第五話 漆黒の傭兵と古代の太陽<後>

「後は私に任せてお前はもう去れ。王子と地位を失って失意に落ちる美しい女将軍に、うまく取り入るがいい」

「それも悪くない話だが」

 グランは笑った。もう、挑発のための作り笑いではない。

「あいにくと、誰かに利用されてその思惑通りに動くのは性に合わねぇんだよ。俺は、俺の力でランジュを返品に行く。お前らの都合に合わせて動いてなんかやらねぇよ」

 それは久々に、心の底からわき出るような会心の笑みだった。

 そういえば、なんの打算も計算もなく、自分の気分だけでものごとを決めるのは久しぶりな気がした。とても気持ちがいい。

「それにお前には、ボコボコにされた礼をしないとな」

「……利用しようなどと思わず、あのときに殺しておけば良かったのだな」

 言いながら、イグは目の下までを覆っていたスカーフを指で取り払った。

 ランジュは自分を連れ出した者を、「男か女かわからないがとても綺麗なひと」と言ったが、確かにその通りだった。男にも女にも属させるのをためらうほど、彫刻のように繊細で美しい顔だちだ。顔の作りだけなら、グランも負けを認めてもいいくらいだ。

 だが、美しいだけだ。

 顔を、体を形作るすべてが、ひとつの目的にそって精巧に作られた作り物だ。グランから見たら、イグは美しい石のかたまりと大差ない。グランがルスティナから感じたものを、かけらも持ってはいない。

 これが「持ち主にもっとも役に立つ姿」の具現なら、シェルツェルは本当に、目に見えるものしか見えない、自分に役に立つものにしか価値を見いださない人間なのだ。

 イグは構えも美しかった。無駄も隙もまったくない。今までもそこそこ腕の立つ者と対峙したことはあるが、イグの実力は桁違いだというのが構えだけで判る。

 でも、負けてやる気はなかった。

 グランも剣を抜いた。まともに人に向けるのは、実はこれが初めてになるが、本当に自分のために作られたかのように、柄はしっくりと手になじんだ。

 イグはグランの出方を待つような事はしなかった。文字通りイグの剣が風を斬る。速い。

 確かに速いが、見えない動きではなかった。グランは踏み込んで斬りつけてきた刃先を受け流し、斬り返した。イグがそれをはじき、横に薙ぐ。グランはそれをかわし、イグの胸元に剣先を突き入れる。ぎりぎりの距離で退いて、再びイグが剣を振り下ろす。

 傍から見ている者には、二人が舞を舞っているようにでも見えたかも知れない。刃先のぶつかり合う音が小気味よく響き、火花が周囲を彩る。さぞや美しい光景だろう。観客が子供二人というのはとてももったいない。

 遠くでまた、なにかが壊れる音がした。振動が床を揺らし、折れた塔を乗せて崩れかけた背後の天井がみしりと音を立てる。崩れかけた天井から、瓦礫のかけらがぱらぱらとこぼれて床ではじけ、見ている子ども達が体を遠ざけた気配がした。その間も、もちろん二人は動きを止めない。

 少しでも隙を見せれば即手傷につながるのに、緊張感どころか、グランは楽しくすらあった。「打てば響く」というのはこの場合おかしいのかもしれないが、これだけ自分の剣の動きに的確に対処できる者は今までほとんどいなかった。相手の動きの先の先を瞬時に判断するだけではなく、その判断に対応できるだけの身体能力が伴わなければ、実力者との斬撃の応酬など続くものではない。

 実力はほぼ五分だったろう。イグの体つきが細い分、力だけなら若干グランが上回っているかも知れない。グランが斬り込み、それを受けとめれば、攻撃の重さに圧されてイグの位置が少しづつ後ろに下がる。

 しかしそのたびに、グランの胸をめがけて素早く切っ先が返され、頬のすぐ横で風が鳴り、今度はグランが退かされる。踊りのように位置は入れ替わるが、なかなか力だけでは壁際に追い詰めるのも難しい。

