第六話 捜し物、拾い物<中>
指定された廃村にグランがたどり着いたのは、太陽が中天から降り始めてしばらく経った頃だった。
昔は鉱山関係者で賑わっていた所なので、それなりに広い。山間部で土地全体に高低差があり、入り口から一目で全体を見渡すわけにはいかなかった。
村はほとんどの建物が、風化で崩れ落ちている。かつて家だったもの、店だったもの、井戸だったもの、厩だったものが、それなりの洞察力を働かせれば判る程度に面影を残しているだけで、村全体は既に無に還る準備を始めているようだった。
それでも、形だけは綺麗に残っている古代人の遺跡よりも、かつて人が暮らしていた面影がありありと感じられた。
一人、村の入り口に立ったグランは、少しの間周囲の様子を伺っていた。
それなりに広さのあるこの村の、自分はどこに行けばいいのか。闇雲に歩いて体力を消耗するのは、今は避けたかった。
だがふと見れば、村の入り口から、更に奥へと続く道の上に、目立つように大きな矢印がつけられている。木の枝のようなものでつい最近掘ったらしく、かなりくっきりと見えた。
普通に考えれば、これはグランを誘導するために賊が書き付けたものだろう。グランはその矢印の前で立ち止まり、後ろを離れてついてきているリオンにも判るように大げさに肩をすくめ、また歩き出した。
そこは村の大通りだったのだろう。しばらく歩いて十字路に行くと、また大きな矢印が書いてある。それを三回ほど繰り返したところで、村の奥まった場所に、ひとつだけ、大きくて立派な石造りの三階建ての建物が、ほぼ完全な形で残っているのが見えてきた。
どうやら役場の跡のようだ。手入れを放棄されて久しい外塀は荒れて、組み上げた石が所々崩れている。石造りの建物は外壁に苔が生え、這ったままの蔦が枯れていた。これが木造の建物だったら、とうに朽ち果てて形など残っていなかったに違いない。
ふと立ち止まって見上げると、その建物の屋上で、顔をのぞかせてこちらを伺っている人影が見えた。やはり、グランを呼び出した者たちは、あの建物で待っているらしい。
こちらが気付いたことに向こうも気が付いたらしく、人影はすぐに屋上から引っ込んだ。仲間に知らせにいったのだろう。
とりあえず、上から飛び道具でねらい撃ちということもなさそうだ。グランはひとつ息をついて、また歩き出した。
建物は石造りでも、窓や玄関の扉はそうではない。窓にはめ込まれていたはずの木枠やガラスはもう形をなくし、全部がぽっかりと黒く口を開けている。正面の扉は朽ちたところを更に人の手で破られたらしく、ほとんど全開状態だった。
物陰に隠れて不意打ちを狙ってくる奴もいるかと、グランもそれなりに警戒はしていたのだが、建物の周囲に人の気配はなかった。向こうはきっと、少数でかかって逆に各個撃破されるのを恐れているのだろう。人質を盾に、グランの動きを封じたところで大勢で、とでも考えているのだろうか。とても判りやすい。
玄関前の階段を少し上ると、中に人の気配が感じられた。だが、明るい外からは建物の中は見通すことが出来ない。
どうせここまで来れば、こちらの姿は中から丸見えだろう。入り口のそばにも人の気配がはなかったので、グランは特に動きを緩めず、朽ちた扉を乗り越えて建物の中に入った。
入ってすぐの場所は、ちょっとした広間になっていた。立ち止まると、暗さに慣れていないグランの目にも、広間の奥に続く扉の前に、三つの人影が立っているのが見えた。広間の両脇には、廊下に続く扉のない出入り口があったが、そちらにまでは彼らの仲間はいないようだ。
目が慣れていないので、まだはっきりと相手の顔や服装まで見ることが出来ないが、緊張してこちらを伺っているのは察せられた。グランの出方を待っているのだろう。
しかしこういう場合、どういう態度を取ってやればよいのだろうか。
『娘はどこだ!』などと、
「に、逃げ出さずによく来たな!」
グランがいつまで経ってもなにも言わないので、逆に不安になったらしい。人影の一人が声を張り上げた。
脅すならもっと近くに寄ってくればいいのに、広間の端から端に向けて叫んでいるのが間が抜けている。呼び出してみたはいいが、いざグランが目の前に来たら、腰が引けてしまったのだろうか。
