母の顔を真っ直ぐに見ていた。
「そうか、そうか。」
母は弟の答えを聞いて喜んだ。
「それが信じるということだ。それでこそ、この桃山家の跡取りだ。おまえは世界に君臨する王になれる男だ。」
それを聞きながら、私は黙っていた。私には、青い森は見えなかった。眼前に広がる桜の谷は、美しいピンク色だった。
「お前は答えなくてもいい。ばかだから。」
母はそう言って、何も言わない私を睨みつけた。
「お前はいつもそうだ。この家に生まれながら、この家をばかにしている。だが、本当にばかなのは、この家の偉大さがわからない、お前の方だ。」
母が言うと、
「ばか。ばか。ばか。あはははは。」
弟は私を指さして笑った。~
「ところで、この森へ行くにはどうしたらいいのですか。」
若い刑事が私に尋ねた。
「どこかに近道がある、という話を聞いたことがありますが、私はその近道を知りません。ですからこの森に行くには、今日、上ってきた坂道を麓の二股道まで下りて、あの、立ち入り禁止の看板のあった、大きな柵の扉を開けて、雑木林を通っていくしかありません。」
「そうですか。どうしますか。今から行きますか。」
若い刑事が言うと、
「今日はもうやめておこう。」
年配の刑事が言った。
「もう、日が暮れてきた。森に迷い込むのは危険だ。」
それから彼は私にこう言った。
「明日の朝、九時に、あの森に行くことにします。道案内をしてくださいね。」
「わかりました。ただ、」
「ただ、何ですか。」
年配の刑事が私に尋ねた。
「道案内ができるかどうか。私は一度もあの森に入ったことはないのです。」
「何ですって。二十歳までここに住んでいたのに、ですか。」
「ええ。だって、不気味な森なんですもの。」
と、私は答えた。
「そうですね。本当に、何人もの人が死んでいる森ですからね。」
若い刑事が言った。
「昔は、大勢の人があの森に入ったそうです。でも、あの噂がたつようになると、誰も入らなくなりました。」
私が言った。
風がますます強くなった。もうすぐ雨も降りだしそうだ。空は急に暗くなっていた。
私たちはベランダから部屋の中に戻った。
「明日の朝は、……どうやら嵐になりそうですね。雨も風も強そうですよ。」
スマホで天気予報を見ていた若い刑事が言った。
「やれやれ。」
年配の刑事が言った。
嵐ですって。それを聞きながら、私は思い出していた。
『風が吹くと、桜の森で人が死ぬ。』
風が吹くと、よく、村の子どもたちはそう言って、追いかけっこをして遊んだ。誰かが風の役をして追いかけ、他の子どもたちが逃げ回る。風に掴まった子どもは、死んだふりをする。そして今度は掴まった子どもが風になり、追いかける側に回るのだ。
不気味な言い伝えだが、身近にあると、それが日常に溶け込んでいく。風が吹くと人が死ぬと言われても、風が吹くたび怯えていたら、暮らしていけない。人はそうして危機感に馴染んでいくのだ。だから私は子どもの頃、風が吹いても怖いと思ったことはなかった。
でも、今は違う。
ここに来てからずっと、私は風が吹くたびに、びくびくしていた。
風が吹くたびに、誰かが桜の森の中で死んでいるのではないか、そんなことを考えてしまう。
それなのに、嵐ですって?