 延々とこんなことをしているわけにはいかなかった。続ければ続けるだけ息が上がり、体力は消耗する。集中力も切れる。もちろんそれはイグも同じのはずだが、決め手に欠けた状態のまま持久戦に持ち込むよりは、小さくてもなにかひとつ明らかな差をつけて、相手の消耗を早めたい。

 グランは今までよりも幾分切っ先を上げ、勢いをつけて踏み込んだ。はじきながら受け流す流れを利用したイグの剣が、グランの左肩に向かって鋭く伸びる。グランは退かず、少しだけ体の左側を反らして、そのまま右手で自分の剣を押し込んだ。イグの左肩に。

 同時に、自分の左肩にも衝撃がきた。グランの肩当てに、イグの剣が耳障りな音を立てて食い込んだ。一方で、グランの剣の切っ先がイグの左肩の布を斬り、刃がその下の皮膚を、肉を裂いた。

 イグは悲鳴も上げなかった。二人は踏み込む勢いを殺さずにそのまま互いの位置を入れ替え、すぐに向き直った。

「……さすが『ラグランジュ』の主、か。私に傷をつけるとは」

 表情は変わらない。右手の剣の先はグランに向けられたままだ。だが明らかに、痛みを堪えるように息を荒げ、イグはグランを見据えた。冷たい炎を宿した瞳がグランを映す。……笑っている?

 グランは息を飲んだ。

 切り裂いた左肩から見える傷口は、血を流してはいなかった。割けた皮膚の間からこぼれているのは、赤みがかった乳白色の光だった。光は粘度のある液体のような動きで、傷口からあふれそうにふくれつつもこぼれ出ることもなく、裂け目のなかで蠢いている。

「ただの人間が、『ラグランジュ』の存在に干渉することはできないと教えたではないか。そして私は『ラグランジュ』と対をなす者」

 イグはそっと自分の左手で、左肩の傷口を覆った。傷口からこぼれそうでこぼれない光を手のひらで包み込み、押し戻すように撫でる。そして手が離れると、裂けた服の下に見える皮膚は、傷ついたことすら幻のようになめらかになっていた。

 グランはぱっくりと割れた肩当てを、留め具ごと放り捨てた。剣を握りなおす。イグが呆れたように形の良い眉をひそめた。

「まだやる気か? 無駄だというのが見て判っただろう。私の提案を呑み、二人を置いて戻るがいい。お前が口をつぐむなら、私もお前の不利益になることはせぬ」

「……うるせえな」

 確かに傷を与えても、この早さで修復されてしまうのは確実に不利だ。

 しかし、今のが全く無駄だったとはグランには思えなかった。

 イグは痛みを感じていた。痛覚は自分の体への警告だ。傷を受けることがイグにとって全く無意味なことなら、傷をつけられたことに気付く必要もないのだ。

「その耳は飾りなのか? お前らの都合のいいように動くこと自体が、俺にとって不利益なんだよ。何回も言わせるんじゃねぇよ」

 もう同じ手は使えない。今の一手でどれくらい消耗させられたかも判らない。修復させる余裕を与えずに、イグに連続して傷を負わせるのも難しいだろう。しかし可能性が全くないとはグランには思えない。

 あきらめる気には、ならなかった。

 この時間は鳴るはずのない教会の鐘の音が、風に乗って遠くからはっきりと聞こえた。それを合図にするように、グランは改めて剣を握り、構えなおした。イグが冷たい笑みを見せた、それと同時だった。

『……ルクェル将軍、ルキルア城への攻撃の、即時中止を命令します。私はエルディエル大公家の正当なる公女アルディラ……』

 風が鐘の音の次に届けたのは、グランには聞き覚えのある声だった。

『……たしは自分の意思によって、旅の隊列を抜け出しました。誰に強要されたわけでもなく、今まで誰かに監禁されていた事実もありません』

 イグが動揺した様子で、声の主を捜すように視線を動かした。

『そもそもの非は私にあります。まったく無関係なルキルア王家の方々へ、これ以上の非礼は許しません。私が城に囚われていると嘘をつきルキルア城への攻撃をそそのかしたのは、カイル王子を失脚させるための、逆臣シェルツェルによる策謀です。エルディエル軍には即刻攻撃の中止を命令します。繰り返します……』

