1.22〈繋がり行く鼓動〉
「ふぇぇ……さっちゃ~ん、もえちゃ~ん」
しゃぼんの中、早苗と
バランスを取るために図らずも身を寄せ合うようになっていた二人は、問答無用でタックルを決められ、また転がる。
今度は芽衣も加えて3人となった彼女たちは、今まで以上にバランスをとれなくなり、ぽよんぽよんと転げまわった。
「ちょ……! 芽衣! 落ち着きなさい!」
「ふぇ……ふぇぇ……なんですかこれぇ」
「……ぷっ! あははっ! ほんと、なにこれ!」
先ほどまで大喧嘩をしていたはずの萌花がたまらず吹き出し、とりあえず3人で固まらずに、手を繋いで大きく床に広がって寝ころぶように提案する。
美しいドレスを纏ったままぺたんと地面に伏せ、それでもくすくすと笑い続ける萌花をよそに、接地面積の増えたしゃぼんは安定し、やがてグミのような形でぷるんとひと揺れすると動きを止めた。
「……はー、止まりましたぁ」
「急に動いたらまた転がっちゃうかもしれないから注意よ」
「うん」
地面に寝転がったまま、萌花は頷く。
繋いだ手をぎゅっと強く握り直し、彼女は口の端に笑みを登らせ、大きく息を吐いた。
「……なによ」
「うん? なにって……早苗も芽衣も、ウィルスで別人みたいになっちゃったのかなって心配してたんだよ。変わってなくて安心した」
「なんですか? ウィルスって?」
一人事態を呑み込めていない様子の芽衣をよそに、早苗はぷいっと顔をそむけると、少し頬を赤くして「そんなに簡単に変わるわけないじゃない」とつぶやく。
ふふっと小さく笑った萌花は「だよね」と返事を返し、もう一度握る手に力を込めてからゆっくりと体を起こした。
「あ、エリック!」
一緒に体を起こした芽衣が、少し離れた場所から放たれるレーザーを見てうれしそうな声を出す。
思わずレーザーの放たれた先を目で追った萌花と早苗は、その先の空中にそれぞれの想い人の姿を見出し、同時に手を放した。
「シユウ!」
「ケンタさん!」
ケンタの蹴りで吹き飛ぶシユウと、その反動を使ってレーザーをかわしたケンタ。
そのケンタを狙って、何発かの追撃のレーザーが放たれた。
ケンタはなんとか空中でそれをかわし、その隙に傷を負ったシユウは呪文で姿を消す。
砲台となって同じ場所か何度も射撃をしたエリックは、ボット討伐部隊の狙撃手たちに場所を特定され、集中攻撃を食らった。
それでもベリル・スマグナのシールドでそれを簡単に防いだエリックは場所を移動する。
その間に何故か高速で落下し始めたケンタにもう一度照準を合わせると、エリックは引き金に指をかけた。
「ケンタさん危ない! だれか! だれか助けて!」
萌花はしゃぼんの中からケンタの方へ手を伸ばす。
しかし、当然そこから手が届く訳もなく、しゃぼんがぶるんと揺れただけだった。
見つめる萌花たちの目の前で、全てはスローモーションのように動き出す。
エリックの指が少しだけ動き、小さな
ケンタの背後に姿を現したシユウが両手に金と銀のガントレットを輝かせて強力な呪文を紡ぎだす。
レーザーと呪文、その双方に別々の角度から狙われたケンタは、
萌花の悲鳴が辺りに響き、彼女の身に着けていた真紅のピアスがそれに呼応するように光を放つ。
――ドクンッ。
萌花は、自分の胸の中の鼓動が、だれかと
討伐部隊とボットと[創世の9英雄]、そしてボットに魅入られた少女たち全てが見つめる中、一本の線として大気を割ったレーザーが、ケンタの目の前で赤い炎とともに2本に分かれる。
あつもりのレビテーションが復活し、その場に浮いたケンタが見たのは、またも黒い短髪の男。
炎を纏った剣でレーザーを断ち割ったその男は、返す刀でシユウが空中に描いたとどめの魔方陣をも一刀両断した。
「向こうは任せてもらって構わない」
