【更新停止中】ファジィファミリア。~俺のシ体が晒せない~

八艘跳。

降り立った世界で

序章

其の壱 出逢い

 昨日まであった日常ってのが大切な日々だと知ったときには、俺が後だった。ひどく客観的な気分なのは、化け物に潰された俺がからだ。死者蘇生なんてものではなく、不可思議な夢と異常事態に混乱しきった俺の頭脳が悲鳴をあげたのだろう。割と冷静に受け止められている。自分が自分でないような、とてもふわふわした気分で現実感が感じられない。それでも現実だと訴えてくるのが右腕の存在だ。化け物の最初の一撃。あれを避けるときに掴まれた右腕は引き千切られ、肩口から先を失ってしまった。黄泉帰ってなお、俺の右腕は帰ってきていない。


「面白いわね。あなた」


 女性の湿った声を耳が拾った。まるで、すぐそばにいるような声に背筋が震えあがる。遠い。急いで振り返った先には色気が香り立つ痴女がいた。両手を腰にあてて薄く笑い、その辺の布切れで身体を覆っているだけだといっていい。ゆっくりと近寄ってくるのだが、いろいろと見えてるぞ。これはアレだ。関わるべきではないな、うん。


「どこの痴女だ? 痴女に用はないぞ」

「痴女? 痴女っていった?」


 俺の囁き声が聞こえてしまったようだ。にやけた痴女が右腕を振りあげ、掌に集約されていく紅い光。本当に現実感がない光景に苦笑してしまう。俺の半笑いが気に食わなかったのか、痴女が睨んでくる。これで死ねるのだろうか。


 ────光が直撃した俺は黄泉帰ったわけだが、これで十三回目の死に損ないだな。痴女に見下ろされている。全体的にカラスよりも黒く、左目のうえを走るひと房の紅い長髪をなびかせ、佇む痴女は美女だといえるのだろう。ちょっと前の俺ならナンパでもしてるか? いや、美女すぎて尻込みしてたな。


「それで? ……なんの用だ? 新手のナンパかね」

「随分と余裕ね。どうして死なないのかしら?」

「その辺を歩いてた化け物に殺されたときにな。こうなった。なんか知らんが死に損なっているわけだよ。おたくには理解できんのかね?」

「本当に面白いわね、あなた。いいわ。仮説でもよければ話してあげる」


 痴女が嘲笑う。俺らの世界は異世界に侵食された。唐突に涌き出た、街の空中に浮かぶ門が開かれ、様々な化け物たちが現れたのが二時間ほど前になる。それが『異界の門』らしい。俺の近所でも死者が溢れているから頷ける。


 なんでも、痴女がいた世界に召喚されたを探し当てたが思いついたらしい。邪神を狙う勇者への嫌がらせを。──そのために世界を繋げたというから規格外だな。二つの世界が繋がった結果、俺らの世界の住人たちにも影響が出ており、俺は顕著だとさ。門から現れた化け物たちは、文字通り異世界からの来訪者だそうで。まったく。欠片も信じたくないけど、現実なのよね。


「話してくれたのはありがたい。そんで、何か用なのか?」

「せっかちね。モテないわよ?」

「それがなあ。死に損なったお陰か、性欲のたぐいが薄くなってる気がすんだよ。ちょっと前の俺が痴女なんてみたら、鼻息ぐらいは荒くなっていたと思うんだがね。なんだろうね、この気持ちは」

「さっきから失礼ね。あなた。自分の格好、自覚ある?」

「おう。全裸だなっ」


 盛大なため息だなあ。気持ちは分からんでもないが。


「あなたねぇ。全裸のあなたにいわれたくないんだけど」

「残念だが、羞恥心も薄れてるぜ。残ってんのは……食欲とか睡眠欲じゃないか。性欲は、うん。ヤろうと思えばヤれんのかね?」


 笑ってヤろうか? 今、ここで。


「知らないわよ。……調子狂うわね。なんなら、一発ヤってみる? あたし。身体には自信があるの」

「そりゃそうだろ。痴女だからな」

「はッ! ────怒るわよ? 悪魔だからなのっ」


 また殺されたわけだが、黄泉帰るのを待つなんて律儀だな。それにしても悪魔ねぇ。異世界に化け物、邪神ときて悪魔か。正直、腹一杯だぞ? こっちは、起き上がることさえ苦労する身体だってのに。ま、チャンスだろうし。


「悪魔ならアレだ。契約して魂を奪うとかできんのか?」

「もう試したわ。死なないのよ、あなた」


 俺からいい出そうと思ったが、すでに実行してたのね。やるな、この痴女。誉めてやりたいけど失敗してんのな。残念だ。使えねぇでやんの。


「マジに何の用だ? 殺せないのは分かったろ?」

「面白そうだからね。違う契約よ。使って知ってる?」

「なんだそりゃ? 説明を頼む」

「任せて。あたしのになるの。すごい力を授けるわよ」

「却下。メリットがない。俺は死ぬけど、死なんぞ?」

「そういえばそうね。なら、逆ね。あたしが下僕になるわ」


 なに、したり顔してんのかね。


「お前アホだろ。俺にメリットがない」

「失礼ね。あたしの身体を好きにできるわよ?」

「そういわれてもなあ。──ちと弱いぜ。他にないのか?」

「他? ……他ね。あなたは死にたいようだし、邪神か勇者に会えれば死ねるんじゃない? あなたには分からないと思うけど、あたしを連れて歩けばいいのよ。そうすれば、勇者とか邪神とかがやって来ると思うわ。これでも闇の精霊の一面もあるからね」


