第32話 どうしても兵装転換したいなら、僕を斬ってからにして下さい!
現地時間0700時、赤城防空指揮所。
「0400、第一次攻撃隊より入電。『カワ・カワ・カワ』!」
ミッドウェー基地空襲に向かった友軍機から受信したその符号の意味を、洋平は予め知っていた。
爆撃効果不十分、再攻撃の要ありと認む。
奇襲効果が失われた状態で爆撃したのだから、当然の結果と言える。
そして今、目の前で凛々しく眉根を寄せている一航艦参謀長が次にどんなことを言い出すのかも、洋平は知っていた。
「……やむを得ない。第二次攻撃隊を兵装転換、ミッドウェー再攻撃に向かわせる」
草鹿峰は純白のマントを翻し、床から突き出た伝声管に向かおうとする。
「艦攻の雷装を爆装に転換するのに2時間はかかる。急いで始めないと」
第一次攻撃隊の発艦後、艦隊に残された九七式艦攻は全部で41機。うち17機が赤城、26機が加賀の格納庫内で魚雷を装着し、第二次攻撃隊として待機している。
草鹿はこれら41機の魚雷を今から全て、基地攻撃のための陸用爆弾に取り換えると言っているのだ。
「待って下さい」
洋平は伝声管の前に立ち塞がった。
近くに立っていた長官の南雲汐里がびくりと震え、草鹿の眉間に深い皺が刻まれる。
「何だい占い師君。ついでにキミも、精巣から卵巣に転換するかい?」
「しませんよ! ……第二次攻撃隊は、敵機動部隊に備えて待機。そう決めたはずですよね」
「索敵機が出発して既に2時間以上、8機の索敵機いずれも発見していない。もう十分だろう」
やはり彼女は、連合艦隊司令部との取り決めを反故にする気だった。
「9機目。遅れて出発した利根4号機からの報告がまだです。島の北北東、利根4号機の索敵線上に敵空母3隻が待ち伏せています。後40分、40分だけ待って下さい!」
「敵飛行場を無力化しないで上陸作戦を行えば甚大な被害が出ることは、去年のウェーク島攻略で第四艦隊が苦戦したことからも明らかだ」
性質の悪いことに、作戦目的を履き違えていることを除けば草鹿の言うことは全くの正論だ。
「もう時間が無いんだ。明日には近藤中将率いる第二艦隊が、陸軍の
ラ・メール症状。ここが洋平の生まれた世界とは別の異世界である証。
なのに何故だろう。まるで洋平を試すかのように、この世界で起こる海戦の推移は洋平の知るあの戦争をなぞり続ける。
現地時間0705時、先行する軽巡長良から煙幕が上がった。
少し遅れて見張員が叫ぶ。
「大型機含む敵雷爆連合10機、南東ミッドウェー方面より本艦隊に接近中!」
左舷前方に複数の機影。
第一次攻撃隊の空襲前に既に離陸していた、敵の基地航空隊だ。
「どきたまえっ!」
目をそらした隙に、草鹿が洋平を突き飛ばして伝声管を掴む。
「艦内で待機中の戦闘機は全機発艦、上空の直掩隊に合流せよ!」
止める間も無かった。第二次攻撃隊の護衛用に残してあった零戦6機が飛行甲板に上げられ、次々発艦していく。
6機は空中で3機ずつの編隊を組むと、赤城上空で直掩の任についていた3機と共に、敵機の来る方角へ翼を翻す。
「兵装転換の次にやってはいけないことを……直掩機が足りなくなった時は、輪形陣の中央に置いた瑞鶴から応援を呼ぼうって言ったはずですよね!」
洋平の抗議を、草鹿はもはや聞いてはいなかった。一航艦司令部の幕僚達は皆、迎撃に向かう友軍機を陶然と見上げている。
零式艦上戦闘機。洋平のいた世界でも、誰もがその名を知っていた。
前代の九六式艦戦から設計思想を引き継ぎつつ、数々の技術革新と徹底した軽量化故の高速と高格闘性能を誇った、緒戦の最強戦闘機。
草鹿達の自信の源だ。
敵の第一波は雷撃機TBFアベンジャー6機と双発爆撃機B‐26マローダーが4機。
爆撃機も魚雷を吊るし、全機高度を落として赤城めがけて雷撃の構えだ。
そこへ3個編隊9機の零戦が、猟犬のように襲い掛かる。