ケンタに向けて機械的にそう告げると、バチッと言う衝撃音とともにその男は姿を消す。その男の居た場所の向こう側には、今まさに姿を消した男と全く同じ顔に、最強の呪文を打ち消された衝撃の表情を浮かべたシユウが呆然とたたずんでいた。
次のレーザーを放とうと照準を定めるエリックの背後で空気の切り裂かれるような音が響く。
ベリル・スマグナをぐるんと回し、後ろを向いた彼のシールドに、炎を纏った剣が打ち下ろされた。
「瞬間移動か。このボット用特殊防壁のエリア内でどうやって?」
落ち着いて質問するエリックを無視して、同じ顔をした男が剣をぐいっと押し出す。
刀身の炎がゴウッと渦を巻き、エリックの背後の石壁を炭化させた。
「あ! シュウさん?!」
「エリック!」
「あれは[レアリティ8]七炎剣フレイムブレイザーね」
萌花たちが三者三様の声を上げる。
一瞬ののち、炎は押し返されるように立ち上がり、そこから無傷のエリックが姿を現した。
エリックはシュウさんこと[シユウ72]から目を離さないまま、「芽衣、大丈夫だ心配ない」とつぶやく。
シユウ72は剣を八双に構え直し、ゆっくりと萌花に視線を向けた。
「あの男は危機を脱した。次の指示はあるか? 萌花」
「え? 私?」
予期せぬ本日二度目のボットから名前を呼ばれる事態に、萌花の思考は停止する。
その場にいた全員の視線が自分に注がれているのも痛いほど感じている。頭上はるか上空から、再開されたケンタとシユウの戦いの爆発音が周囲に響いて来ていた。
「え……っと、ここから出たい……かな」
「了解。少し下がれ」
よく考えもせずに思わず言ってしまった萌花の言葉に即座に反応し、シユウ72はエリックに向けていた剣を無造作に下ろしてインベントリへと収納する。
本来なら剣を扱う
無視される形になったエリックがどうしたものかと見つめている目の前で、シユウ72は何度もしゃぼんへと拳を打ち下ろす。
その拳はしゃぼんと接すると、その場に30cmほどの円形の魔方陣を展開し、大量の硬貨をまき散らしたような音をたてた。
7度目。打ち下ろした拳の周囲が振動し、しゃぼんの表面を円形の衝撃波が何重もの輪になって広がる。
その輪は複雑にしゃぼんを覆い尽くし、ついには「ぱしゃん」と言う水風船の割れるような音をたてて、しゃぼんとともに四散した。
「わっ」
「きゃっ」
「ふぇぇ」
しりもちをついた三人がそれぞれに悲鳴を上げる。
そこへ素早く駆け寄ったエリックは無言で芽衣の傍らに膝をつき、手を引いて彼女を起き上がらせる許可が出るのをじっと待った。
「……うん。エリック」
萌花や早苗に少し恥ずかしげな視線を向けた芽衣は、彼女の
お姫様のエスコートを許されたエリックも、喜びを抑えきれずに自慢げな表情で彼女の手を握り、まるで壊れやすい宝飾品でも扱うようにそっと抱き起した。
それを見た早苗は無言で立ち上がり、ドレスの裾を直して上空へと顔を上げる。
二人を見ていて動き出すのが遅れた萌花は、突然二の腕をつかまれ、少し乱暴にぐいっと体を引き起こされた。
「ダメージ表示は無かったはずだが、何か状態異常でも発生したか?」
まっすぐに萌花を見つめて、感情の起伏に乏しい言葉でそう聞くシユウ72から少し体を離し、萌花は「大丈夫」と顔を赤らめて軽く頷く。
シユウ72も「そうか」と頷き、[レアリティ7]ブラインドマーカーをインベントリへ収納した。
「ならばいい。ブラッディムーンの
「え? ちょ……ちょっと待ってよ」
「次の指示があるのか?」
シユウ72はコマンド入力を待つゲームのキャラクターのように、両足に均等に体重をかけ、両腕をだらんと伸ばした体勢で萌花に正面を向け動きを止める。
相変わらずまっすぐに目を見つめるその姿に、萌花は視線を外した。
「そういう訳じゃないけど……」
彼女にしては珍しく、口の中でもごもごと何やら言い訳じみたことをつぶやく。
