1.04〈ブラッディムーン〉

 わざわざ福島県の会津地方から移築したという築200年近い蔵屋敷。

 昭和の雰囲気の残る商店街の一番端に、甘味処『甘城屋あまぎや』は、その存在感を示すようにドンと鎮座していた。


 学校からも芽衣めいの家からも近く、ファストフード店程ではないものの中学生でも通える程度の値段設定で、しかも美味しいこの店は萌花もえかたちのお気に入りの場所だった。


「んー! あんことティラミスがこんなに合うなんて、考えた人は天才よね! ノーベルおやつ賞をあげたいわ!」


 口いっぱいにクレープをほおばった萌花は、両手を胸の前で握ると、ぷるぷるっと体を震わせる。


「ですねぇ」


「ノーベルおやつ賞って言うのが今一つよく分からないけど、確かに天才的な組み合わせだとは思うわ」


 窓際の席に陣取り、彼女たちはセットの抹茶をすすった。

 萌花の勉強を見てあげると言うエクスキューズがあったはずなのだが、当の本人も教科書など出す素振りも見せず、それに誰もツッコミを入れることもなく、会話は自然と雑談になって行く。

 ファッションの話、学校の話、テレビの話。

 同じ学校へ通い、毎日顔を合わせていると言うのに、彼女たちの話題は尽きることは無いようだった。


「そう言えば……」


 担任の先生の靴下の話をして大笑いしている最中、急に思い出したように早苗は人差し指を立てる。

 萌花の口の端についた生クリームを紙ナプキンで拭き取りながら、芽衣が「なんですかぁ?」と合いの手を入れた。


「昨日の夜、例の『botボット』って言うプログラムについて調べたんだけどね――」


 早苗はボットについての説明を連々つらつらと述べる。その先生のような姿に、思わず萌花たちは背筋を伸ばした。


 ボットとは、本来なら人間が操作して行うゲーム内の行為を自動で行い、アイテムやお金、経験値などを不正に稼ぎ続けるプログラムの事である。

 キャラクターもあって実際に戦闘をする、シユウボットのようなものは本来寝マクロなどと呼ばれる簡易的なものが多いのだが、GFOを含む完全没入型フル・イマーシブのゲームでは精神の無いものは行動が出来ない。

 そのため、一度素体となるキャラクターを作り、その末端の制御を行うイマース・コネクターに、ハードウェア・ソフトウェア両面から改造を加えることによって不正なプログラムを実装するのが、強固なセキュリティを誇るフル・イマーシブゲーム上でボットを実装できる可能性のある唯一の方法であると言うことらしかった。

 と言うことならば、あのシユウにも登録した本体が居るはずである。

 実態となる人間が登録をしたのであれば、それにはすぐにでも捜査の手が及ぶはずだと早苗は推測した。

 職業クラス毎に制限があるはずの装備を自由に着けたり、ありえない数値のダメージを与えたりと、かなりプログラム的な手が入っているであろうシユウは、確かに予期しないバグも紛れ込んでいる可能性も否定できないため、当然ながら近づかない方が身のためだと言う結論を早苗は皆に伝えた。


「わかってるわよ。ヘンリエッタさんにあんなに真剣にお願いされたら、さすがの私だって会いに行ったりしないってば」


「それでもやらかすのが萌花じゃない」


「……ですねぇ」


 その後、話題はまた次々と変わり、芽衣のヴァイオリンの先生が来る時間ギリギリまで、3人は楽しい時間を過ごす。

 芽衣と別れた萌花と早苗は、尽きることのない雑談を続けながら、お肉屋さんで買った揚げたてのコロッケをほおばり、夕暮れの商店街を長い影を落として歩いた。



  ◇  ◇  ◇



 あんなに間食をとったはずの萌花が夕食をぺろりと平らげて、一応宿題のノートを広げて机に向かってから、まだ5分ほどの時間しか経っていなかった。

 広げたノートには2行しか文字は書かれていない。そこに宿題を書き込むはずのシャープペンは、彼女の指の上でくるりくるりと軽快に回転していた。


「……わかんないものはしょうがない」


 明日、芽衣にノートを見せてもらおうと決めた萌花は、さっさとノートを片付ける。本当は早苗に見せてもらえば確実なのだが、早苗にそんなことを言ったらお説教を食らうことになるのは目に見えているのだ。

 中学生になったお祝いにと父が組んでくれた結構高性能らしいPCの電源を入れて、首のイマース・コネクターのスイッチをフルモードにスライドする。

 本当は友達が持っているようなノートパソコンが欲しかったのだが、大好きな父が「世界に一つしかない萌花専用のパソコンだぞ」と得意げに運び込んでくれたこのPCをスワロフスキーとプリントシールで飾り付け、『ジョンさん』と言う名前まで付けた今では彼女もとても気に入っていた。

 ちなみになぜ『ジョンさん』なのかと言えば、一番最初に父がドヤ顔で起動した瞬間、『ジョン!』と言うエラー音と共に画面が真っ青になったことに由来する。

 「ジョンさんが調子悪いの」「ジョンさんにイマース・コネクターの設定して」と、このPCの名前を言うたびに父が見せる苦虫をかみつぶしたような顔を思い浮かべて、萌花は少し楽しい気分になった。


 口元に笑みを浮かべながらGFOのアイコンをクリックすると、机の上の液晶画面に[神経接続確認][生体認証完了][バイタル正常]と、次々とメッセージが表示される。

 画面中央に、黄銅のパイプと歯車が組み合わされた独特の文字で[ギャラクシー・ファンタジア・オンライン]のロゴが表示されると、その下に[フル・イマーシブ開始]と言う文字が点滅した。

