第22話 なんで空母の格納庫に米俵が!


 その日のうちに洋平は、内火艇に乗って大和を離れた。

 横幅が広く島のようにどっしりとした艦影が、徐々に遠ざかっていく。

 五十子に救助され目覚めたあの日から約1ヶ月、途中上陸もしたが、ほとんどをこの戦艦の上で過ごした。

 従兵や軍楽隊、多くの将兵、3人の参謀、そして五十子……世話になった少女達に、洋平は敢えて別れを告げず大和を去った。五十子の気が変わらないように。何より、自分自身の決意が鈍らないように。


 進行方向に目を向けると、第一航空艦隊旗艦・赤城がもう間近だった。

 元は三段甲板だったのを改装して最上段の飛行甲板を延長させ、下二段は航空機や燃料、弾薬の格納庫として鋼鉄の壁で密閉されている。

 縦に長い箱形の外観は、空母とは思えないほど重厚だ。

 艦首付近から突き出した4本の柱が飛行甲板を支える光景は、真正面から見上げるとかなりの迫力である。

 乗り込んだ洋平を舷門で待ち受けていたのは一航艦参謀長、草鹿峰だった。


「……『ようこそ赤城へ』とは言えないな、占い師君」


 軍刀の柄に手をかけて洋平を厳しく睨め付け、ハスキーな声は一層低く、今にも決闘を申し込まんばかりだ。

 いつもなら後ろに必ずくっついている南雲汐里の姿は、今日はどこにも見当たらない。


「汐里さんは、怖がって部屋から出てこなくなってしまったよ」

「それは、何というか……すみません」

「全くだ。山本長官に頼まれてしまっては断るわけにもいかないが、この赤城に男を、それもキミのような怪しい男を乗せることにボクは正直今も反対だ。うちの姫達に少しでもおかしな真似をしてみたまえ、ボクの一太刀で直ちに冥府へ……」

「ええっと、大破した翔鶴しょうかくの修理状況はどうなってますか?」


 別に彼女達に歓迎されたくて此処へやって来たのではない。それ以上はスルーして、さっさと舷梯を昇る。

 草鹿は形の整った眉を吊り上げたが、性分なのか質問には律儀に答えた。


「まだ入渠もできてない。翔鶴の母港は横須賀だがドックが満杯だと断られ、呉に回航させたが呉鎮守府からも規程通り順番を守って欲しいと言われてしまってね。沖のブイに繋留されたままだよ」


 またお役所仕事か。洋平は唇を噛む。

 国家の命運をかけた戦争の最中に、最新鋭正規空母の入渠より優先するどんな規則があるというのだろう。


「……わかりました、翔鶴は諦めます。瑞鶴ずいかくの方はどうです? 無傷だから参加できますよね?」

「艦載機と搭乗員の補充が済んでいないから瑞鶴も無理だよ。7月からの美豪分断作戦には間に合うよう、トラックに待機させておくつもりだけど」

「珊瑚海で大きな損害を受けたのは艦爆隊と艦攻隊。戦闘機隊の損害は比較的浅いはずですよね? 同行させれば、艦隊上空の直掩に使えます。翔鶴の生き残りも一緒にすればかなりの戦力に……」

「一緒にするだって? いいかい、空母乗組員と艦載機搭乗員は、切り離せない家族のようなものなんだ。安易に配置換えなんてしたら、士気が下がるだけだよ」

「あー……はい、そうですね」


 正直歯痒い。

 この戦いに敵が空母3隻を投入してくることを洋平は知っている。

 そのうち1隻は、翔鶴と同様に珊瑚海海戦で大破し、飛行隊も壊滅したヨークタウンだ。それを僅か3日間の応急修理で復帰させ、艦載機はサラトガから引き抜くストイックさ、そして柔軟さ。