 また、大仰なこって。


「悪魔で闇の精霊ねぇ」

「そうよ。悪魔で闇の精霊……どう? そそる?」

「正直、あんまりだ。ちと時間をくれ。少し悩みたい」

「はいはい。分かったわ。たっぷりと考えなさい」

「おう。あんがとよっ」


 痴女のいう通りなら、俺を殺せる可能性をもつ人物は二人。それが邪神と勇者とはね。どうすれば会える? 痴女の誘いを断ればノーヒント……思いつかんな。仕方ない。ここでグダっても死んで黄泉帰るだけだしな。ちきしょう。ほくそ笑んでやがる。口車だろうけど、乗ってみますかね。


「結論は出た?」

「契約してやる。お前が俺の下僕だな?」

「ええ、そうよ。あたしがあなたの下僕。それとね。名付けてくれる?」

「名付け? また面倒くさいが、理由でもあんのか?」

「あるわ。契約だもの」


 また胡散臭い契約だ。名付け、名付けねぇ。痴女の名前だろ? 適当でいいだろ、こんなもん。悪魔で痴女なら決まりだ。


「お前は『リリス』な」

「あら? 意外といいじゃない。なら、今日から『リリス』なのね。────それじゃ、契約するわよ? あなたの名前は?」

「おう。サクッと頼む。俺はシュウだ」

「我、悪魔にして闇の精霊のひと柱たる堕ちた女神よ。新たな名『リリス』として生死を全うすることを『シュウ』に誓わん」


 闇の霧がリリスに集まっていく。闇をまといながらも輝くリリスが神々しい。今、リリスが口にした『堕ちた女神』の言葉。まるで自分が女神だといってるようなものだ。笑え……おい待て。そんなリリスが殺せなかった俺はなんだ? マジに敵なしか? 勘弁してくれ。


「お? ────光がおさまったな」

「ふぅ。シュウ? 契約したから隠し立てはできないわよ? 笑え? 何だって?」

「笑えるなあ」

「はッ!」


 また殺されてたらしい。まったく。気性の激しい女だ。契約ミスったかね。後戻りできそうにないのが残念だわ。身体を起こしてみたら、リリスに睨まれたよ。こっちはな。左手一本で支えるから、座り込むのにも苦労するんだぞ。


「そんで? どうしたら会える? その邪神や勇者とやらに」

「勇者は知らないわよ。あたしを敵視しているから、そのうち来るんじゃない?」

「おいこらっ」


 ふざけんなよ、痴女。ぶん殴るぞ。


「心の声も聴こえてるのよ? 痴女じゃなくてリリス。邪神のほうは簡単ね。シュウが力をつけるの。邪神が見過ごせないほどの力をつけるか、そういった勢力にでもなれば向こうからやって来るわよ」

「なんだそりゃ。成り上がれってか?」

「その通り。だからシュウ。あたしの世界に転移して、成り上がるわよっ」


 こっちの葛藤とか考えないのかねぇ。まあ、友人知人、身内の全員が死んでる俺に未練はない。だがな。死なないとはいえ、痛みはあるんだぞ。やってられんわ。


「────分かったよ。いろいろと諦めた」

「それにしてもシュウ? なんで死にたいの?」

「少しは考えろよ。……死ねないってのも恐怖だろうが。なあ、リリス。死ねない俺は生きてんのか?」


 女の匂いがする。抱きつかれた?


「ヒトの温もりがあるわ。シュウは生きてるの。たとえ死ねなくても、シュウの心はあたしが守るわ」

「そういうのは男がいうもんだ」

「あら、そう? シュウの心はあたしが守るから、シュウの好きにしたらいいわ」


 なんか男前だな。リリスはモテそうだ。女になっ。


「嬉しくないんだけど?」

「俺が女なら惚れてる。間違いない」

「バカいってないで転移するわよ」

「おうよ。行きますか」

「それにしてもシュウ? 服、着ないの?」

「黄泉帰るとな。全裸なんだわ」

「なにそれこわい」

「俺もそう思う」


 異世界転移ねぇ。少し不謹慎だが、ワクワクすんな。どんな景色が待ってるのやら。俺は死ねないから、危険性は無視してもいいのかね。いっそのこと、死因収集でもしてみるか? なんか陰湿だわ。ギャグにもならんから却下だな。


「そういえば、この世界の衣服は面白いわね。あたし、気に入ったのがあるの」

「ほう? どんなのだ?」

「あれよ。ベビードール。可愛らしいわ」

「そんなエロい身体なら、ネグリジェになるだろ」


 俺から離れたリリスが手を差し伸べてくる。苦笑してしまう。似合いすぎるぞ、リリス。まるで女神だ。イケメンだねぇ。


「褒めてんの?」

「褒めてんのさ」


 左利きでよかった。リリスの手を握り、立ち上がる。少しバランスが悪いが、早いとこ、片腕に慣れないといけないな。ただ歩くだけでもしんどいわ。さっそく役立つからか、リリスが嬉しそうだ。俺を支えてくれたリリスが微笑んでいる。


 ────新たな人生だ。歩き出しますかねっ。


「いざゆかん。死地を求めて成り上がれ!」

「なによそれ?」

「気合い?」


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