明日はあの森に入ると言うのに。
ああ、ほんとに、なんて、ついてない。
そんなことを考えていたら、スマホをいじっていた若い刑事が困った顔をして、年配の刑事に耳打ちをしていた。
「何だって。」
「だから、宿が取れないんです。この村には宿泊施設はありません。新城市まで戻らないとだめなんです。けれど、その新城市内も、『しんしろ桜まつり』と時期が重なっているために、どこのホテルも満室なんです。」
「じゃあ、どこまで戻ればいいんだ。」
「今、検索かけているんですが、かなりやばいです。もしかしたら、名古屋まで戻らないといけないかもしれませんね。」
それを聞きながら、冗談ではない、と、思った。
また、パトカーに乗せられて、名古屋まで戻り、明日、またパトカーに乗せられて、ここまで来るなんて。市中引き回しと同じではないか。
「よかったら、この屋敷に泊まってください。一階の客室には、バス、トイレもついています。」
私は思わずそう言った。
「そういうわけには。」
年配の刑事は遠慮したが、
「そうですか、では、ありがとうございます。」
若い刑事はあっさりと私の申し出にのってきた。
「食事も用意します。きっと、台所に何かあるはずです。」
そう言うと、私は母の寝室を出て、階段に向かった。二人の刑事もついてきた。
「いや、いくら何でも、食事まで世話になっては。どこかに食べに行きましょう。」
年配の刑事が言った。
「行くと言っても、一番近くの食堂でも、片道一時間はかかりますよ。」
若い刑事が言った。
片道一時間。ほんとに冗談ではない。もうパトカーに乗るのはこりごりだ。
「台所はこちらになります。」
そう言うと、私は階段を下りた右側に二人を案内した。
「用意していただけると、ありがたいです。実費はお支払します。」
若い刑事が言った。
「では、遠慮なさらないでくださいね。」
そう言いながら、ダイニングを通り、その奥にある台所に入った。
「いや、これはすごい。」
若い刑事が言った。
「まるでレストランの厨房ですね。」
年配の刑事も驚いて言った。二十畳ほどの広さの厨房には、様々な大きさの鍋やフライパンが並んでいた。火力の強そうなコンロも四つあった。間口の広いオーブン、業務用の冷凍冷蔵庫。あらゆる機材が揃っていた。
「ええ。かつてはお抱えコックがここで腕を振るっていたそうです。だからどんな料理でもできる設備が揃っているんです。でも、母は料理が嫌いでした。ですからおそらく、ここにある食材は冷凍食品だけです。」
そう言うと、私は大きな冷凍庫の扉を開けた。ぎっしりと冷凍食品が詰め込まれていた。これだけのストックがあれば、数か月は食事に困らない。
「これをレンジでチンするだけ。だから遠慮は要りません。」
私はそう言うと、冷凍食品の包みをテーブルの上に並べた。
私は普段、冷凍食品を買わない。高いからだ。毎日、安くて栄養があっておいしいものを自分で工夫して作って食べている。五円、一円を節約して生きている。
でも、今日はお金の心配をしなくていい。
よおし、食べるぞ。
私はから揚げやクリームコロッケ、肉団子や惣菜を次々とチンすると、大皿に盛りつけた。ピラフもそばめしもチャーハンも。甘い今川焼も、ワッフルも。それから冷蔵庫を開けて、麦茶やジュースのペットボトルを取り出した。レトルトのスープがあったので、それも温めた。
「これ、全部、隣のダイニングに運んでください。」
私は食器棚から皿や箸、スプーンを取り出しながら言った。
隣にあるダイニングは天井が高く、細長い部屋だった。南面いっぱいに、大きなボウウインドウがあった。その窓にかかっているレースのカーテンは破れていた。外は暗くなっていて、ボウウインドウには明かりのついたダイニングが映っていた。
長いテーブルの上には、口の欠けた大きな花瓶が置いてあった。
私はそのテーブルに、料理を並べた。
「どうぞ。いただきましょう。」
私たちは食べ始めた。
急に冷え込んできたので、熱いスープがおいしかった。から揚げはスパイスがきいていた。チャーハンは香ばしく、肉団子は柔らかかった。
