【78】喪失の空


「ろ、ロコアがこの異世界からいなくなったって……な、なんで? 天空城が燃えて消えたことと、ど、どういう関係が……?」


 動揺を隠し切れない晴矢はれやに、ミュリエルは真剣な表情だ。

 抱きしめられているクマのぬいぐるみも、冷ややかな眼差しを空に向けていた。


「悪魔に乗っ取られた城が、ロコアちゃんを乗せたままこの異世界からワープした、ということですわ」

「わ、ワープ? ホントに? 天空城が一瞬にして燃え落ちて、し、しし、死んじゃったとかじゃ……?」

「異世界ウォーカーが従者アシスタントを残して生命を落とした場合、『権限移譲』が強制起動いたしますの」

「権限移譲……?」

「簡単に言えば、従者アシスタントが異世界ウォーカーに自動昇格するということですわ。少なくとも、ロコアちゃんの時はそうでしたもの……」


 この状況下で動じていない様子だったミュリエルが、急に悲しげな表情になって視線を落とす。

 晴矢もハッとして、ミュリエルの前でフワフワと宙を立ち泳ぐしか無かった。


「……ごめん、辛いこと思い出させたみたいだ」


 晴矢の言葉に、ミュリエルが首を振る。


「アナタのせいではありませんわ。……とにかく、少なくともロココちゃんが生きているのは間違いありませんから、安心なさい。『権限移譲』は別々の世界にいても起動いたしますから。今は単にマスターとの接続が途絶えているだけ、と考えるのが妥当ですのよ」

「な、なるほど……。それなら、ちょっと、安心かな……?」


 晴矢も思わず、ホッと胸を撫で下ろす。


「心配するしか出来ないとは、相変わらずの無能っぷりですのね。心底、呆れますわ」

「は、ははは……まあロコアのことだからさ、無事ならきっとすぐに、何か手を打ってるだろうしさ……」

「まあ、当然ですわね。あたくしのロコアちゃんですもの」


 ミュリエルがニヤリと微笑む。

 クマのぬいぐるみも、自信ありげに瞳を煌めかせていた。


「でも、なんでまた、魔人は天空城を乗っ取って、ワープなんかを……?」


 晴矢が疑問を投げかけたその時だった。


 皇都おうと城壁から湧き上がる、「わああああ!」という大歓声。

 どうやら、インディラたちが魔人軍を完全に制圧したようだ。

 城門前には、白く輝く鎧を身にまとったサンリッドとスクワイアーの姿も見て取れる。


 戦うべき相手を駆逐した連合軍に、安堵と戸惑いの溜め息が静かに広がっていく。


「あちらは戦闘が終わったようですわね」

「ああ、そうみたいだね」

「ガーゴちゃん、サンリッドとスクワイアーに伝令。すぐに、こちらまで引き返してくるように、と」

「ああ、ミュリエルさん! それだったら、インディラさんたちにも、こっちに来るように伝えてよ」

「よろしくってよ。ガーゴちゃん、そのようにサンリッドとスクワイアーにお伝えなさい」


 ミュリエルがサッと皇都城壁を指し示すと、すぐにガーゴイルたちが白い翼をはためかせ、皇都城壁へと飛び去っていく。


「コォーーーーーン……」


 竜と化したグリサリの、悲しげな鳴き声。

 長い身をくねらせ、ゆるりゆるりと円を描くように宙を舞い踊っている。

 竜を見上げる視界のその向こうには、今にも落ちてきそうなほどの不気味な雰囲気を湛えた夜映やはえの姿。


 晴矢は、ヤハエとジャルカナの物語を思い出さずにはいられなかった。

 わかっていれば、最悪の事態は防げるはずだ。


「あの鬼獣も、本来なら悪魔の言いなりのはずですのよ。それが、制御すべき悪魔がいなくなったので、ああして戸惑っているのでしょうね。まさに魂の抜けた抜け殻、といったところですわ。主不在の今のうちに、この場で抹殺して差し上げましょう」

「えええっ!? だ、ダメだよ! グリサリさんは、ロコアのお母さんかもしれない人なんだ!!」


 晴矢の言葉に、ミュリエルが目を見張る。


「……本気で言っておりますの?」

「もちろん本気さ! ってまあ……俺の勝手な推測だけど……。でもさ、グリサリさんは娘さんを産んだあと、しばらくして誰かに預けたらしいんだ。その別れた娘さんともう一度会いたくて、それで魔人に魂を売ったらしいんだよ」


 怪訝な表情を浮かべるミュリエルが、頭上を舞う竜に視線を向ける。


「誰かに預けただけで、この世界にいるのなら、自分の足で探せばいいでしょうに……」

「ロコアもそう言ってたよ。だからさ、魔人の力に頼りたかったのは────異世界に連れて行かれたのを知ってるからじゃないか、って。それを聞いて、俺、ピンと来たんだ! ロコアって、リリーって人に預けられてたんだよね?」


