第六話 始まりの鐘、始まりの風
『……橋上での会合は半時後、こちらからはオルクェルと以下五名。アルディラ姫のご無事を確認した後に法術師による臨戦態勢を完全に解除する。繰りかえす……』
穏やかな風に乗って、エルディエル側からの声が途切れ途切れに聞こえてくる。それまで慌ただしく、避難者の確認や怪我人の介抱に動き回っていた者達が、声の先を探すように澄んだ青空を仰いだ。
月花宮から少し離れた、裏庭の外れでグランたちはその声を聞いていた。多少小高くなっているので、ここからだとある程度敷地全体の様子が見渡せる。なにごともなく佇む町並みと対照的に、半壊した月花宮と、それを遠巻きにして慌ただしく動き回る兵士や使用人達を、カイルが呆然と突っ立ったまま眺めている。
「……国王とか、お妃とかはどうなってんの?」
グランは草地に腰を下ろし、すぐそこで倒れ込むように転がっているエスツファに訊ねた。子供二人を勢いだけでここまで抱えて走ってきたエスツファは、さすがに気力も体力も尽き果てた様子で空を仰いでいる。
ランジュは少し離れたところにかがんで、所々に群生している白い花を摘んで遊んでいた。あんなので侍女として役に立っていたのか、後で関係者に聞いてみたい。
「攻撃が始まった早い段階で、シェルツェルの腹心殿が避難を促したとかで、無事に外に出ておられるよ。今あっちで避難用の天幕を作っているから、王子もそちらにお連れするべきなんだが……」
その前に水をくれ、とか口の中でごにょごにょ言っている。
「……シェルツェルは?」
「さぁ……一度は王達と一緒に避難したらしいのだが、エルディエルの攻撃の最中に姿を消して所在が判らないのだ。今黒弦の連中が探し回っているよ。城内から逃げ出した形跡はないらしいんだが」
グランは頷いて、壁に大きな穴のあいた本館に目を向けた。
後になって判る話だが、シェルツェルは一度王や妃、赤ん坊の弟王子と供に避難し、使用人達に天幕の設営を指示させている。しかし、王子を探しに行くと称してイグが宮殿に入った後、攻撃が小康状態になったときに、なにを思ったのか一人で本館に戻ったらしい。理由は判らない。ともかく『ラステイア』の力を過信していたのだろう。
本館にある謁見の間で、玉座と一緒に瓦礫に埋もれて息絶えたシェルツェルが発見されるのは、もう丸一日後の話になる。
「……そういえば、さっきは夢中であまり見ていなかったのだが、元騎士殿の近くに誰かいたのか? 剣を抜いていたようだったが」
「あ、ああ」
グランとイグの会話を一部始終聞いていたはずのカイルは、自分の住む月花宮が半壊している現実を目の当たりにして、未だ茫然自失の体である。もう少し落ち着いたら事の経過を詳しくルスティナやエスツファにも話さなければいけないのだろうが、『ラグランジュ』と『ラステイア』の事はどうするか。そのあたりはうまくぼかせるならぼかして、話のつじつまを合わせたいものだった。
それにしても、シェルツェルが『ラステイア』に望んだのはなんだったのだろう。カイルを排除するだけではなく、大国エルディエルにまでつながりを持とうとしていたのだから、この国内だけの野望ではなかったと思われる。
『ラステイア』のもたらすものは栄光の末の破滅。それも、得た栄光にふさわしい華やかな破滅。イグはそれを否定しなかった。
かつては名君ともてはやされて統治しながら、末期には暴君と化し国を荒廃させた支配者は過去にいくらでもいる。もしシェルツェルの野望が順調に果たされていたら、その野心はこの国を喰い尽くし、やがてはこの地方一帯を呑み込んでいたのかも知れない。そしていずれ来るのは、一帯の国民(くにたみ)を巻き込んだ華やかな破滅であったのかも知れない。
シェルツェルの道連れになったのが城の建物程度で済んだのは、ひょっとして不幸中の幸いというものではないのだろうか。
「あの剣、欲しかったなぁ……」
瓦礫の下、光の固まりと一緒に埋もれていったイグの剣を思い出し、グランは思わずため息をついた。
柄のほうはどうでもいい。紅い石のはめ込まれた剣身の部分、あれはたぶん、グランの持っているこの剣の柄とあわせて作られたものだ。組み合わせればきっと本来の姿になるのだ。どういう使い心地なのか、ぜひ試してみたかった……
「お馬さんですー」
花摘みに夢中になっていたランジュが、不意に立ち上がって嬉しそうに声を上げた。