「どうやら、ここでカイルが自害する理由は無くなったみたいだな」

 グランは思わず口元に笑みを浮かべた。反対に、表情の硬くなったイグが、言葉の代わりに剣を突き出し踏み込んでこようとした、その時、

 轟音が響いた。

 それは意図したものなのか、公女の声に動揺した法術師が狙いを誤ったものなのか。それまでまったく攻撃の対象になっていなかった王の宮殿の、中央にそびえる尖塔の頭が吹き飛んで、本館の壁にぶち当たった音だった。塔の先端はしばらく壁に食い込んだ後、自分の重さで壁から抜け落ち、宮殿につながる渡り廊下の一部を押しつぶした。

 グランに向けて踏み込もうとする姿勢のまま、イグが体を硬直させた。

 なにかの誘いかと思い警戒したが、そうではなかった。突然、イグの髪の先が、指先が、鱗粉のように淡い光を放ち始めたのだ。

 淡い紅色の光の粒が、薄い霧のようにイグの全身から放たれる。なにも知らない者が見たら、いや、今まで目の前で対峙していたグランが見ても、それは場違いなほど神秘的な光景だった。イグを構成していたものが、細やかな光に形を変えて周囲に溶け出そうとしているのだ。

「まさかそんな……シェルツェル様?!」

 今までの冷たく静かなイグの、その同じ口から出たとは思えないほど悲痛な声だった。

「私が始末をつけるまで動いてはいけないと、あれほど固く言ったのに……」

 グランはすぐに理解した。ランジュは言っていたではないか、『ラグランジュの所有権は、所有者が望みを叶えるか、生命が失われるまで有効』なのだと。それが『ラステイア』にもあてはまるなら。

 今の本館への衝撃で、シェルツェル自身になにかがあったのだ。

「まだ目的は成っていないのに……お前か! またお前なのか!」

 全身を包む美しい輝きの中で、絶望そのものの色をしたイグの瞳が貫いたのは、グランではなかった。崩れた瓦礫の陰で、ランジュが初めて、怯えたようにカイルの背に隠れた。

 霧のように放たれていた光は、いつしか人の形をした光の固まりになっていた。粘りけのある液体のような動きの光が、少しづつ少しづつ小さくなっていくのが判る。イグの手にあった剣が、支えるものを失って床に落ちた。

 グランはそれを拾おうと、思わず手を伸ばそうとした。

 いきなり、ほぼ頭上とも言える距離で轟音が響いた。今度こそ立っていられないような振動が床を波打たせる。

 イグであったもののほぼ真上の天井がひしゃげ、乗せていた塔の重さに耐えかねた回廊の柱が半分に折れて、屋根の一部と一緒に中庭に吹き飛んだ。

 吹き飛ばなかった瓦礫はそのまま、光の固まりの上に降り注ぐ。砂煙と細かな瓦礫が波のように広がりながら飛んできて、身をかがめて揺れに耐えていたグランは腕で顔を覆った。

「……王子! 元騎士殿!」

 轟音と砂煙の隙間を縫って、聞き覚えのある声が耳に届いた。ランジュとカイルが隠れている瓦礫の小山の、更に向こうから、エスツファが駆けてくるのが判った。

「まだ北の塔の階段が使える、こちらに!」

 エスツファはそう言いながら、呆然としたままのカイルを肩にかつぎ、ランジュを左腕ですくい上げた。グランは数歩あとずさり、すぐに身を翻した。

 エスツファの背中を追いながら、グランは一度だけ肩越しに振り返った。崩れ落ちる瓦礫の下で、赤く大きな光の筋が伸び、すぐに埋もれて見えなくなった。

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