会敵は一瞬だった。
空に爆炎の花が咲く。その爆炎を突き破って現れたのは零戦だった。最初に撃墜した敵を一顧だにせず、零戦は新たな獲物に上方下方から牙を突き立てていく。
ある零戦は急上昇して、魚雷を抱いた敵機の下腹を貫いた。
別の零戦は敵機の背面から逆落としで降下し、その操縦席を破砕した。
雷爆撃機とて無抵抗ではない。機体の各所に配置された12・7ミリ旋回機銃が必死に零戦を追う。
だがその火線の先に零戦はいない。
撃たれる寸前に横ざまに飛び退き、返す刀で必中の距離まで接近すると、敵の急所を一撃で破壊する。
両翼に2挺装備された20ミリ機銃の一斉射。
装填されているのは、敵機の装甲を貫通した後内部で爆発する炸裂弾だ。
小型機は一撃で爆散し、大型機であっても致命傷となる。
あのドーリットル空襲の時、洋平が恐れおののきながら見上げるだけだったB‐25とほぼ変わらぬ大きさのB‐26が、きりもみしながら海へと落下し、野太い水柱を上げる。
史実ではこの後に大逆転が起きることを知っている洋平でさえも、初めて目にする零戦の空戦機動に束の間見入った。
航空優勢なんて言葉では優し過ぎる、それは正に、零戦が制する空だった。
「うぅ、魚雷を付けた飛行機があんなに……回避運動、した方が……」
零戦が敵機を墜とすたびに喝采が沸く防空指揮所で、ただ1人、南雲だけが不安げにしている。
「ははっ、心配し過ぎだよ汐里さん。零戦が守っている限りここは安全だし、そもそもヴィンランドの雷撃機乗りに、魚雷が命中する距離まで近付く勇気があるもんか」
「そ、そうなの峰ちゃん?」
「そうさ。奴等は練度が低い上、自分達の身の安全が第一だから標的との距離2000、高度100で魚雷を投下して離脱する。命中率を上げるために距離1000高度50まで肉薄して投下後、衝突ぎりぎりで標的をかすめる我が艦攻と比べれば、全く恐るに足りないのさ」
折しも生き残りのB‐26が投下した魚雷の白い雷跡が、赤城のはるか後方を抜けていくところだった。
重たい魚雷を抱えたままでは、零戦から逃れる術は無い。早く身軽になって離脱しようとしたのだろうか。零戦は編隊を解いて、各々が残敵掃討に忙しい。
「ははっ、だから言ったろう、鎧袖一触だって……」
「ひうっ!」
「あ、あれ、汐里さん?」
特に何も無いところで足をもつれさせた南雲を助け起こそうと、草鹿が身をかがめた時だった。
「右舷より敵機!」
見張員が叫ぶ。
直後、突風が背中を殴りつけた。
空中戦が行われている左舷を眺めていた洋平達の真後ろから、巨大な影が聞き慣れないプロペラ音を響かせて、頭ぎりぎりを擦過する。
それがB‐26と比べて小さく見えていたTBFだと脳が認識するのに、数瞬を要した。
「申し訳ありません! 海面すれすれの低高度で回り込まれ、発見が遅れました!」
見張員が低頭している。その間にも慌てて駆け付けてきた零戦が、TBFを撃ち墜とす。
洋平は階下に引かれた艦内電話で、ダメコン要員を呼び出した。
「ダメージコントロールセンター、被害状況を報告して下さい」
〈魚雷は外れました! 被害は送信用の空中アンテナが切られたのと、高角砲が1基壁にぶつかって旋回不能です! それと、転倒により1名が軽傷!〉
良かった、被害は小さい。
洋平はそう言おうとして振り返り、言葉を呑み込んだ。
膝を抱えてうずくまる南雲と、その肩を抱いてから、ゆっくりと立ち上がる草鹿。
「……よ、く、も、やってくれたな」
声は怒りに震え、周りの空気さえ歪んで見える。
面子を潰されて怒っているのではという邪推は、目が合った瞬間に消し飛んだ。
この艦が、草鹿にとって何だったかを思い出す。
「こうして敵機が来襲するのは、敵飛行場が未だ健在な証拠だ。再攻撃で、今度こそ叩き潰す」
「落ち着いて下さい、草鹿さん!」
