【53】蔦壁神社


 ────蔦壁つたかべ神社へと続く石階段。


「はあっ、はぁっ、はぁぁっ! くっ……歩くって辛いな……」


 カバンを片手に、階段を登る晴矢はれやの息が上がる。

 ここのところ、何かにつけて空を飛んで済ませていたせいだろう。

 疲労がすぐに足腰へ来るようだ。


 学校から少し離れた山の麓。

 蔦壁神社は、人家から少し離れた山の中腹にあるらしい。

 蛇のようにうねる坂道を歩いてきたあとに、さらにこの急な石階段。


「ロコアって、これ……毎日、登り降り、してんのか……? ふうっ、着いたぞ……」


 古びた石造りの鳥居の下で立ち止まり、膝に手をつく。

 なかなかの苦行だ、なんて感心せざるを得ない。


 視線を上げると、小さな境内に古びたお堂が目に映る。

 鳥居から続く石畳以外には、これといって何もない。

 土が剥き出しになった地面には枯れ葉1つ落ちておらず、いつも綺麗に掃除されているようだ。


「おや、こんばんわ」


 声をかけてきたのは、紺色の作務衣さむえを着込んだ老人だ。

 竹箒たけぼうきを手に、本堂脇に佇んでいる。

 どうやら掃除の最中らしい。


「あっ、と……こ、こんばんわ」

凪早なぎはや晴矢はれやくん、だね?」


 小さく頭を下げる晴矢に、ニコニコ顔で尋ねかけてくる。

 後退して薄くなった頭髪を短く刈り上げ、深い皺の刻まれた顔に、にこやかな糸目。

 口元には朗らかな笑みを浮かべている。

 とても人当たりの良さそうな雰囲気だ。


「ロコアちゃんなら、向こうだよ。凪早晴矢くんをお待ちかねさ」


 そう言って一歩引くと、サッと本堂の裏側を指し示す。

 どうやら本堂脇から続く裏道があって、少し下ったところに人家があるようだ。

 木々の向こうから黒瓦の屋根が覗いている。


 素振りからして、そちらに向かえ、ということらしい。


「あ、どうも」


 晴矢はペコペコとお辞儀をしながら、老人の脇を抜けると、人家の方へと向かった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「えーと……?」


 本堂からの裏道を下り、人家の前で、はたと立ち止まる。

 玄関から向かって右側に縁側、左側には薪がズラーっとうず高く積まれているのが見える。

 台所も近いのか、木々の匂いに混じって、味噌汁の匂いが漂ってくる。


「この中、でいいのかな?」


 表札も郵便受けも無い。

 そういえば、石階段の前に郵便受けがあったな、なんて思い返していると、突然、玄関の戸がガラリと開いた。


「……あ、晴矢はれやくん」


 玄関から姿を現したのは、ロコアだった。

 湯のみ3つと茶菓子を乗せたお盆を手に、ニコニコ顔で微笑みかけてくる。


「ああ、良かった。間違えてたらどうしようかと」

「境内に、蔦壁つたかべさんがいたでしょう?」

「竹箒を持ったお爺さんだよね?」

「そうそう。ちゃんと晴矢くんの事、伝えておいたんだけど」

「ああ、すぐに、名前を呼んでくれたよ。でもほら、この家であってるのかな、ってさ」

「あ……そういえばそうね。んふふ、ごめんね」


 どうやら、殊の外、機嫌が良さそうだ。

 久々の我が家に戻ってきて、ロコアも心落ち着くところがあるのかもしれない。


 微笑むロコアに促され、玄関から薪の前を通って横手に回りこむ。


 人家の側面には、ステンレス製の簡素なドアが付いただけのトタン板とトタン屋根で組まれた出入り口がポッカリと口を開けていた。

 中は、下り階段が続いているようだ。

 天井から吊るされた裸電球の放つオレンジ色の光が、どことなく侘びしさを感じさせる。


 その背後には煙突が、人家の屋根の上までそそり立っている。

 煙突の先からは、わずかに煙がホワリホワリと立ち上っていた。


「……地下室?」

「うん。ここをね、貸してもらってるの。自由にしていいから、って」

「へえ……」


 両手が塞がっているにも関わらず、ロコアは慣れきった様子で、石で組まれた薄暗い階段を降りていく。

 階下は木製のドアが開け放たれていて、明るい光が漏れていた。


「もともと、お弟子さんたちの修行の場として使っていたんだって。今はもう、国から派遣される人材に頼ってて、ほとんど使わなくなったらしくて」


 程なくして、ホワっと暖かな空気の漂う空間に出る。

 入ってすぐのところに靴を脱ぐスペースがあり、一段上がってフローリングの床が広がっている。

 広さは12畳ほどもあるだろうか。

 向かって左手にドアが2つ、右手にクローゼットらしき引き戸が見える。

 右手の壁の天井近くに、押し開くタイプの小窓が1つ。

 そこだけは山の斜面から顔を覗かせている感じだろうか?