「ところで、私はまだ、刑事さんたちのお名前を、お聞きしていませんでした。」
私は食べながら二人に名前を尋ねた。
「いや、最初に警察手帳を見せた時に、名乗りましたよ。」
と、年配の刑事が言った。
「私は近藤と言います。」
「僕は三瓶です。」
若い刑事が言った。
「えっ。そうでしたか。」
私は懸命に思い出そうとした。だが、そんな記憶は全くなかった。おそらく、ドアを開けた時に、刑事が立っていたことに動揺した私は、彼らが名乗っても、そのことばが耳に入らなかったのだろう。それ以来、何度も彼らの名前を知りたいと思ったが、今まできっかけがつかめなかった。
「それは失礼しました。」
私が言うと、
「まあ、刑事の名前なんか、一般人にとってはどうでもいいことですからね。」
三瓶が自嘲気味に言いながら、大皿から肉団子を取り分けた。
「すみません。」
私が謝ると、
「いえ。おいしいですよ、これ。」
三瓶が笑って言った。
「よかった。どうぞたくさん召し上がってくださいね。」
と、私は言った。
冷凍食品は気が楽だ。味付けで悩まなくていいし、後片付けも簡単だ。
ボウウインドウに、強い風が吹きつけていた。時折、木立の枝が窓に当たっていた。屋敷全体が、ぎしぎしと音を立てて軋んでいた。
ふと、窓の外に人の気配を感じた。誰かが窓からこの家の様子を窺っている。そんな気がした。私は席を立つと窓に近づき、外を窺った。
誰もいない。
窓ガラスに額をつけて外を覗いても、伸び切った木々の枝や雑草が風に揺れているだけだった。
「どうかしたんですか。」
近藤が尋ねた。
「いえ。何も。」
と、私は言った。
私はふたたびテーブルに着き、食べ始めた。
クリームコロッケを取ろうとして手を伸ばした時、ふと、悟君のお母さんが揚げてくれたコロッケを思い出した。
~私はいつも悟君の家で、彼と一緒に宿題をしていた。小さな座卓の上に教科書を広げて、数学の問題を解いていると、ジャガイモの甘い匂いが漂ってきた。台所に立っている、彼のお母さんの背中が見えた。
「早く宿題をやってしまおう。」
悟君が言った。
「うん。私、数学苦手だから、早く終わらせて遊びたい。」
私が言った。
「俺が教えてやるよ。」
悟君が言った。でも、最後の文章題が難しく、二人で考え込んでいた。
台所から、油の温まるいい匂いがしてきた。パチパチとはねる音も。
悟君が
「ああ、腹が減った。」
と大きな声で言ったら、おかあさんが揚げたてのコロッケを持って来てくれた。
「はい、青子ちゃんもどうぞ。」
そう言って、おかあさんは私にもほかほかのコロッケをくれた。私たちはコロッケにかぶりついた。
「ああ、おいしい。」
油とジャガイモとひき肉のうま味が、口の中いっぱいに広がった。
「な、うまいだろう。世界一、おいしいだろう。」
悟君は笑いながら、そう言って、お母さんの作ったコロッケを自慢した。
「うん。」
私が答えると、悟君はにっこりと笑った。とびきりの笑顔だった。
私たちの話を聞いていた悟君のおかあさんも、
「そうだろう、そうだろう。」
と、笑いながら威張っていた。~
あのコロッケはほんとうにおいしかった。そんなことを思い出しながら、私はクリームコロッケを食べた。
食事が終わる頃には、雨が降りだしていた。大きな雨粒がボウウインドウに当たっていた。
「後片付けが終わったら、階段の反対側にある、来客室に案内しますね。」
私が言うと
「私たちは居間に寝ます。布団を貸してください。」
近藤が言った。
そうか。居間からは、玄関も階段も見渡せる。私が逃げ出さないように、見張っているというわけだ。
食器を洗い終えると、私たちは応接間に入った。この部屋も豪華な絨毯とシャンデリア、マホガニーの家具で飾られていた。その応接間の奥に来客用の寝室があった。私たちはそこから寝具を持ち出すと、リビングに運んだ。
「シーツは地下の倉庫にあります。」
私が言うと、
「ええっ、地下もあるんですか。」
と、近藤が言った。