半壊した建物を避けるように敷地内を迂回してきた三騎の馬が、すぐ側まで駆け寄ってきた。そのうちの二騎はルスティナとフォルツのものだ。ルスティナの馬にはアルディラが、フォルツのそれにはリオンが、最後の一騎にはエレムがそれぞれ同乗している。
「グラン!」
馬がとまるなり、アルディラが羽のように飛び降り、駆け寄ってきた。手を貸そうとしたルスティナの仕草も、目に入らなかった様子だ。
その後ろで、おたおたと馬から降りようとして転げ落ちかけたリオンの首根っこを、馬上のフォルツが捕まえてやっている。先に降りていたエレムが慌てて駆け寄り、地面に直撃しないように手助けしていた。
もちろんアルディラは、従者のそんな窮地など意に介さない。
「ごめんなさい、いくらなんでもこんな事になるなんて思わなかったの!」
噂の家出公女がいきなりグランに飛びついてきたので、周りの者は目を白黒させた。
「エルディエルの部隊に合流される前に、グランに会っておきたいとのことでな。リオン殿の法術でオルクェル将軍とも無事に話ができたので、半刻後に会合の場を設けることが決まったのだ」
力一杯抱きついてくるアルディラをどう引きはがそうか、困惑しているグランに、馬から降りてきたルスティナが簡単に説明した。
なるほど、今のアルディラは町娘の服装ではなく、出会ったときに着ていたものに戻っていた。リオンも神官の法衣だ。ちゃんと洗濯されて綺麗になっているので、リオンなど出会ったときよりも見栄えがいいくらいだ。
ルスティナはそのまま、呆然としたままのカイルの前に跪いた。
「王子、ご無事でようございました」
「ルスティナ……」
手を取られ、カイルはやっと我に返った様子だった。グランを見て、またルスティナを見るその目には、今まで見られなかった力と光が宿っていた……ような気がした。
「し、心配かけてごめ……いや、我が儘ばっかりで、みんなにこんな迷惑をかけて、すまなかった……」
言い直して頭を下げたカイルを、ルスティナが驚いたように見返した。カイルはルスティナに立ち上がるよう促すと、グランの方に体を向けた。
「グラン……グランバッシュ殿、ぼ、僕……私を、助けに来てくれて、ありがとう」
なんとか上半身だけ起こしたエスツファが、口笛でも吹きたそうな顔つきになった。面白いものを見た、とでも思っているのだろう。
逆に、王子の態度に感銘を受けたのか、心なしか目を潤ませたルスティナが今度はグランの手を取った。
「グラン、危険な中本当にありがとう。そなたの忠告のおかげで、アルディラ姫に全面的にご協力いただけた。エルディエルの部隊とも穏便に話し合いができるだろう」
「いや……まぁ……約束したしな」
自分達が誘拐犯扱いされるのが困るからだったなど、もうとても言えない。グランは曖昧に頷いたが、それを照れているとでも思ったらしく、ルスティナは柔らかく微笑んだ。
「……私たちがあなた達の所にお世話になったいきさつも、ルスティナ将軍には全部話しておいたから!」
いい雰囲気に盛り上がってきたと思ったら、グランの体に抱きついたままのアルディラが急に腕に力を込め、声を張り上げた。
「なにか難癖つける奴がいたら、私が直々にお説教に行くからいつでも呼んでちょうだい。グランは私を助けてくれたんだって、何度でも説明するわ」
「そりゃ有り難いが」
グランはわしわしとアルディラの髪を手のひらでかきまわした。軽い悲鳴を上げ、怯んだアルディラは抱きついていた腕を離す。
「これに懲りて、お前の世話係をあんまり振り回すんじゃねぇぞ」
「そ、それは」
両手で髪を整えながら、アルディラはちらりとリオンに目を向けた。少し離れ、エレムと並んで会話を聞いていたリオンが、まったくだというように頷いている。
「……リオンには、ちゃんと謝っておいたから、いいのよ」
そう言ってアルディラはぷいと顔をそむけた。つんでれか、とエスツファが呟いたような気がするが、グランには意味がよく判らなかった。
アルディラは髪を整え終えると、今度はきちんとグランに向き直った。
「それと、こんな事になってしまったけど、私のことをぎりぎりまで黙っていてくれてありがとう。二人のおかげで普段城の中ではできないこともできたし、人々の生活を見ることができて、参考になったわ。不謹慎かも知れないけど……とても楽しかった」
アルディラは少し恥ずかしそうに微笑むと、ルスティナの隣に並んだ。
「慌ただしいが、これから急ぎ、会合のための準備をせねばならぬのだ。それが一段落したら、きちんと今回のことの話をしよう」
「あ、ああ……」
