1.17〈面影〉

「遅れてすまねっす」


「お前はいつも遅れるクマ」


 対岸に古城を臨む臨時本部テントで、クリーム色の毛並みに小さな王冠を載せたクマの着ぐるみが偉そうにふんぞり返っている。

 その横ではヘンリエッタが[レアリティ9]強襲突撃銃グラン・ガーランドのマガジンへ、実装されたばかりのジャケッテッド・ホローポイント弾をセットしていた。


「あらー、ゼノビアちゃんもー、本当に来たのー?」


「……今日は萌花もえかとしてここに来ています」


 ここはGFOの世界だが、今日は早苗と芽衣めいの友達としてここに来たのだ。自分は[戦士]ゼノビアではなく、本名の萌花と名乗るのが正しいようなそんな気がした。


「……あなたたちみんなー、変なところにーこだわるのねー」


 シャミラムと呼んだ時の早苗の反応を思い出し、ヘンリエッタは小さく笑う。

 しかしその笑いに温もりはなく、多分に冷笑の要素が詰めこまれているように萌花には見えた。


「そんなことより早苗ちゃんと芽衣ちゃんがあそこに立て籠もったって本当なんすか? 2人のイマース・コネクターは完全没入フル・イマースログイン出来ないようにロックしたはずじゃ無かったんすか?」


「2人のイマース・コネクターにはバックドアが仕掛けられていたクマ。プルフラスのチームがコネクターの現物をスキャンしたのに発見できなかったのは後で問い詰めるとしてだクマ。まさかちょっとそこをノックされただけで売女ばいたみたいにホイホイ股を開くとは――」


「あつもりさん!」


「……おっと、失言だったクマ」


 ケンタは横に立つ萌花の耳を両手でふさぎ、中学生の女の子に聞かせるには不適切な言葉を使ったあつもりを叱責する。

 それを見たヘンリエッタは、また小さく鼻で笑った。


「なんすか、ヘンリエッタさん」


「いいえー、なんでもー」


「ボクはそう言うのは気に食わないクマ。言いたいことがあるならハッキリ言うクマ」


 銃の準備に余念がないヘンリエッタへ、またあつもりが余計なちょっかいを掛ける。

 笑われた本人たち2人とは関係のない所で、笑顔を崩さないヘンリエッタの視線と、大きくてツヤツヤとした缶バッジのようなあつもりの視線がぶつかり合い、その中間地点でバチバチと火花を散らした。

 萌花はどうしたら良いのかわからずに、顔を上げてケンタを見つめる。

 仏頂面のまま萌花の頭にぽんと手を乗せ、そのままツカツカとあつもりに歩み寄ったケンタは、身長2mはあるあつもりの頭をおおきく振りかぶって「ゴッ」と言う重い音とともにぶん殴った。