「しまった。見落とした。地下を調べるのを忘れていた。」
頭を抱えている近藤に、
「無理もありません。」
と、私が言った。
「だって、地下室へのドアは、隠し扉になっているんですもの。」
「隠し扉ですって。」
三瓶が驚いて言った。
「ええ、ドアの前面が棚になっているんです。」
私はそう言うと、二人を台所の突き当りにある、棚の前に案内した。壁一面に作りつけられた棚の上には、鍋やフライパンなど、さまざまな調理器具が置かれている。
「どこにドアがあるのですか。」
そう言いながら、近藤と三瓶は棚の前でうろうろしていた。
私は壁の真ん中、正面の棚板を思い切り強く押した。
ゴゴ、という音がして、棚の一部がゆっくりと回転を始めた。
「おおつ。」
近藤が唸った。
私はその棚をさらに押した。棚は九十度回転して、止まった。
棚の奥に、空間が現れた。
「翁はこういう仕掛けが好きだったみたいです。」
私はそう言いながら、棚のドアを通り抜けた。そこは床も壁も、天井もコンクリート造りの空間だった。空気がひんやりと冷たかった。すぐ目の前には地下に下りていく階段があった。
「地下は倉庫になっていて、食品庫やリネン庫があります。」
私は階段脇にあるスイッチを押して、明かりをつけた。
「では、私が最初に地下に下りて、人がいないかどうか、確認してきます。」
三瓶はそう言うと、真っ先に階段を駆け下りた。
「気を付けろよ。」
近藤が言った。地下への階段には手すりがない。私は壁を手でつたいながら、慎重に下りた。私と近藤が地下に下りたちょうどその時だった。
「誰だ!」
と、叫ぶ、三瓶の声が聞こえてきた。
「どうした。」
近藤がそう言いながら、声の方に走った。
三瓶は地下の突き当りに突っ立っていた。
「あっ。」
私は一瞬、息を飲んだ。
目の前に、青白い男の姿が浮かんでいた。
幽霊だ!
思わずそう叫びそうになった。
だが、それは幽霊ではなかった。薄明りの中に浮かび上がっているのは、翁の肖像画だった。絵画の中で、彼は眉間にしわを寄せて、口元には白い髭を生やしていた。ステッキを両手でついて、青白い木立の中に佇んでいた。
「俺、一瞬、人がいると思いましたよ。」
と、三瓶が言った。
「俺は幽霊かと思った。」
近藤が言った。
そうか、私と同じことを考えていたのか。
「こんなところに、まさか、肖像画が飾ってあるなんて思いませんよね。」
「うむ、しかも等身大だからな。暗闇に青白く浮かび上がっているし。」
そう言って、近藤は頭をかいていた。
「ところで、リネン室はどこにありますか。」
三瓶が私に尋ねた。
「リネン室は階段のすぐそばです。」
そう言うと、私は階段の近くまで戻った。
私はリネン庫の扉を開けた。大きな棚の上に、新品のシーツやカバーが積んであった。私はそれらを二人に手渡した。ついでに、バスタオルやタオルも取り出した。
近藤と三瓶がそれらを持って、先に階段を上った。
私がリネン庫の扉を閉めて、階段を上ろうとした時だった。
頬に、冷たい空気の流れを感じた。足元に、小さな埃の塊が、ころころと転がってきた。肖像画の方から、微かに風が流れてきていた。私は何かが潜んでいるような気配を感じた。
私はもう一度、地下室の突当りを見た。
誰もいない。
翁の絵が、こころなしか、揺れているように感じた。
私はもう一度、肖像画のそばに歩いて行った。肖像画の前に立って、翁の絵を見つめた。絵は静止していた。風も、音もなかった。
気のせいだったのかな、と、思っていたら、
「どうかしたんですか。」
階段の途中にいた三瓶が尋ねてきた。
「いいえ。別に。きっと、気のせいだわ。」
と、私は答えた。
それからリビングに戻ると、私はこう言った。
「一階にある客室には、バスルームがついています。そこを使ってください。私は二階にあるバスルームを使います。」
「何から何までお世話になって。」
近藤が言った。
「どうもすみません。」
三瓶も言った。
「いいえ。では、おやすみなさい。」
私は二人にそう言うと、階段に向かった。
ああ、ようやく一人になれる!