面倒だが、リオンのこともあるから、それなりに相手をしてやらなければいけない。仕方なくグランは、暗さに慣れてきた目で三人を見返した。
「……娘は?」
グランはやっと、彼らの期待通りの言葉を口にしたらしい。待ってましたとばかりに、三人がにやりと笑ったのが見えた。
「大事にお預かりしてるよ。無事に帰れるかはお前次第だがな」
別に『無事か?』などとは聞いていないのだが、きっと事前に打ち合わせていた連中なりの段取りがあるのだろう。三人が中央の扉の脇によけると、奥で出番を待っていたらしい人影が、ゆっくりと広間に入ってきた。
鶏冠のような髪型をした、割に背の低い男だ。右手には抜き身のナイフを持ち、左腕には後ろ手に縛られた小柄な娘を抱えている。
娘はあまり弱っているようには見えなかったが、喋れないように口元に布を巻かれているので、顔立ちまではっきり判らない。それでも確かに服装や髪型、耳元の飾り石などは、ぱっと見た感じランジュに似ている……ような気もする。
そういえばあの鶏冠頭も、どこかで見たような気がしないでもないのだが、ああいう古典的なちんぴらはどこにでもいるので、いつどこで関わったかよく思い出せない。
彼らとしてはグランに、「お前はあの時の!」とでも反応して欲しいのだろうが、思いあたらないのでどうしようもなかった。
いや先に、娘の姿を見て「大丈夫か?!」なんて動揺してやればよいのだろうか? 駆け寄ろうという素振りでも見せて、連中に「動くな!」とでも言わせてやるべきなのか。なにぶん人質を取られて躊躇した経験がないので、こういう時にどうするものなのか、グランにはさっぱり思いつかない。
「……お前にはいろいろ世話になったからな」
いつまでも動かないグランに焦れたらしく、鶏冠頭が声を張り上げた。
「さっさと剣を捨てろ! 知り合いに会っても誰か判らないくらいに顔を変えてやるから覚悟しろ!」
痛めつけてやるとか、ボコボコにしてやるというのを、鶏冠頭なりに上品に表現したようだ。こちらの見た目が変わったって、自分の顔がよくなるわけでもないだろうに、男のひがみとは哀れなものだ。
鶏冠頭の台詞にあわせて、ほかの三人がゆっくりと広間の中程までに近づいてきた。それぞれ、棒きれや粗悪な剣やらを持ってはいるのだが、それ以上近づいてこない。グランが剣を抜きもしなければ、逆に捨てるような素振りも見せずに立ったままだからだろう。
「はやく剣を捨てろ、娘がどうなってもいいのか?!」
焦った様子の鶏冠頭が、右手のナイフを大げさにひらめかせ、娘の顔前に突きつけた。さすがに娘が怯えた様子で身を引こうとする。
武器を持った三人が、鶏冠頭から離れたから、そろそろ頃合いだろう。グランは肩をすくめ、わざとらしく声を張り上げた。
「お前ら、俺がなんの準備もしないで、ここまで来たとでも思ってんの?」
「なに?!」
グランの言葉を待っていたかのように、右側の通路に続く出入り口から、大きな風が吹き込んできた。グランはすぐに、大げさにその方向に顔を向けた。
突風と言うほどではないが、髪や服をなびかせる程度の強さはある風だ。それが砂埃や枯れ葉をこれ見よがしに巻き込んで吹き込んでくる。
とても偶然に起きた自然現象と思えず、武器を持った三人は動揺した様子でそちらに向けて身構えた。彼らの注意がお留守になった左側の出入り口から、白い影が飛び込んできたのは、それとほぼ同時だった。
風の音に邪魔されて、足音に気付くのも遅れたのだろう。はっとした様子で鶏冠頭が振り返った時には、エレムはもう至近距離まで肉薄していた。
薄暗い部屋の中、エレムの白い法衣は余計に目立つ。明らかに味方ではない存在に駆け寄られ、鶏冠頭は反射的に、持っていた短剣をその方向に振りかざそうとした。娘を抱えているので動きは遅い。
エレムはその動きにあわせて右肩を引いて短剣を受け流し、そのまま右手で鶏冠頭の右手首をつかんだ。腕を背中側にねじりながら背後に回り込む。鶏冠頭の手から短剣が外れて床に落ちた。
エレムは力を緩めることなく、背後から回した左手で男の喉を大きく掴んだ。
「右腕が折れるのと、喉が潰れるのではどちらがお好みですか?」
「え、あ、ま、まっ……」
「どちらも嫌なら、まず彼女を離すことをお勧めします」
