雷雨のひととき
遠くから雷鳴が聞こえたと思う間もなく黒い雲が流れてきた。部屋の中は黄昏時のように暗くなる。
ぴかりと窓の外が白く染まり、空気を震わせどすんと雷様が庭に落ちてきた。
「……ツノが生えてる」
「あいたたたたた。しもうた、足がすべった」
「……トラのパンツはいてる」
「くうー。尻がもげそうじゃ。痛いのう」
「……デンデン太鼓背負ってる」
「こりゃ! 黙って聞いておれば好き勝手申しおってからに。わしの太鼓はデンデン太鼓じゃないわい!」
「あ、聞こえてた」
雷様が落ちてきて、雷鳴はやみ雨が上がった。まだ黒い雲がかたまっているけれど、遠くの空にはうっすらと明るい白い雲が見えだした。
「雷様、雨上がっちゃいましたね」
「そりゃわしが太鼓をたたかねば雷は落ちぬ、雨も落ちぬ」
「太鼓の音が雷の音なのはわかりますが、稲妻の光はどうやって出してるんですか」
「わしの目が光るんじゃ」
「……」
「すまぬ。嘘じゃ。そないなまなこで見るな。わしは不審者じゃないぞ」
「十分不審です。早く帰って下さい」
庭に面した窓を閉めようとすると、雷様が慌てて手を伸ばしてきた。
「待て待て待て。空に戻るには梯子がいるんじゃ」
「うちには梯子はありませんよ。脚立も」
「木で出来たようなものじゃダメじゃ。人の魂がいるのじゃ」
すうっと窓を閉める。
「待て待て待て! なにも取って食うわけじゃないわい! ちょっと体から離れてもらうだけじゃ」
カーテンを閉める。
「魂が抜けると気持ちよいぞお。くせになるぞ!」
「幽体離脱がくせになったら困ります」
「そう言わず一回だけでも、おためしにやってみれ。ほれ、窓を開けい」
カーテンの隙間から覗くと、雷様の顔は眉は下がり鼻の頭に皺が寄り、口はへの字になっている。絵にかいたような困り顔に思わず笑ってしまい、可哀想になってカーテンと窓を開けた。
「おお! 手を貸してくれるか! 礼はするぞ!」
「お礼は別にいいですけど。どうやるんですか」
「うむ。手を貸せ」
手を差し出すと雷様はその手を握り、ぐいっと引っぱった。上体が窓の外に引きだされた、と思うと、胴が伸びたような感じがしてどこまでもどこまでも伸び続ける。
振り返ると、実体は窓にもたれて眠っていて、窓の桟に乗せた手から細く水色のアメーバ状のものが伸びている。それがずっと長く続いて自分の幽体に繋がっていた。
「よし。このくらい伸ばせばいいじゃろ」
雷様は幽体の自分の肩に、肩車の要領でまたがる。重くはない。
「そのまま背伸びをしておくれ」
言われたとおり背を伸ばすと、自分の頭はぐんぐん空に伸びていく。木を越え、ビルを越え、飛行機をかすめ、雲の上まで首をつきだした。
「やれやれやっと帰れたわい。助かったぞ、じゃあ、戻っておれ。礼はすぐに送るからな」
そう言うと雷様は伸びきった頭を抱えてぽーんと投げおろした。幽体はぐんぐん地面に向かって落ちていく。飛行機をかすめ、ビルの横を下り、木のそばを滑り下り、窓から部屋に飛び込んだ。自分の頭にぬるりと入り込み、伸びた胴もずんずんと体内に戻ってくる。
気持ちがいい。
ぬるめの湯に全身をひたしているような、海の波に洗われているような。自分の鼓動がだんだん大きくなって、暖かく、まろく、どこか甘い。
これを、自分は知っていた。
大昔にどこかで感じた。
そうだ胎内でずっとこうやって、大きくなっていったんだった。
すべての幽体が戻り終わると、ゆっくりと目を開く。その瞬間、世界はまっ白で、かりかりどおんという音と共に体が揺れた。庭に雷が落ちたらしい。その衝撃で目が覚めた。今までずっとまどろんでいたようだ。
空を見上げると雷雲は黒く沈黙したまま早い風に乗って急いで流れていく。時おり稲妻が雲の中を走るのが見える。雲が紫色に光り、ころころと可愛らしい音をたてる。雷様の子供が太鼓をたたく練習をしているのかもしれない。ファンシーなことを考えて、一人でくすっと笑った。
雨は遠くに逃げさり、青い空が戻ってきた。
空には大きな虹がかかった。
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