そう思ったら、階段を上る足が、駆け足になった。見張られている身の、なんと鬱陶しいことか。私には囚われの身なんて、我慢できそうにない。自由を奪われることのつらさが身に染みた一日だった。
無実の罪で囚われるなんて、絶対に嫌だ。絶対に、自分で自分の無実を証明しなければ。心からそう思った。
私は母の部屋と弟の部屋を通り過ぎて、かつて自分が使っていた部屋に向かった。私はその部屋のドアを開けた。
十年前、私が出て行った時と、何も変わっていなかった。ここだけ、時間が止まっていた。この部屋は主寝室とはまるで違っている。狭い小さな部屋で、ベッドもチェストも机も、簡素なものだ。床には絨毯もない。
「お前の部屋は昔メイドが使っていた部屋だよ。おまえには、お似合いだ。」
そう言って、母は笑っていた。
でも、とても落ち着ける部屋だった。かかっているピンクの花模様のカーテンは、私が中学の頃に、好きな布を買って、自分で縫ったものだ。ところどころ縫い目がとんでいるが、陽が射すと部屋中がお花畑のようになる。チェストの上に置いいてある、白いレース編みのクロスも、私が編んだものだ。ベッドに置いてある熊のぬいぐるみが被っている帽子も、巻いているマフラーも、私が編んだものだ。
ああ、なつかしい。
ベッドに腰かけて、熊のぬいぐるみを抱いて、しばらくの間、私は思い出に浸っていた。
この熊のしているマフラーは、悟君に編んであげたものと、おそろいだ。
「何で、俺と熊がお揃いなの?」
私の編んだ毛糸のマフラーを首に巻きながら、悟君は言った。
「だって、毛糸が足りなくなってしまったんだもの。」
私が言うと、悟君はケラケラと笑ってこう言った。
「いっつも、おまえは計画性がないんだよな。」
「いいもん。もう一回、毛糸を買いに行って、今度は自分のを編むんだもん。」
私が言うと、
「よし。できたら、お揃いのマフラーを巻いて、一緒に歩こうな。」
悟君が言った。
私は期末テストが終わると、新城市の手芸屋に出かけた。もう一度、同じ紺と白の毛糸を買って、今度は自分のものを編もうと思っていた。だが、同じ毛糸はもう売っていなかった。
「ああ、あれはもう、売り切れちゃったのよ。ちょっと違う毛糸なら、まだ紺と白は残っているけれどね。」
そう言ってお店の人が出して来た毛糸は、ちょっとどころか全く違うものだった。
私はがっかりして、何も買わないで、帰って来た。
結局、私は悟君とお揃いのマフラーをして歩くことはできなかった。
私は何ものっていない、小さな机の上を見つめた。
10年前、私はあの机の上に、置手紙をして、この家を出ていった。
これからはひとりで生きていきます。さようなら。青子。
そして、二度とここには戻らないつもりだった。
窓には、熊を抱いた私の姿が映っていた。窓ガラスを覗きこむと、打ち付ける雨粒の間から、漆黒の森が見えた。強い風にあおられて、森はざわざわと揺れていた。
明日、私はあの森に行く。二人の刑事とともに、初めてあの森に入る。
私は何もしていない。
だからあの森の中に、私を有罪にする証拠など、あるはずがない。
でも、あの森の中で、私は自分の無実を証明することができるだろうか?
そもそも、どうすれば、無実を証明できるのだろう?
私には何も思いつかなかった。森を渡る風はどんどん強さを増していた。私はそんな嵐の森をじっと見つめていた。
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