リタルダンド



日々と日々に摩耗していく命の有り様とそのゆくえ

一・五リットル八本入りの箱で買っているはずなのに

三日でなくなる眠気覚ましのコーラ

そのゆくえ

ここで蛙鳴あめいは聞こえない

蝉噪せんそうの正当性のゆくえ

捨てる物ばかりのおもちゃ箱を引き取ってきた理由

箱の中のおもちゃ

その有り様と

ゆくえ

流されていくだけなのは

自分ばかりだと思うだなんて傲慢

蝉噪にも有り様と正当性があり

そうあるべきところか

そうであってはならないのところなのか

どちらにせよ着地する

知ったこっちゃない

けれど同衾どうきんはご免被りたい

けれどそれさえも

命をどう持ってどこに運べばそれを回避できるのかさえ

はなはだ不確かで

未来はほぼ無限に広がるという優しさで

僕を困らせる

日々と日々に摩耗していく命の有り様とそのゆくえ

コーラを飲みながら

同衾だけは心底勘弁願いたいと

そんなことしか頭に浮かばないから

おもちゃ箱もなおざりになっている


年を経て

僕らの速度は日に日に落ちていく

生き急ぐ速度が

それを喪失とみなしてしまう僕の浅はかさが

魂を損耗させてしまう

とにかく

ゆっくりになっているんだよ



 八月二十三日 午前三時十二分 コーラを飲みながら


 僕は決まってその日の日記を、翌日、目が覚めた後に書く。一般的には、寝る前に一日を振り返って書くことが多いのだろう。けれど、それをすると大事なものがひとつ抜け落ちるはずだ。一日の終わりに目を閉じること。

 平たく言えば、眠りに落ちるまでが一日だと思っているので、日記は翌日に書くものとしている。ちゃんと日々の最後の瞬間までを綴りたいからだ。

 どんな冒険も物語も必ず眠りで終わる。

 徹夜はいつまでも続かない。

 結局この日記は、ただ毎日が終わり続けたことの証明書だ。

 僕は摩耗した。

 善意もなければ悪意もない。

 安らぎを認めて欲することを学び、ずるをして安穏を得ることを身につけて、魂の損耗に気づかないふりをすることを覚えた。

 そんな僕が日記に、真に意味のあることなど書けるものか。

 たとえそれが何万ページに及ぶ恋文だったとしても、届ける相手はひまわりの土の下だ。

 どこに咲いたひまわりだったかもおぼろげで、まったくたいそうな記憶力で、最終的にはひまわりのことを考えていた自分を見失い、昨日の自分がどれだけ死にたいと思ってしまったかを、思い出そうとする。三回か、あるいは五回くらいか、その程度。

 ところで、寝ついてもきっかり三時間で目が覚めてしまうのはどうにかならないものか。ちょっと強めの薬を飲んでも一向に改善される向きがない。とても強い薬を飲めば眠れるのかも知れないが、だからと言って十時間も起きられないとなればいっそう困る。一日の日記の文章量がだんだん増えていく。毎朝三時か四時に起きてしまうとなれば変に余裕のあるもので、寝不足の頭を抱えつつも、僕はお気に入りのボールペンをペン立てから取る。百五円のペン立てから、一万二千円のボールペンを。

 寝ぼけたままの静かな熱意で、ペンを走らせる。

 たぶん、日常と思考の不均衡が、ちょっとペンギンを連れてきているんだろう。真夏の東京に。

 ひとつ気づいた。日記と言いながら、昨日のことを書いていない。

 結局こうして、有り様どころかささやかな在りかさえ自ら手放す。

 明日も日記はおそらく続いていく。

 三時だか四時だかに。

 部屋に潜む深海魚の弦楽が、灰のようにあたりを満たす中で。

 リタルダンド。



ああだこうだして

結局のところ僕が伝えようとしていたのは

性悪説でもオプティミズムでも恋の駆け引きでもなくて


僕は僕のまま僕としてここにいるらしい

きみもきみのままきみとしてそこにいる


表現と外殻と切り口を変えて

ひたすらに

何度も何度も何度も

そのことだけを

そして

もうひとつだけ

伝えようとしていたはずのこと

ひまわりの咲く場所


僕のひまわりは

なんでもない路地裏の

猫の額みたいな畑にあるやつではなかったか

すっかり息切れ

さあ

深海魚たちの弦楽四重奏に答えはない

示しているのは

ただ

水が上から下に流れるごとく


リタルダンド



やあ、深海魚たち

名前を教えてくれないか

――ドゥシャン

――ゼノビア

――オフィーリア

――リュドミラ

まったく見事な四重奏だった

面子はそれで全員かい?

――今は出払っているが

――アイトールとオセアノがいる

まったくもっていかしたやつらだと

僕は疑っていないのだがね

――多謝

せめてディナーでも一緒に楽しみたいのだけれど

きみたちは何を食べているのかな

――何も食べていない

どうして

食べなくてどうなる

――どうにもならない

――食べなくて死ぬことはない

なぜ

――お前がまだ生きているからだよ

――お前が生きていれば

――弦楽はやまない

――リタルダンド

そうだな

ディナーはやめにしよう

安らぐバラードでも合わせようじゃないか

幸いなことに

ピアノの心得がある

想い人なんていないよ

ギターを手に取るには遅くなりすぎただけさ


ひまわりの場所が思い出せない

リタルダンド

だんだんと遅くなり

どんなに全速力でもひまわりに届かなくなり

バラードさえ不調和になり

リタルダンド


蛙鳴は聞こえない

六時も待たずに蝉噪は主張を始める

アパートの廊下でたおれた蝉に

何も思うことはないけれど

せめてもう一度聞ければ満足だった

彼女の口から

まだ生きていたいと


今年も咲いているはずのひまわりに

リタルダンドに乗せた

バラードを

聞こえるか?



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