 出入り口脇には暖炉。

 中では薪が、チロチロと燃えているようだ。

 奥には二段ベッドが2つ、左右の壁にくっつくようにして備え付けられている。

 その手前に、丸いちゃぶ台と座布団が4つ。

 それ以外には衣装ダンスと簡素なデスク、壁際に並べられている4つのデスクチェアだけだ。


 借り物とはいえ、およそ女の子の部屋とは思えないほど何もない簡素で地味な部屋に、晴矢としても驚かざるを得ない。

 壁掛け時計の秒針が、カチコチと鳴る音だけが妙に大きく響いていた。


「おっそいですわよ。何をしてらしたの?」


 デスクチェアに腰掛けて、なぜかゆ~っくりと回転しているミュリエル。

 時折見える表情が、とても不満気だ。


「ロコアって、ここで一人暮らししてるってこと?」

「うん、そうよ。冬は少し寒いけど、夏は結構涼しいの。こっちのドアがトイレでこっちがシャワー室。ご飯だけは蔦壁さんにお世話になっているけど、それ以外はここで一通り済ませられるから。結構気に入ってるの」


 なんて言いながら、ロコアが屈託のない笑みを浮かべる。

 これで気に入っているとは……地味な上に欲が無さすぎるとしか思えない。


「……ご両親は、どこかの異世界で暮らしてるのかな?」

「うん、たぶんね……」

「たぶん?」


 小さく肩をすくめると、どこか寂しげな表情になるロコア。

 そんなロコアの様子に、晴矢も目を丸くするしか無い。


 ここまで、ロコアの家庭事情なんて気にしたことも無かったが……。

 ロコアの灰色の瞳に、久しぶりに儚い危うさを見た気がする。


 同時に晴矢は、心のどこかで何か引っかかるものを感じていた。

 頭の中でモヤモヤっと何かが閃きそうで閃かない、そんな感じだ。


 ふと気づくと、デスクチェアに腰掛けるミュリエルが、いつの間にかピタッと止まって、目を三角にして晴矢を睨みつけていた。

 喉の奥から低く「ガルルルル」と唸り声をあげ、今にも晴矢に飛びかからんばかりの雰囲気を漂わせている。


「ご、ごめん……知らなかったんだ」


 ロコアがお世話になっているという蔦壁神社に集合とはいえ、まさか、ロコアの居室に案内されるとも思っていなかったし。

 不意を突かれて気遣いする間も無かった、というのが晴矢の本音だろう。


 そんな晴矢に、ロコアが「気にしないで」と小さく微笑みかける。


「それにしても、辛気臭い部屋ですわ。この部屋と言い、上の住まいと言い、あちらこちらに木材が使われてるだなんて……! 火事でも起きようものなら、ひとたまりもないじゃありません? あたくしのロコアちゃんが滞在するに相応しくありませんの! 今すぐにでも、このような世界はあとにすべきですわ!」


 クマのぬいぐるみを抱きしめたまま、ミュリエルがプンプンといった表情をしてみせる。

 そっちの方が酷すぎないか、と抗議したい気分を、晴矢はグッと押さえつけた。


「でも、マーカスのお気に入りだったんだよ、ここ」

「あら、そうですの」


 ツーンとして視線を逸らせるミュリエルに、抱きしめられるクマのぬいぐるみも困惑気味だ。

 苦笑を浮かべながら、ロコアはちゃぶ台にお盆を置くと、正座で座り込む。


「ひとまず、話の続きを始めましょう。あ、これ、蔦壁のおばあちゃんからの差し入れね」

「あ、じゃあ……お邪魔します」


 晴矢は後ろ手にドアを閉めると、靴を脱いで部屋に上がった。

 仏頂面のミュリエルが、デスクチェアに腰掛けたまま、キュルキュルと車輪を鳴らしながらちゃぶ台に近づいて、ひょいと茶菓子の饅頭を手に取る。


「モグモグ……あら、なかなかじゃありませんの」

「でしょ? この近くのお団子屋さんのお饅頭なの」

「お茶もいただきますわ」

「どうぞどうぞ。甘いモノを食べると、気分も落ち着くから」


 勧められるままに晴矢も饅頭を1個手に取る。

 つぶあんのほのかな甘味がじわっと広がって、思わず「うん」と声を漏らしてしまう。


「ハハッ、やっぱこれだな」


 慣れ親しんだ味というものが、これほどありがたいものだとは。


「それでね、杜乃榎とのえに戻る前に、これから2日間ですることなんだけど……」


 饅頭を一気に平らげる晴矢の様子に、ロコアはニコニコ顔で微笑むと、ピッと姿勢を正した。





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