伝声管に向かってくる草鹿を、洋平は必死に押し止めようとする。
悪名高い兵装転換。
僅か数時間後に待っている悲惨な結末を回避するために、何としてもこれだけはやめさせなければならない。
「今攻めてきているのは、第一次攻撃隊が空襲するより前に基地を離陸していた敵機です。爆撃効果とは無関係です!」
視界で火花が散った。背骨が砕けそうな衝撃、呼吸が止まる。防弾板に叩き付けられたのだ。
これまで出会ってきた海軍乙女達の中でも破格の、とんでもない馬鹿力。
開けた場所なら遠くへ投げ飛ばされていたことだろう。
狭い防空指揮所だから、辛うじて彼女の腕を掴んだままでいられた。
「放せ占い師。鉄錆になりたいか」
草鹿は腕を掴んだ洋平ごと強引に前進して、伝声管へにじり寄る。「第二次攻撃隊、兵装を爆装にっ……!」命令の途中で洋平がラッパの口を手で塞ぐ。草鹿を納得させられないのなら、せめて時間稼ぎを。
だが草鹿は腕を一閃させ今度こそ洋平を完全に振り払うと、軍刀の柄に手をかけた。
突然の乱闘に動揺していた他の少女達が、その挙動に凍り付く。
「……本当に斬るぞ」
「斬って下さい」
痛みと焦りで頭が沸いて、ほとんどやけくそだった。
「敵空母が現れるまで、第二次攻撃隊には手を出させません。どうしても兵装転換したいなら、僕を斬ってからにして下さい!」
草鹿はいったん上げかけた眉を、すぐに険しく寄せる。
「GF司令部の意向には、最大限配慮してきたつもりだ。しかし今こうして敵飛行場から攻撃を受けていて、味方の上陸部隊もすぐそこまで来ている。この状況で、いるかどうかもわからない敵空母に、戦力の半分をいつまでもとっておくことはできない!」
自分には、彼女を止めることはできないのかもしれない――そんな絶望感がせり上がってくる。
草鹿峰は、凡庸かもしれないが悪ではなかった。彼女なりに使命感を持って、目の前の状況から何が最善かを懸命に考えている。
草鹿だけではない。この世界を懸命に生きる人達を前に、結果を知っている者が考えた後付けの理屈はいつだって空虚で。
……それでも。洋平は胸の飾緒を握り締める。それでも、自分は山本五十子の参謀だ。五十子の願いをかなえるためにここにいる。
「いい加減にしたまえ! 索敵機から発見の連絡は無い、昨日の軍令部情報で敵空母は遠い南太平洋に出没している。イソップ童話の狼少年じゃあるまいし、敵空母が来る敵空母が来るとデタラメを言い続けるのはやめたらどうだ!」
草鹿の怒声に返事をしたのは、しかし、洋平ではなかった。
「……可哀想」
熱せられ殺気立った空気の中で、陰気な声はあまりに場違いで、洋平は背後を振り返る。
「知らないの? その童話の結末は、少年の警告通り本当に狼がやってくるところで終わる。みんな狼に食べられる。少年も、少年が守ろうとしていた羊達も」
「亀子さん! 眠ってたんじゃ」
「……さっきの騒ぎで、目が覚めた」
相変わらずの眠そうな声、寝癖だらけの頭。
のっそりと姿を現した黒島亀子は洋平と草鹿の間に立つと、伝声管に寄りかかってそのまま目を閉じかける。「しゅぴー……」っておい、寝るなよ。
「……。島への再攻撃は必要ない。敵空母は絶対に現れる。第二次攻撃隊の兵装転換は許さない」
全員が呆気にとられる。
勿論、洋平もだ。
一巡した暗い視線が、訝るように洋平に向けられる。
「……何、源葉参謀?」
「い、いや、別に」
亀子が作戦について草鹿達にここまではっきり言ったのは、初めてだった。
連合艦隊先任参謀として五十子から作戦計画を任されてきた彼女の言葉の重さは、洋平の比ではない。
草鹿は歯を軋ませる。
だが、両者の対峙はそこまでだった。
「利根4号機より入電! 『敵ラシキモノ10隻見ユ』!」
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