第四話 返品の意義

 診療所と教堂が入った建物とは中庭を挟んで反対側にある、奉仕者宿舎の一階が食堂になっていた。少し時間が遅くなったせいか、ほかに食事をとっている者はいなかった。役目に応じて食事の時間もそれぞれ決まっているという。

「会った早々、慌ただしいことになって悪かったわね」

 自分達の神に簡単な感謝を捧げてから、ラムウェジは自分の向かい側に座ったグランに話しかけた。ラムウェジとエレムの間に挟まれて座っているランジュは、やっと食べてもいい空気になったのが判ったらしく、握った匙(スプーン)で一生懸命スープを口に運んでいる。

「私は普段から、各地の教区司祭と法術師の指導をするために、こうやって各地を廻ってるの。法術は第一に素質だけど、努力と経験で伸び方が変わってくるからね」

「偉い奴が自分で出向くのか? そういうのって、各地から教えを請いに人が集まってくるもんじゃねぇの?」

「教会内で偉いも偉くないもないよ」

 グランの問いに、ラムウェジは小さく笑みを浮かべた。

「力のある法術師が一カ所に留まってると、法術の恩恵を受けられる人が限られてくるじゃない。身体的にもそうだけど、経済的にも力のない人は、遠くに出向くことは難しいでしょ」

「ああ」

「一カ所で指導してたら、教会内の人材も偏っちゃうしね。だからある程度以上の経験を積んで、ふさわしいと判断された神官は、巡検官の任をもらったりするの」

「ふうん……」

 言われてグランはエレムに目を向けたが、それ以上は特になにも言わずに千切ったパンを口に放り込んだ。

「せっかく南西地区にいるから、エルディエル大公にご挨拶に行く予定だったんだけど、まさかこんなところであなたたちに会えると思わなかったわ。最後に聞いた話だと、北西地区のキャサハ近辺にいたはずよね? 馬車を使ってきたにしても移動が早すぎない? どうしたの?」

「あの、それが……」

 エレムとグランの視線が無意識に、パンをかじるランジュに移る。ラムウェジはその様子を見て、なるほどという様子で小さく頷いた。

「やっぱり、この子に関係があるんだ? ふたりとも、どこからこんなモノを見つけてきたの?」

「どこからって、……モノ?」

 確かにランジュは、さびた剣身が化けたものだが、今はごく普通の子どもにしか見えない。

 揃って動きを止めたグランとエレムを少しの間黙って眺めると、ラムウェジは幸せそうな顔でパンを噛みしめているランジュに、穏やかに微笑んだ。

「こういうモノに見込まれるなんて、エレムも面白い人と知り合ったもんだよね」

「こういうモノって……、あんた、こいつがなんだか判ってるのか?」

「さっき自分で『ラグランジュ』だって言ったよ? ねー?」

「言いましたー」

 ちょうど噛んでいたパンを呑み込んだところだったらしく、黙々と食べていたランジュがラムウェジの言葉ににっこりと笑った。

「いや、だからって」

「グランさんの剣の柄にある文字」

 ランジュの口もとについたパンくずを取ってやりながら、ラムウェジは続けた。

「それ、古代文字の一種だよ。古代文明が確立する前から存在してたと考えられてる文字で、区別のために『神代(しんだい)文字』って呼ばれてる」

「そうなんですか?」

「神官学校で教える古代語の中には含まれてないから、エレムはまだ知らないよね。神代文字はそれ自体に魔力を宿すっていわれるくらいで、今も表だって公開されてないのよ。レマイナ教会でも、読めて意味が判るほど理解できる人は、一握りしかいないわ」

 それが読めるといういうことは、ラムウェジも『一握り』に入っているのだろう。さすがに驚いた様子で、エレムはラムウェジとグランとを見比べた。

「そんなすごいものなんですか? じゃあその剣の柄に彫られている文字にも、なにか古代の魔力が込められていたり?」

「んー? 書かれてるのはただの単語だよ」

 ラムウェジはなんのありがたみもなく、あっさりと答えた。

「文字自体に特別な力は感じない。たぶん、その剣の名前なんじゃないかな」

「名前?」

「『寄り添いし者』って書かれてる」

 グランは腰に帯いた剣を思わず見下ろした。暗く輝く剣の柄に彫り込まれた、不思議な文字。

「もちろんその文字とは別に、剣そのものになんらかの力が宿ってるような気はする。でもそれがなんなのかまでは、私には判らないな。私に判るのは、その柄の石と、ランジュちゃんの耳飾りが同じなのが、偶然じゃなさそうってことくらい。その剣と、この子と、あなたたちがいきなりこんな所に現れたことは、なにか関係があるんじゃないの?」

 グランとエレムは顔を見あわせた。グランが頷いたので、エレムは気持ち居住まいを正し、ラムウェジに顔と体を向けた。



「……一ヶ月近く同じ町に滞在してたのは、そういうことだったんだ」

 エレムからの説明を聞き終えると、ラムウェジは納得した様子で大きく頷いた。

 食べ終えて満足したランジュは、今度は中庭に出たそうな顔をしていたが、診療所の待合所にあったおもちゃをいくつか与えられたら、おとなしく床で遊び始めた。

「地元の教会の話だと、古代文字と遺跡に関する本を大量に寄贈していったっていうし、なにか面白そうなことに関わってるのかなとは思ってたんだ」

「途中までは面白かったけどな」

 グランは幾分げんなりした気分で答えた。

 遺跡に行って、あの『星の天蓋』の部屋から次の部屋に飛ばされた、あのあたりまでは確かに面白かった。万一『ラグランジュ』が見つかっても、そのまま置いて帰ってくればいいと思っていた。