 国力の差以前に、戦いに対する意識の差を感じずにいられない。

 だがそれを言い出したら、仲間を大切にしながら戦おうとする五十子の生き方まで否定してしまうことになる。


「とにかく、瑞鶴は必ず参加させて下さい。搭載するのは戦闘機だけで構いませんから」

「それじゃあ攻撃能力の無いただの案山子かかしじゃないか、連れていくのは燃料の無駄じゃ……」

「燃費の悪い戦艦部隊を総動員するんですから、空母1隻分増えたところで大したことありませんよ。それに、瑞鶴の参加は五十子さ……山本長官の意向でもあります」


 五十子の名を出されると、草鹿は渋々頷いた。こういうやり方は五十子に悪いとは思いつつ、連絡役として赤城に乗ったからには虎の威を借りまくるつもりだった。

 瑞鶴を参加させない場合、つまり史実通りのミッドウェー海戦で決戦海面に集う両軍の空母数は味方4対敵3。この時点で実はもう、楽に勝てる戦力差ではない。しかも戦うのは敵基地の攻撃圏内だ。ミッドウェーの基地航空隊を合わせれば航空戦力は敵の方が上回るし、こちらは島の攻略と敵艦隊撃滅という2つの目標を背負っている。陸上基地の耐久力も考慮すれば、向こうの優位は明らかだ。今は史実より、少しでも戦力を上積みしておきたかった。


「おっと、ここからは土足禁止だよ」


 水密扉から艦内に入ろうとした洋平を、草鹿が止めた。

 土禁? 

 改めて見ると、武骨な水密扉のハンドルに何やら手作りっぽい木彫りの表札がかかっている。

 『峰ちゃんと汐里のお家』。可愛い丸文字でそう刻まれていた。

 文字だけじゃない。2人の少女の上半身が、プロの漫画家の絵をトレースしたんじゃないかと疑うくらいの精巧さで彫られている。南雲と草鹿の似顔絵だ。木彫りの中の南雲は、草鹿と手を繋いで満面の笑顔。

 幸せそうな2人の周囲には、魚雷のような何かが無数に描かれている。


「ははっ、そんなまじまじ見られると恥ずかしいな。いやね、ボクと汐里さんは昔からの付き合いで。一航艦への着任も同時だったんだけど汐里さんの方が5日位早く来て、これを作ってボクを待っててくれたんだよ。こうして玄関に立つと、あの日のことを思い出すなあ。そうそう、もうじきボク達の着任記念日でね」


 着任記念日。そういうのもあるのか。


「お祝いの練習をしないといけないんだけど、なかなか時間がとれなくて……おっと。今のは聞かなかったことにしてくれたまえよ」

「いや、正直興味無いので……」


 呆れつつも草鹿の指示通りスリッパに履き替え、艦内に足を踏み入れる。

 赤城といえば、改装の無理が祟った艦内の居住性の悪さで有名だが……。


「え……」


 まず最初に、パステルカラーに花柄の壁紙と、床に敷かれた淡いピンクのカーペットが目に入ってきた。

 清掃が行き届いているのは大和と同じだが、ところどころに置かれたロココ調の家具といい、ドライフラワーの飾り付けといい、ソファの上のハート形クッションといい……。


「……あのー。ここって、軍艦の通路ですよね?」

「そうだけど何か? ああ、予め言っておくが航海中、窓は絶対に開けないように。絶対だぞ」


 前を歩きながら草鹿が舷窓を指差す。この時代にダチョウ倶楽部は無いので、本当に開けてはいけないのだろう。

 同時に洋平は、ソファの周りに酸素ボンベらしき物が置いてあることに気付く。


「設計上の問題で、窓を開けておくと煙突の煙が艦内に流れ込むからね。換気が出来なくても乗組員が酸欠にならないよう、艦内各所で酸素を吸えるようにしているんだ。香りつきだよ。人気なのは苺のフレーバーと桃のフレーバーだけど、試していくかい?」

「い、いえ、遠慮しときます……」


 道理でさっきから、ほのかに甘い香りが漂っているわけだ。史実通りの居住性の悪さを乙女パワーでごまかしているだけだった。

 酸欠のせいかはわからないが、洋平は早くも頭痛がしてきた。


「ついてきたまえ。格納甲板に案内しよう」


 赤城、格納甲板。

 63機の艦載機が、翼の先端を畳んで隙間なく並べられている。

 九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機、そして当代最強の零式艦上戦闘機。主翼の先端が丸まっていて、エンジンカウルの下にダクトが見えるから恐らく零戦二一型だ。