その間も、シユウ72は全く同じ姿勢のまま、萌花の指示を待っていた。
「芽衣」
突然、エリックが芽衣の名を呼び、お姫様抱っこで抱き上げると、その場から飛び退る。
同時にシユウ72は、一瞬でブラインドマーカーを再び装備し、間髪おかずに萌花の前に瞬間移動すると、宙へ向けて魔力吸収の魔方陣を展開した。
――ドカンッ
何のひねりもない爆発音がその場に大音響で響き、辺りが閃光に包まれる。
上空でシユウが発した攻撃魔法をケンタが刀身で弾き、その流れ弾と言うにはあまりに殺傷能力の高い炎の塊が萌花たちを襲ったのだ。
閃光が去ると、魔力によるダメージを吸収したシユウ72は、後ろにかばった萌花のHPや状態異常を確認して腕を下ろす。
爆心地から離れ、念を入れてベリル・スマグナのシールドをも広げたエリックは、芽衣にホコリ一つも降りかかっていないことを確かめ、彼女をそっと床に立たせた。
一人、何が起こったのかもわからないまま、両腕で頭を抱えて身をすくめていた早苗は、ふわりと香る嗅ぎ慣れたにおいに目を開ける。
後姿、しかも逆光で黒い影にしか見えないその姿は、しかし彼女の眼には浮かべている不敵な笑みさえもありありと映った。
「おいおい、[創世の9英雄]の一人ともあろう[侍]が、戦闘に弱いもん巻き込んじゃだめだろ?」
早苗の想像していた通りの顔で振り返り、ケンタに向けてそう言い放ったシユウは、あの巨大な火球を何事もなかったように消し去る。
しかし、言葉の不敵さや表情の不遜さとは裏腹に、彼の体中には数えきれないほどの傷が縦横に走り、早苗の眼には彼のHPが20%を切っている警告の文字が表示されていた。
シユウの視線の向こう、崩れていない城郭の上にふわりと降り立ったケンタは、黒こげになった腕をぶるぶるとふるわせ、がくりと膝を崩す。
しかし、こちらはシユウとは違い、その致命傷とも思える傷は一瞬で回復する。
口の中に溜まった血のりをペッと吐き出し、ケンタは剣を握り直した。
「すまないっす。ちょっと余裕なかったもんで」
「まぁいい、気にするな。こいつは
ケンタからエリック、そしてシユウ72へと視線を移し、シユウは珍しく険しい顔でシユウ72を睨みつける。
睨まれた当の本人は、まるでシユウの「睨む」と言う表情の意味を理解できていないかのように、何の表情も浮かべずに見つめ返していた。
その間に、ケンタの体にいくつものエンチャントが連続でかけ直され、彼の言う「フル・エンチャント」状態に戻る。
シユウのHPが20%を切っているのも、あつもりがかけたディテクションの魔法で分かっている。
ケンタは、小さく長く「ふぅ~~~」と体内の空気を吐き切り、新鮮な空気を肺に満たすと、剣を八双に構えた。
「そろそろ、クエスト終了の時間っすよ。……中学生はもうそろそろ帰宅する時間っすから」
気合を入れ直したケンタの表情は鬼気迫るものがあった。
その気合を受け流すように、早苗の前で腰に手を当てたシユウは、シユウ72から視線を外してにやりと笑う。
「おい[侍]、この作戦の責任者はどいつだ? あの
『ケンタ、話なんか聞く必要ないクマ。この
「……やるっす」
ガチャリと柄を鳴らし、[縮地]の予備動作に入る。
油断なくシユウ72とエリックの動向を監視しながら、踏み込もうとしたケンタは、急に目の前に現れたシユウに柄頭を押さえられた。
「まぁ聞けよ。お前らにとっても悪い話じゃないんだ。肉体を持たない精神体……ボットが人間になれるかもしれないっていう実験だ。なぁ……これは
シユウは屈託のない笑顔で笑う。
ケンタはその笑顔に、溢れ出す狂気とも呼べる善悪を超越した感情を感じたのだった。
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