1.16〈転機〉

 夕飯の買い物客でそこそこの賑わいを見せる商店街を、萌花もえかはポニーテールを揺らしながら歩いていた。

 顔の半分ほどもある赤い大きなオーバーヘッドのヘッドホンから、彼女にだけ聞こえる脳を揺らすような重低音が騒々しく鳴り響く。

 10年も前に解散したハードロック・バンドのベストアルバムを聞きながら、萌花は甘城屋あまぎやの前を素通りして、芽衣めいの家へと向かった。


(芽衣が学校を休むってだけでも珍しいのに、早苗も同じ日に休むなんて天変地異の前触れだわ)


 途中馴染みのお肉屋さんに立ち寄り、揚げたてのハムカツを1つ小さな紙袋に包んでもらった彼女がアツアツのそれを食べ終わる頃には、地面へ伸びる彼女の影もかなり長くなっていた。


(プリント渡して顔を見たら、次は早苗ん行って……、夕ご飯前に帰んなきゃ)


 バッグに手を入れ、ポケットティッシュを取り出す。そこに見えた先生から半ば無理やりに奪い取ってきた学校のプリントを確認して、少し急ぎ足になった萌花は口を拭く。

 本当はプリントなどFAXしてしまえば済むことだし、心配だと言うならGFO内で会うことも出来る。

 それでもなんとなく、今日は直接顔を見ておきたい気分だったのだ。


 小学3年生の時に引っ越してきてから、何度も歩いた芽衣の家への道。

 その見慣れた角を曲がった萌花の目に飛び込んできたのは、芽衣の家の出入り口を塞ぐように黒い車が何台も止まっている、見慣れない風景。

 何故か思わず電柱の影に身を隠してしまった彼女は、そっと芽衣の家の様子を伺った。


 ガチャリと玄関のドアが開き、数人のスーツ姿のおじさんたちがぞろぞろと姿を現す。サングラスをかけている人や小さなヘッドセットで連絡をとっている人も居て、それはどう見ても親戚や近所の知り合いのようには見えない。

 後から追いかけるように出てきた芽衣のお母さんが、その男たちに何度も頭を下げているのがよく見えた。


「……お顔を上げてください。私たちは何も罪を問おうと言って居るわけではないんです。いいですか? これはお嬢さんの肉体的、精神的な健康のための安全措置なんです。……ご両親もお忙しいのは重々承知しておりますが、もう少しお嬢さんに気を配ってあげてください」


 男の一人にそう言われ、芽衣のお母さんは更に何度も頭を下げる。その玄関の奥に芽衣の姿は見えないかと少し身を乗り出した萌花は、いきなり後ろ手に腕を捻られ、壁に押し付けるように身柄を拘束され悲鳴を上げた。


 その声を聞きつけ、今まで玄関の周りにたむろしていたスーツ姿の男の一人がこちらに駆け寄る。


「何事っすか?」


「は。不審な行動を取る子供がりましたので、拘束しました」


「不審者……って! 萌花ちゃん?!」


「ケンタさん!」


 叫びざま、萌花は自分の腕を拘束している男の靴をかかとで思いっ切り踏みつける。しかし、当然のようにそれは鉄板入りの安全靴であり、彼女の渾身の反撃は何の意味も持たなかった。

 それでもケンタの知り合いであると認識された萌花の腕を掴む力は緩み、萌花は攻撃が成功したと勘違いしてケンタの背中へと走る。

 この場所で、唯一信頼できる大人であるケンタの背中に抱きついた萌花は、先程まで彼女の腕を掴んでいた男に向かって、大きくべっと舌を出してみせた。


「この娘のことは俺が責任持つっすよ。俺はこのまま直帰するんで、報告書は後でメールでしとくっす」


 ケンタとスーツの男はお互いに苦笑いを交わし、去ってゆく男を見送ったケンタは萌花に向かってニッコリと微笑む。

 腰をかがめて目線を近づけ、「今日は芽衣ちゃんや早苗ちゃんには会えないんすよ」と言うケンタに「でも、プリントを……」と口の中でゴニョゴニョと言い訳した萌花の頭をくしゃっと撫でて、彼は「お茶でもどうっすか? おごるっすよ」と体を起こし、背中を伸ばした。



  ◇  ◇  ◇



「ケンタさんってGFOの会社の人なの?」


 少し自慢気にケンタを案内した甘城屋で、いつもの小倉ティラミスクレープセットを2人分テーブルに並べて、萌花はそう話を切り出した。

 勝手に注文されたあんことティラミスの組み合わせに最初は苦笑いしていたケンタも、一口食べるや否や「おおっ」と目を輝かせる。

 ネクタイを外してポケットに突っ込み襟元のボタンを外した彼は、そのまま2~3口でクレープを完食すると、満足気にセットの抹茶をズズッとすすり込んだ。


「……いや、違うっすよ。今日はまぁバイトみたいなもんっすね」


 割にあわないバイトだな……と、ケンタは思う。

 早朝から付き合わされ、終わったかと思えば大事な有給休暇を急に取らされ、中学生の女の子の泣き顔を見、そして次はその友達に嫌なことを告げなければならないのだ。


 それでも、これは自分が言わなければならないことだとも思う。

 ヘンリエッタに言われて近づくことになったあの日から、この娘たちが大人の事情で傷つくことからは自分が最大限に守ってあげなければならないと決心していたのだ。

 ケンタはそれが、友人を装って彼女たちに近づく自分の、大人として最低限の義務だと思っていた。


「萌花ちゃん、芽衣ちゃんと早苗ちゃんのことなんすけど……」


「……うん」


 あの騒ぎを見た萌花も、なにか只事ではないことが起きているのは気づいている。

 ケンタが何もなくお茶に誘ったわけではないことも。


 萌花はクレープを竹製のフォークでつつきながら、視線を落として話の続きを待った。


「今日……いや、ちょっと前からっすね。芽衣ちゃんと早苗ちゃんは、ゲームの中で少しだけルールに外れたことをしちゃったんす。だから2人はGFOに接続することを暫くの間禁止されたんすよ」