「ッつっ! 何をするクマ!」


 自分の頭のてっぺんまでは届かない長さの腕で、何とか殴られた頭を押さえようとするあつもりの頭上に[215]と言うダメージ表示が浮かぶ。

 あつもりの抗議の声を無視したケンタは、そのままヘンリエッタの前まで歩き、頭を両手で隠して身をすくめる彼女の頭に「こつん」と拳をのせた。


「2人ともいい加減にしてくださいっす。……もえさんがこんな2人を見たらなんて言うか、ちょっと考えれば分かることっすよ」


 あつもりもヘンリエッタも、表情からその心の奥までをうかがい知ることは出来ないが、ケンタのその一言で明らかに場の空気が変わったのが萌花にも分かった。

 アイテムインベントリからポーションを取り出し、着ぐるみの口から器用にそれを飲み干したあつもりが「ぐふっ」とゲップをして立ち上がる。

 小さな椅子に座り直した彼は、ヘンリエッタの方を見もせず「……言い過ぎたクマ。悪かったクマ」と謝罪した。


 ケンタの拳が乗っかっていた部分の髪の毛を手櫛で直したヘンリエッタも「大丈夫ー、気にしてないわー」と肩をすくめ、銃の準備に戻る。

 ホッとした表情のケンタが萌花の隣に戻り、いつもの朗らかな笑顔でもう一度彼女の頭にぽんと手を乗せた。


「……で? 他の仲間はどうしてるんっすか?」


「ドアホウが、ここに来たのはお前が最後クマ。カグツチが偵察から帰ってきたら作戦開始だクマ」


「それじゃあもうあんまり時間ないっすね」


 ケンタの指が空中を滑り、普段のウィンドウとは違う色のウィンドウを開く。萌花も一度使ったことのある課金専用メニューの色だ。

 そこから次々と取り出したアイテムをテーブルの上に並べた後、ケンタは一つ一つ真剣な表情で指さし確認をし、とりあえず納得した様子で頷いた。


「萌花ちゃん、今からコレ全部装備してもらうっす」


 装備……とケンタは言ったが、萌花にはそれが武器防具のたぐいには全く見えない。

 真っ赤なドレスを筆頭に、指輪やティアラ、黒いシルクの手袋など、およそドレスアップ以外の能力向上には無縁そうなモノが、そこには積み上げられていた。


 それを見たヘンリエッタとあつもりの顔色が変わる。

 いや、正確に言えば表情はほとんど変わっていないのだが、雰囲気が変わったのだ。


「このドアホウが、それはギルドの[もえ倉庫]に入ってた装備じゃないクマ。それはもえ以外が使うことは許されないクマ」


「ケンター、もえちゃん以外[もえ倉庫]からアイテムを取り出すのはー、ご法度のはずよー!」


「……ギルド外の人は黙ってて欲しいっす。もちろん作戦が終了したら全て[もえ倉庫]に戻すっすけど、今回は萌花ちゃんの安全を再優先するっす。……これは副ギルマスである俺の決定っすから」


 きっぱりと断言したケンタに、2人は口を閉ざす。しかしそれは彼の決定を肯定した沈黙ではないのは明らかだった。

 険悪な雰囲気の中、ケンタに「そこの小さいテントで着替えるといいっすよ」と背中を押された萌花は、針のように突き刺さる視線を感じて「でも……」とすがるように見上げる。


「……大丈夫。心配いらないっすよ。俺がついてるっす」


 安心させるように彼女の手をとったケンタは、荷物と一緒にテントの入口まで並んで歩き、ニッコリと微笑んで入り口のファスナーを閉めた。


 一人、海の家の更衣室のようなテントに残された萌花は、手に持った装備品へと視線を落とす。


 これが[創世の9英雄]の一人で、ケンタさんたちが女神のごとく崇めるもえさんの装備。


 もえの事を語ったケンタの何とも言えない表情を思い出した萌花は、心の奥の方からドロドロと競り上がって来る熱い塊を無理やり飲み込んで、その出口を塞ぐように美しいドレスに顔を埋めた。


(……良い匂いがする)


 いつまでも悩んでいても仕方がない。今はとにかく早苗や芽衣を助けることが一番だ。

 いつものようにすぐに気持ちを切り替えた萌花は、装備を切り替え始めた。


 メニューから[レアリティ8]プライムミニスターを選択し、その真紅のドレスを身につける。

 同じように全てに[レアリティ8]の表示が輝く品々を次々に装備して、ステータスウィンドウで自分の姿を確認した萌花は、今日はじめてこみ上げてくる喜びに顔がほころんだ。


(すごい! お姫様になったみたい!)


 ポニーテールを解き、広く空いた背中のラインを隠す。

 艶めくシルクの指に輝く上品な指輪をめつすがめつして何度も見た彼女は、ふと思い出して普段着のポケットから、[レアリティ8]鮮血石ブラッディムーンと書かれた紅いピアスを取り出した。


(……このドレスになら、このピアスもきっと似合うわ)