「エスツファ殿は……」
一緒に来い、と言いかけたらしいが、起き上がっているのがやっとらしいエスツファは、疲れた笑顔で手を横に振った。自分を抱えて逃げてくれたのだ、というカイルの説明に、ルスティナは納得したように頷いた。
「では王子も、ご一緒に王の天幕へ。フォルツ殿、王子を頼む」
促され、グランにもう一度視線を向けてから、カイルがフォルツの馬の方に歩いていく。
「お二人には、いろいろお世話になりました」
カイルとアルディラが馬に乗り込むのを気にしつつ、リオンがいそいそと近づいてきた。
「やっぱり、エレムさんには法術の素質があったんですね。次にお会いできたら、詳しくそのときのお話を聞かせてください」
エレムはなんとも言えない顔をして頷いた。リオンはグランにも何か言いかけたが、さっさとルスティナの馬に乗ったアルディラがせかしたので、慌てて頭を下げて自分を待っている騎兵の所に走っていった。どこまでも苦労しそうだ。
グランとエレムとエスツファと、今度は摘んだ花で何か編み始めたランジュが、丘の上に残された。
崩れた建物の周りでは、ある程度役割分担が決まってきたらしい兵士と使用人達が、城内の捜索用のための物資を集めたり、救護用の天幕を作ったりと、相変わらず慌ただしい。風を利用したアルディラとエルディエル側とのやりとりはみんなに聞こえているから、解決の方向に向かっている分、彼らの表情には明るさがあった。
「それで……」
グランと並んで周りの光景を眺めていたエレムが、ふと我に返った様子で訊ねた。
「どうしてここに、ランジュがいるんですか?」
当然の質問である。
「話せば長くなるんだが……」
グランは月花宮の中でのことを思い返した。イグ=『ラステイア』のことも、エレムには話しておく必要がある。あるのだが……
「……その前に風呂に入って休みたい」
「ですね……」
瓦礫の中で走り回って、頭からなにからが砂埃にまみれて気持ちが悪い。まだやっと太陽が昇りきるかという頃合いだというのに、この数時間ですっかり疲れ切ってしまった。
「攻撃されてたのは城の建物だけで、市街は全く無事なんですよ。アルディラさん達を預けていた宿の前払い分がまだあるから、そこで休ませてもらいますか。お城の皆さんには悪いけど……」
「あ、おれも、おれも」
既に疲れたのを通り越してしまったのか、ぼんやりとランジュの様子を眺めていたエスツファが、横から声をかけてきた。
「あんたはほかの奴らと、被害の確認とかしなきゃなんねぇんじゃねぇの」
「元気な若い者(モン)がほかに頑張ってるからいいんだよ。元騎士殿がめだちすぎて、おれなんか誰も褒めてくれないんだから、今ぐらいさぼらせてくれても……」
エスツファが冗談半分本気半分な顔でぼやいていると、不意に立ち上がったランジュがエスツファの頭に、花で編んだ冠を載せた。
「おじさんはよく頑張ったので、ごほうびをあげます」
「あ? ああ……、ありがとう」
拍子抜けした様子のエスツファにランジュはにっかりと笑うと、今度はグランに近づいてきた。花冠のもう一本を、グランに両手で差し出す。
相変わらず、なにも考えてないような笑顔である。
もしグランがあの時、イグの取引に応じてカイルとランジュを見捨てていたらどうなっていたのか。目の前で起きた出来事の意味を、ランジュは判っているのかいないのか。
「……ったく、しょうがねえな」
考えるのも面倒になってきて、グランは膝をかがめて頭を低くした。ランジュは嬉しそうに、グランの頭に花冠を載せる。
その小さな体を抱き上げ、肩当てのなくなった左肩に座らせて、グランは改めて立ち上がった。エレムは目を細めて笑うと、ふらふら立ち上がろうとしているエスツファに気づいて慌てて肩を貸しに行った。
「一休みしたら、さっさとお前を返品に行ってやる」
「えー、まだ言うのですかー」
頭の上の不満そうな声が、すぐに歓声に変わった。グランの頭にしがみついたランジュの手が花冠に触れたのか、白い花びらがこぼれてきた。
煙と子供は高いところが大好きというのは、遠い時代からの普遍の真理のようだ。たとえ正体が伝説のなんとかなんて、よく判らないものだとしても。
遠くから、正午を告げる教会の鐘の音が聞こえた。誰が起こしたのでもない柔らかな風が、ほぐれた花冠の花をすくい、空に舞い上げていった。
<漆黒の傭兵と古代の太陽・了>
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