 ミュリエルが、すっと目を細める。

 どうやらミュリエルも、晴矢の考えに思い当たったようだ。


「……ですが、鬼獣となってしまったなら、戻す手立てはありませんわ」

「えええっ!? ……そ、そうだっけ?」

「あたくしたちが考察していた方法は、鬼人を治す手段のみ。鬼獣となっては……それも無理な話。となれば、ロコアちゃんと一戦交えることになる前に、ここで生命を断って差し上げるのも、思いやりのうちだと思いませんこと?」


 ミュリエルが、キッと眉を潜めて晴矢を見据える。

 晴矢の心臓がバクバクと音を立て、変な汗が滲み出てくる。


「……な、何か手はあるんじゃないかな? 実は、ミュリエルさんの勘違いとか、さ」


 呆れた、と言わんばかりにミュリエルは大きな溜め息を吐き出すと、射殺さんばかりの目つきで睨みつけてくる。

 と、再び2人の頭上で、竜が「コォーーーーン」と甲高い鳴き声を上げた。


「……あっ、そうでしたわ」

「どうしたの?」


 尋ね返す晴矢に答える素振りもなく、ミュリエルは腰につけたポーチを弄り始めた。

 そしてすぐに、一本の青いナイフを取り出した。


「……ん? どこかで見たことあるような……?」

「────これこそ、奪還器リヴァーサーですわ」

「おお! それが!」

「確証はありませんが、これをあの鬼獣に突き刺せば、何か起きるかもしれませんわね」

「ホントに? 動きを止めるだけ、って言ってなかったっけ?」


 晴矢の問いかけに、ミュリエルは真面目な表情で首を横に振った。

 クマのぬいぐるみも、どこか真剣な眼差しだ。


「そう言われてはおりますけど、現実として何が起きるかわからない、としかお答えできませんの。あたくしも、これを手にするのは初めてですもの。もしかすると、息の根を止めてしまうかもしれませんわ」

「そ、そうなんだ……」

「それでもアナタは、この────奪還器リヴァーサーに、可能性を賭けてみたいとお思いかしら?」


 いつも自信に満ち溢れたミュリエルとは打って変わって、眉を潜めるその表情は、どこか頼りない。

 だが晴矢は、差し出すミュリエルの手から、奪還器リヴァーサーをそっと受け取った。


 金属製の、冷たい青い刀身だ。


「せっかくだし、使ってみるよ。他の十痣鬼とあざおにたちは、ウズハの魔法で眠ってるしさ」


 ビッと親指を立てて、ニコリと微笑みかける。

 ミュリエルは真剣な表情を崩そうともしない。

 晴矢はそんなミュリエルに頷き返すと、グリサリの方へと視線を向けた。


「お~~い、やっほ~~、グリサリさ~~ん」


 手を振って、平泳ぎでゆっくり近づいていく。

 すると、晴矢に気付いた竜が動きを止めた。

 どこか悲しげな瞳で晴矢を見据えたまま、ユラ~リユラ~リと細長い身体をくねらせて佇んでいる。


「あのさ、これ、奪還器リヴァーサーっていうアイテム。これをグリサリさんに刺したら、もしかしたら鬼獣化が治るかもしれないんだ」


 竜はユラユラと宙に漂ったまま、晴矢の瞳を真っ直ぐに見つめている。

 まるで心の奥底まで見透かそうというかのような眼差しに、晴矢は思わず頭を掻いた。


「正直言うとさ、確証は全然、無いらしいんだけど……」


 晴矢は「ほうっ」と息を吐き出すと、精一杯の誠意を込めて、言葉を投げかけた。


「────ほんのわずかな可能性でも、賭けてみない?」


 2人の間に流れる静寂の時。


 しばらくして、竜は何を思ったのか、クルリと身体をくねらせると、晴矢に背を向けた。

 剣のように尖った背びれと、固そうな鱗がその表面を覆っている。

 晴矢はそっと近づくと、ちょうどうなじの辺りか、白髪と背びれの間にある僅かな隙間に左手を当てた。


「……それじゃいくね」


 優しく囁きかけると、竜がわずかに頷いたように見えた。

 一息吐き出すと、晴矢は奪還器リヴァーサーを逆手に持ち直し、頭の上に振り上げた。


「はっ!」


 気合とともに奪還器リヴァーサーを振り下ろす。

 一瞬の硬い手応えのあと、奪還器リヴァーサーは「ズグリ!」と音を立てて、竜のうなじに深々と突き刺さった。


 瞬間、天に向かって青い光が昇る。


「おっとっと!」


 青い光が消えると同時、急に竜はぐったりと力なく崩れ落ちそうになった。

 慌てて晴矢がその身体を受け止める。

 竜の目は固く閉ざされ、意識を失っているようだ。

 奪還器リヴァーサーは消失し、突き立てたはずのそのうなじには、青い十字架の紋様だけが残されていた。


「……これで、いいのかな?」


 確かに、動きは止められた。

 あとは……奇跡が起こるのを待つしかないようだ。


 竜と化したグリサリの身体を両手で抱えたまま、ゆっくりと地表へ降り立つ晴矢。

 ミュリエルが近づいてきて、身をかがめて竜の腹に耳を押し当てた。


「……気を失っているだけ、のようですわね」

「そっか。じゃあちょっと、様子見かな?」

「ですわね。そこに寝かしておきなさいな」




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