 ケンタの選んでくれたアイテムで装備を整えることへの喜びは確かにあったが、それでもすべての装備をもえの持ち物で埋めてしまうことには、心に少しの反発があった。

 完璧に整えられたそこに一点の自分を加えるように、萌花はそのピアスを静かに装備する。


 もう一度ステータスウィンドウで四方八方から自分の姿を確認し、彼女は小さく頷いた。


「……ケンタさん。おまたせ」


 ゆっくりとテントの入口を開いて一歩踏み出し、初めて履く高いヒールによろめいた萌花を、待ち構えていたケンタが抱きとめる。

 彼女を立たせたケンタは、なぜか少しよそよそしく一歩退いた。


 視線を感じて顔を上げた先で、今にも泣き出しそうなヘンリエッタと目が合う。目をそらさないヘンリエッタにいたたまれなくなった萌花が視線を横に逸らすと、そこでもこちらを凝視しているあつもりと目が合った。


「あの……ごめんなさい。私なんかがもえさんの服を着てしまって。すぐに返しますから――」


「とうぜんよー」


「すぐに返すのは当たり前だクマ」


 2人に言葉を遮られ、萌花は顔を真赤にしてうつむく。

 すぐにでも助け舟を出してくれるかと思ったケンタもなぜだか黙ったままで、彼女はうつむいたまま溢れそうになる涙をぐっと堪えた。


「……でも思ったより似合うクマ」


「そうねー、……まぁ……思ったよりー」


 予想外の言葉に顔を上げた萌花の目に、ヘンリエッタの困ったような、泣き出しそうな笑顔が映る。

 振り返った先で、未だに立ち尽くすようにこちらを見つめているケンタと目が合った。


 石のように固まっているケンタにツカツカと歩み寄ったあつもりが、無言でおおきく振りかぶり「ゾブォッ」と言う湿った音とともに爪でぶん殴る。

 ケンタの頭上に[98]と言うダメージが表示されたが、それでもケンタは微動だにせずに萌花を見つめ続けていた。


「おいドアホウ! 何を呆けてるクマ!」


「……もえさん」


 さっき殴られた所からタラっと血を流しながら、ケンタは小さくそうつぶやく。

 もう一発ぶん殴ろうとしていたあつもりは、その言葉を聞いてゆっくり手を下ろした。


「……お前もそう思ったクマか」


 追随するあつもりとまだ放心しているケンタを見比べて、萌花もどうして良いのかわからず立ち尽くす。

 その背中へ、ヘンリエッタの声が掛けられた。


「顔もー、体つきもー、声もー、全然違うのよー。それでも……雰囲気が……空気が……もえちゃ――」


 その言葉は途中で掠れるように途切れ、振り返って見た萌花には、こちらを見つめたままボロボロと大粒の涙をながすヘンリエッタの顔が見えた。

 しばし仮設本部は静寂に包まれ、空高くを飛ぶ小さな猛禽類の鳴き声だけが微かに響く。


 萌花は、どれだけの愛情を注げば人は人にこんなにも愛されることが出来るのだろうと、もえと言う人物に思いを馳せた。



――パシュ……



 その静寂を破るように、青空に一本の白いラインを縦に引いて信号弾が飛ぶ。

 信号の色は緑。


 それは、彼ら[創世の9英雄]たちの作戦行動では使用されない信号弾だった。


「あれはカグツチでもコロスケ伯爵でもないクマ。ヘンリエッタ、周囲警戒頼むクマ」


 すかさず様々な機材の前に座ったあつもりが幾多のウィンドウを同時に展開する。普段ならあつもりの[追跡者トレーサー]だけで警戒は事足りるのだが、それを無効化された実績があるボット相手では、[狙撃手]たるヘンリエッタの繊細な目や感覚が必要だった。


 単眼鏡モノクルを右目に当てて、360度を警戒していたヘンリエッタが、山の中腹にキラリと光るものを見つける。


「あつもりー! 2時30分ー!」


 その言葉と同時に、その場所から3本の光の線が放たれた。


 1本はヘンリエッタの心臓へ、一本はケンタの顔面へ。

 そして最後の一本は、萌花の喉元へ。


 距離は1,000以上あるのだ。この距離での射撃にこんな精度は本来ならありえない。

 仮説本部の周囲にあつもりが張り巡らせていた防御フィールドを突き破り、そのレーザーは全ての目標に同時に到達した。

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