 それと同時に彼女の視界にも液晶画面と同じ文字が浮かび上がり、それを確認してからゆっくりとベッドに横になった萌花の五感は、一気に別の世界へとダイブして行った。



「……さーて、っと」


 真っ赤な髪の萌花……[戦士]ゼノビアは[大噴水]の前で両手両足の関節をぐるぐると回す。

 現実の6倍の速度で時間が流れるGFOの世界には、今は湿気を含んだ早朝のひんやりとした空気が流れていた。


 ウィンドウを開き、普段着から冒険用の装備に着替える。

 そのアイテムインベントリの端に見慣れないアイテムを見つけて、萌花は動きを止めた。


(なんだっけ?)


 全く心当たりのないそのアイテムに手を伸ばし、ウィンドウの中から取り出す。

 手のひらの現れたのは、小ぶりだが透き通った赤い宝石が揺れる、可愛らしいピアスだった。


 アイテムウィンドウからメニューを開き、その説明を読んだ萌花は、ますます頭をひねることになる。

 そこに書かれたアイテムの名前は[レアリティ8]鮮血石ブラッディムーン。

 レアリティ8などと言うレアアイテムを手にしたことがない萌花は、それだけで胸の鼓動の刻むリズムが一段階跳ね上がったのだが、それだけでは済まなかった。

 レアリティと名前に続く説明文には次のような文字が並び、萌花にはまるで文字そのものが輝きを放っているかのように見えた。


 [命を物質化したこの魔石は、それを持つ二人を固く繋ぎ、生涯離れることは無いだろう]


 説明を読んでもこれがゲームの中でどんな効果を持つのか全く想像もできない萌花だったが、しかし、まるで恋のおまじないグッズのようなその説明書きは、彼女の心をガッチリとつかんだのだった。


(すごい! きっと縁結びのアイテムだわ! 私の運命の人がこっそり送ってくれたんだ!)


 顔を真っ赤にして、いそいそとピアスを付けようとした萌花は、そこでハッとして動きが止まる。

 ゆっくりピアスをおろして手のひらに乗せた彼女は、難しい顔をしてそれをじっと見つめた。


(……好みの顔じゃなかったらどうしよう? 性格が悪かったら? でも運命の人だったら、絶対好きになるはずよね……お父さんくらい年上だったら、話合うかな?)


 噴水の横にある大理石のベンチにふらふらと腰掛け、萌花はピアスを見つめ続ける。

 どれほど見つめ続けただろうか? すっかり高く昇った太陽の眩しい光を塞いで、人影が彼女の手のひらのピアスを陰らせた。


「どうしたの? それ」


「かわいいですねぇ」


 そこに立っていたのは、ラピスラズリのように透明感のある青い髪の早苗、[魔術師]シャミラムと、淡い緑色の綿菓子のような髪の芽衣、[狙撃手]キャナリー。

 2人は興味津々といった様子で萌花の手のひらを覗き込み、萌花は思わずピアスを背中に隠した。


「な……なんでもない」


「ええ? あやしいですねぇ。誰かにプレゼントでもしてもらったんですかぁ?」


「……もしそうだとしたら、それは看過できない問題だわ」


「ちが! 違うってば! そんなんじゃないよ! ほんとに何でもないの!」


 ある意味図星をついた芽衣の言葉にあわてて、萌花はそれをアイテムインベントリに放り込もうとする。

 しかし、突然「ブブーッ」と言うクイズで不正解を回答した時のような音が鳴り、「アイテムをバッグにしまう」と言うその単純な行為は、システムにキャンセルされた。


「何でもなくないじゃない。インベントリに格納できないアイテムなんて普通じゃないわよ」


「もえちゃん、正直に答えてください。それ、どこで手に入れたんですか?」


 2人に詰め寄られて逃げ場のなくなった萌花は、しぶしぶピアスを早苗に見せることになり、今日ログインしたらアイテムの中に勝手に入っていたと言うことも、もちろん恋愛成就のおまじないの品だと思ったことは伏せて説明した。

 渋面で、まるで爆発物でも扱うようにそれを受け取った早苗は、ベンチの上にそれを置いて両手をかざして呪文を唱える。


鑑識アイデンティファイ


 彼女の落ち着いた声に、ピアスはスーパースローカメラで見る風船の破裂シーンのように白い光を弾き返した。

 アイテムの隠された情報まで全て表示されるはずのその呪文は、早苗に「鑑定不能。レベルが足りません」と言う情報しか与えてはくれない。

 腕組みをしてますます眉根を寄せた彼女は、もう一度両手をかざすと「邪気看破ディテクト・イーブル」「魔力看破ディテクト・マジック」と連続で唱えた。

 それぞれの呪文に青い光と強く赤い光で反応したピアスを早苗は難しい顔のまま萌花に返すしかなかった。


「……呪いとかはかかってないみたい。魔力はすごく強いわ。……まぁ[レアリティ8]のアイテムだもの当然よね」


「それって、あのシユウボットの影響とかじゃないんですか?」


 後ろにしゃがみこんで静かに覗いていた芽衣が、辺りを憚るように囁く。


「その可能性は……あると思う」


 とにかく、それを身につけるのは止めておいた方がいいと言う結論になったが、アイテムインベントリにも収納できないそれをどうしたものか、萌花は途方に暮れてただそれを握りしめていた。

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