言葉は穏やかだが、喉と右腕を押さえつけられ、鶏冠頭は全く体を動かすことができない。エレムが、首を掴んだ手に少し力を込めたら、怯えた様子で娘を抱えていた腕を緩めた。娘は慌てた様子で腕を振り払い、鶏冠頭から数歩ほど体を遠ざけた所で、足をもつれさせて座り込んだ。
「賢明な判断だと思います」
声と顔だけなら、心から褒めているように優しく、エレムが微笑んだ。仲間に助けを求めようと鶏冠頭が視線を前に向ければ、
彼が取り押さえられるまでの間に、既にちんぴら三人は床に沈んでいた。
床に這うように倒れている三人を、奪い取った木の棒でグランがつついている。まるで勝手に三人が倒れたとでも言い出しそうな、涼しい顔だ。
「ひ、一人で来いと言ったのに……」
広間の中で無事に立っているのは、グランとエレムと、エレムに押さえつけられた鶏冠頭だけになった。震える声で抗議する鶏冠頭に、グランは心外そうに片眉を動かした。
「俺はずっと一人で来たぞ?」
「そうですよ。僕は距離を置いて後ろを歩いてきただけです」
澄ました顔でエレムが答える。床に伸びた三人が完全に気を失っているのを確認すると、グランは木の棒を放り捨てた。つかつかと鶏冠頭に歩み寄り、胸元を掴んで顔を寄せる。鶏冠頭は短い悲鳴を上げた
「で? 俺をどうしてくれるつもりだったんだっけ?」
「そ、それは……」
「顔がどうとか言ってたような気がするなぁ?」
鶏冠頭は引きつった顔で、グランから少しでも体を離そうとしている。グランは目を細め、口元を歪めて見せた。鶏冠頭が愛想笑い浮かべた。
同時にグランは腕を振り上げ、鶏冠頭の首元を打ち据えた。
蛙とも鶩(アヒル)ともつかない声を上げて、鶏冠頭は床にひっくり返り、白目をむいて動かなくなった。両手の埃を払うグランに、
「どっちが悪役か判りませんね」
「ほっとけ」
「リオンくん、もうよさそうですよ」
「アルディラ様!」
陽動で風を起こす以外は、ずっと物陰で待っていたリオンが、転げるように飛び出してきた。へたり込んだまま呆然としていた娘が、間延びした動きで顔を向ける。
焦りすぎて逆に無駄の多い動きで、リオンはなんとか娘の口に噛まされた布と手首の縄を外し、彼女の顔をのぞき込んだ。
「お怪我はないですか?! 連中に品のない扱いを受けてはいないですか?! 痛いところは?!」
座り込んだアルディラは、ぼんやりとリオンの顔を見返した。
こうして見ると、確かにランジュに似ていると言えば似ている。肩口で切りそろえた髪もそうだが、顔かたちの印象がぱっと見た感じかなり近い。あと何歳分かランジュが成長したら、あんな感じになるのかも知れない。あれが成長するかどうかは謎だが。
それでもグランから見たら、ランジュもこのアルディラも、どちらも子供に分類されることに変わりはなかった。考えてみれば、リオンの母親が乳母でリオンが遊び相手だったというなら、年もリオンとそんなに違わないわけで、もちろん色気もなにもあったものではない。
「リオン……?」
何度かの瞬きのあと、アルディラの目の焦点がはっきり定まった……と思った瞬間。
アルディラが振りかざした平手が、リオンの頬で乾いた音を立てた。さすがにグランとエレムも目を丸くする。
「今までなにやってたのよっ!」
命をかける思いで助けに来た姫君から鋭い叱咤を受け、今度はリオンが呆然となった。
「丸一日、私一人放ったらかしでどこでなにしてたのよ!」
「あ……はぃ」
「あなたってば地面に転がったまま動かなくなっちゃうし、あいつらはガラは悪いし酒臭いし、私……私……」
ひっぱたかれた頬を押さえるのも忘れたままのリオンに、そこまで勢いよくたたみ掛けると、アルディラは急に声を詰まらせた。リオンをにらみ付けていた大きな瞳に、みるみる涙がたまっていく。
「死んじゃったんじゃないかって、ずっと心配してたんだから!」
姫君は一息にそういうと、リオンの首にしがみついて今度は大声でわんわん泣き始めた。
リオンは固まっている。
あっけにとられてそれを眺めていたグランに、エレムがやれやれといった笑みを見せた。
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