「しばらく? しばらくってどれくらい?」


「そうっすね、早ければ1週間。まぁ遅くともみんなの受験が終わる頃には全部元通りになるっす。それに完全没入フル・イマースが出来ないだけで、通話やデータのやり取りは普通にできるっすから、ちょっとゲームが出来ないだけで、何も変わらないっすよ」


 萌花の反応を待つケンタは、抹茶も飲み終わってしまい手持ち無沙汰に茶碗を撫でる。

 たぶん彼女の気持ちの整理がつくのにはもう少し時間がかかるだろう。そう予想したケンタは、手を上げて同じセットをもう一つ注文した。


「早苗たち……何をしたの?」


 ケンタの予想とは裏腹に、萌花の立ち直りはすこぶる早い。


 注文した小倉ティラミスクレープセットが出てくる前に、萌花はケンタの目をまっすぐに見つめ、そう聞いた。


「それは言えないっすよ……。あの娘たちにも聞かないであげて欲しいっす。でも、悪いことをしたわけじゃないんすよ? 新しく出来た友達を……大切にした。ただそれだけなのに、それがゲームのルールからちょっと外れちゃったんす」


「友達……」


 それだけポツリと呟いた萌花は珍しく押し黙り、ケンタは運ばれてきたクレープを時折口に運びながら、優しい目で彼女を見つめていた。


 2つ目のクレープも殆どがケンタの胃に収まり、2人を長い沈黙が包む。


「……もう遅いから、送るっすよ」


 ケンタとしては、思ったより居心地の良いこの沈黙をもう少し楽しんでいたかったが、中学生の女の子を夕食時まで連れ歩くのは大人として良くない。

 少し後ろ髪を引かれる思いで彼女にそう告げ、立ち上がり、おしりのポケットから折りたたみの財布を取り出した。


 レジへと向かおうとして一歩踏み出したケンタのイマース・コネクターにあるインジケーターが明滅し、着信を知らせたのはその時だった。


「……っと、ちょっと失礼」


 ヘッドセットを装着していなかったケンタは、ポケットからガラケー型の通話端末を取り出すと二つ折りのそれを開き、壁側を向いて通話を始める。

 萌花はすっかり冷めた抹茶を口に含み、ケンタの通話が終わるのを静かに待った。


「はい俺っす。今ちょっと店の中なんで後で……え?! 早苗ちゃ……」


 そこまで言いかけたケンタはチラリと萌花に目を向けて小さく咳払いをしてごまかし、今までより少し小さな声で言い直す。


「……あの娘がっすか? え? 芽……もう一人も? ああ、それは大丈夫っす。萌花ちゃんはここに居るっすよ。……ああ、わかったっす。とにかく今すぐ向かうんで。ええ。本社ならタクシーで20分くらいで着くっすよ」


 パタンと端末を閉じたケンタはレジでお金を払い、外に出ると、少し慌てた様子で萌花にお金を手渡した。


「申し訳ないけど家まで送ることが出来なくなったんで、これでタクシーつかまえて一人で帰って欲しいっす」


「……早苗と芽衣に何があったの?」


 手渡されたお金を押し返すようにして、萌花はケンタの目を見つめる。

 その目には、決意の固い意志が見て取れた。


「萌花ちゃんには関係のないことっす」


「関係ないわけないよ! 早苗と芽衣だよ?! 2人が困ってるなら、私が助ける! 2人が悪いことをしてるなら、私が止める! だって私は……私は2人の友だちだもん!」


 すっかり陽も落ち街灯と店の明かりで賑わう商店街で、スーツ姿の青年の袖を握りしめた中学生が、涙目で叫んでいる。

 傍から見たらどう見ても修羅場か何かに見えるだろう。しかし周囲から集まる視線を気にする余裕もなく、萌花は必死でケンタにすがりついた。


「お願い! ケンタさん! 私も連れてって! 私に出来る事ならなんでもする! 何でもしますから!」


「わかったっす。わかったから萌花ちゃん、少し落ち着いて欲しいっすよ。……とにかく時間もないしタクシーに乗るっす」


 このままでは警察でも呼ばれかねない。ケンタは商店街の出口にある小さなタクシープールからタクシーに乗り込み、運転手に「GFO本社まで」と告げると、深くシートに体を沈めた。


(やれやれっす。でもまぁ確かに、説得する事態になったら萌花ちゃんが居たほうが良いかもしれないっすね……)


 思わず大きなため息を付いたケンタに、萌花は叱られた子供のように目をつむり体を硬直させる。

 それに気づいたケンタは、いつもの朗らかな笑顔を取り戻し、ポケットから通信端末を取り出した。


「つらい経験をすることになるかも知れないっすよ」


「……うん」


「つらくなったらいつでもやめていいんすよ」


「……うん……ううん、大丈夫」


 薄暗い車内で、萌花の右手が、シートにだらんとたらしてあるケンタの左手を探り当て、袖口をおずおずとつまむ。

 気にした素振りもないケンタはニッコリと笑ってそのまま手をつなぐと、反対の手で携帯端末を萌花に渡した。


「じゃあとにかく、ご両親に連絡するっすよ。理由は俺が説明するっすから、後で代わって欲しいっす」


 ケンタの左手は温かい。

 その温もりを右手で感じながら、萌花は自宅に電話をかける。


 男の人と手をつなぎながら親と会話をすると言う状況に、彼女の心臓はトクトクとハードロックのようなリズムを刻むのだった。

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