 まさか『ラグランジュ』自体が意思を持って、自分にくっついてこようとは思わなかったのだ。

「だって、『「ラグランジュ」が選びし者が』って書いてあったの、判ってたんでしょ?」

「そりゃそうだけど」

「グランさんが剣を手に持ったときに光の文字が現れたんだから、明らかに『グランさんに資格があるよ』って教えてたわけじゃない? 向こうだってまさか、『見つけるまでの謎解きが目的で、モノそのものはいらない』って考える人がいるとは、思ってなかったんでしょうね」

 ラムウェジは呆れたようにグランを見た。その横でエレムが、いくらか肩身が狭そうに身を縮めた。

 グランがあの剣をどうするにしても、光の文字の内容をきちんと調べてからの方がいいと勧めたのは、エレムだった。

「別に、お前のせいだとは思ってねぇよ。あの遺跡まで行くって決めたのは、俺だからな」

「そうそう、なるべくしてこうなったんだから、エレムが気にすることじゃないわ」

「……あんたに改めて言われると、なんかむかつくな」

「真実って耳に痛いものだからねー」

 ラムウェジはもっともらしい顔で頷いた。エレムがなんとも言えない笑みを浮かべる。

 グランは少しむっとした様子を見せたものの、

「でも、なんで俺なんだろうな?」

 床で寝そべって絵合わせをしているランジュに、なんとなく視線を向けた。

「もっとマシな目的で、『ラグランジュ』を探してる奴らって山ほどいると思うけどな。俺の所に来たって、ただ返品されるだけってのも判ってたみたいなのに、なんかいいことがあるのか?」

「さぁ、……きっと『ラグランジュ』にしてみれば相応の理由があるんでしょうけど」

 そう言うと、ラムウェジは自分で自分の言葉に納得したように、小さく頷いた。

「そうよね。持ち主の願いをかなえることで、『ラグランジュ』側にも益になることがあるんだわ。その目的に沿って、持ち主が選ばれているっていうのは、あり得る話よね」

「返品されることで、得られる益ねぇ……」

 思わせぶりな餌であの遺跡まで獲物……ではなく持ち主に選んだ者を招き寄せ、その後まったく離れた場所に放り出す。最終的に返品が可能だとして、ここから返品完了までの過程が、『ラグランジュ』にとって重要なことだとでもいうのだろうか。

「……で、どうするの? これから」

「どうするって、いつまでもこんなガキ抱えて、ふらふらしてるわけにもいかないし、さっさと拾ったところにこいつを返しに行くさ」

 グランは肩をすくめた。

「『ラグランジュ』が持ち主の願いを必ず叶えるっていうなら、『返品』するのは可能なんだろうからな」

「なんか……、どんな願いだって叶うっていわれてるのに、迷わず『いらない、返品だ』なんてほんと面白いひとなのねぇ」

 ラムウェジは本心から感心した様子でそう言うと、視線をエレムに向けた。

「あなたはどうするの?」

「乗りかかった船ですから、僕も同行させていただいて、『返品』が完了するのを見届けてこようかと思います」

 エレムは穏やかに答えた。

「それにランジュはどう見ても、普通の女の子にしか思えないんです。グランさんが、こんな小さい子をまともに面倒見られるとは思えません」

「それはそうね」

 その辺はグランも否定しない。その場の誰も、グランがまめまめしく子どもの面倒を見る光景は想像できなかった。

「それに、調べてみた方がいいって勧めたのも自分ですからね。気に病んでいるわけではないですけど、『ラグランジュ』の影響でどういう風に物事がすすむのかも興味があります」

「ま、エレムがそうしたいなら、いいと思うわ。グランさんも、エレムがついていった方が自分の負担が少なくて済むって思ってそうだし」

「まぁな」

 グランが悪びれもせずに答えたので、エレムは苦笑いを浮かべた。

「ただ、ここのあたりから北東地区まで戻るとなると、子ども連れじゃ相当かかるし、いろんな国も超えなきゃいけないよね。ランジュちゃんとの関係を説明できるものがないと、男二人で連れ歩いてたら、場所によっては不審に思われて、誘拐と勘違いされるようなこともありそうね」

「ああ……そうかも知れませんね」

 確かに、それは今後ありえないことではなかった。この町に入る時も、もしグラン一人でランジュを連れ歩いていたら、絶対に検問で止められていたはずだ。

「ランジュちゃんに関しては、なにかあったら各地のレマイナ教会で身元を保証できるように手配しましょう。保証人には私がなるわ。グランさんは私からの依頼で、ランジュちゃんを遠方の血縁のいる町に送り届けている途中だ、なんて感じで説明できるように取りはからってあげる」

「そんなことができるのか?」

「その程度のわがままなら、なんとでもなるのよ。私一応、教会内で屈指の法術師ってことになってるし。ただ、通達を回す手配に何日かかかると思うけど、そんなに急がないわよね?」

「まぁ、今更じたばたしたってしょうがねぇし」

 今後、問題なく移動できるように手配してくれるというなら、ここで数日足止めされてもたいしたことではない。

 グランは、床で遊んでいるランジュに目を向けた。ランジュは聞こえているのかいないのか、絵合わせを完成させた後は、寝そべって機嫌よさそうに絵本を眺めていた。

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