 流石に壮観だった。しかし、駐機された零戦に思わず歩み寄った洋平の目は、ある物に気付いて点になった。


「……草鹿さん。壁際に積まれている、あれは一体?」

「あれ? こめだわらだが」

「それは見ればわかりますよ! なんで空母の艦載機格納庫に米俵が!」

「ミッドウェーを占領した後、駐留する部隊に届けてあげる物資だよ。素人にはわからないかもしれないけど、兵站は戦において最も大事なことで……」

「兵站が大事なのはわかりますが、あそこって防火扉ですよね! 米俵が積まれてるせいで防火扉が閉められなくなってますよね!」

「そうだけど、何か問題が?」


 法令違反の建物を見せられている気分でげんなりする洋平を前に、草鹿は快活に笑った。


「ははっ、占い師君まさか火事の心配かい? 消火訓練なら、丁度これから始めるところだよ」


 程なくして、響き渡る艦内放送。


〈訓練火災! 後部右舷、烹炊所の天ぷら油から出火! 防火要員は至急現場に急行せよ!〉


 仮にも戦闘艦の訓練なのに、まるで一般家庭の火事みたいな理由である。


「消火活動、始めーっ!」


 草鹿を追って通路に出ると、乗組員の少女達が一列に並んでバケツリレーを始めたところだった。

 草鹿も列に加わっている。

 バケツの受け渡しはとても軽快で、洋平は草鹿を一瞬少しだけ見直した。


「ねえねえ、バケツリレーって共同作業って感じでドキドキするよね!」

「きゃあ、峰様と手が当たっちゃった!」

「ずるい! 私も峰様の隣が良い!」

「ははっ、みんなボクのことで喧嘩しちゃ駄目だぞ~」


 ぬるすぎる会話。軽々と受け渡され、揺れても逆さになっても一滴も水が溢れないバケツ。


「あの……色々言いたいことはありますけど。とりあえずバケツがからなんですが、それは」


 洋平が指摘すると、草鹿始め少女達は、一様にこの人が何を言っているかわからない、という目で洋平を見返してきた。


「だって本当に海水をかけたら、後の掃除が大変じゃないですかぁ」

「壁紙がシミになっちゃいますしぃ」

「ははっ、そもそも火は水で消すんじゃない、精神力で消すんだ」


 草鹿がどこぞのプロテニス選手のように爽やかに笑う。

 一方の洋平は、数分間の見学で「やはりこの艦に乗り込んで正解だった」と結論を出し、口火を切った。


「もう十分です。開戦から今までこの艦が沈まなかったのは実力でも何でもなく、単に運が良かっただけってことがよーーーーくわかりました」

「何だと! いいかキミ、この赤城は無敵の零戦に守られ、対空兵装も万全、さらに空母でありながら艦尾には20センチ砲を6門も備え付けているんだぞ! 万一敵艦に接近されても鎧袖一触! 消火訓練なんて必要ないくらいだが、精神修養とみんなの親睦のためにこうしてやっているんだ!」

「敵艦の接近より、空母なんですからまずは敵機の対策を真面目にしましょうよ……」


 赤城の対空兵装は、一航艦の6空母の中で最も旧式で火力も弱かったはずだ。


「うん。汐里さんの希望で、この海戦が終わったら魚雷発射管も取り付けたいと思っているよ」


 こっちの話、全然聞いてねえし! 心を鬼にして、洋平は冷徹に宣告する。


「家具とかクッションとか、余計な私物は全部艦から降ろして下さい。防火扉を塞いでる米俵と、それに20センチ砲の砲弾も。本当は対艦砲そのものを撤去して貰いたいところですが、工事にドック入りが必要になりそうなので今回は諦めます。あ、壁紙と絨毯も剥がして下さいね」

「できるわけないだろう! 艦の内装は汐里さんがコーディネートしてくれたんだぞ!」

「すみませんが、これも山本長官の意向ですので。……ああ、それと」


 茫然として口をぱくぱくさせている草鹿に、洋平は大和を出る前に書いておいたメモを手渡した。


「この艦の防火態勢を根本から見直したいと思いますので、ここに書いてある物を用意して下さい」


 苦り切った顔でメモを受け取った草鹿が、首を傾げる。


「何だこれは……電線とホースとノズルと、それにラムネ製造装置をこんなに沢山? 防火と関係無いじゃないか、赤城をラムネ工場にでもする気かい?」


 無自覚なお気楽発言を続ける草鹿に、洋平は内心嘆息した。

 こんな小手先の歴史改変だけで、慢心まんしんかたまりのようなこの空母を生かすことができるとは到底思えない。

 やはり、あのプランを実行に移すしかないか。


「草鹿さん、艦隊の陣形についても1つお願いがあるのですが……」

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